晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雪中八策 防獣編(10) 3/2

2012-03-02 | 日記・エッセイ・コラム

2012.3.2(金)雨

 獣害の原因について述べてきたが、いよいよ解決編である。原因が解れば解決の筋道は容易に解ることなのだが、ことが生態系に関することだけに、個人や地域の努力だけではどうにもならないこともあり、広くは府県単位、国家単位でやらなければならないこともある。これをどの順番で述べていくかが問題である。個人で出来る施策から述べていくと、当初は行動可能な事なのでやる気も出るのだが、段々不可能に感じる問題が出て来て、遂には諦めてしまうので、国家的な大きな問題から挙げていこう。
 その前に獣害の原因をはっきりしておきたい。獣害、野生動物が里に出て来て食害その他の害を及ぼすことだが、その原因は従来人間の営みの圧力が働いていた里山、山に人が入らなくなり、獣達の居住地と人の居住地の間の緩衝地帯が無くなったからである。外濠、内濠を埋められて本丸だけ残った大阪城のような状態である。

 従来の生態系は人間が農耕を初めたときから出来はじめ、千数百年かかって出来上がった人と獣の棲み分けと言える。千数百年かかって出来た生態系を数十年で壊してしまったわけで、回復するにはまた千数百年かかるかといえばそうはならないだろう。人間の知恵と努力をもってすれば数十年で回復するだろうが、現在の国政を見ればそれは悲観的である。

 なぜ人が山に入らなくなったかという問題は、単に個人の都合の問題では無く、国の経済政策による大きな問題である。
  戦後日本は工業国として再興発展してきた。代々農村で農家の跡を継いで暮らしてきた若者が工場の働き手として村を出て都会に出るようになり、村には老人だけが残るようになった。それでも長男だけは残っている時代もあったが、やがてすべてが都会に出、残った老人さえも都会に出るようになった。わたしの家もそのとおりですっかり離村して、生家は原野と化している。
Img_5886  
わたしの生まれた村、真ん中の竹藪のところが生家跡。(2007,5,21)


 学校を出ると都会に行くのが当たり前のような感覚であった。それは農業で食べていけないからである。家業のあるもの、近隣で勤めが出来て兼業農家となるものが数人村に残ったが、まず99%は転出してしまった。
 日本の工業製品を輸出せんがためのバーター貿易の餌食となって農産物の価格は暴落し、零細農家が太刀打ちできるような状況ではなくなった。
 農村では生活できないから都会に出るという働き手の減少が山に入らなくなった理由の一つである。つづく

【作業日誌 3/2】
郵便受け箱作製

今日のじょん:雨が降るとかみさんが先に起きてレインコートを着せてくれる。しゃーないなと諦めて着るようだが、そのまま固まってしまう。「雨降ってじょん固まる」ってやつだが、いつもベランダの戸のところでじっと固まりピクリともしない。わたしが着替えて降りてくるまで随分時間がたっているのだが、同じ姿勢だ。放っておけばいつまで固まっているのか実験してみたいが、病気になられると困るのでやめとこ。写真は25日のものだが、いつも同じ状態なので、参考まで。P1010160  

コメント
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