晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

新聞報道の真偽 8/11

2011-08-11 | 日記・エッセイ・コラム

2011.8.11(木)晴

 「いつもはくだらんこと書いとるのに、今日はまともなことを書いとるなあ。」あやべ市民新聞を読みながらかみさんがつぶやいていた。記者の雑記帳という、朝日なら天声人語、讀賣なら編集手帳という感じの欄なんだが、もっとも超地方紙のこととて比ぶべくもないのだが、どれどれと読んでみる。大体年末のゴミ収集日の間違い報道以来この新聞は信用していない。(2009.12.29参照)Img_3474
 
たまにはいいこと書くじゃない。


 さてこのまともな記事とはなんだろう。それはデジアナ変換に関するものである。記者はデジタル化に伴いチューナーを購入したようである。そうして見ている間にチューナー無しでも見られることに気づいたようだ。デジアナ変換の情報をどうして事前に知らせてくれなかったかと言うことがこの記事の趣旨である。これはケーブルテレビの利用者にとっては大方の疑問であり、意見だろう。我が家は貧乏のため新型テレビもチューナーも買えなかった。アナログ放送が終わったら諦めようと思っていたところ、テレビが映って大騒ぎとなったところである。ほとんどの家庭では新しくテレビを買ったりチューナーを買ったりして対応したことだろう。今になってもデジアナ変換のことに気づいてない家庭も多々あろうと思う。
 デジタル化の前にデジアナ変換のことをどこかでこっそり報道していたことは間違いないと思うが、少なくとも堂々とおおっぴらに報道しているとは思えない。むしろ産業界とつるんで報道操作をしていただろうと勘ぐるのは当然である。それが証拠にデジタル化が済んだ翌日にはテレビも新聞もデジアナ変換について大々的に報道しているのである。買う必要が無いのにチューナーなどを買ってしまった人、アナログテレビは用なしとして捨ててしまった人、もっと怒れよ。そんな意味で、あやべ市民新聞の記事には共感を示すのだが、記事の中でケーブルテレビの加入者は2450万世帯で、日本の世帯数の半数近くという風に書いていた。この数字は驚くべきものだが、デジアナ変換が行われているのはケーブルテレビ全てではないのだ。実際にデジアナ変換の行われている所帯は1420万所帯である。同じ総務省のデータなのだが、記事を書いた記者はこのことを知っていて書かなかったのか、知らなくて書けなかったのかここのところは大切である。
 新聞記事になぜここまでこだわるかと言えば、つい最近の出来事がある。それは讀賣新聞の「京丹後丹波」版のイベント開催の記事の中に、「温泉・宿泊施設三和荘」という内容が載っていた。いつ三和荘に温泉が湧いたのか、舞鶴支局に問い合わせると、記事を書いた記者が対応に出て、「準天然人工温泉と言われるもので、間違いではない」旨を伝えてきた。要するに湯船に鉱石を入れて温泉とうたっているわけである。これが温泉施設と言えようか。記者の意図なのか施設側の意図なのか分からないのだが、「天下の讀賣新聞が紛らわしい内容の記事を書くな」と叱責しておいた。「貴重な意見をありがとうございます」と丁寧な回答だったが、訂正や詫びの記事が出るわけでなく、要は新聞と雖も真実の報道がなされることはないという結論である。社会の意図、マスコミの意図、編集者記者の意図の元に記事は作られ、読者はそれをお金を払って読んでいるわけである。

【作業日誌 8/11】
薪割り
茗荷収穫

今日のじょん:Img_3473Img_3472




  写真を見ていただきたい、何か違うでしょ。そうそう、首輪が変わっておるでしょう。この首輪、以前のものと一緒なんだが色が赤から黄色に変わったわけ。この首輪ゴールデンリトリーバ専用とかでやったら高いらしいが、グリーンホームセンターで150円で売っていたというしろもの。売れ残るはずで、やったら大きくてじょんの胴に出来るぐらい。焼け火箸で穴を開けて、先っぽちょん切ってやっとつかえるというありさまである。「黄色の方が似合うなあ」というかみさん、親バカちゃんりん丸出しである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする