晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大栗峠考(24) 1/5

2012-01-05 | 山・峠

2012.1.5(木)雪

 志古田道の謎を解くひとつである大栗地名については概ね結論が出たように思うが、大栗地名が崩壊地形を表す地名だとすると志古田だけでなくあちこちに普遍的に存在するはずである。上林では二箇所の大栗地名を発見、ひとつは十倉志茂町、もう一つが忠町である。そして隣接する舞鶴市与保呂(よほろ)にも大栗地名を発見する。これ等の地名箇所がどのような地形か確認したいのだが、とりあえずはその位置を確認したいと思っている。P1000347
 
忠町、この山中にも大栗がある。


 残された問題は志古田道にかつての京街道であった印を発見することである。
奥上林村誌にある「左京道・右弓削」の石碑が最もいいのだが、残念ながら見つかっていない。志古田道を歩いている人が誰もそれを見つけられないということは、あるいはとんでもないところにあるのかも知れない。その候補地をいくつか挙げたが、そんなところで見つかったら、それは事件である。
 奥上林村誌の石碑の記事を熟読してみると、山道は近道が最大の条件だという意志が強く書かれている。近道という意味が効率の良い最短距離という意味なのか、本道があってそれより早く行ける間道のことを言っているのか判断できないが、志古田山中の石碑の他に大町の橋のたもとの「左君尾山」の石碑について書いてあるのが気に掛かる。Img_2697 確実なことは解らないのだが、君尾山への正式な参道は山内と古井という風に聞いている。となるとこの畑口川左岸の道標はいわゆる近道を示す道標ということになる。さすれば村誌の筆者は志古田道も本道である弓削道に対する近道であるという風に考えておられたのではなかろうか。
 現実に江戸時代末期には弓削道が主流であっただろうし、モータリゼーションが発達する戦後まで主役は弓削道で、志古田道は近道だという考えが村人の間でもあったのではないだろうか。
 今雪の中に埋まっている志古田の山中を雪解けとともに探りたい思いで一杯である。つづく(大栗峠考(23)は2011.12.22)

【作業日誌 1/5】
雪かきくけこ

今日のじょん:じょんの写真で積雪状態を云々と言っていたら、またしても思い切り降ってしまった。朝八時の様子をたっぷりどうぞ。
P1000735 P1000737 P1000738  




見ての通り積雪は25cmだが大変重い雪で、樹木の被害はいくらかありそう。また今年初の停電もあったのだ。

コメント
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