通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

笠戸島、笠を置いたのだあれ?

2023年09月29日 | 山口の話題



先日、9月23日・24日の1泊2日で
山口県下松市(くだまつし)の
笠戸島(かさどしま)にある
国民宿舎 大城(おおじょう)
に泊まってきた。



↓国民宿舎 大城については、こちら↓

【公式】国民宿舎 大城 | 下松市笠戸島の全室オーシャンビューホテル



笠戸島は、山口県下松市沖の
瀬戸内海に浮かぶ三日月形の島。

「笠戸島」という名前だから、
「笠」と関係があるんだろうなと
調べてみたら…、


「広島県宮島町(厳島)の明神が笠を置いた」という伝説があることから。

「笠戸島 地名の由来」ウィキペディア



…と書いてあった。

宮島の明神が、
直線距離で約40キロメートル
離れている笠戸島に笠を置く。

なんとも壮大な話ではあるが、
にわかには信じがたい。

そこで、
そのほかの説を紹介していこう。





今日は、
笠戸島、笠を置いたのだあれ?
についての話でがんす。





ひとりは佐々木 小次郎
(ささき こじろう)が、
もうひとりは
神功(じんぐう)皇后が、
この島に笠を置いたことから
「笠戸島」という名前がついた
という伝説が残る。


まずは、佐々木 小次郎から
説明していこう。

剣豪の小次郎は、
身の丈ほどもある長刀を背負い、
得意技は燕(つばめ)返し。

そして、笠戸島より西の、
山口県下関市・関門海峡にある
巖流島(がんりゅうじま)で、
宮本武蔵と決闘したことで有名。

武蔵を追って西へ下る途中の小次郎が、
この島に立ち寄って休憩したとき、
かぶっていた笠を
松の木にかけたところから、
「笠戸島」という名前がついたという。

しかし、
巖流島での決闘が行われたのが、
江戸時代になって間もないころで
大坂の陣よりも前の、
慶長17(1612)年。

今から400年ほど前の話であり、
島の名前がついたにしては、
あまりにも最近すぎる。





神功皇后(息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと))
(安彦良和『天の血脈 第3巻』講談社 2013年 79ページ)



つぎに説明するのが、
戦前では子供でも知っていたが、
今ではほとんどの人がその名を知らない
神功皇后。

神功皇后は、第14代天皇
仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、
八幡神(はちまんしん)として祀られる
第15代天皇
応神(おうじん)天皇の母。

海を渡って韓国(からくに)へ行き、
百済を助けて
新羅(しらぎ)を平定したという、
女神でありながら
武神としての性格を持つ。

その神功皇后が韓国へ渡るとき
この島に泊まったが、
出立する際、戸口に笠を掛けたまま
忘れてしまったところから
「笠戸島」の名前がついたという。

新羅征伐を行ったのが
西暦367年(異説あり)とされるため、
今から1656年前の話。

地名由来の伝説としては
こちらの方がありかな、と思う。


調べてみれば、
ほかにも面白い伝説が
残っているかもしれないが、
今日のところは、ここまで。





【参考文献】

加藤庸二『島の博物事典』成山堂書店 2015年 188ページ





訪問日:2023年9月23日・24日






今日は、
笠戸島、笠を置いたのだあれ?
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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