晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

鹿・鹿・鹿 4/14

2010-04-14 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.14(水)曇

 今朝の讀賣新聞のセカンド記事に奈良の鹿に矢を射った犯人逮捕の異が載っている。なんでも鹿の肉を売って金にしようという動機らしい。なんとも短絡的と思うが、奈良でやれば犯罪者だけど、上林でやったらちょっとした英雄かもしれんなあと妙な関心を示している。
 先日もあやべ市民新聞に小西町で鹿の角を拾ったという記事が写真入りで載っていた。そんなこと日常茶飯事の上林では苦笑するしかない。東京で5cmの積雪があったと大騒ぎするようなもんかな。Img_4295 Img_4297 上林に住んで2年、鹿角コレクションも2本となった。角どころか先般は鹿そのものが府道で轢かれて死亡した。(3月27日参照)
 そして遂に今年もじょんのび村付近で目撃されるに到った。もっとも近所にはごまんと居るのだが、家の近くで目撃するのはショックである。鹿だけは花でも野菜でも庭木でも何でも食べてしまうと言うことだ。被害にあって泣く前にネットでも張ればいいのだが、なかなかその時間が取れないし、総てを囲うのは物理的に不可能である。奈良の鹿捕って肉でも売ろうかなんて脳天気な奴に、鹿で弱ってる田舎の人間の気持ちはわからねえだろうなあ。

【作業日誌 4/14】
ドッグランどフェンスのパーツ作り

今日のじょん:ドッグランどを作らなくてもじょんは勝手にドッグランをしている。敷地内から絶対に出ないから、柵が無くても大丈夫なわけだ。以前は隣のチコのところへ出ていったり、ネットを飛び越えて山の方に行ったこともあった。その都度しっかり叱っておいたら出ていくことは無くなった。勝手にRUNのおかげで、どうだいこの引き締まった筋肉とウェスト、昔はおとーもこうだったんだけどなあ。Img_4294
 

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ドッグランど計画その後 4/13

2010-04-14 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.13(火)曇、雨

 朝は久々の太陽がちょこっと顔を出した。今日こそは野外作業をするぞっと張り切って起きる。といっても8時起床だが、、、。佐々木さんから電話がありコゴミ採りのおさそいだ。今日はドッグランど作製作業の予定なので丁重にお断りしたら、早速持ってきていただいた。田舎育ちのくせに山菜には縁がなく、昨年初めてコゴミを食べて美味いもんだなあと思った。フキノトウ、ツクシ、タラの芽、コシアブラなど季節を感じる山菜が美味しいのは、ほんの瞬間にしか食べられないいわゆる旬の食べ物であるということと、買って食べるのでなく、採って食べるからだろう。今年は佐々木さんにミズを教えて貰おう。東北地方ならずとも上林でも自生しているそうだ。こちらではミズブキというそうだ、しまだやさんの言。Img_4281

佐々木さんに戴いたコゴミ、湯がいてマヨネーズで頂きました。

 今日のノルマはドッグランどのフェンスをワンスパン完成することと残っている畑土を畑に移動すること、時間が余れば芝生広場の草引きをすることだ。ところが、昼頃から又しても雨が降り始め、柱は立ったがフェンスが取り付けられず、その他の作業も繰り越しとなった。雨でも出来る作業場での仕事となり、野外テーブルの脚作りとなる。かみさんはじょんのびガーデンの芝生張り、2平米分を張ってしまった。昨年貰ってきた真砂土がやっと役に立った。
Img_4292
かみさんも芝張り名人となる。



 ドッグランどは犬連れのお客さまに喜んで貰うための施設で、昨年春完成予定だったので、もう一年遅れている。なんとかGWまでにオープンしたいのだが、3月からの悪天候が災いして、遅れがちである。犬が楽しく遊べることが第一だが、安全で且つおしゃれでないといけない。その上お金をなるべくかけないで作りたいので、なかなか大変だ。一番お金がかかるのは、なんと塗料代のようだ。防腐剤とペンキで3万円はかかりそうだ。ちなみにドッグランど建設に取りかかったのは、詳しくは解らないが今年の1月2日のようだ。進捗状況は順次作業日誌でお知らせするので、お楽しみに。Img_4272 Img_4273 Img_4274



