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或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

グラスホッパー

2006-03-24 06:14:57 | 010 書籍
今日は伊坂幸太郎の作品「グラスホッパー(Grasshopper)」(2004年)の紹介。いわゆる裏家業モノのミステリー。伊坂節が随所に見られるけど、彼にしてはいつになく“うんちく”が少ない。だからスラスラ話が進むんだけど、なんだかやけに普通で当たり前ぽくって真面目に書きすぎてる感じが否めない。

グラスホッパーというのは英訳すると昆虫の“バッタ”類のこと。冒頭に、「これだけ個体と個体が接近して生活する動物は珍しいね、人間というのは哺乳類じゃなくて、むしろ虫に近いな」、なんて話が出てきて、いい感じの前フリがされてます。

面白かったのは、ギャグの2連発。けっこうメインで登場する“自殺屋”の鯨と議員秘書の会話の場面。鯨の唯一の愛読書、ドフトエフスキーの「罪と罰」について、その議員秘書が、「その本って、題名を逆さに読むと、「唾と蜜」(ツバトミツ)になるんですよ」なんてね。シリアスな雰囲気を十二分に醸し出しておいてからのこのギャグ。ここで外すかよって感じ。(笑)

それとその後議員秘書がまさに自殺する直前に、「チャーリー・パーカーって好きだったんですよ、有名な曲で“ナウ・ザ・タイム”ってありますよね、いいタイトルですよね、“今がその時”って」なんてね。こんな場面で使うかよと、こちらもなかなかの決まり具合。(笑)

それまでの流れと違う雰囲気が感じられたのが物語のエピローグ。なんか妙に穏やか。広島の高層ホテルの最上階にあるレストランが出てきて。いつもは仙台が多いのに、今回はどうして広島?おそらくこのホテルはリーガロイヤル広島。なんかちょっぴり親近感が沸きました。

上の写真はそのモダンジャズの元祖チャーリー・パーカー。下のアルバムは本の中で引用された晩年の代表作「Now's the time」(1953年)。学生時代にバンド仲間からプレゼントしてもらったLPを持ってます。しかもサイン入り。今頃みんなどうしてるかなあ。

グラスホッパーグラスホッパー

Now's the TimeNow's the Time

最後の二十五セントまで

2006-03-20 06:57:23 | 010 書籍
ジャズ評論家でエッセイスト兼作家である久保田二郎の著書紹介の第4弾。今日は「最後の二十五セントまで」(1980年)。これは1970年代に婦人画報社が発行した「メンズ・クラブ」に掲載された彼のエッセイを抜粋したもの。

米国通の彼らしくて面白かったのが、ハンバーガーとホットドックの話。実はこれを読むまでこれら代表的なアメリカンフードの生い立ちを知りませんでした。なんか勉強になったなあ。といっても最近あまりファーストフードを利用してないけど。

まずはハンバーガー。この名称は第一次世界大戦中に誕生。その前はジャーマン・ステーキと呼ばれていて。ドイツ系移民が、ひき肉をまるめて焼くという方法をヨーロッパから持ち込んだ。でも戦争で敵国の名前をネーミングに使えない。そこでドイツの大都市にちなんでハンブルグ・ステーキに改名。これがハンバーグ、さらに米国得意のERがつけられてハンバーガー。

次がホットドッグ。これは1904年にルイジアナ州セントルイスで行われた物産展覧会が生誕の発端。これもドイツ系移民が、ドイツ風ソーセージを売っていた時、食べ易くするために、たまたまパンに挟むことを思いついた。数年後に、当時有名だった漫画に出てきたフランクフルト犬の名前が“ホットドッグ”で、それを引用してこう呼ばれるようになったんだとか。

どちらもドイツ生まれなんですね。個人的に好きなのはホットドッグ。特に刻んだ玉ねぎが入っているやつ。これをよく食べたのが米国のゴルフ場。日本のようにレストランで豪勢な昼食というのは少なくて、セルフカートでのプレイの合間に簡単に済ますことが多い。コースを周ってくる車で売ってるのを買って、バドワイザーでも飲みながら食べる。まさにアメリカって感じ。

ホットドッグで思い出すのが、上の写真のボブ・ジェームスの初期のアルバム「H」(1980年)のジャケット。ジャケットの雰囲気とは違ってサウンドはしっとりして爽やか。ナチュラルでいい感じです。

H Bob James
最後の二十五セントまで最後の二十五セントまで

I Love You

2006-03-01 06:46:44 | 010 書籍
今日は最近図書館で借りて読んだ短編小説集「I Love You」(2005年)の紹介。コピーは“恋愛には物語がある。初めて異性を意識しはじめたとき、そして別れを予感したとき。さまざまな断片から生まれるストーリーを、現在もっとも注目を集める6人の男性作家たちが紡ぐ、書き下ろし恋愛アンソロジー”。6人の作家とは、伊坂幸太郎、石田衣良、市川拓司、中田永一、中村航、本多孝好。

こう言っちゃなんだけど、恋愛って難しいですね。複雑にしているのが男と女の違い。これはもう犬と猫のように違う動物と考えれば楽なんだろうけど、外観が似ているだけに変な誤解をし易い。お互い同じ気持ちだなんて思っても、言葉でそれを確認したとしても、おそらくだいぶズレてるんだろうなあ。今までに見つけた言葉でよく憶えているのが二つ。「男は愛する幸福を楽しみ、女は愛される幸福を楽しむ」と「男は体を独占したがり、女は魂を独占したがる」。

それと恋愛ってピュアなものだと思いたいけど、いろんなしがらみでがんじがらめ。例えば未婚同志なら恋愛、恋人なんて呼ばれるのに、相手が既婚者になった途端、不倫、愛人にがらっと変わる。好きという気持ちに何ら変わりはないのになあ。

おっと脱線しましたね。小説に話題を戻しますが、この中で印象に残ったのが、伊坂の「透明ポーラーベア」。動物園でのダブルデート。ほんのりしたラブストーリー。ポーラーベアというのは白くまのこと。上の写真は“ベア”つながりで、神戸の北野にあったザ・テディベアミュージアムでのスナップ。どうも閉鎖されたみたいだけど。さすがに中年はちょっと入りにくかったなあ。(笑)

またまた脱線してますね。他の作家と比較すると彼が特徴がよく分かる。ある不思議な距離感を持って人物を描いていて、それがとてもシャイでクール。でも決して無味乾燥なわけじゃなくて、キラっと光る何かが。こういう恋愛小説でも人生観がしっかり伝わってくる。さすがですね。

短編小説集 I love youI love you

重力ピエロ

2006-02-11 06:08:48 | 010 書籍
今日は「ラッシュライフ」(2002年)に続いて、伊坂幸太郎のミステリー小説「重力ピエロ」(2003年)の紹介。図書館で予約していたら、意外に早く貸し出し可のメールが着てました。この作品は第129回直木賞(2003年)の候補作品。「ラッシュライフ」に魅了されたけど、飛び過ぎの「オーデュボンの祈り」でやや引いて、今度はどうだろうと読んでみるとなかなか面白かった。

テンポの良さと共に、ちょっと鼻につきながらも引き込まれるのが彼の“うんちく”。特に歴史上の人物の逸話や言葉からの引用。そこに彼なりの哲学が感じられます。例えばこの本で言えば、ガンジー、盲目のジャズサックス奏者ローランド・カーク、芥川竜之介のトロッコ、井伏鱒二の山椒魚、エッシャー、シャガール等々。でも若いのにちょっと悟りすぎ。年を取ったらうるさそう。(笑)

その中で印象に残ったのが、敬愛するベートーヴェンの同名のヴァイオリンソナタを聴いて書いたといわれるトルストイの小説「クロイツェル・ソナタ」(1891年)の話。引用はされてなかったけど、この本には「情欲をいだいて女を見る者は、すでにその女と姦淫したにひとしいという福音書の言葉は、他人の妻に対してのみ向けられたものではなく、何よりもまさに、自分の妻に向けられたものにほかならない」なんてのもあって。トルストイの禁欲主義は超強烈。よほどトラウマがあるんでしょうね。

トラウマで思い出したのが高校1年の音楽の授業。先生がレコードをかけて「この曲が分かる奴はいるか?」と。誰も手を挙げない。第5番「春」か第9番「クロイツェル」かどっちかだったよなあ、でも分からない、えーい言っちゃえと答えたのが「クロイツェル」、でも正解は「春」。当時片想いをしていた同級生がいたので、その子にいい所を見せたいと無理をしたんですね。ハズれて恥ずかしかったなあ。結局彼女とは何もありませんでした。まあこの話とは関係ないと思うけど。(笑)

