野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は11日、競技者表彰のプレーヤー表彰にプロ野球広島東洋カープの投手として先発、救援の両方で活躍した大野豊氏(57)、エキスパート表彰には完全試合を含め3度の無安打無得点試合を達成した広島の外木場義郎氏(67)を選出したと発表した。
外木場氏は68年に最優秀防御率を獲得するなど広島の低迷期を支えた。
75年には20勝で最多勝と沢村賞に輝き、広島初優勝の原動力となった。
3度のノーヒットノーラン達成は故沢村栄治氏(巨人)と並ぶ最多タイ記録。
(「大野・外木場氏が殿堂入り」中国新聞 2013年1月12日)
「外木場さんは、「記録を作った男」と言われとるんじゃの」
「ノーヒットノーランを達成されたのは知っとったけど、3回も達成されたとは知らんかったね」
「ノーヒットノーランを3回達成したのは、伝説の投手・沢村栄治(さわむら えいじ。1917年 - 1944年。元巨人軍のピッチャー)と外木場さんの2人だけ。余談じゃが、2人とも背番号が「14」なんじゃ」
「最初のノーヒットノーランは、1965年(昭和40年)10月2日、阪神甲子園球場で行われた阪神戦。この試合は、外木場さんにとってプロ2度目の先発で、プロ初勝利をあげた試合でもあったんじゃ」
ノーヒットノーランによる初勝利はNPB〔日本野球機構〕、MLB〔メジャーリーグベースボール〕を通じて史上初
(「ノーヒットノーラン達成者一覧」ウィキペディア)
(注:〔 〕内は筆者が書き加えたものです)
「ノーヒットノーランによる初勝利は、日米とも史上初という快挙じゃったんじゃね」
「この年、カープに入団したばかりの外木場さん。試合後には、「何ならもう一度やりましょうか」というコメントも残しとってんじゃ」
「おー、なんという大胆不敵な発言」
試合が終わってすぐに報道陣から「こういう記録を残した選手は短命で終わる」というようなことを言われましてね。
それで頭にきて「なんなら、もう一回やりますよ」と冗談めかして言ったら、その言葉だけが後々まで取り上げられまして。(笑)
(「カープは広島県の元気のもとだ! 元広島東洋カープ投手 外木場義郎」すこぶる夏号 -知事対談-)
「それでも、この後、ノーヒットノーランを2回も達成しとってんじゃもんね」
「2回目は、1968年(昭和43年)9月14日、旧広島市民球場で行われた大洋戦」
いや、〔三振を〕取りにいったというより、絶対に打たれないという気持ち。
そういう確信を持って投げてますから、もう変化球はなしですよ。
あの時はもう、ボールに勢いがあって手元でグーンって浮くようでしたから、みんな空振りでした。
あそこで色気を出してですよ、変化球でも投げて打たれたら後悔が残りますから。
田中さん〔田中 尊(たなか たかし)。元広島カープ捕手・コーチ〕のサインも全部真っ直ぐでしたよ。
だから相手が、こっちの気迫にのまれたところもあるんじゃないですか。
(「外木場義郎インタビュー 球場が消えても残る「偉大な記録」」『ありがとう! 栄光の広島市民球場 保存版』洋泉社 2010年10月2日)
(注:〔 〕内は筆者が書き加えたものです)
「しかもこの試合は完全試合で、セ・リーグタイ記録の1試合16奪三振も記録しとってんじゃ」
「えーっと…。ノーヒットノーランと完全試合って、どう違うんじゃったっけ?」
「ノーヒットノーランは無安打無得点試合ともいうんじゃが、相手の打者にヒットを打たれず、得点も与えなかった試合のこと。完全試合は、相手の打者を一度も塁に出さなかった試合のことなんじゃの」
「相手の打者を塁に出さないということは、ファーボールやエラーもダメということなんじゃね」
「エラーがダメということは、当然、守っとる野手にもプレッシャーがかかってくる」
そりゃもう大変だったらしいですよ。
自分のところに、来るな来るなってね。
完全試合がかかってたわけですから。
9回は、3人とも三振ですが、最後まで緊張していたと思います。
(同上)
