或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

グラスゴー大学

2011-03-03 06:09:06 | 860 英国紀行
グラスゴーにあるケルヴィングローブ美術館&博物館(Kelvingrove Art Gallery and Museum)を出ると、周囲は緑に囲まれたいかにも学園風景。道行く人々にも若者が多くて、「そうか彼らは学生なのか」と納得。そのうち木々の隙間から遠くに歴史を感じさせる建物が見えて。それが上の写真のグラスゴー大学。後で調べると、美術館&博物館も大学の敷地の中にあった。

この大学はスコットランドの観光名所にもなっているとか。1451年に神学の学校として設立されており、オックスフォードやケンブリッジと並ぶ英国の名門校。電力の単位で知られるジェームズ・ワットや国富論のアダム・スミス等を輩出していると言えばそれも分かる。自分的に興味を持っていたのは、ニッカウィスキーの創始者である竹鶴政孝がこの大学の出身だったから。

彼は日本のウィスキーの創始者としてつとに有名。実はこの紀行でも少し前に記事で紹介したけど、今回スコットランドで少しでも彼の足跡を辿りたいという気持ちがあった。下の写真のキャンベルタウンまで足を伸ばしたのはそれゆえ。だからグラスゴー大学を訪問できたというのは、今思えばとてもラッキーだったなと。彼の生涯についてはニッカのHPで詳しく紹介されている。

「いつの日か、この日本で、スコッチに匹敵するウイスキーを造る。大正7年、ひとりの日本人青年が単身英国に渡った。知人もなく、言葉も通じない異国で、ひたすらスコッチ造りの技術と精神を学ぶ暗中模索の3年。やがてめぐりあった生涯の伴侶リタとの愛と結婚。国産ウイスキーの父・竹鶴政孝の、苦闘と栄光の半世紀」。これは川又一英が書いた「ヒゲのウヰスキー誕生す」(1982年)のキャッチコピー。これ以外にも、竹鶴本人が書いた「ヒゲと勲章」(1966年)や「ウイスキーと私」(1967年)を帰国後に買い込んで読み漁った。その竹鶴が単身渡英してすぐに”外国人聴講生”として席を置いたのがグラスゴー大学。

読むと、彼が学生時代に知り合った妻のリタにプロポーズしたのが自分も訪れたローモンド湖、婚前旅行になったのがキャンベルタウンの蒸留所での修行だったとか、やけに身近に感じて。身近といえば彼は広島県竹原市の出身。造り酒屋の息子で、実家は竹鶴酒造という名前で今でも日本酒を製造している。なんかねえ、まさにつながっているなあって感じ。

 ローモンド湖  キャンベルタウン