午後5時30 外は夕闇に閉ざされる。
遠くの街の灯が瞬いて見えるのはなぜ
灯を包む空気は温度や気圧によって密度が変わる、密度が変わった空気は風になって動く。
動いた空気の後には。別の密度の空気が流れ込んでくる。
密度の違う空気の層は、光をほんの少しだけ捻じ曲げる、その時光は一瞬だけ迷子になる。
それじゃ 近くの光は瞬かないし、遠くても強く大きな光は瞬かない 何故?
午後5時30 外は夕闇に閉ざされる。
遠くの街の灯が瞬いて見えるのはなぜ
灯を包む空気は温度や気圧によって密度が変わる、密度が変わった空気は風になって動く。
動いた空気の後には。別の密度の空気が流れ込んでくる。
密度の違う空気の層は、光をほんの少しだけ捻じ曲げる、その時光は一瞬だけ迷子になる。
それじゃ 近くの光は瞬かないし、遠くても強く大きな光は瞬かない 何故?
里山で見つけた木の実
ふっくらとして老舗の和菓子を思わせる。
風流な野鳥が真っ先に飛び付きそうだ
立冬 冬に向かう日
落葉松が一斉に黄葉し、山頂から駆け下りてくる。
強い霜の朝 落葉松の林の中は、細い金色の雪が、音もなく降り積もる
毎年のことながら、やってくる冬をどのように過ごすか考えこむ季節である
黄葉が山に残る間はこの妄想が続く。
やがて葉を落としつくした梢が寒々しく風に鳴ると、開き直ってもう来春の芽吹きを気長に待つことに決める、そして気が晴れ晴れする。
紅葉の季節は間もなく終る
8月末 急死した遠縁者の資産整理に追われていたが、ようやく整理への見通しが立った。
そんな時 故人宛に封書が郵送されてきた。
相続人からの委任を受け開封すると「保証実行通知書」が入っていた。
故人が地元の銀行からローン契約でお金を借り、現在残債がある。
相続人は本人の死亡を銀行に届け出た。
銀行と相続人がどのような会話を交わしたか定かでないが、銀行は故人の連帯保証人になっている貸金業者に残金の返済を求め、全額返済を受けた。
専門用語では銀行は「金銭消費貸借契約の期限の利益の喪失」によって貸金業者に残金の代位弁済を求めたということになるらしい。
その結果、貸借契約の第一当事者である銀行は、この金銭消費貸借契約とは無縁になった。(私には逃げたとしか思えない。)
昨今送られてきた「保証実行通知書」は、貸金業者から、連帯保証返済に要したお金(代位弁済額)の返済を相続人に求めたものである。
何のことはない、銀行に代わって貸金業者が取り立てに回ったのである。
通知書の末尾に「なお 完済されるまでの間 年14.5%の遅延損害金が付加されますことを念のため申し添えておきます。」と記されていた。
この類を慇懃無礼というのだろう
銀行=貸金業者 という構図は知らなかった。
勿論 ローンに未済の有ることは承知していたから、金額が確定次第返済するつもりでいた。
突然 銀行以外の貸金業者から、難解な金融用語をちりばめた親展封書が届いたから、度肝を抜かれただけの話である。
でも なんだか今後 その銀行のドアを押したくない気持もあることはある。
M式動力脱穀機
最初の脱穀は足踏み式脱穀機を使った、写真左手の部分である。
ペタルを足で強く踏下げるとドラムが回り、その惰性でペダルは上に戻る、そのペダルを又全体重をかけて踏み込む。
ドラムが唸りを上げて回転し、ドラムについた突起物が、穀物の穂先の実を叩き落とす仕掛けだ。
空で廻している間はご機嫌だけれど、荷を掛けると途端に重くなる。
踏む人に馬力がなければドラムは簡単に停止してしまう。
この重量物を担いで走るような足踏み作業は激しく、若い人でも10数分で音をあげ、リレー競技よろしく次々に選手が交代した。
何年かして、高齢化が進んだ蕎麦会を、町会の発明家が見かねて立ちあがり、物置に眠っていたエンジンと,足踏み脱穀機をベルトでつなぎ、ここにM式動力脱穀機の完成をみる。
蕎麦同好会にとってはまさに天地創造にも値する大発明である。
皆で歓声を上げて喜んだ。
耕作規模を「農作業に当たる会員が誰でも、楽しく動ける範囲にとどめる」という約束事が実践されるに至った。
M式自走動力脱穀機 左に立つ人が考案者
中古品を組み合わせての製作
初冬の北アルプスを望む高台で、脱穀・選別作業に勤しむ。
朝方の冷え込みも時間とともに消えて、作業で汗ばむほどである。
自然風を利用してそばの選別
懐かしい光景である。
晴天に恵まれて作業は順当に進んだ。
特にMs式自動脱穀機の威力は凄い。約2時間で脱穀が終わり100キロ近い収量があった。
そばの実は程よく充実しており、良質な蕎麦粉が期待できる。
一面に初霜 木の葉が重さに耐えかねて落ちはじめた。
ヒヨドリジョウゴの赤い実が熟した。
ヒヨドリはまだ高い梢の茂みに隠れて騒いでいる。
バケツの残り水が凍って季節は晩秋から初冬に移った。
紅葉 紅猩々
錦秋の松本城
大手門を入った城内庭園で菊花展が開かれていた。
昼食後 小春日和に誘われて 紅葉の堀端を歩いた。
公園内ではヨシズで囲ったテントの中に、厚もの、管もの等、目を見張るような菊が所狭しと陳列されていた。
明日は文化の日、松本城を中心に様々な催し物があり、その準備に大勢の法被姿が盛んに働いていた。
天候も安定するようで、観光客の出足も期待できる。
短い期間だけれど、信州が最も輝いて見える季節である。。
八つ手の咲く頃
昭和20年代 山を下りた黄葉の便りが里に着く頃になると、薪しょい作業があった。
それは教室に備えられた暖房用ダルマストーブの燃料を、自分達で山から運び出す作業である。
その日が来ると、弁当と水筒を持ち背負子を担いだ児童生徒が校庭に集まって、校長先生の挨拶を聞き、二列になって出発する。
中には草鞋を履いた児童も見られた。
落葉を踏みしめて、山奥の村有林を目指して登る、低学年は山の麓から、中学年は中腹から、高学年は頂上から運び出す。
2時間ほどでそれぞれの目的地に着くと、そこには夏の間に父兄が作った薪が、山のように積み上げられている。
ここで昼食を済ませ、ひと時遊んで、担げる範囲の薪を背負って学校に戻る。
誰かに云われるまでもなく、子供達は自分の力の限界ぎりぎりまでの薪を背負った。
重荷が時間の経過とともに肩に食い込んで、学校までの道のりが長かった。
山の木の実を採った楽しい思い出も多いから、それは遠足を兼ねた行事だったかもしれない。