或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

National Gallery

2011-04-15 05:50:52 | 860 英国紀行
英国初日の午前中にテイト・モダンに行き、チャイナタウンで昼食を取った後に歩いてトラファルガー広場へ。このあたりはロンドンでも有名な観光名所。子連れの旅行客や修学旅行と思われる団体がやたらと多い。名物のライオンの上に乗って記念写真を撮る者もいれば、噴水の傍に寝そべってくつろぐ者もいるのだけど、どの顔もにこやか。こっちまで顔がほころんでしまう。

その隣にあるのがナショナル・ギャラリー(National Gallery)。前回は駆け足で周ったのでゴッホの「ひまわり」ぐらいしか記憶に残っていなかった。今回は独りだし時間の制限がないのでゆったり。それにしてもこの美術館のコレクションは凄かった。フランスの有名どころに全く引けを取らない。15~17世紀のベリーニ、ダヴィンチ、カラヴァッジョ、レンブラント、フェルメールから19~20世紀のゴッホ、モネ、ルノアールまで、とにかく著名な画家と作品のオンパレード。個人的にはフェルメールが描いた2作品だけは、どうしても見ておきたかった。

そんな名画の数々を十二分に堪能したのだけど、何といっても圧巻だったのが上の写真のセザンヌの女性大水浴図[Les Grandes Baigneuses](1900-1905年)。縦1m横2mの大作で、この作品のために部屋が用意してあるって感じ。これまで見てきた彼の作品群の集大成とでも言っておこうか。とにかく圧倒的な迫力で訴えてきた。何度も後ろ髪を引かれて戻ってきたから。

1872年~1877年にかけてが”印象派”、1886年~1887年までが”構成主義”、それ以降が彼の集大成。南仏のエクサン・プロヴァンスに篭り、2001年にはローヴの丘にアトリエを建て、1906年に亡くなるまで絵の制作に没頭したセザンヌ。この水浴図には、彼が取り組んだ技法の数々が芳醇な果実として実を結んでおり、その完成度は他の作品に類を見ない程高い。

残念だったのが写真撮影が禁止されていたこと。実はテート・モダンやテート・ブリテンも同じ。入場無料にしているから人の管理が十分にできないのかな。その分ポストカードをしこたま買い込んだけど。とは言え、名画の数々を十二分に堪能したなあ。


Tate Modern

2011-04-12 05:46:41 | 860 英国紀行
アイラ島にあるシングルモルトウィスキーの蒸留所を中心に昨年の暮れからスコットランドの話をしてきたけど、今日からは再びロンドンの話。英国旅行で最初に訪問した美術館がテート・モダン(Tate Modern)。地下鉄の駅を出て地上を少し歩くと、かつて眺めた記憶のある建物が右手に見えて。それがセント・ポール寺院。そういえば狭い階段を時間かけて登ったっけ。

セント・ポール寺院を後に有名なミレニアムブリッジへ。この橋は名前が示す如く2000年に開通する予定だったけど、想定外の横揺れのため3日後に閉鎖。それからテコ入れをして2年後の2002年にようやく開通したという、いわくつきの代物。橋の上に立つと、テムズ川の対岸に大きな煙突が見えるのだけど、これがテート・モダン。もともと発電所だったのを改造したとか。それまではフツーの曇り空だったのに、橋を渡っている間に天気が急変して雨が降り始めて。さすがロンドンと思ったけど。

この美術館は歴史あるテート・ギャラリーから派生して設立されたもの。今ではテート・ギャラリーがトラディショナルな作品、テート・モダンが近現代作品と所蔵品のすみ分けがされている。オープンが2000年。つまりセント・ポール寺院からミレニアムブリッジを渡ってこの美術館に行けるようにするという観光名所造りの構想に基づいて建設されたということ。なるほどね。

建物の中に入って気づいたけど、やけに子供が多い。やはり入場無料のためか。美術館というより公共の憩いの場って感じ。2階から4階までが展示エリアで、いわゆる常設展示が2フロアで特別展示が1フロア。最上階はレストランになっていた。展示は思った以上に現代の作品が多かった。だから自分的にはあまり楽しめなかったかなあ。しいて目を引いたと言えば、ピカソとブラックの作品ぐらい。美術館というより有名なスポットを楽しみに来たと割り切れたので、別に落胆はしなかったけど。

