味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

官は宦成るに怠る。

2015-05-15 09:53:22 | ブログ
第2329号 27.05.15(金)
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官は宦成るに怠る。『小学』
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 官吏は地位が出来上がると、とかく怠け心が起こってくる。病気は少しなおりかけると油断して、かえって重くなりがちだ。306(曾子のことば)
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 【コメント】『小学』の言葉を書きながら、荘内南洲会前理事長・小野寺先生のことを思い浮かべています。小野寺先生は、『孝経』『小学』が好きだといったことがありました。昨日は、小野寺先生から戴いたお手紙を10通読み返した処でした。本当に素晴らしい先生でした。今日の私は、目の前に小野寺先生がいる積りで毎日学問に励んでいます。
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 上に書いた『小学』の言葉について、私は官吏になったことがありませんのでわかりませんが、会社に入って地位が安定し給料を貰えるようになると、感謝と満足の感情が薄れ、怠け心が起こってくるようです。
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 電電に勤務していた時、労働組合員に対して中央本部からオルグがなされます。労働者は会社がつぶれても構わないから次々に要求をせよ、と檄を飛ばされたものです。賃金の要求をして給料が上がることはいいことですけど、金が欲しいという欲求には際限がありません。
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 あれから40年、当時のことを回想してとんでもないオルグであったと思っています。貧乏家庭で育ち、普通高校に行けなかった私は、仕事をさせて頂けることに感謝していました。だから、何をいわれようと真面目に仕事をしてきました。

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 昨夜は空手道指導の際、子供たちに、「感謝」と「満足」という言葉を徹底的に体に染み込むよう指導しました。私は中村天風師の書籍は全部自分で録音し20年間聞いてきました。『盛大な人生』を一昨日聞いた時、健康で長生きしたい人は、「感謝」と「満足」の精神を忘れてはならないというくだりを聞き、そうですと相槌を打ちました。感謝と満足の反対の言葉は、建設的でないからです。会社に勤めていた頃、愚痴ばかり言っていた後輩たちは多くがあの世へ隠遁してしまいました。
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 私はただ『南洲翁遺訓』を子供たちに教える、それのみに徹しています。昨夜の子供たちが健康で長生きしたいという希望を述べましたので、感謝と満足の言葉を身体に叩き込み、勉強や仕事に取り組まなければならないと思います、と説明しました。

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『大学味講』(第166回)
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 (十一) さてここで、それを要約して、次のように結んでいるのであります。
 「故に好(よみ)して其の悪を知り、悪(にく)みて其の美を知る者は天下に鮮し」
というのであります。この一句は「言簡にして意深し」とでも申しましょうか、まさにずばり金的を射止めたような痛快さを覚える「箴言」であります。

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『論語』(第266)
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 魯人長府を為(つく)る。閔子騫曰はく、「旧貫に仍らば之を如何。何ぞ必ずしも改め作らん。」子曰はく、「夫(か)の人言わず、言へば必ず中ることあり。」
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 魯の役人が長府という金玉布帛を蔵める倉庫を造った。閔子騫がこれを見ていうには、「もとのままにして修繕をしたらどんなものだろう。何も改め作る必要はあるまい。」孔子がそれを伝え聞いていうには、「あの男はめったに物をいわぬが、言うと必ず図星という所に当るわい。」
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『農士道』(第145回)
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 而して藤平両氏滅亡の跡に鑑みて、京都が到底「質」の地で無いことを知った頼朝は、遂に幕府を関東の地鎌倉に開いた。鎌倉の地たるや、義家以来源家の勢力を扶植した處とはいへ、当時は全く未開夷狄の地であったのである。其處に中央政府を開くといふことは、彼が如何に浮文に堕することを恐れたかが窺われるであらう。上の好む處下之より甚だしきは無しかくて鎌倉時代は、最も質の政教の漲れる時代であった。鎌倉幕府の政治が質の政治であったことは、既に喋々を要せぬ處であろう。然し此処に其の最も著しい特徴として、その政治が尚武的にして簡易であったということと、地方の自治を重んじて常に地方人民の間に勢力を扶植し、その利幅を保護したことを挙げ得るであろう。
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西田幾多郎博士『善の研究』より
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 「汝ガ凡ての肉欲ト無用ノ交際ニ費ス暇ヲ以テ、修養ト学問トニ尽くセ」『禅とは何か』頁107

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