晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(12) 想像の大唐内 11/21

2010-11-22 | 歴史・民俗

2010.11.21(日)快晴

 大唐内(おがらち)という難解地名を解明し、古代の大唐内がどのような地であったかを明らかにすることが私の目標であり、亡くなられた土井さんとの約束を果たすことである。土井さんに奥上林村誌を戴いたのは昨年の夏である。この間様々な本を読み、様々なところへ赴いた。小さな一集落の歴史を調べるということはその地域に関する書物を読むだけでなく、日本の歴史、アジアの歴史、文化、民俗、人類学、言語学、地質学などあらゆる本を読む必要がある。何十冊と読んだけれどまだ未読のものも何十冊とある。地名を探るということは、その地の古代を探らなければならない。古代のことは文書には残っていない。伝承、伝説、神社仏閣、地名、言語などあらゆる状況証拠を集めて仮説を立てる。そしてその仮説に基づいて直接的な証拠を探すというのが常套手段だろうと考えている。そのために、大唐内以外の若狭のことや、鬼の伝説など回りくどく書いているところである。それは大唐内のことが(30)ぐらいまで続く予想である。そしてその後に仮説を発表したいと思っていたのだが、頭の中ではある程度の仮説は既に出来上がっており、それは仮説というより想像といったほうがいいものだ。それは早々に発表すべきものではないと考えていたのだが、ある事由で今ここで恥を忍んで書いておきたい。Img_1732

聖神社横から三国岳、胡麻峠方面を望む。

 「古代の大唐内は銅の産出地である。その技術を持ち込んだのは若狭の海人族であり、三国岳周辺の峠を越えてその文化は移入した。やがて大和朝廷の後押しをされた上林川中流域の金属集団にとってかわられた」というのが私の想像だが、後半部分は状況証拠しか見つからないだろうが、銅の産出地であることはひょっとしたら証拠が見つかるかもしれないと思っていた。そこへ今日ある情報が飛び込んだ。
O:「W辺さん、大唐内に鬼の岩屋というのがあるのをご存じですか」
W:「いや知らんなあ」
O:「なんか岩穴とか洞穴とか無かったですか」
W:「昔、黄銅鉱を掘ったという穴はあるで」
O:「昔ったって大昔ですか」
W:「いやそんな昔じゃなくて、100年ぐらいとか聞いてるけど、、」
O:「そこへ行けますか?」
W:「随分前に行ったのだけど、行けるで。随分小さな穴やったけど」
O:「そういう採掘があったことは古文書などに書いてあるんですか」
W:「いや、無いと思う」
O:「それはどの辺りになるんですか?」
なんて会話があって、熊出没の時期が終わったら連れて行って貰うこととなった。
 黄銅鉱、採掘の年代などは錯誤があるかも知れないが、とりあえずかつての坑道があるようだ。なにか自分の想像した古代の世界に一歩近づいたようで、これほど嬉しいことはない。坑道の位置さえ知っておれば、いつかはそこで何が採掘されていたか確認できる可能性がある。いくら状況証拠を集めても、いくら立派な仮説を立てても、具体的な直接的な証拠が無ければさみしいものである。つづく
(大唐内のこと(11)は2010.11.18)

今日のじょん:日に日に霧が濃くなって、今日は今までで最高に濃いい。そろそろ河原に下りて鉱石探しをしたいのだが、ちょっと気味悪い。Img_1786
とにかく河原は獣の運動場になっている。


 
 
 

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