晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

両墓制(5) 2/22

2011-02-22 | 歴史・民俗

2011.2.22(火)晴

 一月には絶対に無いけれど、二月には春の四月頃を思わせる日が必ずある。自転車に乗ってる頃は、バイクパンツに半袖ジャージで周山街道を走ることがよくあった。そういう日が今日明日らしい。いつもどおりの服装で作業していると暑くて堪らない。一枚脱ぎ二枚脱ぎしても汗をかいてしまった。
 民俗習俗の現象には調べれば自分の予想がぴたりと当たり、疑問がどんどん解決し、また新たな発見に感動するものと、その逆で調べれば調べるほど迷路にはまって行き自分の考えとは逆の方向に進み、何が何だか解らなくなるものがある。両墓制は後者である。もちろん調べ方が足りないということはあるのだが、その起源、そのルーツとなると混沌としてくる。
 ここでは今現在の私の両墓制に関する考えを書いておこう。やがて(10)(20)と続いて新たな知識の導入や新たな発見があると思う。
 「墓と葬送の社会史」(森謙二著)では両墓制に対し諸説ある中で、民俗学者原田敏明氏の説に沿ったものが最近の理解だとしている。
 「彼の理論の特徴とするところは、死者を捨てるように埋葬した埋墓と祭祀の対象となる詣墓の創設には一定の時間的ずれがあり、詣墓の創設は近世もよほど後期のことで、仏教思想の浸透による死者尊重の観念の形成、家の観念の発展による祖先祭祀の普及によるとされている点である。」
 本文をそのまま紹介したのだが、埋墓と詣墓が時間的ずれを持って創設されたという点は誠に当を得ていると思う。つまり両墓制という習俗は最初からその形態で普及したわけでなく、当初はどこでも死体を捨てるように埋葬していたということだ。それは埋葬だけでなく、沖縄奄美など南の島では海岸の洞窟における風葬となっていたし、本土では埋葬以外に樹上葬や単に死体を捨てるだけの処理もあったのではないだろうか。つづくImg_2649_2

沖縄ではこういった海に面した洞窟で風葬が行われていた。珍しがって訪れる観光客もあろうかと思うが、それは単に葬制墓制の違いというだけのものである。


【作業日誌 2/22】
芝生広場目土入れ
ガーデンシェッド、化粧板張り
薪割り

今日のじょん:雪が解けて将軍様ごっこが出来なくなった。それでもヒマラヤ杉の丸太の下などにボールを投げる。実は今まではそういうところのボールは怖がって取れなかったのだ。雪の中を探しまわったお陰か、かみさんのいわゆる励ましのお陰かなんとか取れるようになった。何でもないことだけど、じょんにとってはとても進歩だし、私たちもなぜか嬉しいことである。Img_2398
Img_2399_2

ガンバレじょん。 

コメント
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