晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林氏 3/19

2012-03-20 | 日記・エッセイ・コラム

2012.3.19(月)雨、曇

 上林氏(かんばやしし)っていうから、歴史カテゴリーかなと思いきや、そうではないのだ。上林君ってえのが来じょんして上林姓のルーツを探るためと言うから驚きだ。群馬県から休暇を利用して来たという、生まれは山形県の庄内と言うから嬉しいじゃありませんか。
 上林に住む人だって上林氏の経緯についてさしたる興味も持たないのに、山形に生まれ群馬に住む彼が自分と同じ姓の上林を訪れてみたいとは、頭の下がる思いである。P1010307
 他のお客さまもあって詳しいことは語れなかったが、ざっとのところだけお話しして、城山に行くようにとアドバイスした。
 上林氏九代の氏忠が宇治に出て、その後茶業で名を馳せたことは多くの知るところだが、他の末裔がどこでどうなったかは定かで無いようだ。上林に上林姓が無いほど徹底的に追放された理由は、上林氏が浅井長政と同盟を結んでいたからということを川端先生からお聞きした。さほど強大でも無い上林の一勢力を、敵と同盟関係があるというだけで徹底的に殲滅するという戦国時代の非情さが今更ながら感じられる。Img_2744Img_4764   
Img_4769 



上林城趾、古井戸跡、看板



 上林君の言によると学生時代の先生が舞鶴市出身の上林姓であったと言うことだ。上林のこともその先生から聞かされたのかも知れない。
 ここで上林の読みについて考えさせられることがある。わたしは「かんばやし」というのはこの地方独特の訛であって、普通は「かみばやし」と読むのだろうと考えていた。ところが全国に散見する姓をみても「かんばやし」と読ませるのが一般的なように思われる。地名については調べたこともないので何とも言えないが、興味のわくところである。
 信長によって攻め滅ぼされた上林氏の末裔がどこかで生き延びたのだろうか、はたまた絶えてしまったのだろうか、舞鶴の上林姓は脈絡があるのか、知らないことばかりである。上林君には「晴徨雨読」を見てくれって言っておいたのだが、何時の日か上林氏について真剣に取りあげてみたい。

今日のじょん:心臓の悪い人は、写真を見ないこと。
「堰のとこに大きいもんが死んでるそうやで見てきて」とかみさんが言うもんだから、おっかなびっくりじょんと赴く。堰に近づくと数十匹のカラスが一点から飛び立つ。何とも気味の悪い光景だ。
 やがて斜面に立派な角のでかい鹿がお尻をこちらに向けて倒れているのが見えてくる。一部赤く見えるのはカラスにつつかれているのだろうか。
 猟犬のどんべえは遺体の方へ引っ張っていくそうだ。じょんは知ってか知らずか知らん顔している、これって幸いかな。P1010308 P1010310

 

コメント
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