晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

遊里のこと(1) 4/12

2010-04-12 | 歴史・民俗

2010.4.12(月)雨

 遊里は中上林、五津合町、上林川支流の畑口川沿いの静かな集落である。室尾谷神社に向かう谷と肥刈谷が合し、やや広くなったところに集落がある。寛政11年の丹波国地図(綾部市史)を見ると、虫村、市之瀬から丹後に抜ける道と肥刈谷、於見峠を越えて丹後国岸谷村に向かう道との合流地点で、交通の要所でもあったようだ。於見峠というのは鬼住峠のことかなあと思い、北山の峠(金久昌業著)をみると、「寛政11年の丹波国大絵図には貴見峠と記されているし、綾部市史には幾見峠と書かれている。また遊里側では音は同じでも木住峠と書くと聞いた。鬼住峠というのは岸谷側の呼称で、舞鶴市史にもそう書かれていたので一応これを採用することにした。」とある。これほど呼び名がある峠も珍しいが、別所が古い鉱山であることからして、鬼伝説があってもおかしくないと思うのだが、確認できない。ただ岸谷には鬼住の奥に竜がいたという竜伝説はあるそうだ。この街道は古くは京から田辺(西舞鶴)に通じる田辺街道の道筋と言うことだ。つまり京都鷹ヶ峯ー周山ー五本松ー原ー静原ー鶴ヶ岡ー洞ー洞峠ー草壁ー長野ー大町ー遊里ー鬼住峠ー岸谷ー別所ー西舞鶴といういわゆる京街道のひとつである。
 さてこの遊里には字のとおり遊郭があったという言い伝えがある。(上林風土記)上林の人びとの間にも結構定着しているようで、幾度か耳にしたことがある。残念ながらそれらの建物跡とか、文書などは何もない。磯貝勇氏は「丹波の話」の中で、この言い伝えを一蹴し、「ゆり」というのは丹波に多くある、山間部がやや開けたところの意味だろうと記している。わたしもこの意見に大賛成で「ユリ」というのが、地形を表す用語だと思う。というのは、三和町川合(現福知山市)に岼(ゆり)という集落があり、川合川の流域では最も開けたところなのだ。上林の遊里も地形的には似かよったところで、遊郭説よりは地形説が説得力がある。Img_4267 Img_4268

三和町岼、字のとおり山が開けたところ。


 「ユリ」には他にも意味がある。山の緩い道、山腹をトラバースしているような道をユリ道という。北山に二ノ瀬ユリ、トンボユリなどという登山コースがある。また海岸などで砂が盛り上げられた浜などを閖上(ゆりあげ)といい、桑名市汰上(ゆりあげ)や名取市閖上などの地名がある。いずれも語源は「揺る」のようだ。鳥取県の湯梨浜町は例外で、町名を公募で決めたもの、温泉と梨と浜を意識して付けた町名だそうだ。地名の歴史と意義を無視した感心しない町名だ。つづく

今日のじょん:連日の雨で人間も滅入っているが、じょんも滅入っている。朝な夕なに合羽着なくてはならないからだ。神経性胃腸炎は合羽のせいだという意見もあったが、それも多少はあるかなと思い、あんまり続くとやばいなあとヒヤヒヤしている。Img_4088

着てしまえば普通なんだけど、、、。

コメント
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