通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

下松、松の樹に降りてきたのだあれ?

2023年10月01日 | 山口の話題
前回は、
山口県下松市(くだまつし)沖の
瀬戸内海に浮かぶ
笠戸島(かさどしま)の地名由来
について話をさせてもろうた。



↓笠戸島の地名由来については、こちら↓

笠戸島、笠を置いたのだあれ?



今回は、その笠戸島がある
下松の地名由来についての話じゃ。



↓下松市については、こちら↓

山口県下松市ホームページ





今日は、
下松、松の樹に降りてきたのだあれ?
についての話でがんす。





初の女性天皇といわれる
推古(すいこ)天皇のころというから、
今から1400年ほど前の
飛鳥時代のこと。

周防(すおう。山口県東南部)国
都濃(つの)郡 鷲頭(わしず)荘
青柳浦(あおやぎうら)の松の樹に、
北辰(ほくしん。北極星)星が
降り下って、
七日七夜輝きとおした。

朝鮮半島にある百済(くだら)国の
聖明王(せいめいおう)の第3皇子で、
日本へやって来る
琳聖太子(りんしょうたいし)を
守るためだという。

日本にやって来た琳聖太子は、
推古天皇の摂政をしていた
聖徳太子から
多々良(たたら)姓を賜り、
この地に住み着いた。

戦国時代、
毛利元就(もうり もとなり)に
取って代わられるまで、
中国地方から北九州まで
勢力を持っていた大内氏の祖先が、
この多々良氏だといわれている。

北辰星が降り下ったことから、
青柳浦は降松(下松)と
その名を改め、
北辰星を祀(まつ)った
妙見宮(みょうけんぐう)が
今の降松神社となった。



↓降松神社については、こちら↓

降松神社





以下、余談。


妙見宮が今の降松神社となった、
と書いたが、
「妙見」という言葉を
皆さんはご存じじゃろか?

妙見とは、妙見菩薩のこと。

中国の道教で神格化された
北辰(北極)星が、
仏教の菩薩信仰と習合して
妙見菩薩として信仰されるように
なったそうじゃ。

その妙見信仰は、飛鳥時代に
中国から日本に伝わった。

国土を守り、災いを除き、
人に福寿をもたらすとされ、
「妙見」という言葉から
眼病(がんびょう。目の病気)を治す
ともいわれる。

その妙見宮は、
明治の神仏分離令で
降松神社と分けられたが、
妙見宮鷲頭寺(みょうけんぐう
じゅとうじ)として、今も残る。



↓妙見宮鷲頭寺については、こちら↓

「妙見宮鷲頭寺(下松市)」周防山口館【大内庭園】





【参考文献】

『日本歴史地名大系 36 山口県の地名』平凡社 1980年 205ページ

『角川日本地名大辞典 35 山口県』角川書店 1988年 966ページ






今日は、
下松、松の樹に降りてきたのだあれ?
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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