帰りはミレニアムブリッジを引き返したのだけど、遠くにロンドンブリッジが見えて。まさに完全に観光モードだったなあ。


グラスゴー大学

2011-03-03 06:09:06 | 860 英国紀行
グラスゴーにあるケルヴィングローブ美術館&博物館(Kelvingrove Art Gallery and Museum)を出ると、周囲は緑に囲まれたいかにも学園風景。道行く人々にも若者が多くて、「そうか彼らは学生なのか」と納得。そのうち木々の隙間から遠くに歴史を感じさせる建物が見えて。それが上の写真のグラスゴー大学。後で調べると、美術館&博物館も大学の敷地の中にあった。

この大学はスコットランドの観光名所にもなっているとか。1451年に神学の学校として設立されており、オックスフォードやケンブリッジと並ぶ英国の名門校。電力の単位で知られるジェームズ・ワットや国富論のアダム・スミス等を輩出していると言えばそれも分かる。自分的に興味を持っていたのは、ニッカウィスキーの創始者である竹鶴政孝がこの大学の出身だったから。

彼は日本のウィスキーの創始者としてつとに有名。実はこの紀行でも少し前に記事で紹介したけど、今回スコットランドで少しでも彼の足跡を辿りたいという気持ちがあった。下の写真のキャンベルタウンまで足を伸ばしたのはそれゆえ。だからグラスゴー大学を訪問できたというのは、今思えばとてもラッキーだったなと。彼の生涯についてはニッカのHPで詳しく紹介されている。

「いつの日か、この日本で、スコッチに匹敵するウイスキーを造る。大正7年、ひとりの日本人青年が単身英国に渡った。知人もなく、言葉も通じない異国で、ひたすらスコッチ造りの技術と精神を学ぶ暗中模索の3年。やがてめぐりあった生涯の伴侶リタとの愛と結婚。国産ウイスキーの父・竹鶴政孝の、苦闘と栄光の半世紀」。これは川又一英が書いた「ヒゲのウヰスキー誕生す」(1982年)のキャッチコピー。これ以外にも、竹鶴本人が書いた「ヒゲと勲章」(1966年)や「ウイスキーと私」(1967年)を帰国後に買い込んで読み漁った。その竹鶴が単身渡英してすぐに”外国人聴講生”として席を置いたのがグラスゴー大学。

読むと、彼が学生時代に知り合った妻のリタにプロポーズしたのが自分も訪れたローモンド湖、婚前旅行になったのがキャンベルタウンの蒸留所での修行だったとか、やけに身近に感じて。身近といえば彼は広島県竹原市の出身。造り酒屋の息子で、実家は竹鶴酒造という名前で今でも日本酒を製造している。なんかねえ、まさにつながっているなあって感じ。

 ローモンド湖  キャンベルタウン 

ケルヴィングローブ美術館&博物館

2011-02-16 05:43:11 | 860 英国紀行
グリーンバンク・ガーデンを出発してグラスゴーのダウンタウンへ。さすがにスコットランドで最大の街だけあって都会だった。レンタカーを運転していても、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ。通行人に道を聞いては移動する、そんな感じ。もっと冷たくされるかと思ったけど、意外に皆親切だったなあ。遠くに大きなレンガ色の建物が見えてきた時は嬉しかった。

そこがケルヴィングローブ美術館&博物館(Kelvingrove Art Gallery and Museum)。グラスゴーでは最大の規模。よく分からないシステムの駐車場にレンタカーを止めて館内に入ると、外観以上にその豪華さと広さに圧倒された。なにせ眼前にゴシック様式のアーチ型の高い天井が広がり、その奥にはパイプオルガンが備えられていたから。大きなフロアがロビーになっていて。「おいおい、ここって何なんだ?」と思わず突っ込みを入れた程。なんか展示物がなくても金を取れるんじゃないかぐらい。

これはまともに周るとえらく時間がかかりそうだなと直感したので、とりあえず博物館はパス。パンフレットを見て、絵画のフロアへ直行。レンブラント等をさっさと見終えて本命の印象派の部屋へ。面白かったのが客層とのギャップ。室内の装飾や展示はまさに一流で風格がある。ところがそこで子供達がはしゃぎながら遊んでいる。係員もまるで注意する様子がなくて。人ごみでごった返したロビーといい、それぐらい庶民的な場所になっているのなら、それでもいいのかなとは思ったけど。

ルノアール、ゴッホ等、有名な作家の作品が数多く展示されていたけど、質の高さ的にはパリやロンドンの美術館と比べるとイマイチ。目玉作品がなくて、いわゆる佳作のオンパレード。でも自分にとっては初めて見る作品ばかりだったので、それなりに楽しめた。それでほとんどの作品を見終えて部屋を出ようとした時に眼に入ってきたのは、ユトリロが描いた1枚の作品。

