晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

両墓制(4) 2/21

2011-02-21 | 歴史・民俗

2011.2.21(月)曇

 墓制、葬制については詳しく研究したことはないのだが、歴史民俗文化を探る上で非常に重要な要素を含んでいると考える。日本全国に様々な墓制、葬制が残り、他の祭祀や伝統芸能よりも厳格にその習性が承継されてきたと思う。もちろん社会、生活習慣の変貌によって最近急速に変わりつつあるのだが、ついこの間までその意味は解らなくても昔ながらの儀式的、伝統的な習俗が行われていたのである。
 その一つである両墓制についてもその意味や起源はすぐに判明するものと思っていた。ところが意外にも定まった説は無いようで、各論並記といった状況のようである。
 両墓制(2009.8.11)の記事の中で沖縄の洗骨習俗が一種の両墓制だというふうに述べたが、まさに洗骨習俗が両墓制の起源だという説はあるそうである。洗骨とは一般的に死者の遺骸をまず海岸沿いの崖の横穴などに安置し数年たって白骨化したとき(宜野座村では七年とある)泡盛などで洗骨をし、亀甲墓などの門中墓に納めるという、改葬の一種である。これは確かに遺体を置く墓と祭祀をする墓の二つの墓がある両墓制といえるだろう。説は洗骨習俗のうち、洗骨をして骨を新たな墓に移すという部分が省略されたものという風に考えている。Img_2593
 
古い亀甲墓(沖縄)


 洗骨という習俗は沖縄、奄美、および本土の太平洋岸にもあったようだ。自転車旅行で沖縄に行った際に各地の郷土史を読みあさったが、葬制、墓制に関する記述はボリュームもあるし、詳しく分析されている。また郷土資料館などの展示も葬祭、墓地に関する史料など本土とは比べものにならないくらい多い。例えば龕(がん、葬儀のとき棺桶を運ぶ輿のこと)やガーミ(骨壷)などはどこにでも展示してある。Img_2662 Img_2663
 

ジーシガーミとガン

 以前に沖縄のとある町で講師として出張したことがある。その帰り、タクシーで空港に向かったのだが、タクシーはとんでもない間道に入るのだ。何で国道の広い道を行かないのか聞くと、今日は清明祭(シーミーサイ)だという答だった。なんかのお祭りで道路が混んでいるのかと思ったが、どのようなものかすぐに解った。その間道も随分渋滞していて、道縁のお墓の前ではござをひいて大勢の人が唄ったり踊ったりしているのだ。このように沖縄では、葬送、葬祭とかお墓(ほとんどが門中墓)というのが身近で明るく感じられており、本土のように陰気で忌むべきものというようなとらえられ方をしていないなあと痛感したのである。それはあの亀甲墓のように超大型の墓があちこちにあり、そこには洗骨された先祖の骨が納められており、死穢の場としての忌避すべきものとはならないということではなかろうか。
 これは両墓制の詣り墓と同じような感情をもつものだが、かといって両墓制の起源が沖縄の洗骨習俗だというのは難があるように思える。つづく

【作業日誌 2/21】
店頭芝生の草引き
ガーデンシェッド、大棚完成、小棚作製

今日のじょん:昼ご飯食べようと思ったら、おとーの席にじょんがいる。なんでって、風が怖いから避難してるのだ。思い起こせば昨年春、食事しなくなって衰弱して、あちこちお医者にかかって大騒動となったことがある。連日連夜の大風にストレスを溜めて、神経性胃腸炎になったようだ。犬の病気は人間と違ってお金が大変だから、事前に避難してるんだって。Img_2395
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする