第3723号 31.03.28(木)
悠久は物を成す所以なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久はきはまり無し。此の如き者は、見(あら)はさずして章(あら)はれ、動かずして變じ、為す無くして成る。『中庸』289
はてしなさと永久とは天地が無限に物を完成させている徳である。して見ると、誠の博く厚いことは、大地の徳と相一致した生動であり、その高く明らかなことは、天の徳と相一致した完成であり、そのはてしなさと永久とは、天地のかぎりなさとともに無上の善として栄えて行くことである。その誠のきわみがこのように天地とともに栄えるに至ったものは、ことさらに誠を外に表そうとしないでも、それが輝き出し、自分からはたらきかけないでも、すべての物ごとに応対することを誤らず、何もしないでも自然に世のなかが治まるのである。
【コメント】解説を読んでみて「誠」の大切さが身に沁みております。実は私は若い頃から、誠という言葉が大好きでした。
高校生の頃、枕崎で市議会議員の選挙がありました。その時、私の父とお付き合いしていた近所の園田義人という人が立候補しました。父がその際、責任者になって上げました。園田さんは通称カカシという名前で呼ばれていました。
私の父は枕崎では選挙のプロと呼ばれていました。選挙事務所の手伝いをする人々が友人・知人に園田カカシに投票して欲しいとしてお願いし、票読みをしたら、当選確実の票が集まったのです。ところが実際の選挙では落選しました。園田義人に投票した人々は、大激怒したのでした。
投票に行った人たちが「カカシ」を「タカシ」と書いたというのです。その「タカシ」という人は後々市長になった人です。
園田カカシの応援団の人たちは今後選挙をボイコットするという策に出ました。その団体に名称をつけようということになり、応援団の各人が、それぞれ名前をつつけました。
その時私が「誠心会」という名称にしたいとして提案し採択されたのでした。そういうことで若い頃から、「誠」という言葉が好きだったのでした。
これらはかねがねガミガミいう母の言葉から戴いたものだと思っています。人を騙すようなことをするな、ずるいことをするな、人には親切にしなさい、人に頭を下げなさい、良い言葉を遣いなさい、働け働けもっと働けは母の口癖だったのです。
ですから私は空手道教室で子供たちに、母の教え同様の指導をしているのです。
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『善の研究』第177回
前にもいったように、個人と個人との意識の連結と、一個人において昨日の意識と今日の意識との連結とは同一である。前者は外より間接に結合せられ、後者は内より直に結合するように見ゆるが、もし外より結合せらるるように見れば、後者も或一種の内面的感覚の符徴によりて結合せらるるので、個人間の意識が言語等の符徴に由って結合せらるるのと同一である。もし内より結合せらるるように見れば、前者においても個人間に元来同一の根底あればこそ直に結合せらるるのである。
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『菜根譚』185
身を持するは、太(はなは)だ晈潔(こうけつ)なるべからず。一切の汚辱垢穢をも、茹納し得んことを要す。人に与するは、太だ分明なるべからず。一切の善悪賢愚をも、包容し得んことを要す。
〔訳〕世渡りで身を保って行くには、あまり潔癖すぎてはらない。一切のよごれやけがれをも、すべてのみこむようでありたい。人と交わるには、あまりきちょうめんすぎてはならない。一切の善人悪人、賢者愚者をも、すべて包容することができるようでありたい。
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悠久は物を成す所以なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久はきはまり無し。此の如き者は、見(あら)はさずして章(あら)はれ、動かずして變じ、為す無くして成る。『中庸』289
はてしなさと永久とは天地が無限に物を完成させている徳である。して見ると、誠の博く厚いことは、大地の徳と相一致した生動であり、その高く明らかなことは、天の徳と相一致した完成であり、そのはてしなさと永久とは、天地のかぎりなさとともに無上の善として栄えて行くことである。その誠のきわみがこのように天地とともに栄えるに至ったものは、ことさらに誠を外に表そうとしないでも、それが輝き出し、自分からはたらきかけないでも、すべての物ごとに応対することを誤らず、何もしないでも自然に世のなかが治まるのである。
【コメント】解説を読んでみて「誠」の大切さが身に沁みております。実は私は若い頃から、誠という言葉が大好きでした。
高校生の頃、枕崎で市議会議員の選挙がありました。その時、私の父とお付き合いしていた近所の園田義人という人が立候補しました。父がその際、責任者になって上げました。園田さんは通称カカシという名前で呼ばれていました。
私の父は枕崎では選挙のプロと呼ばれていました。選挙事務所の手伝いをする人々が友人・知人に園田カカシに投票して欲しいとしてお願いし、票読みをしたら、当選確実の票が集まったのです。ところが実際の選挙では落選しました。園田義人に投票した人々は、大激怒したのでした。
投票に行った人たちが「カカシ」を「タカシ」と書いたというのです。その「タカシ」という人は後々市長になった人です。
園田カカシの応援団の人たちは今後選挙をボイコットするという策に出ました。その団体に名称をつけようということになり、応援団の各人が、それぞれ名前をつつけました。
その時私が「誠心会」という名称にしたいとして提案し採択されたのでした。そういうことで若い頃から、「誠」という言葉が好きだったのでした。
これらはかねがねガミガミいう母の言葉から戴いたものだと思っています。人を騙すようなことをするな、ずるいことをするな、人には親切にしなさい、人に頭を下げなさい、良い言葉を遣いなさい、働け働けもっと働けは母の口癖だったのです。
ですから私は空手道教室で子供たちに、母の教え同様の指導をしているのです。
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『善の研究』第177回
前にもいったように、個人と個人との意識の連結と、一個人において昨日の意識と今日の意識との連結とは同一である。前者は外より間接に結合せられ、後者は内より直に結合するように見ゆるが、もし外より結合せらるるように見れば、後者も或一種の内面的感覚の符徴によりて結合せらるるので、個人間の意識が言語等の符徴に由って結合せらるるのと同一である。もし内より結合せらるるように見れば、前者においても個人間に元来同一の根底あればこそ直に結合せらるるのである。
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『菜根譚』185
身を持するは、太(はなは)だ晈潔(こうけつ)なるべからず。一切の汚辱垢穢をも、茹納し得んことを要す。人に与するは、太だ分明なるべからず。一切の善悪賢愚をも、包容し得んことを要す。
〔訳〕世渡りで身を保って行くには、あまり潔癖すぎてはらない。一切のよごれやけがれをも、すべてのみこむようでありたい。人と交わるには、あまりきちょうめんすぎてはならない。一切の善人悪人、賢者愚者をも、すべて包容することができるようでありたい。
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