2010.11.6(土)晴
先日大津の古本屋さんのことを書いたが、京都の古本まつりに行く代わりに訪れた。前回訪れたときに日本民俗文化大系「山民と海人」小学館を購入し値段が付いてないのでいくらか尋ねたら、200円ということだった。こんな立派な本が200円とは随分安いなあと思い再度訪れたわけだ。実は同じ全集で「稲と鉄」というのが欲しかったのだ。早速その本があったところに行くと2冊の在庫があって、中身など見てきれいな方を持っていった。
「この全集この前来たとき200円で戴いたのですが」
「1,500円ですね」
「えっ200円じゃないんですか」
よく見ると値札が張り付けてあって1,500円と書いてある。
「なんで同じ全集なのにそんなに値段が違うのですか」
「こちらでは傷んでいる部分を直したり、汚れを落としたり、カバーを着けたりするんですよ、そういう作業が終わったものは値札が付いています」
「わかりました、もう一冊汚いのがあったのですが、これはいくらですか」
「これは装丁が済んでないので200円です」
「これください」
というわけで、無事に安く買えたのだが、なるほどそういうことになっているのかと感心する。それにしてもえらく高くなるもんだなあと思うが、実はその作業の中には、世間の相場を調べて値を付けるということも入っているのではないだろうか。道理で日本中の古本屋でこの本はこの程度の値段というのが決まっている。
どこの古本屋さんも同じようにしているとは限らないが、安く購入するには、仕入れてまだ値が付いていないものを買えればそれが一番安いわけだ。そういうものを店に出しているかどうかは解らないが、この本屋さんは正直に、1,500円の相場の本を200円で譲ってくれた。
しめて1,200円。
もう一冊値の付いてない新書があったのだが、これは100円だった。そしてもう一冊値の付いてるものを買って、後で相場を調べたら妥当な値段であった。
とまあ、久々の古本屋通いだがやっぱり現物があって交渉するというのはおもしろいものである。ただ古本屋の魅力は発見であって、目的の本を探し出すというのは不可能に近い。
今日のじょん:今日は夕方店が忙しかったので、かみさんがよたよたと散歩に連れて行った。帰ってきて「じょんが変やで」と言うからなにかいなと思うと、ここ一ヶ月以上おとーが散歩に連れて行ってるので、散歩に行った実感がないようだ。散歩の後に食べている砂肝にも見向きもしないで、おとーに散歩をねだっている。犬というのは習慣性の強い動物なんだなあ。写真は寝ぼけているところ。