晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 真継家と近世の鋳物師(1) 1/29

2012-01-29 | 雨読

2012.1.29(日)雪

 鉄の歴史を探るとき、たたら製鉄を巡る遺跡や技術が注目され、砂鉄の精錬や刀鍛冶の活躍がもてはやされるわけだが、中世近世の鋳物師や鍛冶師の存在というのも大きな意味を持つ。それは権力の象徴であった金属、とりわけ有用であった鉄の一部権力者から一般大衆の道具としての普及という大役を担ったからであろう。
 ところが一般大衆に係わる生産流通消費といったことは歴史的な文書に上ることは希である。たまたま鋳物師を支配した真継家の膨大な文書が今日に残り、多くの研究者によって解読されることとなっている。小論文はいくつか見ているが、本格的にまとめられた書を読むのは初めてのことである。本書は古書で購入することも可能であるし、内容の一部の論文をネットで見ることも可能である。今回は高額な図書でもあるので図書館で借りて読むことにした。
 
 「真継家と近世の鋳物師」笹本正治著 思文閣出版 1996年2月発行 定価11,124円 京都市醍醐図書館借本
 552ページにわたる大作で、真継家の鋳物師支配の全容を網羅しており、歴史的資料という意味では一級品である。P1000906
 
 
分厚さがわかるでしょ。

 わたしの鋳物師に関する書物を読む目的は、鋳物師の具体的な仕事内容を知ること、鋳物師の居住した地が古来からの産鉄の地ではないか探ること、そして鋳物師のルーツを探ることであった。
 残念ながら本書の意図はそういうところにないので、直接的に解決できるものは無いのだが、間接的にあるいは文章の端々に、あるいは豊富な資料を分析することによって目的を果たせるのではないかと思っている。
 鋳物業、鋳物師を支配した真継家とは代々の鋳物業の大家でその分野の中心的な役割を果たした家柄という風に考えがちだが、実は一儲けしようと、従来の鋳物師支配の利権を新見家から借金の方に取りあげた下級の公家である。スタートがこのようなことだからなかなか軌道に乗らない、なにしろ新見家自体が没落していて鋳物師とは縁が切れていただろうし、鋳物師に至っては真継家なんて誰も知らない、ましてや徳川の世になって、公家の御威光なんてまるでない時分なのだから。
 ところが個別の鋳物師にとっては業者間の調停や独占の保証、自由な通行権などをもたらす座というか一種のカルテルが必要なようで、真継家に依頼が集まるようになる。そんな経過でやがては日本中の鋳物師を支配して大儲けするのだが、もともと権力の無い末端の公家が免許状のような文書で取り仕切るのだからその消長は小説を読むよりも面白い。
 明治になって権力が朝廷に還ってきて、公家としてはより支配がしやすくなると思うのだが、あっさりと潰されてしまうのである。バブリーな鋳物師の支配に滑稽さを感じてしまうのだが、それは不謹慎なことだろうか。つづく

 今日のじょん:今日で雪が一週間降り続いている。最初に降った後は少しづつなので今のところ昨年のような積雪にはなっていないのだが、今夜も降り続いているので心配である。P1000902


今朝の積雪は10cm弱、下が硬くて沈まない。

 じょんは喜んでばかりでなく、困ったことがひとつある。
 それは屋根から落ちる雪が怖いことだ。雷でも怖くないのに、なんであれが怖いのか、木からザザーッと落ちる雪も怖いようだ。このまえから朝になるとゴミ箱のゴミが放り出されていることがある。なにか関係があるのだろうか。P1000857

こうやって木から屋根から落ちてくる。

コメント
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