味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

君子の艱阻に遇ふや、必ず自ら身を省み、

2017-11-06 18:11:03 | ブログ
第3234号 29.11.07(火)

君子の艱阻に遇ふや、必ず自ら見を省み、失有りて之を致せるかを思ふ。未だ善からざる所有れば、則ち之を改め、心に歉(けん)無ければ、則ち勉を加ふ。乃(すなわ)ち自ら其の徳を修むるなり。『近思録』80

 君子が艱難に出会ったときは、必ずわが身を反省し、過失があっての結果かと思うものである。よくない点があれば改めるし、心にうしろめたい点がなければさらに努力する。つまり自分の徳を自分で修めていくのである。

 【コメント】この項は一人君子に限らず、各々が日々の自分を振り返りながら過ちなきようにすべきだと説いているのだと思います。

 できれば物事は計画的に日々実践し、その結果も記録し次の糧にしたいものです。

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「西郷南洲の政治思想について」---第19回

 そこで司馬光は徳の才に勝てる者を総称して君子と謂ひ、才の徳に勝てる者を概括して小人と謂った。小人は重実であってもおのづから悪を為し易い。その為に小人はその才を以てしかも常に君子から忌まれ勝ちである。方正学のとうか記などは小人を斥ける最も痛烈なものである。司馬光も聖賢君子を得て之と輿にすることが出来なければ、小人よりむしろ愚人を取れと論じて居るが、方氏の如きは世の乱るるや全く是れ才智の輩の狂奔によるとて、いたく之を忌んで居る。
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『不動心』(第101回)

 人間の能力の及ばないものはない

 成し遂げるのが難しいからといって、それが人間の能力の及ばないものだなどと考えてはいけない。逆に人間が果たすにふさわしく、そして人間にとって可能なことは、あなたの力で充分成し遂げられるのだと考え続けることだ。
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『臥牛先生遺教抄』(第59回)

 或る時、予は生来片輪者なり。譬えばこの五本の指一も完全なるものなく皆一節だけなり。古の賢哲に比較されしお心ならん。せめては一本なりとも具えたしと思う故に、若き時より先輩に就きひたすら学び来たれりとて、左手の指をさして仰せられき。
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