何何に似ているというような表現ができない花が咲いた。
紫蘇の様な赤紫の葉色に、極薄の紫をにじませた不揃いな6弁の花弁。
はるばる海を越えて来て3年目の開花である。
2年の年月が過ぎてゆく間に、送付状に添えられていたお品書きが見当たらなくなって、まだ名不知草である。
名前は判らないが銘花であることは間違いない。
何何に似ているというような表現ができない花が咲いた。
紫蘇の様な赤紫の葉色に、極薄の紫をにじませた不揃いな6弁の花弁。
はるばる海を越えて来て3年目の開花である。
2年の年月が過ぎてゆく間に、送付状に添えられていたお品書きが見当たらなくなって、まだ名不知草である。
名前は判らないが銘花であることは間違いない。
この 碧い小さな花々は可憐で強い
昨夜からのまとまった雨で植物は一層活気づくことだろう。
濡れた歩道に気の早い桜が散り始めた。
刻々と変わる季節のうつろいに気が抜けない思いが強い。
気になっていたのに、いつの間に咲いて、散った花がある。
菩提寺の本堂の脇に咲くしだれ桜である。
些細な理由から、その桜を真正面に見る三叉交差点を通勤路から外した。
今朝 通りすがりの一瞬、脇見して見たその桜は既に散っていた。
万物が愛おしく見える季節である。
猪に荒らされた土手
キクイモは戦後入ってきた野菜である、それが野生化してあちこちに大きく茂っていた。
ところがいつのころからか里山から猪が出没し、土手を崩し始めた、キクイモを食べる為である。
猪鼻の破壊力はすごい小型のブルト―ザーに匹敵するほどである、彼らの猛攻の結果数年を待たず、あれほど繁茂していたキクイモはあらかた絶えてしまった。
しばらくして 猪の間に悪性の伝染病が蔓延したらしく、猪は急激にその数を減らし、猪の食害は無くなった。
すると猪が食べ残したキクイモが又勢いを盛り返し、秋になると鮮やかな黄色の花が方々に咲いた。
キクイモには糖尿病を改善する成分があるらしい、まわりの雑草を刈り、少し手入れらしいことをして年ごとに株が増えることを楽しみにしていた。
しかし 先日キクイモ畑??は見事に掘りつくされていた。猪が復活したらしい。
農家組合長は地区の鳥獣害対策推進協議会の副会長を職名委嘱されるから、忙しくなるかもしれない。
白木蓮
松本城公園に咲く辛夷
白木蓮は辛夷の園芸種だと勝手に思っている。
だから、霜には極めて軟弱だ、無傷の羽二重の様な花を見られるのは久しぶりの事である。
今年も遠山に残雪のように一群の辛夷が咲いた。
今年は辛夷の花つきが良い様だ、お米の豊作を占う花でもある。
「苗作り半作」という言葉を久しぶりに聞いた。
昨日稲作農家を対象にした水稲苗代講習会が開催された。
世の中変ったもので、農業を全くやっていなくとも、農家組合長になれる。というよりやらされる。
今年の農家組合長の初仕事は上記の講習会開催である。
講習会講師の新村さんが「昔から「苗作り半作」と言って、良い苗を作れば秋の実りの半分は約束されると云われます」
と切り出した。
親父がよく言っていた言葉である、しかし昔の苗代と現代の苗代は全く違う、田植を機械で行うようになって、苗代は苗を供給する工場になった。
城と桜
気温24度 朝の内は蕾だった堀端の桜が昼にはほぼ咲きそろった。
しばらく花見の喧騒が続く。
しかし 震災以後、街を歩く外国からの観光客がめっきり少なくなった。
そればかりか城を訪れる観光客は昨年比7割減だという。朝どら「おひさま」効果はまだ出ていないようだ。
急に初夏の陽気にジャンプして、飛行機に乗って南の国に着いた様だ。
一直線に伸びてゆく飛行機雲を目で追った。
飛行機はどこを発ってどこに向かうのだろうといつも思う。
視界から消えるまでの束の間、人間模様を含んだ機内の状況を考えたりする。
桜を愛でる春陽も良し、暮れて行く空の飛行体に思いを巡らせる春もまた良し。
行者ニンニク
野生の行者ニンニクはとても育てにくい山菜だと知人が言った。
知人は30年ほどかけてこの植物の習性を解き明かし、今では栽培面積を大きく広げている。
100株ほどを育て方のノウハウ付きで分けてもらい植えつけた。
あまりの刺激の強さに鹿は食べないという、だけど「山菜愛好家の間でブームになっていて性悪人間が引抜いて持ち帰るから気をつけて」
と言われた。栽培地の4隅に杭を打ってビニールロープを張った。
これで自然に生えてきたものではないことが判るだろう。
水芭蕉
種から育てた水芭蕉が小さなプランターの中で窮屈に咲き始めた。
思い切って小さな沢の流れの岸辺に数株を植えた。
水芭蕉は繁殖力が強いから心配な面もある。下流域の水田に広がったらえらいことになる。
水芭蕉
時間を見つけて少しずつガラクタの整理を始めた。
整理と云わずに、片っ端から廃棄すれば仕事もはかどると思うのだけれど、あわてることもない。
古い書類の中からトランジスタ補聴器の配線図を見つけた。
黒小豆の様な本体から3本のリード線が伸びているトランジスターを3本足の魔法使いと形容した人がいた。
しかし当初のトランジスタは性能が悪く補聴器用にかろうじて使える程度だったらしい。
杏(あんず)
梅
梅と杏と桜の区別がつかない人がいる。
麦と稲の違いも知らない。
私がベートーベンもショパンも同じであることと同列である。
知らなくても良いことと、知らなくてはならないことがあって、知らなくても良いことを学ぶことで、知らなくてはならないことを学ぶこともある。
4月から週休4日を考えていたけれど難しいことがわかった。
理由はすこぶる簡単で、結局のところ私がなんだかんだ理由をつけて出勤してしまうからだ。
思い切って今日は半ドンで帰った、畑を見回ったり部屋の片付けを始めたり、なぜか落ち着かない。
東京で二日間 ハードな会議があった。
本業の会議主題は一寸脇におく、早朝ウオーキングでみた桜、甲府で途中下車して寄った藤村記念館、北海道の委員からは蝦夷鹿牧場の話が聞けた。
藤村記念館は後日に譲るとして、鹿牧場の話は興味を引かれた。
北海道では狩猟期に蝦夷鹿を捕獲して、広い放牧地に放す、鹿は豊富な牧草を食べて肉がついたら、食肉として出荷する、そういう事業が軌道に乗りかけているらしい。
一般に野生動物の肉が敬遠される理由はその特有な臭みにある。
ところが管理された処理場で生産された獣肉は、銃で仕留めた鹿とは味も匂いも全く別物で、道内はおろか大都市でも高級食材として流通し始めている。
当地で実施している様な、6000頭もいる厄介物の日本鹿を、年間100頭ほど銃や罠で捕獲し殺して埋たところで、鹿の食害から暮らしを守るなど焼け石に水である。
西部の男たちが牛を追いこむような大きな柵を巡らせて、あるいは鹿を自然に誘い込むような捕獲の方法もあるだろうし、もしなかったら考えればいい。
石器時代の昔から男たちは、妻子を食べさせるためにそうして来た。
ただ殺して埋めてしまうのでは鹿が哀れでもある。