通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

追悼・谷村新司さん

2023年10月22日 | 音楽
フォークグループ「アリス」のメンバーで、
「冬の稲妻」や「昴(すばる)」など
数々のヒット曲を作り、歌ってきた
谷村新司さんが10月8日に
74歳で亡くなられました。

谷村さんは今年3月に腸炎の手術を受け、
予定されていたアリスの全国ツアーを延期、
療養中でした。

謹んでご冥福をお祈りいたします。



↓谷村新司さんについては、こちら↓

SHINJI TANIMURA OFFICIAL SITE





今日は、
追悼・谷村新司さん
についての話でがんす。





今から47年前の1976年春、
わしは中学生になった。

小学高学年になったころから、
フォークソングやニューミュージックの
アルバム(LPレコード)を、
同級生同士で貸し借りをする人が
増えてきた。

自分がお気に入りの
アーティストのアルバムを、
友だちに聴いてもらうために持って来る。

アルバムを受け取った人は、
家で聞いたり、
カセットテープに録音した後に、
その感想とともに返すのだ。

主に学校で受け渡しをしていたので
先生たちも知っていたはずだが、
見て見ぬ振りをしてくれていたのだろう。

お気に入りのバンドの中には、
オフコースやチューリップ、
NSP(エヌエスピー)、
そして谷村さんがリーダーだった
アリスなどがあった。

彼らの5枚目のアルバム
『ALICE V』(1976年7月)と、
日本武道館でのライブを収録した
『栄光への脱出~武道館ライブ』
(1978年10月)は
その名が知れ渡っていて、
レコードジャケットはよく目にした。


1971年に結成したアリスは、
関西では人気があったが、
東京では売れていなかった。

バンドのメンバーは反対したが、
ディレクターの意向で、
4・5枚目のシングル(1973年、1974年)は
なかにし礼(作詞)、都倉俊一(作曲)
のヒットメーカーを起用する。

しかし、それでも売れなかった。

売れないのは自分たちに力がないからだ、
と考えたアリスは、
アルバムとコンサート活動に力を入れ、
1974年から75年にかけて
年間300本ちかいコンサートをこなすことで
力を蓄え、ファンを開拓していった。

同時に、
「今はもうだれも」(1975年9月)、
「帰らざる日々」(1976年4月)、
「遠くで汽笛を聞きながら」(1976年9月)
などの名曲を作りあげていった。

そして、
「冬の稲妻」(1977年10月)で
初のオリコントップ10入りを果たす。

その「冬の稲妻」が売れる前に
日本武道館でのコンサートを決め、
1978年8月には日本人アーティスト初の
3日間公演を成功させた。

この時のライブを収録したのが
先に紹介した2枚組のアルバム
『栄光への脱出~武道館ライブ』だ。

以後、
「ジョニーの子守唄」(1978年6月)、
「チャンピオン」(1978年12月)
「秋止符」(1979年12月)と
ヒット曲を連発する。


谷村さんは、
アリスの活動と並行して、
ソロ活動も開始。

「陽はまた昇る」(1979年6月)、
「昴」(1980年4月)をヒットさせ、
「いい日旅立ち」(1978年11月)など
他の歌手への楽曲提供も行った。





以下、余談。


谷村さんの曲で
カラオケでよく歌うのが、
「昴」。

わしの心をいつも奮い立たせてくれる
名曲じゃの。

経済評論家の
故・内橋克人(うちはし かつと)さんは、
サラリーマンが「昴」を愛唱する理由を
次のような分析をしておられる。


自分がいまやっているのは妻子を養うとか自分が食うための手段であって、仮の姿なんだ。本当はまったく違う自分があるはずだ、と。しかし現実には明日も同じことをやるだろう、ということもわかっている。それでも『新しい自分』への志向だけは消えないぞ、という激しい思いがある

(富沢一誠『フォークが聴きたい 青春のマイ・ソング210曲』(徳間文庫 1999年 423ページ)



また、新しく設立したレコード会社
ポリスターでの第一弾ということもあって、
谷村さん自身の強い想いが込められている
ともいわれているんじゃの。




以下、さらに余談。




(劇場版『機動戦士ガンダム(第1作)』パンフレットより)

わしらの年代で谷村さんといえば、
劇場版『機動戦士ガンダム(第1作)』
の主題歌「砂の十字架」(1981年2月)。

谷村さんは作詞・作曲を担当、
歌ったのは、当時はまだ無名だった
故・やしきたかじん さん。

「やっぱ好きやねん」(1986年)が
ヒットするまでのやしきさんは、
「一発屋」だと思っていた。


閑話休題(それはともかく)。


谷村さんが歌う「砂の十字架」は
一度も聴いたことがなかったが、
2022年7月2日放送の
『ミュージックフェア』(フジテレビ系)で
森口博子さんと一緒に歌われた。

発表から40年経って、
初めて聴くことができた。

やっぱり長生きはするもんじゃの。



↓谷村さん歌唱の「砂の十字架」については、こちら↓

「砂の十字架/谷村新司&森口博子 HD(The Cross of Sand/Shinji TANIMURA&Hiroko MORIGUCHI HD)」YouTube





今日は、
追悼・谷村新司さん
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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私の彼はヘビースモーカー

2022年10月23日 | 音楽
サザンオールスターズの紅一点
原坊(ハラボー)こと
原 由子(はら ゆうこ)さんが、
31年ぶりにソロアルバム
「婦人の肖像 (Portrait of a Lady)」
を発表。

今週だけでも、
『マツコの知らない世界』を始め
『徹子の部屋』、『SONGS』と
テレビに出まくりでしたの。



↓ソロアルバム「婦人の肖像 (Portrait of a Lady)」については、こちら↓

原 由子 オリジナルアルバム「婦人の肖像 (Portrait of a Lady)」



原さんを見ていて思い出したのが、
彼女が作詞を手がけた
『私の彼はヘビースモーカー』
という曲じゃ。



今日は、
『私の彼はヘビースモーカー』
についての話でがんす。



『私の彼はヘビースモーカー』は、
今から40年前の1982年に発売された
堀江 美都子(ほりえ みつこ)さんの
3枚目のオリジナルアルバム
「Ready MADONNA(レディ・マドンナ)」
に収録されていた曲で、
原さんは作詞を担当。

『私の彼はヘビースモーカー』
というタイトルから推察されるとおり、
ヘビースモーカーだった
桑田佳祐(くわた けいすけ)さん
のことを歌ったと想像すれば、
クスリと笑わせる内容になっている。



歌の中の主人公である女の子は、
ヘビースモーカーの彼氏と
つきあっている。

街中を歩くときは…、

腕を組みたくても
いつもタバコがじゃまなの


体に良くないたばこを
なんとか止めてもらおうと
いろいろ手を尽くすが…、

キャラメルをあげても
まるでききめがないのね


かといって
憎く思っている相手ではないので…、

うるさいだなんて
思わないでほしい
きらわれたくない



歌詞なので、盛っている部分が
あるとは思いますが、
こんなやりとりをしながら
ふたりは愛を育んだんだろうな
と思わせてくれます。

ちなみに、原さんと桑田さんは、
1982年2月に結婚されました。



↓『私の彼はヘビースモーカー』については、こちら↓

「堀江美都子1982 ONE GIRL CONCERT」YouTube

1曲目(開始50秒あたり)に
収録されています。



↓堀江 美都子さんについては、こちら↓

堀江美都子オフィシャルブログ Powered by Ameba



以下、余談。


今では信じられないかもしれないが、
わずか40年前の1982年は、
町中どこでもたばこを吸ってOK
という状態じゃったんじゃの。

家や会社の中、
電車・バス・タクシー・飛行機の中、
そしてテレビ・映画の中でも。

たとえば1995年、
ウィンドウズ95が発売されて
会社や家庭にパソコンが普及した。

1995年ころは、
まだたばこを吸ってもOKだったので、
愛煙家(あいえんか。
=たばこを好きで吸っている人)の方は
たばこを吸いながら仕事をしとった。

灰皿はたいていパソコンの横に
置いてあったので、
キーボードの横に焼け焦げた跡があれば、
この人は愛煙家というのが
わかったもんじゃ。

世界保健機関(WHO)が1988年、
毎年5月31日を「世界禁煙デー」
にしたことが影響しとるんじゃろう、
2000年前後ころから
今のような禁煙・分煙が
進められたように覚えとるの。