画題は、「オーヴェール・シュル・オワーズの村道(Village Street, Auvers-sur-Oise)」(1912年)。何とも言えない複雑な気分になって。筆致はまぎれもなく”白の時代”のユトリロ。だけど彼とオーヴェール・シュル・オワーズという土地が結びつかない。ユトリロは本当にオーヴェールに行ったのか?という素朴な疑問が。得意の絵葉書かもしれないし、今でもよく分からない。


Greenbank Garden

2011-02-09 08:28:35 | 860 英国紀行
アイラ島からフェリーでケナクレイグに着いたのが朝9時過ぎ。そこからは来た道を逆戻り。A83、A82、M898、M8という幹線を経て空港を左手に見ながらグラスゴーのダウンタウン方面へ。半日余りの短い時間だけど、スコットランドでは最大、英国では4番目の都市を観光しようと。真っ先に行ったのがグリーンバンク・ガーデン。ダウンタウン郊外の南側に位置している。

英国と言えばガーデニングが有名。せっかく行くのだから、せめてメジャーどころを数ヶ所見ておきたいなと。それでここと、ロンドンに帰ってシシングハースト・ガーデンの2ヶ所を選定。後はさすがに忙しい日程の中では遠すぎた。だけど結局シシングハーストは雨のため断念。つまりこのグリーンバンク・ガーデンが今回の旅行で唯一訪問できた英国式庭園ということに。

戸惑ったのが場所。近くまで来ていることはハッキリしていたのだけど、どうも見つからない。それもそのはず、最後は曲がりくねった細い道を何度も曲がった所にあったから。車を駐車場に止めて入口まで歩く途中にも、かわいい花があちらこちらに咲いている。この自然と調和した雰囲気が、いかにも英国式って雰囲気だったかな。それから受付を済ませて園内へ。

4月とはいえ曇天で日向ぼっこをするにはやや寒く、客も少なかった。このガーデンは、グラスゴーの商人ロバート・アラソン(Robert Allason) が1794年に造園したもの。残念ながらベージュの外壁が素敵なジョージ王朝の建物であるグリーンバンク・ハウスはクローズしていて中には入れなかったけど。庭園はイチイやコニファーの生垣がアクセントになっていて楽しめた。

見学し終えたのが午後2時過ぎ。夜のフライトまで数時間の余裕がある。そこでついでにグラスゴー見物もしてやろうと。ガーデンの受付のおばさんに道を尋ねて教えてもらったのだけど地図を準備しておらず出たとこ勝負。さすがにダウンタウンに入った時は本当に目的地まで行けるのか不安でいっぱいだった。でもまあチャレンジしてみるもので今思えば良かったなあと。


PORT ELLEN

2011-02-07 05:55:43 | 860 英国紀行
アイラ島での2日間で、島にある全ての蒸留所を訪問。駆け足だったなあ。レンタカーをけっこう長く運転したので眠くなったりするかなと思っていたけど、なんのなんの。高いテンションを維持していたせいか、あっという間。それで3日目の早朝にホテルをチェックアウトして、まだ薄暗い中を教会を右手に見送りながら、ボウモアからフェリーが出るポート・エレンの港へ。

ボウモアからポート・エレンにつながる島一番の幹線は、いまでもしっかり脳裏に焼きついているのだけど、とにかく、とにかくひたすら真っ直ぐだった。加えてすれ違う車もほとんどいなかった。そんな中、空港近くで道路の中央に羊を見つけてしばしストップ。横切るのをゆったりと待つ。そんな状況が、まさにアイラ島。自分は今この島にいるんだということを実感した瞬間だった。あれからもう10ヶ月。だけどその朝は信じられないくらいはっきりと思い出せるから不思議。

数十分走るとフェリー乗り場へ到着。船が離岸した後にデッキに出ると、港に着く前にそのすぐ横を通ったポート・エレンの工場が右手に見えた。ここはかつて蒸留所だったけど、今はモルティング専門工場。調べると1983年に蒸留所としての操業を停止いて、今や当時のボトルが高値を呼んでいる。勿論自分は飲んだことがなかったので、ご当地なら安く手に入るかと、ボウモアのホテルのすぐ隣にあったシングルモルト専門店を物色したのだけど、そこでも高価だった。一番安いのが1万5千円。

