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2014年12月1日(月)
旧暦/10月10日
月齢/8.6
日の出/6時58分
撮影時間/6時32分
~菅原文太と仁義なき戦いと広島弁と~
夜、テレビを見よったら、
俳優・菅原文太(すがわら ぶんた)さん死去
のニュースが。
まるで、11月10日に亡くなった
俳優・高倉健(たかくら けん)さんを
追うかのように…。
文太さんといえば、
『仁義なき戦い』(全五部作、1973年~1974年、東映)
があまりに有名。
この作品の大ヒットによって、
広島弁=ヤクザ言葉
というイメージが広まったんじゃの。
戦後の広島・呉を舞台に
実際に起こった抗争を題材としとるだけに
仕方がないところもあるんじゃが…。
脚本の笠原和夫(かさはら かずお)さんは、広島弁になじみがない。
そこで目をつけたのが、
当時、東映の社長じゃった広島県出身の岡田茂(おかだ しげる)さん。
広島弁独特の語感は文字の上からだけでは捉えられない。
そこで思い当たったのが、自身の苦心作を
脚本の本読み席上でクソミソにコキ下ろした岡田茂の語調だった。
あの時、この時の岡田のニクたらしい言葉の数々と
岡田の面貌を併せて思い起こしていると、
菅原文太や金子信雄のセリフが生き生きと回転し始めた。
(「仁義なき戦い」ウィキペディア)
映画の中で使われた広島弁は、
ひょっとすると、
岡田さんが元祖じゃったんかもしれん。
ほいじゃあ、またの。