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ヤマトと009が同時上映?!

2023年11月15日 | まんが・テレビ・映画
1977年8月に公開されて
アニメブームを起こしたのが
『宇宙戦艦ヤマト 劇場版
(以下、『ヤマト』と略す)』。

その『ヤマト』がこの年の年末、
東映製作のアニメ映画
『サイボーグ009(以下、『009』と略す)』
(1966年版)と同時上映されていたのは
ご存じじゃろか?





今日は、
ヤマトと009の同時上映?!
についての話でがんす。







(『映画手帳』1977年12月号)

1977年12月17日から29日までの2週間、
広島東映と的場東映で
『ヤマト』が上映され、
同時上映が『009』だった。

なぜ、この組み合わせで上映されたのか?

少し長くなるが、
ここまでの経緯(いきさつ)を
話しておこう。


テレビ版『ヤマト』は視聴率が低迷し、
全39話の予定が26話で打ち切りとなる。

その後、再放送で注目されるが、
それは一部のアニメファンでの話。

プロデューサーの西崎義展は、
テレビ版を再編集した劇場版を作る。

西崎は、この劇場版を
ファン向けに1週間だけ劇場公開し、
それでアニメから手を引くつもり
だったという。

その劇場版を大手映画会社に売り込むが、
にべもなく(そっけなく)断られる。

西崎はまだ無名だったし、
テレビ版は打ち切りという
商業的に失敗した作品であったからだ。

映画会社から紹介された
東急レクリエーションが、
都内の劇場4館での公開を決める。

その後、
前売り券が順調に売れていったので、
劇場をそれまでの4館から6館に増やす。

その動きを聞きつけた
大手映画会社のひとつ東映が、
地方での配給を引き受けることに。

わしが『ヤマト』を観たのは、
配給を東映が行っていた関係で
広島東映だった。

そういう関係で、
『ヤマト』と同時上映されたのが
東映の『009』だったのだろう。

では、なぜ『009』だったのか?

SFというジャンルもあっただろうが、
このころアニメファンの間で人気があり、
東映主催のフィルム上映会で
人気があった作品のひとつが
『009』だったためだろう。

ただ、劇場版よりは、
テレビ版の『009』(1968年版)の
「Xの挑戦」、「平和の戦士は死なず」
などが人気があったはずだ。



↓『宇宙戦艦ヤマト 劇場版』については、こちら↓

2作品連続公開決定!『宇宙戦艦ヤマト 劇場版』4Kリマスター/『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター



↓映画『サイボーグ009』(1966年版)については、こちら↓

「サイボーグ009 作品ラインナップ」東映アニメーション



↓テレビ版『サイボーグ009』(1968年版)については、こちら↓

「サイボーグ009 作品ラインナップ」東映アニメーション





以下、余談。


『ヤマト』が公開された
翌年の1978年8月に公開されたのが
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』。

さらに翌年の1979年7月には、
『宇宙戦艦ヤマト・フェスティバル』
が公開された。

上映されたのは、
『宇宙戦艦ヤマト』
『さらば宇宙戦艦ヤマト』と、
西崎のテレビアニメ初プロデュース作品
『海のトリトン』劇場版の前編。

後編は劇場では公開されず、
のちに発売されたビデオソフトで
初めて日の目を浴びることになる。

1979年といえば、
『海のトリトン』が初監督作品だった
富野喜幸(現:富野由悠季)が
総監督として手がけた
『機動戦士ガンダム』が
テレビ放送された年である。

また、テレビシリーズ第2作目となる
『サイボーグ009』が
テレビ放送された年でもある。



↓『機動戦士ガンダム』については、こちら↓

「機動戦士ガンダム 作品紹介」サンライズ



↓テレビ版『サイボーグ009』(1979年版)については、こちら↓

「サイボーグ009 (1979年) 作品紹介 」石森プロ





今日は、
ヤマトと009が同時上映?!
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。

(文中、敬称略)
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