ヘビースモーカーじゃった桑田さんも、
1999年10月から禁煙しとられます。



↓桑田佳祐さんについては、こちら↓

桑田佳祐 2022 Special Site - サザンオールスターズ



今日は、
『私の彼はヘビースモーカー』
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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さらばやさしき日々よ

2022年09月04日 | 音楽
NHKラジオ深夜便の
2022年9月3日(土)午前3時台は、
作曲家・冬木 透(ふゆき とおる)
楽曲集。

この日のラジオ深夜便では、
ロボットアニメ『太陽の牙ダグラム』の
オープニングテーマ
「さらばやさしき日々よ」
(作詞:高橋良輔、
歌:麻田(あさだ)マモル)が
放送されたんじゃの。



(キングレコード K08S-3032 1982年)


↓「さらばやさしき日々よ」については、こちら↓

「さらばやさしき日々よ」YouTube



今日は、
「さらばやさしき日々よ」
についての話でがんす。



『太陽の牙ダグラム』は、
1981年10月から1983年3月まで
テレビ東京で放送された、
日本サンライズ制作のアニメ。

広島では、テレビ新広島で
木曜の夕方4時30分から放送された。


ダグラムが放送される前は、
「『ウルトラセブン』の
冬木 透が音楽を担当する」
と雑誌などで宣伝されとった。

セブンを始め、帰マン、エース、レオ
などのウルトラマンシリーズ、
ミラーマン、
ファイヤーマンなど
円谷プロ制作の特撮作品の
音楽を手がけてきた
あの冬木 透さんが、
ついにアニメ作品の音楽を手がける、
という意味じゃったんじゃの。

作品自体も…、

壮大なストーリーを得意とする高橋良輔(たかはし りょうすけ)氏と、ミリタリーに造詣が深い神田武幸(かんだ たけゆき)氏のタッグは、重圧な政治劇や、細かい兵器描写などが特徴であった。

(『タツミムック 栄光の80年代ロボットアニメ』辰巳出版 2014年1月 27ページ)



昨年、2021年は
1981年の放送開始から40年ということで、
40周年記念企画が行われとるそうじゃ。



↓『太陽の牙ダグラム』については、こちら↓

太陽の牙ダグラム



ダグラムのテレビ放送が始まった
1981年10月は、わしが高校3年のとき。

部活も引退しとったけぇ、
第1話をテレビで見た。

ここで、この時代について
少しだけ解説をしておくと…。

ビデオはまだ普及しとらんかったけぇ、
テレビ番組を録画して見ることは
できんかった。

ほいじゃけぇ、放送がある時間には
テレビの前で待っとらにゃいけん、
そんな時代じゃったんじゃの。

閑話休題(それはともかく)。

オープニング映像を見て、
驚いた。

おいおい、オープニングから
主人公が座り込むなよ…。



(画像:YouTubeサンライズ公式チャンネルより)


ロボットアニメに限らず、
アニメの主題歌といえば、
ノリの良い歌をバックに
主人公たちが元気に飛び回る、
というのがふつうじゃった。

それが、主人公のクリン・カシムが
座っているシーンから始まったんじゃの。



(同上)


しかも、第1話の冒頭では、
惑星デロイアの砂漠に打ち捨てられ、
朽ち果てたダグラムが登場した。

これは、物語の序盤に
ダグラムが活躍する話がないことから、
朽ち果てたダグラムや、
本来なら後に入ると想定される話を
第1話として放送したものである、
…というのは後から聞いた話。