いろんな工夫をしておりやす、杉丸太もフェンスもレンガもみんな貰い物。

【作業日誌 4/13】
ドッグランど柱立て
野外テーブル脚つくりImg_4291

今日はここまで。

今日のじょん:最近はよく運動し、よく眠る。朝も昼も夜もよくぞこんなに寝られるかなあ、しかも爆睡。Img_4279

 寝てばっかしやないかい。

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遊里のこと(1) 4/12

2010-04-12 | 歴史・民俗

2010.4.12(月)雨

 遊里は中上林、五津合町、上林川支流の畑口川沿いの静かな集落である。室尾谷神社に向かう谷と肥刈谷が合し、やや広くなったところに集落がある。寛政11年の丹波国地図(綾部市史)を見ると、虫村、市之瀬から丹後に抜ける道と肥刈谷、於見峠を越えて丹後国岸谷村に向かう道との合流地点で、交通の要所でもあったようだ。於見峠というのは鬼住峠のことかなあと思い、北山の峠(金久昌業著)をみると、「寛政11年の丹波国大絵図には貴見峠と記されているし、綾部市史には幾見峠と書かれている。また遊里側では音は同じでも木住峠と書くと聞いた。鬼住峠というのは岸谷側の呼称で、舞鶴市史にもそう書かれていたので一応これを採用することにした。」とある。これほど呼び名がある峠も珍しいが、別所が古い鉱山であることからして、鬼伝説があってもおかしくないと思うのだが、確認できない。ただ岸谷には鬼住の奥に竜がいたという竜伝説はあるそうだ。この街道は古くは京から田辺(西舞鶴)に通じる田辺街道の道筋と言うことだ。つまり京都鷹ヶ峯ー周山ー五本松ー原ー静原ー鶴ヶ岡ー洞ー洞峠ー草壁ー長野ー大町ー遊里ー鬼住峠ー岸谷ー別所ー西舞鶴といういわゆる京街道のひとつである。
 さてこの遊里には字のとおり遊郭があったという言い伝えがある。(上林風土記)上林の人びとの間にも結構定着しているようで、幾度か耳にしたことがある。残念ながらそれらの建物跡とか、文書などは何もない。磯貝勇氏は「丹波の話」の中で、この言い伝えを一蹴し、「ゆり」というのは丹波に多くある、山間部がやや開けたところの意味だろうと記している。わたしもこの意見に大賛成で「ユリ」というのが、地形を表す用語だと思う。というのは、三和町川合(現福知山市)に岼(ゆり)という集落があり、川合川の流域では最も開けたところなのだ。上林の遊里も地形的には似かよったところで、遊郭説よりは地形説が説得力がある。Img_4267 Img_4268

三和町岼、字のとおり山が開けたところ。


 「ユリ」には他にも意味がある。山の緩い道、山腹をトラバースしているような道をユリ道という。北山に二ノ瀬ユリ、トンボユリなどという登山コースがある。また海岸などで砂が盛り上げられた浜などを閖上(ゆりあげ)といい、桑名市汰上(ゆりあげ)や名取市閖上などの地名がある。いずれも語源は「揺る」のようだ。鳥取県の湯梨浜町は例外で、町名を公募で決めたもの、温泉と梨と浜を意識して付けた町名だそうだ。地名の歴史と意義を無視した感心しない町名だ。つづく

今日のじょん:連日の雨で人間も滅入っているが、じょんも滅入っている。朝な夕なに合羽着なくてはならないからだ。神経性胃腸炎は合羽のせいだという意見もあったが、それも多少はあるかなと思い、あんまり続くとやばいなあとヒヤヒヤしている。Img_4088

着てしまえば普通なんだけど、、、。

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じょんのび村あらかると 4/11

2010-04-11 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.11(日)雨

 最近起こった事件?をまとめて紹介する、ごぞんじじょんのび村あらかると。ひょっとしたら紹介済みのものもあるかもよ。

(1)椎茸小屋に鳥が入ってきた。
 3月22日のことである。小屋の中でバタバタという羽音が聞こえて何かいなと思いきや、小鳥、いや中鳥が迷って入ってきたようだ。入るには色々と隙間があるのだが、出るとなると出られない。後で種類を調べようと写真を撮ると、ネットにピントが合ってしまってこのとおり、、、、。ドアを開け放しにしておいたら知らん間に出て行ってしまった。
Img_4073  昨年のスズメといい、恩返ししよらへんなあ。大きなつづらくれい。



(2)ぼろ輪車のバルブが破損。
 じょんのび逸品集でお知らせした一輪車のバルブが壊れた。400円ほどで購入したものだが、よく見るとバルブを固定するリングが無くてバルブが斜めになっている。悔しいので店の新品を見てみると、しっかり付いている。くそーよく確かめればよかった、このリング状のパーツなんていくらでも持っているのだ。ちょっと張り込んでノーパンクタイヤを買う。1400円なにがしが1200円なにがしとなっている。まあいいかと思って買ったら、後日他店で900円なにがしで売っていた。くやぴい。Img_4108 Img_4141

ぼろ輪車に新のタイヤは似合わない。


(3)長椅子の塗料落とし。
 500円で買った室内用の長椅子を野外に置いておけばニスが剥がれるかと、二年間放っていたが、座る部分だけが剥げて、腐りかけてきた。そこはスクレーパーなどで簡単にそぎ落とせるが、他の部分は全然落ちない。やむなくそのまんまペンキを三重に塗ったらなんとか見られるものになった。ところが数日すると妙な剥がれ方をしてきた。やっぱ旧い塗料は完全に落とすべしということで、二つめの椅子はディスクグラインダで完璧にそぎ落とす。さて結果はどうかな?
Img_4107 Img_4196


(4)薪割り狂想曲
 M村さんと数回の木樵に通い、なんとか次の冬を越すだけの薪は集まったと思うのだが、玉切りと薪割りが大変。とりあえず店のあとかたずけが終わった後、日が暮れるまでの時間をこれに充てているが、遅々として進まない。薪割りはともかく、玉切りは木が乾燥しない前にやらないと大変なので、結構プレッシャーになっている。Img_4242 
山積みの原木


 余談だが、電動だの油圧だの、いわゆる薪割り器を購入すれば簡単やでというご意見を常に頂く。これって解ってないなあ、薪割りこそが薪ストーブの神髄だと思うのだが、、、。

今日のじょん:又しても雨の続く週となりそうだ。今朝もレインコート着せて散歩したのだが、夕方は着せなかったら少し降ったようだ。バスタオルで拭いていると、タオルにじゃれること、かみさんが真剣に怒っても止めない。拭くのを諦めてタオルを放すと、ピタッとじゃれるのを止めて、タオルに見向きもしない。いつものことながら不思議な光景だ。Img_4277

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休日 4/10

2010-04-11 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.10(土)晴

 「じょんのびさんは休みばっかりやなあ」はよく言われることなんだが、本当に休めるのはこの第二土曜日だけである。あとの火曜日金曜日はじょんのび村の整備、畑仕事、買い物、掃除などで潰れるので、休養にはならない。今日は天気も良く、桜も絶好なので、三和町のショートコースでゴルフして、味方の古民家見学をして、あやべ温泉に浸かり、食事をする。ちょっと空いた時間にドッグランどのパーツをこしらえたりしたが、まずまずリフレッシュできたかなあというところだ。ただし、慣れないことばかりしているので身体がバラバラになりそうだ。
 福知山東ゴルフクラブにはヒマラヤ杉と並んで立派な桜があり、今日が盛りだったので記念撮影する。例によってスコアは散々だがかみさんはブービーなんか貰っちゃってる。帰り道に川合小学校の桜が満開だったので写真に納める。先日ニュースで二人の入学生の様子をやっていた。私たちの頃はクラス40名弱だったのだが、なんとも寂しい限りだ。Img_4263 Img_4269
 



主人公はあくまで桜。


 味方の古民家見学は村上建設さんが手がけられたもので、ビフォアの状態がチラシに載っており、現地でアフターを確認するという楽しい企画だった。旧い家の柱や梁、壁などを上手に残して、住みやすく快適にするというのは楽しい仕事だなあと思う。Img_4270




【作業日誌 4/10】
ドッグランど扉の落とし取り付けとフェンス固定用パーツ作りImg_4272Img_4274 

左:扉完成
右:こういうパーツが沢山必要。



 今日のじょん:病後の体重は少し回復し、17,4Kgとなった。ただ、病後のあまえが残って、すっかり甘えん坊になってしまった。毎朝ひっくり返って甘えている。まあいいか。Img_4243

 

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春の憂鬱 4/9

2010-04-10 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.9(金)曇

 予告通り桜は満開となった。先日お知らせした以外にも、殿の上林寺がいいそうである。時間があれば行ってみたいが、桜はなんとなく気ぜわしくていけない。なーんて言っていたら、佐々木さんから上林寺の桜の写真が送られてきた。拝借して御紹介しよう。043
 



 待ちに待った春なのに憂鬱なのは、作業が思うように進まないからである。今やらなければならないこと、ドッグランど作り、店の看板作り、予告看板ニス塗り替え、春蒔き野菜用の畝づくり、芝の草引き、薪割り、野外用椅子テーブル作り、じょんのび坂芝張り、木小屋の庇作り、畑等のネット張り、、、、こんなに出来るかってんでイライラする。
 隣の畑にイノシシが来たり、前の府道で鹿が事故ったりして、獣がうろうろしているのは事実だが、今年になって実害は無かった。じょんのび領内には入ってこないだろうと、勝手な予想をして高を括っていたところ、畑のアスパラガスを植えたところにイノシシが侵入した。なぜその箇所が狙われたか解らないが、あとは草ぼうぼうでそこだけが畑らしくなっていたことは事実である。Img_4222




