晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(38) 鬼伝説 2/27

2011-02-28 | 歴史・民俗

2011.2.27(日)曇、雨

 念道のあたりではすっかり雪も消えて、北向きの山影に少し白く残っている程度となった。お客さまが今日現在の大唐内の映像を持っておられて見せていただいたが、一面真っ白なので驚く。標高も高く気温も低いのでさもありなんと思うが、やはり積雪量そのものが桁違いに多いのだろう。大唐内に行って聖神社のことなど確かめたいと思っているのだが、もう少し春を待ってからにしよう。Img_2202 Img_2433

最盛期(1.19)と最期(2.27)


 さて聖神社の聖(ひじり)についてだが、和泉市の聖神社の広報紙「聖さん」にあるように藤元善右衛門という英雄、貢献者を祀った聖人信仰による「聖」というのが一般的と思われる。ただ、この広報紙でも「この神社の場合は、、、」という書き方がしてあるので、他にも「聖」と呼ばれる神社のいわれはあるようだ。参考までに「聖」のひとつの例を紹介しておこう。
 聖とは修験者のことで、金属資源を探し出す知識や技術を身につけていたということである。なぜ聖(ひじり)と呼ばれたかについては、冶金の火を治す、火治りだからだという説もあるようだ。これらは「日本山岳伝承の謎」(谷有二著)や「真言密教と古代金属文化」(佐藤任他著)などに書かれている。
 また、「日本民俗文化大系、神と仏」(小学館)では、聖=火治リではあるが、それは神聖な火を管理する宗教者であり、火は霊魂のシンボルであるから、火治リは霊魂を統括管理する宗教者である、という風に金属に関わるものという書き方はしていない。
Img_1727 
藤元善右衛門氏を祭神とする聖神社。


 このように深読みをすれば聖神社のいわれはいかようにも考えられるわけだが、やはり藤元善右衛門氏を祭神とするに至って付けられた社名と考えるのが妥当なのだろう。ただ私はそれ以前からこの神社は存在していただろうと予想する。その神社の祭神は、社名はなんて考えもするが実はそのようなものは無いのだろう。つまり大唐内の住民の氏神だったのだろう。氏神というのはいわゆる”うじ”の神で血につながる家の守り神である。氏神とはそういうものだから本来社名も祭神も無いのが当然である。それどころか定まった社殿、社などもなく、毎年稲の収穫が終わると藁で小さな祠をつくる風習が東北地方などに残っている。それが氏神の本来の姿なのだろう。現在は氏神にも祠もあり祭神も決まっている。それは前回書いたような、神社明細の作成や国家神道の成立など諸条件により、適当に社名や祭神を付けたものが多いのではないだろうか。つづく
(大唐内のこと(37)は2011.2.11)

【作業日誌 2/27】
薪割り

今日のじょん:春になるのは良いのだけれど、かみさんなど強度の花粉症で結構恐怖みたいだ。予防線を張ってお医者さんにかかっているが、写真はその時のものである。実はじょんもアレルギー体質みたいで、最近くしゃみが多くなった。涙目にもなってきて、目薬が要るようだ。じょんはこの医院では看てもらえない。Img_2411

 
 

 

コメント
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