いくらリアルロボットアニメじゃいうても、
第1話から主役のロボット
(本作では「コンバットアーマー」
と呼ばれていた。
『ガンダム』でいうところの
「モビルスーツ」のようなもの)
が出てこんとサマになんけぇの。



↓『太陽の牙ダグラム』第1話「光りの戦士」については、こちら↓

「【第1話】太陽の牙ダグラム〔サンチャン〕」YouTube



以下、余談。


YouTubeのサンライズ公式チャンネルでは
昨年、
第1話から第12話までが配信されたが、
それ以降がまだ配信されとらん。

今後の配信が期待されるところじゃ。

お~い、
サンライズさ~ん。

ザンボットも、
ダイターンも、
レイズナーも
途中までしか配信されとらんが。

早く続きが見たいぞ。



最後に、
ダグラムといえば、
このセリフ。

真実は見えるか!



今日は、
「さらばやさしき日々よ」
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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作詞家・林 春生さん

2022年08月13日 | 音楽

(中国新聞 2022年8月13日)

今朝、新聞を読みよったら、
テレビアニメ「サザエさん」の
主題歌を手がけた作詞家
林 春生(はやし はるお)さんの
功績を紹介する看板が
島根県大田市に設置された、
という記事が出とった。

サザエさんの主題歌といえば、

♪お魚くわえた
ドラ猫追っかけて
素足(はだし)でかけてく
陽気(ようき)なサザエさん~

(「サザエさん」
作曲・編曲:筒美京平、
歌:宇野ゆう子)


の歌のことじゃの。



↓「サザエさん」さんについては、こちら↓

「宇野ゆう子 サザエさん」YouTube



今日は、
作詞家・林 春生さん
についての話でがんす。



林 春生さんは、
1937(昭和12)年生まれ。

1960年、フジテレビに入社後、
『ザ・ヒットパレード』
『新春かくし芸大会』
『ミュージックフェア』
などのディレクターとして活躍。

そのかたわら、
「林 春生」のペンネームで
作詞を手がけておられる。

わしが知っとるところでいうと、

渚(なぎさ)ゆう子
「京都慕情(きょうとぼじょう)」
(1970年)、

欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)
「雨の御堂筋(みどうすじ)」(1971年)、

キャンディーズ「ハート泥棒」(1976年)

などのヒット曲がありますの。



新聞に掲載されていた
看板の除幕式は、
大田市大屋町大屋の浄宗寺近くで
8月12日に行われ、
林さんが作詞を手がけた
旧大屋小学校
(「旧」ということは廃校になった?)と
久屋小学校の校歌が吹奏されたという。

旧大屋小学校校歌の
作曲を手がけたのが、
林さんの義兄にあたる
すぎやまこういちさん。

すごいコンビだ!
ぜひ一度、聞いてみたいもんじゃ。

…そういえば、すぎやまさんも、
元はフジテレビの社員じゃったの。



わしにとっての林さんといえば、
テレビアニメ『海のトリトン』(1972年)と
特撮ドラマ『スターウルフ』(1978年)
の主題歌。



(ファンタジー・アニメアルバム『海のトリトン』少年画報社 1978年)

水平線のおわりには
虹の橋があるのだろう
誰も見ない未来の国を
少年はさがし求める
広がる海の彼方から
何が呼ぶというのだろう
希望の星 胸に残して
遠く旅立つ ひとり

(「海のトリトン」
作曲:鈴木宏昌、
歌:ヒデ・夕木、杉並児童合唱団)



(「スターウルフ」レコードジャケット 1978年)

蒼(あお)い銀河を 背にうけて
青春の旅立ちが始まる
果てしない 宇宙には
だれも知らない 道がある
旅立とう しじまの中に
時をこえた 世界にいどむ
永遠のいのち ウルフ

(「青春の旅立ち」
作曲:森田公一、編曲:前田憲男、
歌:ヒデ夕樹)


真空の中を きょうもさすらう
俺は
銀河に流れる 塵(ちり)ひとつ
ふりむくな もう帰れない 帰れない
風が欲しい 夜明けが欲しい
いのちのすきまに 輝くものは
あの日みた コバルトの空
俺はゆく ひとすじの光となって
光となって