 なんか嫌な予感がしていた矢先、お風呂の帰りに鹿発見、じょんのび谷のところまで来ている。家の近くで鹿を目撃したのは二度目である。幸い実害はなく、追い返したが、侵入してきたらなにもかもやられてしまう。獣害とは実質的な損害よりも、精神的なショックが大きいようである。いずれにしても畑や北面の山側はネットを張らなければならない。あれもせんなんこれもせんなんって言いながら、ちっとも進まないうちに、新たにやらんなんことが出来るのはますます憂鬱となる。
 気温の上昇と共に元気になってきたのが、雑草だ。草ったって、この辺の草は柔じゃない。放っておくとあっという間にジャングルと化す。これが冬の間はウソのように無くなってしまう。そして5月から11月頃まで猛威をふるう。すくすくと脳天気に伸びている草どもを見るたびに憂鬱になってしまう。
 そして虫どもだ。ブヨはまだ出てこないが、カメムシが勢いを増してきた。カメムシのピークはもちろん秋だが、次のピークは春である。カメムシバスターは改良を重ねて新しく用意したが、冬の間でも出没していたぐらいだから、今では日に4,5匹は捕らえている。これが数十匹、数百匹になるというのはなんとも憂鬱である。

【作業日誌 4/9】
ドッグランどフェンス1スパン完成Img_4271





きょうのじょん:4月のカレンダー写真は桜の下でと思っていたが、じょんの桜は今年買ったばかりで、二輪しか咲いていない。やむなく忠に向かう上林川沿いの並木に行く。良い景色なんだが、獣害防止のワイヤメッシュが張られているのが玉に瑕、まっいいか。Img_4248_2

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ソーチエンの目立て 4/8

2010-04-09 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.8(木)晴

 やっと晴れたが妙に寒い。結局未だストーブを炊いている。二ヶ月分ぐらいは残るだろうという予想だった薪もチビチビ使って、終いには無くなりそうだ。あと一日木の搬出をする予定だが、薪割りもしっかりしていかねばならない。チエンソーはマキタME333というのと共立のGC31という機種でどちらもたいした機種ではない。薪ストーブのファンの方は外国製のん十万円もするチエンソーを使い、これまた外国製のん万円もする薪割りを使っているのをよく見る。わたしのチエンソーは前者は店頭処分品で19、000円だったろうか、後者は山ちゃんから頂いたものである。大体マキタは木樵用に共立は玉切りに使っている。薪割りは刃を天神さんの縁日で1,000円で買ってきて、柄をインターネットで1、200円で買ったもの、これがすこぶるよく切れる。もといよく割れる。
 チエン研ぎは当初舞鶴の刃物屋さんで研いで貰っていたのだが、最近は近所の農協で500円でやってもらっている。でも自分で目立てをするのが正当だと思い初めて、チャレンジした。実は以前にもやっていて、ちっとも切れるようにならないので、研ぎに出していたのである。ヤスリの角度調整用の器具も買っているのだ。せっかく買った器具がもったいないというのもあるが、やってみないとうまくならないということもあるので、やることにした。
 わたしは道具はあまり大事にしないが、チエンソーだけは掃除や整備をしっかりしている。そのことによって不備なところや傷んでいるところを発見でき、安全に使用できることとなる。チエンソーってジェイソンならずとも怖いもんね。
  (1)カバーを外す。この時ブレーキは解放しておく、解放しないとはずれない。取り付けるときも同様。みてのとおりおがくずがオイルで固まってこびりついている。Img_4224




  (2)おがくずを掃除する。あらかたはブラシで落とし、細かいところは割り箸などで落とす。ブレーキのバンドの中を掃除しておくこと、ここにおがくずが溜まって、常時ブレーキ状態になったことがある。Img_4225




(3)ソーチエンを灯油で洗う。これは刃に付いた脂を落とすため、一齣ずつ歯ブラシで洗い落とす。チエンのピンの間のゴミも落とせるし、チエンや刃の状態も確認できる。ポリタンを半分にした洗い桶を作っている。
 この時注意するのは、キンク(結び目、小さな輪っかのこと)を作らないこと、ソーチエンは繋がった輪なので、元に戻すのが大変となる。
 灯油で洗った後はサビが来るので、拭き取ってCRCかグリースオイルを着けておく。Img_4227




  (4)チエンを取り付け、張り具合を調節する。振動等で張り具合が変わるので常に調節すること。使用頻度によってチエンが延びるといわれるが、これは長さが変わるのでなくて、コマのなじみ具合とか、締め付けねじのゆるみとかが原因だそうだ。Img_4228 Img_4229




  (5)今回目立てだけだが、目立て2,3度に一回程度デプスゲージのヤスリがけも必要だそうだ。これはもっか勉強中。目立て器具を使うと角度が一定に保てるので便利だ。ただし、刃にぴったりと合わせないと意味がない。ヤスリの高さや削り量も調節できる。Img_4230
(6)夕方、試し切りする。随分切れるようになったが、プロに研いで貰ったとき程ではない。まだまだ勉強が必要。



【作業日誌 4/8】
チエンソー目立て
ドッグランどフェンス用パーツ作り

今日のじょん:暖かくなってよく運動するようになった。散歩から帰ってきたら、芝生を全速力で3周ほどする。これは見ていても感心するぐらい精悍だ。本人はかなり消耗するみたいだ。Img_4236

 

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雨読 「鉄と俘囚の古代史」 続編 4/7

2010-04-08 | 雨読

2010.4.7(水)雨

 予想に反して冷たい雨が降り続いている。桜が始まったばかりでよかった、まだしっかりと咲いている。明日は好天の予報なので、明日が最高の開花かななんて余計な心配をしている。春のこころはのどけからまし、というわけにはいかない。
 さて、間の開きすぎた雨読の続編だが、お忘れの方は3月24日の記事を読んでいただきたい。
 この本を読んで、いくつか疑問点が出てきた。ひとつは別所というのが蝦夷俘囚の移配地というなら、奥羽
の地になぜ別所があるかということである。居住の地以外に移すから移配な訳で、青森や秋田に別所があるのはおかしい。このことについては第4章 別所と産鉄に詳しく述べられている。別所という地名には俘囚の移配地以外に、墓所であったり寺院の別院などと言う説もあり、一つひとつの別所について調査しないとはっきり言えないようである。奥羽の別所については墓所を表すものが多かった。各地の別所については、「全国別所地名事典」上下巻が柴田氏の著で刊行されている。かなり詳しく書かれていそうだが、一万円近くする本で、とても手が出ない。Img_0827
 
岩木山の北、鰺ヶ沢町中村別所はこのあたりか。(2006.9.24)


 もう一つの疑問は、各地の別所に住まわされた俘囚がその後どうなったかということだ。インターネットの情報の中には10世紀になって、俘囚帰還政策があったというのもあるが、この辺のところは本書では記述がない。別所における産鉄地名は枚挙にいとまがないが、もし蝦夷の俘囚がその地に定着し代を重ねていたとしたら、別所、あるいはその周辺に蝦夷地地名が残ると思うのだが、どうもそのような様子はうかがわれない。
 綾部市にも別所地名はいくつかある、綾部市別所町、小畑町別所、星原町別所であり、私はこの地は産鉄地であると思っている。福知山市上天津別所も同様に思うが、三和町菟原中別所、瑞穂町井脇別所については、なんとも判断できない。最も確実なのは舞鶴市別所で、銅、銀、硫化鉄鉱を産する舞鶴鉱山が大正期まで稼働していたということだ。この別所から岸谷を経て東に両丹国境尾根に向かうと小吹峠を越えて虫(五津合町睦志)、南東に向かうと鬼住峠を経て遊里(五津合町遊里)に向かう。小吹峠の北には菅坂峠があり、この三つの峠はいずれも金属、鉱山に関連する地名である。ただし、鬼住峠の鬼伝説は伝承されていないようである。
 また、舞鶴市別所を東に3Kmも進めば、真倉であり、ここは奥州俘囚長の安倍貞任の弟、宗任が隠れ住んだという地である。
 古代の国家の成立、発展拡大に重要な要素をなしたと思われる金属文化が如何に虐げられた、底辺の人びとに支えられたか、日本の資本主義、軍国主義を支えた炭鉱の実態とオーバーラップして、衝撃的な本であった。完

【作業日誌 4/7】
薪割り

今日のじょん:最近よくくしゃみをする。かみさん同様花粉症なんだろうか。涙もよく出るようで、目薬さしたりしている。猿の花粉症はニュースで見たことあるが、犬の花粉症ってあるんだろうか。一説でいうように、寄生虫の駆除と関係があるのなら、あってもしかるべきだなあ。クシュン。

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薪集め 4/6

2010-04-06 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.6(火)晴

 春らしい一日となった、暑くもなし寒くもなし、空気もカラッとして最も過ごしやすい季節だ。こんな季節になって木樵をするのも遅すぎるのだが、冬の間さぼっていたのだから致し方ない。もう新芽が出始めていて、水を吸ってボンボンに重い。今日、径3,40cmのを二本倒して、今季のお終いとする。前回倒したのが一本あるので、もう一回山に入らねばならない。といっても、もう午前中だけで仕事は済むので気分的には楽だ。M村さんが長靴を忘れてきたというので、取りに帰られる間、景色を眺めたり写真を撮ったりのんびりする。上林の姿を上林川の左岸から見ることは少ない。上林氏以来の城跡、古城山を東側から眺めるのもなかなかおつなものだ。この上林川河畔にぽこっと立っている古城山は先日御紹介した志古田の繞谷丘陵(4月2日参照)と同じ地形である。つまり石橋、馬場など城山を取り巻く地域は、かつては上林川だったのだ。といっても何十万年も前の話だから、ご安心を、、、。上林によく見る、ポコッとした小山が、上林川の蛇行する間に出来たなんて、ロマンじゃないか。Img_4207 Img_4212
古城山、東からと西からと。

