「まず、ご存じない方のために説明しときますが、「愛宕」と書いて、「あたご」と読みます」
「「跨線橋」と書いて、「こせんきょう」と読むんじゃ。跨線橋というのは、鉄道の線路をまたぐ、橋の一種じゃの」
「JR広島駅を出発して、すぐ東側にある踏切が、ここ愛宕踏切になるんよね」
「駅のすぐそばにあって、電車が次から次へと来るんじゃ」
「ほいじゃけぇ、「開かずの踏切」なんよね」
「踏切ができたころは、「大踏切」と呼ばれとったそうじゃ。今日は、愛宕踏切の上に架かっている愛宕跨線橋の、架け替える前の古い跨線橋についての話じゃ」
「えーっと、掛け替えがあったのがいつじゃったっけ?」
「2003年(平成15年)じゃけぇ、9年前になるんじゃの」
「もうそんなになるかいね」
「跨線橋の北側エレベーターの手前に、古い跨線橋が残されとるんじゃ」
旧愛宕跨線橋
旧愛宕跨線橋(あたごこせんきょう)は、鉄道の南北を連絡する歩行者専用橋として大正14年(1925年)に建設されました。
昭和20年(1945年)8月6日に、原爆に被災しましたが、その後も風雪に耐え、80年近くの間、多くの市民の方に利用され親しまれてきました。
しかし、老朽化が進んだことなどから、平成13年(2001年)に解体し、新しい橋に架け替えられることになりました。
この架け替えにあたり多くの市民の方から「思い出多い跨線橋を部分的にでも保存してほしい」との声が寄せられたことから、旧橋のトラスと親柱(おやばしら)の一部を保存することになりました。
(右側)
※トラス:直線部材で三角に構成された骨組構造
旧愛宕跨線橋の概要
橋 長 41.4m
幅 員 3.0m
上部工 鋼トラス橋
下部工 鉄筋コンクリート橋台
完 成 大正14年(1925年)
旧愛宕跨線橋のトラス部分には古い鉄道レールが再利用されていましたが、解体した時の調査で、レールの刻印から約100年前にアメリカやドイツから輸入された、現在では貴重なレールであることがわかりました。
(左側)
右 カーネギー社製(アメリカ) 1900年
左 ウニオン社製(ドイツ) 1902年
平成15年(2003年)3月
広島市南区役所
「南区役所!? 愛宕町(あたごまち)いうたら、広島市東区じゃん!」
「広島駅があるのは、広島市南区松原町(まつばらちょう)になるんよ。地図で調べてみると、愛宕跨線橋があるのは南区になるんじゃ」
「跨線橋は1925年(大正14年)に歩行者専用橋として建てられたということじゃけど、広島に鉄道が通ったのはいつじゃったっけ?」
「1894年(明治27年)の6月じゃ。当時はJR(旧国鉄)じゃのうて、山陽鉄道という会社じゃったんじゃがの」
「そうか。この年の8月に、広島駅と宇品港を結ぶ宇品線が完成したんよね」
「9月には日清戦争が始まったんじゃ。当時の鉄道で行くことができる西の端、広島駅から軍用鉄道の宇品線を通って、たくさんの兵隊が宇品港から出征して行ったんじゃの」
「1894年に開通して、跨線橋ができたのが1925年ということは、跨線橋ができるまで31年かかっとるんじゃね」
「そのころは、列車の本数も少なかったけぇじゃないんかの? 広島の画家・故檜山武夫氏は、『陸橋』という作品で古い愛宕跨線橋を描かれとってんじゃ」
「跨線橋の北側エレベーターの手前に、古い跨線橋があるんじゃ」
「左側にあるのが親柱じゃね」
「撤去前の旧愛宕跨線橋の写真じゃ」
「そうそう、こんな感じじゃった。当たり前じゃけど、このときはエレベーターがついてなかったんよね」
訪問日:2012年(平成24年)8月12日
↓旧愛宕跨線橋については、こちら↓
「昔の愛宕町」広島市東区 愛宕町内会
↓愛宕町についての関連記事は、こちら↓
愛宕神社 広島市東区愛宕町
「今日は、広島市南区にある旧愛宕跨線橋について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「「跨線橋」と書いて、「こせんきょう」と読むんじゃ。跨線橋というのは、鉄道の線路をまたぐ、橋の一種じゃの」
