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貴重な証言 被爆者の聞き取りテープ見つかる 広島市

2011年05月30日 | 広島の話題
「今年で、原爆が投下されて66年になるんじゃね」

「被爆者の高齢化が言われて久しいのう」

「原爆のことを、何らかの形で受け継いでいかんといけんよね」

「今回、1960~70年代に、被爆者から聞き取りをしたテープ161本が見つかったそうじゃ」



社会学者で、広島大教授を務めた故湯崎稔さんが1960~70年代に爆心地から500メートル以内の被爆者や元住民の暮らしぶりなどを聞き取ったテープ161本が、広島市内に保管されていた。
貴重な「証言」は、被爆前の街並みと暮らしをコンピューターグラフィックス(CG)で復元する事業に生かされる。

テープは、湯崎さんが原爆被害の全体像を浮かび上がらせることや、爆心地の暮らしぶりを掘り起こすため、100人以上から聞き取った。

テープの一部は同大原爆放射線医科学研究所(原医研)の被爆者健康調査で使われたが、大半は未公開のまま眠っていた。
その存在を、爆心地から半径1キロをCGで復元しようと取り組む映像制作会社社長田辺雅章さん(73)=西区=が知り、共同研究者だった鎌田七男元所長(74)に貸し出しを頼んだ。

1年かけてテープ起こしをし、証言者の被爆場所の特定や当時の状況などを分析。
存命の被爆者から聞き取りをするという。
田辺さんは「被爆後20~30年の肉声がこれだけまとまって残るテープは第一級資料。湯崎さんの遺志を継ぎ、映像でよみがえらせたい」と話している。

(「爆心周辺の肉声、録音で残る」中国新聞 2011年5月25日)




「湯崎稔氏は、爆心地から500メートル以内の被爆者や元住民100人以上から聞き取りをされたんじゃの」

「湯崎さんは、湯崎英彦広島県知事のお父さんだそうです」

「爆心地から500メートルいうたら、旧中島地区も含まれとるよのう」

「旧中島地区いうたら、戦前までは繁華街じゃたんよね」

「テープを貸してもろうた田辺氏は昨年、旧中島地区の元住民の証言を元にしたCG作品『ヒロシマからの伝言~原爆で失ったもの~』を完成させとってんじゃ」

「昨年の5月には、国連で上映されたんよね。次回作で、この証言を生かしてんじゃ」

「田辺氏は、外国人記者から「原爆が落ちた近くが公園だったから良かったですね」と言われたことがあるそうじゃ」

「うちも、むかしから公園じゃと思うとったんよ」

「実は、わしもそうなんじゃがの」

「旧中島地区は、原爆でみんな焼けてしもうたんよね」

「今でも残っとる建物といえば、元安橋(もとやすばし)の西側にあるレストハウス(旧「大正屋呉服店」)くらいじゃのう」



↓旧中島地区については、こちら↓

「中島町(広島市)」ウィキペディア





「今回見つかったテープは、貴重な一次資料でもあるんじゃ」

「一次資料って、何?」

「オリジナル。元になる文献やデータのことじゃ。論文を書く時は、「他人が調べた結果(二次資料)を見るだけじゃのうて、必ず一次資料に当たれ」と言われるよのう」

「ということは、このブログは三次資料になるんじゃね」

「ま、それはこっちに置いとって…。今回の証言テープには、それぞれの名前があって、それぞれの人生がある、1人1人の人間の言葉が残されとるんじゃろうの」

「これらの証言を集めるのも、大変じゃったじゃろうね」

「話したくないと言われる方も、たくさんおってじゃったろうけんの」

「このテープも、何らかの形で聞けるようにして欲しいね」

「田辺氏は、「あの日の出来事を忘れたとき、再びあの日が繰り返される」と発言されとってんじゃ」

「そのとおりじゃね。うちらも、できる形で語り継いでいかんといけんね」



↓広島平和記念資料館については、こちら↓

広島平和記念資料館WEBSITE



↓国立広島原爆死没者追悼平和祈念館については、こちら↓

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館




「今日は、被爆者の暮らしぶりなどを聞き取ったテープについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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