 先日の約束通り、今日明日が上林の桜の満開である。特段ここぞという名所は無いようだが、高いところから見下ろすことが出来たので、じょんのび近隣の名所をご案内しよう。もちろん目に付いたところだけだから、ここにもあるでというところはいくらでもありそうだ。
(1)古城山
(2)上林小学校
(3)八幡さん
(4)真野の登り坂
(5)宝蔵寺
てなところかな。一本だけだけど、かなりの古木で、形といい、美しさは抜群というのが、松寿苑の駐車場の桜である。
 さて伐採した木を満載して帰宅し、シャワー浴びてビールでも飲もうかなと思ったら吉右衛門から電話が入っていた。樫の木があるから取りに来いということだ。今日はよくよく薪に縁があるなあと思って訪ねる。山の上に根の起きた樫が伐採してあり、持ち帰っても良いということだった。大木を切り倒せというのでなくてよかった。ぱたぱたと片付けておいしいビールにありつく。今日は沢山薪が集まって大満足。ただし、これから薪割りも大変なわけ。

【作業日誌 4/6】
伐採、4日目
ドッグランど、柱穴掘り
ヒマラヤ杉丸椅子作り

今日のじょん:今日は天気が良いので作業中外につないでいた。これってじょんにとっては結構疲れるようで、夜になったら爆睡してしまった。Img_4221

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磁鉄鉱その後(2) 4/5

2010-04-05 | 歴史・民俗

2010.4.5(月)曇

 念道の河原の石を拾ってきて、何%が磁石に反応するかという実験は中途半端に止めてしまった。よく考えると、この実験をやってどういう意味があるのか、何が知りたいのかよく解らないからだ。役に立つことといえば、私自身が磁石に反応する石を見つける技が磨かれるぐらいだ。というわけで中止し、次にやるとすれば、ある地点で1m四方に区切って石を拾い、その中から磁石に反応する石が何%、どのような種類が何%と出すことだ。これは意味があると思われる。各地点で鉄分の有無、あるいはその濃さが確認できる。いずれ1m四方の枠を作製し、採取してみたい。
 最近は磁石に反応する石が例の三種類以外に無いものかと、磁石を持参していろんな石を確かめている。最も気になっているのが、茶色の泥岩のような石で、酸化鉄のような黒い部分が多くある石である。この石は上林川に多く、見た目はいかにも鉄分が多く含まれているようなのだが、磁石には一向に反応しない。
 根気よくそれらしい石に磁石を当てていたら、新種の石が反応した、昨日のことである。何かすごい恐竜の化石でも発見したような気分で持ち帰る。今までの三種類とは明らかに違う種類の石である。ただし磁石の反応は弱く、従来のフェライト磁石ではかすかな反応しかない。ネオジウム磁石という強力な磁石のおかげで見つかったようなものである。そして今朝も同じ種類の石が見つかった、それはその種類を狙っているからだ。Img_4188 Img_4198
左:4月4日発見、右が新種、左は従来のもの
右:4月5日発見、真ん中のもの。



 色は明らかに違うし、今までの三種より柔らかそうだ。緑色の石に赤い流紋があるように茶色の石に黒い流紋がある。おそらく堆積岩だと思うが、堆積した成分を異にしながら、鉄分が同様に定着したのではないだろうか。というわけで磁石に反応する石は、念道で四種類となった。
 蝶の時は蝶の専門家が、樹木の時は樹木の専門家が、きのこの時はきのこの専門家が現れた、石の専門家現れてくれい。

【作業日誌 4/5】
長椅子塗装
ドッグランど、フェンスのパーツ作り
Img_4197
スプレーの塗料が出てきたので使ってみたら、ここで終了してしまった、駄目だこりゃ。

今日のじょん:ことぶき屋さんの一家が来じょん、サリーちゃんとジナン君となるみちゃんだ。じょんは喜んでころこんでオシッコちびりまくり。しまりがねーなー。ドッグランどがんばっからね。Img_4204 Img_4205_2 Img_4206




ドッグランどができたら、このリードは不要となるわけだ。

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上林さくら情報 4/4

2010-04-04 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.4(日)快晴

 東京などで満開の情報が流れ、ニュースで盛んに花見の様子を伝えている。京都でも醍醐などは満開だそうで、休日の今日などは大賑わいだろう。上林では七分、八分というところで、満開予想は七日、八日あたりだろう。最近撮った写真をお見せしよう。Img_4168 Img_4184 Img_4186




