タイトル--倦むことなかれ。『論語』 第70号 21.08.09(日)
「無倦」---『論語』
倦むことなかれ――。この言葉は『論語』子路第十三の最初に出てくる言葉である。通し番号では303番である。
子路政を問う。子曰く、「之に先んじ、之に労す。」益を請う。曰く、「倦むことなかれ。」
子路が政治のやり方をお尋ねした。孔子が言うには、「善政が行われると行われないとの根本は、我が身にあるのである。人民を働かせようと思うならば、先ず自身先立ちて勤労するなど善を行ってみせることだ。そういうお手本を示せば、人々は勤労に励むし、命令しても怨むことはない。そして勤労に対して慰労することも大事である。」子路は外にもいい方法があったら教えて欲しいと、続けて尋ねた。「途中で飽きずに、倦むことなくやり続けることである。」
人生の妙諦であるこの言葉は、人が生きて行く上において、全てに通じると言っていいだろう。とにかく諦めてはならないという事である。
父の事業倒産のあおりで、高校進学も働きながら夜間部へいかざるを得なくなった。昼は働きながら夜間部へ、そして深夜の電報配達を14年間して来た。寝ずに働いた。24時間勤務を長年続けた。お陰で労働が苦痛でなくなった。精神力が出て来た。
文章が書けなかった。書きたいと思っても、書けなかった。悶々としながら、本を読んだ。意味が分からなくても読み続けた。特に「南洲翁遺訓」他古典は難解だった。それでも読み、かつ筆写した。諦めずに30年以上の自分との闘いであった。
大して上手くはないと思うが、どうにか自分が思うことが、書けるようになった。今、小学に入学した気分である。勉強が、学問が、楽しくて楽しくてならない今日この頃である。こんな私がどうにか書けるようになったのだから、やり続けたら、皆出来る筈である。要は、やるかやらないか、実践することである。
近々、総選挙があるが、上に立つ人々は、勤労を自ら実践し、お手本を示してきただろうか。酔っ払い会見で大臣を辞めざるを得なくなった中川大臣が質問者に対して、「どこだ」と居丈高に聞いた。謙虚さの微塵もない、無様な会見だった。それでいて、選挙の時は「国民のために--」と頭を下げて連呼し、当選したら即、威張りくさる。
総選挙で政権が交替されるらしい。官僚たちは、今の内に天下りを、と大幅に関係する法人等へ天下った、と朝日新聞が報じた。今朝の時事放談で、知った。麻生総理はそういう事実を知っている筈である。今朝の新聞に大きく、イケメンで、強気の総理の顔が大きく掲載されていた。曰く、国民を幸せにする責任力を力説している。ならば、官僚の駆け込み天下りを止めることは出来なかったのか。それが「火事場泥棒」の集団に見えた。なんと浅ましい根性であることか。
『論語』が教える勤労も、人との対応の要件である謙虚さも、倦むことなく実践しなければなるまい。
「倦むことなかれ」とは、そういうことでもある。