ある米国カメラマンの話
NHKのドキュメンタリー番組で、米国人オダネルというカメラマンを扱っていた。原爆で死んだ弟を背負い、火葬を待っている少年の写真が有名になった。終戦を迎えた時、彼は、原爆直後の長崎の撮影を軍に命じられた。色々と写真を撮り続けていくうちに、この原爆投下は間違いではなかったかと思うようになる。
米国に帰国したとき、軍に提出する写真とは別に30枚ばかりのネガを持ち帰った。家族には、ネガを入れたトランクを決して開けないようにと言っていたという。彼は、戦後40年たってから、とある教会の十字架のキリスト像を見た。その像は、被爆した人々の写真で覆われていた。それに彼は深く感動し、自分も封印していた記憶を語り継がねばらないと考えた。
それから、その30枚の写真の展示場所を見つけようとしたが、どこからも断られ、また、それを写真集にしようとしたがすべての出版社から断られた。彼の行おうとしたことは、原爆投下を正当化してきた多くの米国人から非難を浴びる結果になった。
それでもオダネルは、あのとき、瓦礫と灰の上で、自分が見たものを見なかったことにすることはできなった。妻もまた、夫のしていることを理解できずに去っていった。
昨年彼は死んだ。息子は、父親のしようとしていたことを受け継ぎたいと思った。今年の夏、長崎で、オダネルの写真展が開かれた。彼が撮影した、熱線で負傷した当時の少年だった男性が、協力をして実現したのだった。
平良師
NHKのドキュメンタリー番組で、米国人オダネルというカメラマンを扱っていた。原爆で死んだ弟を背負い、火葬を待っている少年の写真が有名になった。終戦を迎えた時、彼は、原爆直後の長崎の撮影を軍に命じられた。色々と写真を撮り続けていくうちに、この原爆投下は間違いではなかったかと思うようになる。
米国に帰国したとき、軍に提出する写真とは別に30枚ばかりのネガを持ち帰った。家族には、ネガを入れたトランクを決して開けないようにと言っていたという。彼は、戦後40年たってから、とある教会の十字架のキリスト像を見た。その像は、被爆した人々の写真で覆われていた。それに彼は深く感動し、自分も封印していた記憶を語り継がねばらないと考えた。
それから、その30枚の写真の展示場所を見つけようとしたが、どこからも断られ、また、それを写真集にしようとしたがすべての出版社から断られた。彼の行おうとしたことは、原爆投下を正当化してきた多くの米国人から非難を浴びる結果になった。
それでもオダネルは、あのとき、瓦礫と灰の上で、自分が見たものを見なかったことにすることはできなった。妻もまた、夫のしていることを理解できずに去っていった。
昨年彼は死んだ。息子は、父親のしようとしていたことを受け継ぎたいと思った。今年の夏、長崎で、オダネルの写真展が開かれた。彼が撮影した、熱線で負傷した当時の少年だった男性が、協力をして実現したのだった。
平良師