晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 村の神々 2/15

2011-02-15 | 雨読

2011.2.15(火)雪、晴

 膳所の古本屋さんで見つけた本である。「村の神々」(岩崎敏夫著)岩崎美術社発行、1979年5月第八刷、定価1,300円、購入価600円
 購入の動機は、はやま信仰についての記述があることと、貴重な写真が沢山載っていることである。
  はやまとは葉山、羽山、端山などと呼ばれる、里から見られる身近な山である。ピラミダルな山や均整のとれた山がはやまと呼ばれている。はやま信仰とは人が死ぬと魂ははやまに行き、そこに三十三年留まって、更に高くそびえる深山に上がってゆくと言われる。山形県村山市の葉山はその西に深山としての月山をひかえている。Img_0500

霊気漂う月山山頂付近。(2006,9,5)
ガスの中で風車が回っているのには参った。


 私ははやまはこの村山葉山のことを呼んでそういうのかと思っていた。そうではなくてはやまは東北にはいくつかの村にひとつといったふうにあちこちにあるのだ。はやま信仰は東北地方固有のものだと思われているためか文献はなかなか見つからなかった。先日「根深さんのこと」(2011.2.8)で紹介した「ブナの山々」の中にも原敬一氏の「葉山の精気に包まれて」という一文がある。村山葉山に関する文だ。
 人が死ぬとはやまの麓に葬られて、魂は山頂に登ると信じられているが、はやま信仰は東北だけのものでなく全国的に古来からある、葬送に源を発する信仰或いは文化ではないかと考えている。発想だけで確固たる根拠も無いのだが、だからこそはやま信仰に関する書籍を読んでいるわけだ。死ぬことをヤマに行くということがある。「ヤマ」を方言辞典でみると、墓場(壱岐)、やまおけ 死者を納める桶(壱岐)、やまござ 納棺のとき敷くござ(壱岐)、やまさげ お墓詣り用の水桶(愛媛県大三島)などとある。「京都北山を歩く(2)」(澤潔著)にも葬地としてエーヤマ(隠岐)、クサヤマ(愛知県)、グショヤマ(奄美大島)、ヤマバカ(青森県)などと書いている。
 本書でははやまの神祭りについて詳しく述べられており、貴重な写真もいくつか掲載されている。文中、九州南部のはやまについて小野重朗氏が明らかにされつつあると書いているが、具体的なことは書かれていないのだが、九州南部にはやま信仰と同様のものがあるとしたら、その中間地点にもあってしかるべきと思うのだが。Img_3036
 
浜下りの行われると聞いた浜、中央の丘の上は墓地である。(徳之島)


 驚いたのははやまの祭りの中に、浜下り(ハマオリ)神事があることだ。自転車旅行中、沖縄、奄美にこの神事、習慣があることを知ったが、東北のはやまで行われているのは本書で初めて知ったものだ。南海の島々と山深い東北の地とどのような接点があるのだろう。興味深い本である。

【作業日誌 2/15】
ガーデンシェッド、ドア取り付け

今日のじょん:雪の中でボールを探すのがうまくなった。励ましてやることと褒めてやることが大切なんだって。人間の子供と一緒だね。Img_2362


 

コメント
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