「ちなみに、この試合での投球数は114球じゃったそうな」
「114球ということは、打者が27人じゃけぇ…。1人あたり4球くらいしか投げてない計算になるんか。すごいね」
「完璧じゃろ? この年、外木場さんは21勝を挙げ、防御率1.94で最優秀防御率のタイトルを獲得されとってんじゃ」
「そして3回目が、1972年(昭和47年)4月29日、旧広島市民球場で行われた巨人戦」
【広島3-0巨人】
高々と上がった飛球はファウルフライだった。
捕手がバックネットにへばりつくように、白球が落ちてくるのを待った。
ガッチリと捕球したと同時に広島市民球場のあちらこちらから観客がグラウンドになだれを打って下りてきた。
腕を引っ張られるわ、胴上げされそうになるわ、体中のあちらこちらは叩かれるわ…。
(「【4月29日】1972年(昭47) 伝説の右腕と2人だけ 外木場義郎3度目の大記録」日めくりプロ野球 ― スポニチ Sponichi Annex 野球)
「このころの巨人といえば、前年の1971年(昭和46年)まで7年連続で日本一のチームじゃったんじゃの」
「おー。その巨人を相手にノーヒットノーランを達成しちゃったんじゃね。すごい!」
「しかもその内容は、ファーボールが1でエラーが1、2人の走者を出しただけというものじゃったんじゃ」
「今、気がついたんじゃけど、外木場さんがノーヒットノーランを達成したのは、カープが優勝する前の話じゃね」
「ほうなんよ。カープが万年Bクラス、弱小球団じゃった時代の話なんじゃの」
「カープが初優勝した1975年(昭和50年)も、大活躍しちゃったね」
「10月15日、優勝を決めた巨人戦(後楽園球場)に先発したのも、外木場さんじゃったんじゃ」
「もちろん、この試合に勝って、勝利投手!」
「この年は20勝を挙げて最多勝、最多奪三振、最優秀投手、そして沢村賞のタイトルを獲得されたんじゃ」
「ここでも沢村栄治と縁があるんじゃね」
「今日は、野球殿堂入りを果たした元広島カープ投手・外木場義郎さんについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
外木場氏は68年に最優秀防御率を獲得するなど広島の低迷期を支えた。
75年には20勝で最多勝と沢村賞に輝き、広島初優勝の原動力となった。
3度のノーヒットノーラン達成は故沢村栄治氏(巨人)と並ぶ最多タイ記録。
(「大野・外木場氏が殿堂入り」中国新聞 2013年1月12日)
「外木場さんは、「記録を作った男」と言われとるんじゃの」
「ノーヒットノーランを達成されたのは知っとったけど、3回も達成されたとは知らんかったね」
「ノーヒットノーランを3回達成したのは、伝説の投手・沢村栄治(さわむら えいじ。1917年 - 1944年。元巨人軍のピッチャー)と外木場さんの2人だけ。余談じゃが、2人とも背番号が「14」なんじゃ」
「最初のノーヒットノーランは、1965年(昭和40年)10月2日、阪神甲子園球場で行われた阪神戦。この試合は、外木場さんにとってプロ2度目の先発で、プロ初勝利をあげた試合でもあったんじゃ」
ノーヒットノーランによる初勝利はNPB〔日本野球機構〕、MLB〔メジャーリーグベースボール〕を通じて史上初
(「ノーヒットノーラン達成者一覧」ウィキペディア)
(注:〔 〕内は筆者が書き加えたものです)
「ノーヒットノーランによる初勝利は、日米とも史上初という快挙じゃったんじゃね」
「この年、カープに入団したばかりの外木場さん。試合後には、「何ならもう一度やりましょうか」というコメントも残しとってんじゃ」
「おー、なんという大胆不敵な発言」
試合が終わってすぐに報道陣から「こういう記録を残した選手は短命で終わる」というようなことを言われましてね。
それで頭にきて「なんなら、もう一回やりますよ」と冗談めかして言ったら、その言葉だけが後々まで取り上げられまして。(笑)
(「カープは広島県の元気のもとだ! 元広島東洋カープ投手 外木場義郎」すこぶる夏号 -知事対談-)