4月2日鳥垣、4月3日念道、4月3日じょんのび隣Img_4192 Img_4193

4月4日じょんのび隣、4月4日じょんの桜

 てな感じで上林の満開は今少しお待ちあれ。しかし桜というのは、すっかり季節が終わってから信州なんぞで見かけるのがなんか得したみたいで一番美しい。学生時代に例年白馬岳でゴールデンウィークに合宿があった。白馬駅(当時は信濃四谷駅)から猿倉を経て双子尾根まで歩くのだが、その道中では田んぼは苗代づくり、山には残雪、そして野には桜が満開なのである。入山日とあって背の荷はやたら重いのだが、田んぼの泥の臭い、東京ではすっかり終わっている桜、そして唐松林の緑色の空気、谷間に咲く水芭蕉がつらい想いを和らげてくれたものだ。
 桜はまだなんだけど、じょんのびガーデンでは昨年植えた花桃が可憐な花を付けているし、隣の上田さん宅の木蓮の花が満開である。Img_4189 Img_4190





【作業日誌 4/4】
カメムシバスター転倒防止箱作製
ドッグランど柱皮むき、防腐剤塗装
長椅子塗装落とし
薪割りImg_4194 Img_4195 Img_4196





 今日のじょん:暖かくなったのはいいがダニが出始めた。とっくにフロントラインはしているが、現実に見つけたのは昨晩が初めてかもしれない。草むらが多いので、散歩の後にはしっかりブラシをして見ているのだが、ゴミと見分けが付かない場合も多いし、ダニは付いたら毛の中に入り込むようである。フロントラインの効果で表に出てきてぽろりと落ちるそうだが、どういった薬品がどのように作用するのか疑問である。

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続・邪馬台国の東遷 4/3

2010-04-04 | 歴史・民俗

2010.4.3(土)曇、雨

 今日の天気予報は晴れである。朝には懐かしい朝日が射し、あの忌まわしい中途半端な天気がやっと終わって本格的な春が上林にも来たかなという期待感が沸いてくる。ところがあっという間にかき曇り、冷たい雨が降ってくる、上林の人間にとっては何度も騙されて、やっと春が来たかなというけなげな想いがものの見事に裏切られ、茫然としてしまう。
 この間、鹿騒動などがあって途切れていた雨読の続編を書いてしまわなければならない。邪馬台国の東遷について書くことはもう無いのだが、人類、民族の移動ということについては思うことがあって書いておきたい。Img_3970
  吉野ヶ里遺跡、建物は主祭殿

 邪馬台国はいざ知らず、歴史上多くの民族、一族、そして神々(日本の神々は架空である、実在であるを問わずかつての個人である)は移動、移転してきた。それは一体なぜだろうかと考えるに、資源の獲得、耕地の拡大、新しい文化の獲得など色々と考えられるが、基本的に定住農耕民である私たちの考えからすると移動、移転することは大きなリスクが伴うように思えてしまう。邪馬台国が九州から東遷し、大和の地において在来の勢力を追放して、その地に定住するなどとは考えにくいのである。ところが現実の歴史というのはその逆で、その地に定住していたものは駆逐され、侵入者の天下となっている。現在の国々を見てもそのとおりではないか。
 人類はアフリカの森で発生したといわれるが、それは瞬く間に世界各地に拡がり、極寒の地でも酷暑の地でも生存している。南米の人びとには蒙古斑があり、ルーツはアジアにあるという。もし彼らが住みよい地、豊かな地だけを目指してアリューシャン列島から、北米、中南米を経て旅をしたとしたら、パタゴニアに行き着くまでにいくらでも適地があっただろう。つまり移動、移転の原因はエルドラドの魅力ではなくて、人類の遺伝子に組み込まれた分散生活の命令なのではないだろうか。ひとところに住む生物が絶滅の危険に遭う可能性は極めて高い、それは自然災害であったり、病気であったり、遺伝的障害であったりする。分散することによってそれらの障害を拡散することができる。特に身体的に、武器も持たず、小さくてひ弱な人類が生き延びるためには、分散して移動し続ける必要があったのではないか。それがDNAの中に組み込まれているとしても不思議ではない。
 そう考えると、邪馬台国の東遷があったとして、その理由が単に物質的なものだけでなく、人類の本能的な宿命に根ざしていると考えるのも面白いのではないか。完

【作業日誌 4/3】
ドッグランど、門扉のレール作り

今日のじょん:じょんが一番好きなのはいくみちゃん。一日来ていたので、もうヒコヒコ。でも帰っちゃったらしょぼちーん。Img_4187
 

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上林探訪 鳥垣 4/2

2010-04-03 | 日記・エッセイ・コラム

2010.4.2(金)曇

 あやべ吉水さんに一粒さんが入られて、昼間の食事が出来ると聞いたので早速いただきに上がる。なんでも有線放送では案内があったそうだが、あやべ市民新聞などには載っていない。掲載されると二週間ほどは満員になるので、とても食事をする気にはならない。道中、八幡神社上隣で葛目さんが坂本龍馬展を開いておられるので覗いてみる。個人でよくぞ集められたという資料やグッズが展示されている。高杉晋作から贈られたというスミスアンドウェッソンの短筒の模造品は氏が購入されたもので、ずしっとした重量感が生々しい。お土産品やグッズも分けてもらえるものもあるのでお早い目に行かれるとよい。(18日まで、10~16時、無料)Img_4150 Img_4151
 