約2時間でケナクレイグの港へ到着。ということで今回の英国旅行の主目的であったアイラ島の蒸留所巡りが終了。初日は風雨が強くて寒かったけど、翌日はカラリと晴れて。この島の二つの異なる表情を堪能できたのがラッキーだった。

そうそう、ホテルの最終日に食べたのが、スコットランド名物のハギス。期待したほど味は個性的でもなく、臭みも少なくてフツーの羊のミンチって感じだった。逆に期待以上だったのが牡蠣。特に生が美味しかった。今となってはとても懐かしいなあ。


BOWMORE

2011-01-26 06:04:33 | 860 英国紀行
アイラ島2日目の最後に訪れたのがボウモア蒸留所。この日だけで5ヶ所目。見学ツアーに参加しなかったとはいえ、かなりのハードスケジュールだったなと。ここを最後にした理由は、宿から約100mの至近距離にあり歩いてすぐだから。入口からすぐのところにある工場に併設されたショップは新しくキレイだった。おまけに店員の若いお姉さんはかなりの美人だったし。

驚いたのは、ボウモアのボトルの横に日本のサントリーのボトルも大量に商品として並べられていたこと。いくらサントリーが経営権を保有しているとは言え、それはないんじゃないのと。自分のモルトがブレンドされている銘柄を売るならなだしも、全く違うシングルモルト同士だし。ちょいと複雑な気持ちのまま、ボウモアのロゴが入った水差しをお土産に買ったけど。

日が暮れかかっていたし、その後は工場の中をぐるりと見学しておしまい。工場の全景の写真を撮るために、すぐ横の港に移動。ちょうど夕日が沈むその時で、エメラルドの海と工場の白い壁をオレンジ色に染めていて、それは美しかった。

ホテルに帰って夕食をとるために1Fのレストランへ。サイドバーで飲んでいるとロンドン近郊に住んでいるという中年の夫婦とたまたま一緒になって。話すと、ポート・シャーロット・ホテルに宿泊しているのだけど、今日は気分転換にこのホテルに来たのだとか。ジュラ島の鹿の話とか、奥様が絵を描くのが趣味とか、シングルモルトに関係ない話で盛り上がったなあ。

今思い返せば、蒸留所巡りが2日間というのはさすがに短すぎた。というのもツアーで一緒になった欧米の連中は、ほとんどが1週間ぐらい滞在し、ゆっくり見学して周っていたから。この辺りにも日本人のせちがさが出ているのかなと反省したけど。だけど自分にとって貴重な体験であったことは確か。アイラモルトを飲む度にアイラ島の情景が浮かぶその時にこの上なく幸せを感じるから。


KILCHOMAN

2011-01-24 05:47:41 | 860 英国紀行
アイラ島博物館(Museum of Islay Life)を訪問した後にキルホーマン蒸留所へ。情けない話だけど、旅行前にはこの蒸留所のことを知らず、日本のキッコーマンが醤油だけじゃなくシングルモルトウィスキーにも手を出したのかな、なんて大ボケをかましていた。調べると2005年に創業した新しい蒸留所。それからは、ブルイックラディに替わってここが世界最西端の蒸留所らしい。

周囲に上の写真のような黄色いゴースの花が咲き乱れるゴロム湖(Loch Gorm)を右手に眺めながら走っていると案内の看板が。おいおい、こんな山奥に蒸留所があるの?と疑問が。というのもフツーは全て海岸沿いだから。しかも周囲からはとても蒸留所には見えない。駐車場に着くと牧場のプレートがあって数頭の馬がいた。あれーっ、間違えたかなと不安がよぎったのは確か。

敷地の中に入っても、規模が小さいし設備や道具が雑然として置かれていて、工場としてみるとレベルが低い。正直なところ蒸留所としての風格はゼロ。それと対象的に、併設されたショップ兼レストランは装飾がお洒落で、蒸留所に関係のないマフラーやアクセサリー等も置かれているし、流れている音楽も若者向き。ボトルのラベルも鮮やかなブルー。なんだかねえ。

なにか記念品をと探したけど、とりたてて気を引く商品がなかったので、とりあえずミニチュアボトルを購入。なにせこれまで飲んだことがなかったから。それで帰国してテイスティング。なんじゃこりゃー!と驚きの声をあげたかな、あまりのスモーキーさに。例えるならばタバコに10本火をつけて鼻の前に直接持ってこられた感じ。とにかくそのインパクトは凄かった。逆にそれ以外のシングルモルト固有の複雑なテイストが皆無。まあセカンドリリースの3年モノなので求めても仕方がないとは思うけど。