「それでも、この後、ノーヒットノーランを2回も達成しとってんじゃもんね」
「2回目は、1968年(昭和43年)9月14日、旧広島市民球場で行われた大洋戦」
いや、〔三振を〕取りにいったというより、絶対に打たれないという気持ち。
そういう確信を持って投げてますから、もう変化球はなしですよ。
あの時はもう、ボールに勢いがあって手元でグーンって浮くようでしたから、みんな空振りでした。
あそこで色気を出してですよ、変化球でも投げて打たれたら後悔が残りますから。
田中さん〔田中 尊(たなか たかし)。元広島カープ捕手・コーチ〕のサインも全部真っ直ぐでしたよ。
だから相手が、こっちの気迫にのまれたところもあるんじゃないですか。
(「外木場義郎インタビュー 球場が消えても残る「偉大な記録」」『ありがとう! 栄光の広島市民球場 保存版』洋泉社 2010年10月2日)
(注:〔 〕内は筆者が書き加えたものです)
「しかもこの試合は完全試合で、セ・リーグタイ記録の1試合16奪三振も記録しとってんじゃ」
「えーっと…。ノーヒットノーランと完全試合って、どう違うんじゃったっけ?」
「ノーヒットノーランは無安打無得点試合ともいうんじゃが、相手の打者にヒットを打たれず、得点も与えなかった試合のこと。完全試合は、相手の打者を一度も塁に出さなかった試合のことなんじゃの」
「相手の打者を塁に出さないということは、ファーボールやエラーもダメということなんじゃね」
「エラーがダメということは、当然、守っとる野手にもプレッシャーがかかってくる」
そりゃもう大変だったらしいですよ。
自分のところに、来るな来るなってね。
完全試合がかかってたわけですから。
9回は、3人とも三振ですが、最後まで緊張していたと思います。
(同上)
「ちなみに、この試合での投球数は114球じゃったそうな」
「114球ということは、打者が27人じゃけぇ…。1人あたり4球くらいしか投げてない計算になるんか。すごいね」
「完璧じゃろ? この年、外木場さんは21勝を挙げ、防御率1.94で最優秀防御率のタイトルを獲得されとってんじゃ」
「そして3回目が、1972年(昭和47年)4月29日、旧広島市民球場で行われた巨人戦」
【広島3-0巨人】
高々と上がった飛球はファウルフライだった。
捕手がバックネットにへばりつくように、白球が落ちてくるのを待った。
ガッチリと捕球したと同時に広島市民球場のあちらこちらから観客がグラウンドになだれを打って下りてきた。
腕を引っ張られるわ、胴上げされそうになるわ、体中のあちらこちらは叩かれるわ…。
(「【4月29日】1972年(昭47) 伝説の右腕と2人だけ 外木場義郎3度目の大記録」日めくりプロ野球 ― スポニチ Sponichi Annex 野球)
「このころの巨人といえば、前年の1971年(昭和46年)まで7年連続で日本一のチームじゃったんじゃの」
「おー。その巨人を相手にノーヒットノーランを達成しちゃったんじゃね。すごい!」
「しかもその内容は、ファーボールが1でエラーが1、2人の走者を出しただけというものじゃったんじゃ」
「今、気がついたんじゃけど、外木場さんがノーヒットノーランを達成したのは、カープが優勝する前の話じゃね」
「ほうなんよ。カープが万年Bクラス、弱小球団じゃった時代の話なんじゃの」
「カープが初優勝した1975年(昭和50年)も、大活躍しちゃったね」
「10月15日、優勝を決めた巨人戦(後楽園球場)に先発したのも、外木場さんじゃったんじゃ」
「もちろん、この試合に勝って、勝利投手!」
「この年は20勝を挙げて最多勝、最多奪三振、最優秀投手、そして沢村賞のタイトルを獲得されたんじゃ」
「ここでも沢村栄治と縁があるんじゃね」
「今日は、野球殿堂入りを果たした元広島カープ投手・外木場義郎さんについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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