平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2008年8月17日 天国では一位も最下位も同価値

2008年09月02日 15時32分54秒 | Weblog
 天国では一位も最下位も同価値

 前回のオリンピックで水泳の北島選手が、一位になっての感想を聞かれて、「超気持ちいい」、と言っていたのを思い出す。一位は気持のよいものだろう。何でもいいから一位になったことがあるか、と聞かれて、「ある」と答えられる人はどれだけいるのだろう。
 一位になる人は、一度や二度ではない、何度も一位をとる。スポーツでも、何でもそうだ。その人は、恵まれている人だ、努力の人だ、できる人なのだろう。一位は、簡単にはとれないが、最下位は意図的にとろうと思えばできる。その代わり、その人は侮られることを覚悟しなければならない。
 一位は、才能や素質にも恵まれ、環境に恵まれ、努力の人であることが必要だ。意図的に最下位をとりたいのなら、一位をとろうとする努力を一切放棄すればよい。オリンピックに出場する人で、最下位をとろうとしている人がいるだろうか。そんな人がいたら、それはナンセンスと言われるだろう。最下位もまた、その人なりに努力したけれど、仕方なかった場合にのみ価値がある。その場合、一位も最下位も同価値。
 人生も同じ。天国の譬話で、朝6時からぶどう園で働いた人と夕方5時からの人が同賃金だったことを想い起こす。夕方からの人は、労働意欲はあったが誰も雇ってくれず5時まで不安の中にいた。雇い主である神様は、朝6時からの男たちと夕方5時からの男に同賃金を支払って同じように扱かった。理由は、そうしたいからそうしたのだということだった。


平良師