 さて、吉水さんは本当にやってるかなあと、疑心暗鬼でいってみるが、しっかり営業していた。地鶏の炭火焼きと鳥うどん、稲庭うどんと地鶏鍋、オムライスを三人で頂く。運転手のわたしはお酒が飲めないので、ちょっとつらいメニューだ。しかしここの庭は先代の林さんが造られたそうだが、立派なもので、流水と自然石をうまく使っておられる。脇を流れる鳥垣渓谷は予てからお気に入りで、岩盤と自然石、苔と野草のコントラストがいい。ただし今日は増水のため濁っていていまいち。Img_4160 Img_4163


吉水さん母屋と庭

 帰りに桜井さん宅のガーデンを見せていただく。何時来てもおしゃれな庭とお家だ。つづいて坂尾呂の里によってゆく。最近坂尾呂神社前の馬場先を整備されて、植樹をしたりあずまやを作ったりしておられる。ここからの草壁、山内、鳥垣方面のパノラマは素晴らしい。今日も桜井さんが黙々と頑張っておられ、ご挨拶をして、坂尾呂の里をあとにする。
 志古田の繞谷丘陵を見たいと思い、これは弓削や石橋のにも見られる上林川の特徴的な地形で、かつては上林川が蛇行しており、川が直進して取り残された丘のことである。かつてといっても何十万年も前のことで、こういう山間地で蛇行しているのは珍しい感がする。Img_4173 Img_4177
 

整備中の坂尾呂の里と志古田の繞谷丘陵

夜は綾部温泉に行き、日本を今一度せんたくいたし申候というお酒を賞味する。

【作業日誌 4/2】
ドッグランど、門柱完成。

今日のじょん:じょんはお留守番していたのだけど、志古田でハナに出合う、正真正銘の雑種ということだが、じょんにそっくりでびっくりする。Img_4175

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奄美の一字姓 4/1

2010-04-01 | 雨読

2010.4.1(木)曇、雨

 先日の「逆説の日本史 1」の雨読の続きであるが、明日本をお返しする予定なので気になったところを書いておこう。最終章の「天皇陵と朝鮮半島編」のところで韓国が日本に独創性がないといっている事に対し強烈に反論している。韓国こそ歴史的に中国を模倣してきたではないかという意見で、漢字や一字姓のことをあげて反論している。とまあ、一体これだけでは何のことか解らないだろうから、是非本書を読んでいただきたいのだが、なかなか痛快な文章である。ただ、この本が書かれた当時は韓国の反日感情も強いときであって、今日の状況とは少し様子が違うことは否めない。
 奄美の一字姓については予てから不思議に感じていたのだが、幕藩時代の島津藩の影響があるそうだ。つまり島津藩は実質的には奄美を支配していたが、明、清との貿易を円滑にすすめるため、表面的には琉球王朝の支配下であることを示す政策を執った。「奄美の債務奴隷ヤンチュ」(名越護著)にも同様の記載がある。とまあ複雑な事情があるのだが、奄美で読んだ郷土史では、使節団というか朝貢のために大陸に渡る際に、二文字、三文字姓のものを一文字に改姓させられたというようなことも書いてあった。わたしも知人に碇さんと碇本さんがいた。ルーツを探れば奄美なのかもしれない。Img_4149 Img_3065
 
徳之島ムシロ瀬から、島影は奄美大島。


 ここで私が言いたいのは、韓国あるいは北朝鮮も含めて歴史上中華思想を取り入れ、漢字や一字姓に見られる中国との同化は、彼らに創造性が無いのではなく、国家が存続するためにはやむを得ない選択では無かったかということだ。同じ地続きで隣に大国が存在する状況では、何時攻め滅ぼされてもおかしくない、日本海という大きな砦を持つ日本とは状況が全然違うのだ。元寇の際も、逆の立場の白村江の戦でも海を越えて遠征するのはやはり不利な条件があるのではないだろうか。
 そういう意味で井沢氏が韓国の中国化の歴史をみて、それが独創性の無さというのは的がはずれているのではないか。

今日のじょん:今日は一日左足を舐めている。ダニが居るんじゃないの、皮膚病かもしれんで、怪我しとらへんかと大騒ぎである。いつでも一緒におるから、そんな心配してもらえるねんで、、、。
Img_4147
チューリップも咲いてきたぞん。
 
 

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