(「さすらいのスターウルフ」)




↓「海のトリトン」については、こちら↓

「海のトリトン」YouTube



↓「青春の旅立ち」については、こちら↓

「スターウルフ 青春の旅立ち 高音質 FULL Ver'」YouTube



↓「さすらいのスターウルフ」については、こちら↓

「さすらいのスターウルフ 高音質 FULL Ver'」YouTube




今日は、
作詞家・林 春生さん
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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「赤塚不二夫作品集」ラジオ深夜便

2022年08月09日 | 音楽
1週間前の2022年8月2日(火)
NHKラジオ深夜便の午前3時台は
赤塚 不二夫(あかつか ふじお)
作品集じゃった。


赤塚さんは、
『天才バカボン』を始め
『おそ松くん』
『ひみつのアッコちゃん』
などのヒット作を描いた漫画家。

「ギャグ漫画」いうジャンルを
作り上げたことでも、
2008年8月2日に亡くなったときの
告別式ではタモリが、
「私もあなたの作品のひとつです」
と、弔辞を読み上げたことでも
有名じゃの。



↓タモリの弔辞については、こちら↓

「弔辞 ( ノーカット版 )」YouTube



この日の放送では、
アニメ化された赤塚作品の歌が

主題歌、
キャラクターたちの歌、
音頭(夏ですからね)、
元祖 天才バカボンの春、

の順に紹介された。



↓赤塚 不二夫さんについては、こちら↓

赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



今日は、
赤塚不二夫作品集
についての話でがんす。



先に紹介したとおり、
この日の放送では
アニメ化された赤塚作品の主題歌
から紹介された。


「おそ松くん(前期主題歌)」
歌:ヤング・フレッシュ
「おそ松くん(後期主題歌)」
歌:藤田まこと
(『おそ松くん』第1作:1966年)


「ひみつのアッコちゃん」
歌:岡田恭子
「すきすきソング」
歌:水森亜土
(『ひみつのアッコちゃん』
第1作:1969年)


「もーれつア太郎」
歌:桂 京子
「江戸っ子のスキャット」
歌:ハニー・ナイツ
(『もーれつア太郎』第1作:1969年)


「天才バカボン」
歌:アイドル・フォー
「バカボンのパパ」
歌:敏 (びん) トシ
(『天才バカボン』第1作:1971年)




↓アニメ『おそ松くん』の歌については、こちら↓

「おそ松くん[OP-1/OP-2/ED]」YouTube



↓アニメ『ひみつのアッコちゃん』の歌については、こちら↓

「『ひみつのアッコちゃん』アニメ」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



↓アニメ『もーれつア太郎』の歌については、こちら↓

「『もーれつア太郎』アニメ」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



↓アニメ『天才バカボン』の歌については、こちら↓

「『天才バカボン』アニメ」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



続いて、赤塚さんが生み出した
キャラクターたちの歌が
3つ紹介された。


「ニャロメのうた」
「ケムンパスでやんす」
「ココロのウエスタン」
歌:ミュージカルぼーいず



ニャロメ、
ケムンパス、
ココロのボスとも、
初出が『もーれつア太郎』なんじゃが、
赤塚作品を代表するキャラクター
としても知られとるんじゃの。


ニャロメは、
語尾に「ニャロメ」を付けて話し
二本足で歩くノラネコ。


↓ニャロメについては、こちら↓

「ニャロメ」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



ケムンパスは、
「~でやんす」が口ぐせの毛虫。

今、思い返してみたら、
赤塚キャラの中で一番多く模写したのは、
バカボンパパでもなく、
ニャロメでもなく、
ケムンパスじゃったかもしれん。

多分、一番描きやすかったから。



↓ケムンパスについては、こちら↓

「ケムンパス」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



ココロのボスは、
「~のココロ」が口ぐせのタヌキ。



↓ココロのボスについては、こちら↓

「ココロのボス」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



コロナ禍の今では
中止されることが多いが、
かつては「夏」といえば
「盆踊り」じゃった。
(「夏」といえば
「ラジオ体操」じゃったりもしたの)