「JR広島駅を出発して、すぐ東側にある踏切が、ここ愛宕踏切になるんよね」
「駅のすぐそばにあって、電車が次から次へと来るんじゃ」
「ほいじゃけぇ、「開かずの踏切」なんよね」
「踏切ができたころは、「大踏切」と呼ばれとったそうじゃ。今日は、愛宕踏切の上に架かっている愛宕跨線橋の、架け替える前の古い跨線橋についての話じゃ」
「えーっと、掛け替えがあったのがいつじゃったっけ?」
「2003年(平成15年)じゃけぇ、9年前になるんじゃの」
「もうそんなになるかいね」
「跨線橋の北側エレベーターの手前に、古い跨線橋が残されとるんじゃ」
旧愛宕跨線橋
旧愛宕跨線橋(あたごこせんきょう)は、鉄道の南北を連絡する歩行者専用橋として大正14年(1925年)に建設されました。
昭和20年(1945年)8月6日に、原爆に被災しましたが、その後も風雪に耐え、80年近くの間、多くの市民の方に利用され親しまれてきました。
しかし、老朽化が進んだことなどから、平成13年(2001年)に解体し、新しい橋に架け替えられることになりました。
この架け替えにあたり多くの市民の方から「思い出多い跨線橋を部分的にでも保存してほしい」との声が寄せられたことから、旧橋のトラスと親柱(おやばしら)の一部を保存することになりました。
(右側)
※トラス:直線部材で三角に構成された骨組構造
旧愛宕跨線橋の概要
橋 長 41.4m
幅 員 3.0m
上部工 鋼トラス橋
下部工 鉄筋コンクリート橋台
完 成 大正14年(1925年)
旧愛宕跨線橋のトラス部分には古い鉄道レールが再利用されていましたが、解体した時の調査で、レールの刻印から約100年前にアメリカやドイツから輸入された、現在では貴重なレールであることがわかりました。
(左側)
右 カーネギー社製(アメリカ) 1900年
左 ウニオン社製(ドイツ) 1902年
平成15年(2003年)3月
広島市南区役所
「南区役所!? 愛宕町(あたごまち)いうたら、広島市東区じゃん!」
「広島駅があるのは、広島市南区松原町(まつばらちょう)になるんよ。地図で調べてみると、愛宕跨線橋があるのは南区になるんじゃ」
「跨線橋は1925年(大正14年)に歩行者専用橋として建てられたということじゃけど、広島に鉄道が通ったのはいつじゃったっけ?」
「1894年(明治27年)の6月じゃ。当時はJR(旧国鉄)じゃのうて、山陽鉄道という会社じゃったんじゃがの」
「そうか。この年の8月に、広島駅と宇品港を結ぶ宇品線が完成したんよね」
「9月には日清戦争が始まったんじゃ。当時の鉄道で行くことができる西の端、広島駅から軍用鉄道の宇品線を通って、たくさんの兵隊が宇品港から出征して行ったんじゃの」
「1894年に開通して、跨線橋ができたのが1925年ということは、跨線橋ができるまで31年かかっとるんじゃね」
「そのころは、列車の本数も少なかったけぇじゃないんかの? 広島の画家・故檜山武夫氏は、『陸橋』という作品で古い愛宕跨線橋を描かれとってんじゃ」
「跨線橋の北側エレベーターの手前に、古い跨線橋があるんじゃ」
「左側にあるのが親柱じゃね」
「撤去前の旧愛宕跨線橋の写真じゃ」
「そうそう、こんな感じじゃった。当たり前じゃけど、このときはエレベーターがついてなかったんよね」
訪問日:2012年(平成24年)8月12日
↓旧愛宕跨線橋については、こちら↓
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愛宕神社 広島市東区愛宕町
「今日は、広島市南区にある旧愛宕跨線橋について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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