晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

マンガンぱらだいす(補遺) 8/12

2011-08-12 | 歴史・民俗

2011.8.12(金)晴

 本稿考察編で浅原(あずら)にマンガン坑があったという記事を書いた。上林風土記写真集を見ていると、珪石採掘跡という写真が出ている。私のマンガン坑というのは訂正いたしたい。そもそも浅原の天狗岩で戦時中に何かを採掘していたという情報は当ブログのコメントで頂き、今確認すると珪石鉱山であったようだ。
 マンガンも珪石も丹波の地で多く掘られていたが、その性質はまるで違ったもので、珪石が出たから鉄鉱石、あるいは砂鉄が存在するとは言えない。そういう意味で、「浅原という地名からマンガン鉱を探索しただろう」という私の推理は撤回することにする。ただ浅原の地が古代金工の地であろうという説はその他の多くの状況証拠からも捨てないでいたい。例えば浅原から和知町西河内にぬける峠はタラ坂というそうである。決してだらっとした坂ではなく、ひょっとするとタタラ坂かななんて想像もしている。武吉(たけよし)から同じく西河内に降りる峠は犬越峠といい、これも金工に関係する地名ではある。Img_3225

浅原の谷は上林川左岸では古和木川、草壁川に次いで大きな谷である。和知に越える山並みが遠望され、タラ坂は手前の尾根の陰か。

 いずれにしても浅原天狗岩についてはもう少し調べてみたいのだが、現地の協力者を捜しているところである。実は上林風土記の写真はもちろん白黒なんだが、岩の様子が妙に黒っぽいのが気に掛かる。私の郷里の珪石鉱山は薄い茶色でどちらかというと白っぽい感じであった。鉱物岩石の本にも珪石は概して白っぽいと書いてある。
 以前のコメントによる情報だと武吉の「でんぞうの」というところにも珪石鉱山があったそうである。小字名にこのようなところはなく、これも現地に行かないと解らない。

そうこうしている間にタイトルにもなっている「マンガンぱらだいす」の本が市立図書館に届いたという報せがあった。読んだら雨読でお知らせするのでお楽しみに。

【作業日誌 8/12】
木小屋第三号作製、基礎作り

今日のじょん:毎日よくこれだけ寝られるなあというくらい寝ている。三年寝太郎って感じか。こちとらあれもせんなんこれもせんなんと気ばかり焦っているが、じょんと一緒に昼寝している。まっいいか。ここは隣地なんだけど、放っておくととんでもないことになりそー、、、熊が来るとか、、、。Img_3470

コメント
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