そのむかしのテレビアニメでは、
夏になると
番組のエンディングが「音頭」になる
というパターンが多かった。

たとえば…、


「オバQ音頭」
歌:石川 進、曽我町子
(『オバケのQ太郎』第1作:1965年)


「ど根性ガエル音頭」
歌:石川 進、荒川少年少女合唱隊、
千々松 幸子
(『ど根性ガエル』第1作:1972年)


「ドラえもん音頭」
歌:大山のぶ代、こおろぎ'73
(『ドラえもん』第2作:1979年)


「アラレちゃん音頭」
歌:小山茉美、コロムビアゆりかご会
(『Dr.スランプ アラレちゃん』1981年)



…など、よぉけ(=たくさん)あった。



この日は、
次の2つの音頭が紹介された。


「ひみつのアッコちゃん音頭」
歌:堀江 美都子
(『ひみつのアッコちゃん』
第2作:1988年)


「おそ松くん音頭」
歌:細川たかし
(『おそ松くん』第2作:1988年)




余談じゃが…、

「ルパン音頭」というのがあったのを
ご存じじゃろか?

…えぇ!?
ルパン三世に音頭なんてあったっけ?

そう、あったんです!

マモーが出てくる
劇場版アニメ『ルパン三世』(1978年)
のラストで流れるのが、
当時の国民的歌手
三波春夫(みなみ はるお)先生が歌う
「ルパン音頭」じゃた。


♪オレはルパンだぞ~
ルパン、ルパン

作詞:モンキー・パンチ
補作詞:中山大三郎



余談ついでにいうと、
赤塚さんはアメリカ大統領役で
出演されとられましたの。



今回の放送で大トリを飾ったのが、
「元祖 天才バカボンの春」。
(『天才バカボン』第2作:1975年)


♪41才の春だから
元祖天才バカボンのパパだから

作詞:赤塚不二夫



…の、あの歌じゃ。


なぜ「41才」と歌われているかというと、
バカボンパパの誕生日が
1926(昭和元)年12月25日で、
雑誌連載が始まったのが
1967(昭和42)年4月だったから。

計算すると、
バカボンパパは41才になるんじゃの。


この日の放送を聞いて驚いたのが、
歌の冒頭に
「これでいいのだ」
の赤塚さんの音声が入っていたこと。

家庭用のカセットデッキに
吹き込んだと思われる(?)
音声を編集して
歌の最初に持ってきたのだろうが、
赤塚さんの声を
久しぶりに聞いて驚いた。

そして、
なぜかとてもうれしかった。



以下、余談。

『青春歌年鑑 戦前編4 昭和15年〜20年』
というCDに収録されている、
川田義雄とミルク・ブラザースの
「地球の上に朝が来る」の出だし、


♪地球の上に朝が来る
その裏側は夜だろう

作詞・作曲:川田義雄



…を聞いたときは、
びっくりした!

バカボンの主題歌
「天才バカボン」の出だし、


♪西から昇ったおひさまが
東へ沈む
あっ たいへん!

作詞:東京ムービー企画部
作曲:渡辺岳夫



…と同じくらいのインパクトが
あったからじゃ。



↓「地球の上に朝が来る」については、こちら↓

「地球の上に・川田義雄-2昭和15年」YouTube



歌もすごいが、
発売されたのが
1940(昭和15)年6月
というのもすごい。

1940年といえば、
世界では第二次世界大戦が起こり、
日本は中国と戦争をしていたころ。

そんな時代に、
よく発売禁止にならんかった
もんじゃと感心してしまう。

いうても、この年の7月には
「贅沢(ぜいたく)は敵だ」
という標語が採用され、
戦時色が次第に濃くなっていく。

「地球の上に朝が来る」
が発売されたころは、
日本という国にまだ余裕があったころ
じゃったんじゃろうの。



今日は、
赤塚不二夫作品集
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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