それで辛口コメントなのだけど、この蒸留所には工場管理という点で、まず”5S”をやって欲しい。現場の基本だから。他の蒸留所を見れば分かるはず。今のままだとキチンとした品質管理は難しいだろうなと。なんか経営コンサル目線が過ぎたかな。


Museum of Islay Life

2010-12-28 05:45:26 | 860 英国紀行
今回のアイラ島訪問では蒸留所見学が勿論メインなのだけど、ひと通りの観光もしたいと思っていて、中でも興味を持ったのが下の写真のアイラ島博物館(Museum of Islay Life)。島の歴史について勉強できるとのこと。ブルイックラディの蒸留所で尋ねると、既に通り過ぎていた。見学が終わり来た道を引き返していると標識を発見。道路から見える坂の上に建っていた。

周囲が墓地だったこともあり、パッと見ると小さな教会といった雰囲気。坂を登ると入口が。中に入ると、歴史博物館というよりアンティークショップといった風情。受付の愛想の良いおばあさんに入場料を払って狭いフロアをゆっくり鑑賞。展示物をひとつひとつチェック。古い写真がたくさん飾られていて、中でもかつての蒸留所の写真がたくさんあって興味深かった。

フロアの隅で発見したのが小さなポットスティル。半径が1mぐらいで釜のような感じ。ブリキのおもちゃのように可愛くて。解説では、大昔これを使って家庭でウィスキーを造っていたとか。つまり小規模ヤミ蒸留所。なんか面白そうだなと。まあどんなものでも、究極のマニアは自分でやり始めるのが常。ひょっとして今でも世界の何処かでやっている人がいるんじゃないかと。

それで十二分に博物館を堪能した後で、本のひとつでも買って帰ろうかと受付に戻ると、おばあさんがいない。あれーっ、何処に行ったのだろうかと。声を出して呼んだりしたものの返事がない。おいおい、商品を盗まれたらどうするの?なんて心配になったりして。しばらくうろうろしてみたけど、結局おばあさんは帰ってこなかった。治安も何もあったもんじゃない、この島は。

帰りに海岸沿いに建っていたのが上の写真の大きな記念碑。海の中にそびえ立っているかのよう。近づくと、2度の世界大戦における戦没者の慰霊碑(Kilchoman Parish Memorial)だった。そういえば博物館の写真の中に、戦地に行くために船に乗り込んでいた兵隊達の写真が何枚もあったなあと。日本から遠く離れた土地で戦争の規模の大きさを思い知らされた次第。


Bruichladdich

2010-12-23 05:56:19 | 860 英国紀行
アイラ島2日目、昼食を取った後で訪れたのが、ポート・シャーロットからボウモアへ帰る途中の海岸沿いにあるブルイックラディ。後で分かったことだけど、スコッチウィスキーの蒸留所としては世界で最西端に位置しているのだとか。ただし2005年までは。そんな感じは全くしなかったけど、地図で調べると、アイラ島より西はもうアイルランドなので確かにそうかもしれないなと。

この蒸留所の特徴は、ボトルのラベルと同様に、工場も鮮やかなアクアマリンのペンキで塗装してあること。波が穏やかな内湾に面していることもあって、他の蒸留所とは異なりややリゾートっぽい雰囲気が印象に残った。車を工場の敷地内に止めてゲストルームに入ると、広々としたフロアには誰もいなくて。おいおい、これじゃなんでも盗み放題じゃないかと心配したけど。

情けない話だけど、この蒸留所のウィスキーを飲んだことがなく知識もほとんどなかったので、興味深く説明や展示物を見て周ったけど、とても勉強になった。ピートを炊かない分、味がマイルドで、その繊細さが売りなのだとか。ある意味で他のアイラ島の蒸留所の強烈イメージと対極的。Tシャツや帽子等がずらりと並んではいたけど、結局小さな水差しに狙いを定めて。

すると奥の部屋にいたと思われる店員らしき男性が数人と親しそうに話しながらフロアに戻ってきて。相手をしてくれるかと思いきや、ずっと話しっぱなし。相手が大きな犬を連れていたのだけど、急に広々とした店内を走り始めて。みんなニコニコ。なんだかこっちまで楽しくなってきて。いや、実にのんびりしているなあと。水差しを買ったのは、それからだいぶ後だったような。

帰国して通販で12年モノを見つけたので、すかさず購入。初めて飲んだそのお味は、想像通りの優しい味わい。言われなければ産地はハイランドと答えるだろうなと。同じアイラ島の中でもいろんな蒸留所があるんだということを実感した瞬間だった。