goo blog サービス終了のお知らせ 

晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

マンガンぱらだいす 8/5

2011-08-05 | 上林界隈(AKB)

2011.8.5(金)曇

 鳥垣にマンガン坑跡があると桜井さんに聞いていた。浅原、大唐内、古和木にもあるように聞いているが、もっと他にもあるに違いない。丹波のマンガンは京北町や日吉町が有名で集積地の殿田は随分賑わったそうだ。殿田マンガンというブランド名があったそうだ。現在は閉鎖中だが京北に丹波マンガン記念館があって見に行ったことがある。当時あまり興味が無かったので簡単に坑内や展示物を眺めて帰ってきた。かなり詳細な記録なども展示してあったのでしっかり見てくれば良かったと反省している。再開の運動もされているというので期待している。
もう少しマンガンについて調べるべく、午前中図書館に行き「マンガンぱらだいす」という本をリクエストしてくる。

 参加者 桜井、高橋、田中、小原
 小野田橋    13:00
 アシ谷出合い 13:20  おりと奥の広場を過ぎ、二つ目のえん堤上。アシ谷は
 右に分岐しており、ここに軽トラを置く。Img_3421
 
二つ目のえん堤の上にアシ谷出合いがある。 


 マンガン坑着   13:40 最初左岸、やがて右岸に移り、高巻くようになる。数
 カ所岩が出てくるが、最も大きい岩壁の右端に坑道が口を開けている。Img_3423

30cmぐらいの穴がよくぞ残っていた。


 一服してまた掘り始める、入口上部から剥離した50cm程の岩が埋まっていたがなんとか取り出し、1m程度の穴が開いた。Img_3424Img_3425

小一時間ほどで這って入れるぐらいになった。


 桜井さんがヘッドランプを点けて入坑する。坑道は6,7mで終わっていた。ライトに当たって銀色に光っていたのは岩盤に着いた水らしい。やがて、「空き瓶があるで」といって口の割れた空き瓶が出てきた。ダイニッポンブルワリーとあるから葡萄酒が入っていたのだろうか、廃鉱の日に飲んだのかも知れない、この穴に人が残した物はこの瓶と坑内の鏨(たがね)の跡のみである。Img_3427 Img_3428
 交替して私が入坑する。むっとした湿気がある。岩盤がしっかりしているのだろう、ほとんど崩れ落ちた岩はない。一番奥の岩盤から岩の破片を取り、道中の壁にある鏨の跡を確認する。入口近くに動物が巣くっていたのか枯れ葉などが集まっているところがある。四つんばいで出てくると、桜井さんと同じように「黄泉の国からよみがえったなあ」と口から出る。
 坑内と入口付近から数個のらしい石を拾って帰る。Img_3431
 
坑道はこんな感じに開けた。大きさを見るために立ってもらったが、まだまだ土砂は溜まっている。


 私の生まれた川合にはマンガン坑は無かったが珪石の坑道はいくつもあった。懐中電灯、ローソク、ロープを持って探検に行った、坑内は真っ暗で、あちこちが崩れ落ちており、子供心に恐怖を感じたものである。そんな40年以上前の感覚が、今日よみがえってきた。つづく

今日のじょん:いくみちゃんが来てええかっこしなきゃいかんのに、ボールはなんとも皮肉な場所に落ちる。「こんなん取れへんのかいな、あかんわ」なーんて言われて、すっかりしょげ込むこととなる。「涼しくなったら鍛え直しますから、、」とかみさんの弁。Img_3419 Img_3420


 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする