晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雪中八策 防獣編(12) 3/4 

2012-03-04 | 日記・エッセイ・コラム

2012.3.4(日)雨

 暖かい日が続きさしもの雪もみるみる減ってきた。雪中八策も雪が残っている内に書き上げなければならないと思うのだが、なにしろ課題な大きいだけに膨大な量となる。獣害に関係の無い都会の方にとっては面白くも無い記事となろうかと思うが、地方や田舎ではこんなことに頭を痛めているのだなあと今しばらくお付き合い願いたい。
 獣害を防ぐ基本的な対策は、獣達の居住区と化した里山、山を人の営みの圧力で取り返すことであることは繰り返し述べてきた。そのためには日常的に人が山に入ることが絶対に必要である。ところが人が山に入らなくなった背景を考えるとそれが速やかに行える事で無いことが解る。
 つまり過去には山に入ることが生活の糧を得ることであり、絶対に必要なことであったわけだ。ところが現在では山に入っても生活の糧は得られないし、その必要もなくなっているわけだ。歴史の歯車を巻き戻して過去の生活環境に戻ることができれば一気に解決できるのだがそのようなことは不可能である。
 従ってわたしたちは無理矢理に山に入らなければならない。その方策を考えてみたい。
 林業で飯が食えるというのが最も理想的な形なのだが、政府がそのようなことを考えていようはずも無く、現在の経済構造で林業が好転するという見込みも望むべくも無い。従って生計を立てるため、金儲けのために山に入ることは一般的には出来ない。しかし前述の山に入らなくなった理由のいくつかは私たちの努力でクリアできるものが在るのでは無いだろうか。P1000844_2
 
薪ストーブ二ヶ月分、風呂も調理も使ったら一ヶ月持たないだろう。


 その一つがエネルギー源としての森林の利用である。家庭のすべてのエネルギーが樹木から化石燃料を元とするものに変わったのはどのような理由からだろう。
 それは都会では当然の成り行きである、都会ではどちらにしてもお金で買うしか無いのだから便利なもの安価なものに流れるのは必定である。では農村ではどうだろうか、農村に於けるエネルギー革命の最大の効果は主婦の解放であると考える。働き手でもある農家の主婦は、早朝から深夜まで家事、労働、育児と働きづめであった。特に薪を使った調理、風呂などを含めた湯沸かし、暖房は時間的にも労働負荷の意味でも大きな負担であった。電気、ガス調理器具、用具の発達は主婦の負担を大きく軽減しただろう。しかしその軽減された時間が休息や余暇に廻ったかというとそれは疑問である。光熱水料の負担が増え、主婦もパート労働などで現金収入を得る必要が出て来て、逆に労働強化になった可能性もある。
 いずれにしても電気、ガス、石油製品の登場は農家も文化的な生活を推進するという大きな役割を果たした。
 反面燃料として樹木が使われなくなったことは森林の循環を断ち切り、獣害、病虫害、自然災害の原因となっている。P1000400

植林の山では間伐材が放置され、鉄砲水やダムに流出する被害が出ている。


  現在山に入ると植林された山はもちろん、闊葉樹の本来の山も非常に不健全な状態であることが素人目にも解るものである。つづく

今日のじょん:先日人もすなるスキヤキなんぞをしてみんとて、久々に肉を食したのだが、これがじょんにとっては大変なことになった。本の切れ端を味も油も抜いてやったのだが、よほど気に入ってか2日ほどドッグフードを食べなくなった。いやーぜいたくさしたらあかんね。P1010203
 

こりゃあたまらん、背後霊じょん。

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雪中八策 防獣編(11) 3/3

2012-03-04 | 日記・エッセイ・コラム

2012.3.3(土)晴

 先日東北地方にも猪が現れたというニュースが流れていた。宮城県の南部が北限とされていたそうだが、それ以北や秋田などでもここ一年で目撃されたり捕獲されたりしているそうだ。原因は温暖化といわれていたが果たしてそれだけだろうか。
 わたしが自転車旅行をした年、2006年は東北地方はクマが異常に出没した年で、各地で熊の被害のニュースが飛び交っていた。ところが猪については何も語られず、地元の人に聞くと猪は居ないとの返事だった。ところが関東地方に入った途端に猪被害のニュースばかりで、熊の話は出てこなくなった。そんなことで東北には猪は居ないものだと思っていたわけだ。Img_0775

2006.9.21、十和田湖近く、この後クマ出没騒ぎがあった。


 さて、人が山に入らなくなったのは山に入るべく人が農村に居なくなったことを前述したが、他にもいくつか理由がある。
 木材の値が下がって林業が成り立たなくなったことは大きな原因である。丹波のように半農半林の農家が多いところは、木材による現金収入は子供の結婚とか家の普請とか大きな出費があるときに大いに役立っていた。村有林や学有林など公の山林も村や学校のものいりの時の資金源となっていた。雑木林を伐採して杉、檜を植林する政策は五,六〇年前頃からだろうか、最も多くの人々が山に入った時期では無かろうか。しかしその林業政策は破綻し、木材は伐採にかかる経費の方が高くつくような事態となった。
 子供達の未来に役立つようにと艱難辛苦山に通い続けた親たちの無念さを思わずにいられない。そして金にならない山には誰も入らなくなった。
 
 もうひとつの大きな理由はエネルギー源が樹木から石油へと転換されたことである。今から五十年前を思い起こして欲しい。おくどさんで煮炊きをし、風呂は薪で沸かす、暖房は囲炉裏、炬燵、火鉢などすべてが山の樹木が燃料源である。人々は薪、柴を得るために山に入り、自家用、出荷用に炭を焼いた。そして今、すべてが石油、ガス、電気に変わり、人が山に入ることは無くなった。Img_2570

わたしはストーブの薪作りで年間15日ぐらいは山に入っている。 


 建築資材として樹木を利用するだけでなく、茅や蔓、竹なども使われた。化学肥料が出てくるまでは、山の落ち葉が堆肥に使われた。山菜、きのこ、木の実など山には食糧も豊富である。しかしこれ等を採りに山に入ることはなくなった。Img_3352

鳥垣のシデ山中腹、かつては大規模な茅場だった。 


 通行もそうである、かつては歩いて峠を越えた。自動車の発達に伴い道は山から川に下り、山を越えなければならないところはトンネルとなった。今や峠はハイカーが年数人訪れるだけで、峠道は荒れ果てている。

 子供の遊び場だってそうだ、わたしたちが子供の頃、山ほど変化に富んだ遊び場はなかった。ターザンごっこ、小屋掛け、木登り、そして丹波では珪石やマンガンの廃鉱探検など男の子の冒険心をくすぐる遊びがごまんとあった。今、山に行ってこんな遊びする子供がいるか?

 そう、このようにして大人も子供も皆が山に入らなくなったのだ。
 これこそが千数百年かかって人間によって奥山に閉じ込められ、員数を増やすことも出来なかった獣達の千載一遇のチャンスだったのだ。つづく

今日のじょん:じょんのうんPは気まぐれである。いつものところ(ドッグランど予定地)ですることもあり、散歩の途中ですることもあり、帰ってきてぽんぽこぽんの途中ですることもあり、今朝はラストぽんぽこぽんの途中でしてしまった。ボールを置いといてうんPするもんだから、その後ボールを持ってくるか、はたまたラストの儀式を憶えているか疑問である。「憶えとったら天才やなあ」と言っていたら、ちゃんと憶えていた。天才じょん。P1010173

 ラストぽんぽこぽんの間に、、、、、。

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