上の写真は持っているCDのジャケット。ヴァイオリンがシェリング、ピアノがヘブラー。豪華な組合せ。でも昔のことを思い出しそうなので普段このアルバムはほとんど聴いてないんですよ。(笑)

重力ピエロ重力ピエロ

トルストイ クロイツェル・ソナタ/悪魔トルストイ クロイツェル・ソナタ/悪魔

CD ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ

手のうちはいつもフルハウス

2006-02-07 06:46:25 | 010 書籍
今日はジャズ評論家でエッセイスト兼作家の久保田二郎の著書紹介第3弾で「手のうちはいつもフルハウス」(1979年)。1970年代に隆盛を極めたミニコミ誌の草分け的存在で、矢崎泰久が編集した伝説の雑誌「話の特集」に、1977年と78年に連載されたエッセイ16編をまとめたもの。

久しぶりに読んでみて面白かったのが“フォン・カラヤンの逸物”の話。これ下ネタなのでさらりと紹介します。カラヤンはよほど自信があったみたい。コンサートの後は暑いから、楽屋とかではショートパンツ姿。女性記者がインタビューに訪問してきたりしてもそのまま。だからパンツの隙間からちらちら見えちゃう。女性記者は目のやり場に困ってうわの空。(笑)

その女性の慌てぶりが目に浮かびます。楽しそう。カラヤンもおちゃめ。たぶんわざとだから。でも彼だからいいけど、これがギラギラした中年のおっさんなら、単なるしょうもないセクハラ。(笑)

それで本の題名で思い出したのがトランプ。最近やってませんねえ。昔は家族でオートキャンプに行ってテントの中でよく。一番の思い出と言えば、ラスベガスのホテルでのブラックジャック。安い5ドルテーブルで徹夜。メンバーに米国やイタリアのキレイ系女性がいて。なんか映画の主人公になった気分。すぐ後ろでバンド演奏もあったりして夢のような夜でした。上の写真はその時に泊まったホテル「アラジン」。1998年に破綻して2000年には新たな巨大リゾートとして再建されたとか。

“フルハウス”つながりで、ジャズギターの定番中の定番、ウェス・モンゴメリーの「フルハウス(Full House)」(1952年)を紹介しておきます。米国の西海岸でのライブ。ウェスだけでなく、ジョニー・グリフィンのくすんだテナーサックスやウィントン・ケリーの粋なピアノが絶品。アルバム全体の完成度としてはこれが彼のベスト。とにかくグルーブ感が最高です。

手のうちはいつもフルハウス手のうちはいつもフルハウス

Full HouseFull House

ラッシュライフ

2006-01-20 06:20:32 | 010 書籍
今日は最近読んだ若手人気作家、伊坂幸太郎のミステリー小説「ラッシュライフ」(2002年)の紹介。興味を持ったのは、本のタイトルが私の好きなジャズのスタンダードの曲名だったから。ビリー・ストレイホーンが1949年に書いて、当時ナット・キング・コールが歌ってヒット。その後ジョン・コルトレーンの名演「Lush Life」(1957年)やジョニー・ハートマンの競演アルバム「John Coltrane & Johnny Hartman」(1963年)で更に有名に。

読み始めるといきなり、画廊経営をしている60歳で拝金主義のエロ社長、戸田が「ラッシュライフを知っているか?」「コルトレーンの名演だ。Lush Life。豊潤な人生。」なんて場面が。この時は、この作者はこの曲での言葉の意味を知らないのかなと思いましたが、物語の後半で主役?の泥棒、黒澤が「ラッシュライフという曲を知っているか?」「飲んだくれのやけっぱち人生ということらしい」という場面があって、なんだ知ってるんだと感心。いろいろな意味があるんです、この言葉には。

この曲は哀愁が漂うしっとりとしたバラードの傑作。先の2枚と同じくらいよく聴いているのが、ナット・キング・コールの娘ナタリー・コールの「Unforgettable」(1991年)。古き良き時代を偲ばせるストリングスのアレンジも極上で、聴いていると体がとろけそう。

小説の話に戻りますが、久々の面白さ。複数のストーリーが独立して進行しながら実は互いが意外なところでつながっている。でもそれだけじゃない。現代的でクールなんだけど、この若さでなんで?と思うぐらい枯れた人生観を持っている。まあジャズで、しかも通好みの渋い曲を自分の本のタイトルにするところなんかも普通じゃない。才能を感じさせました。

上の写真は挿絵にもなっているこの本の単行本の表紙。仙台で開催中の展覧会のポスターとして登場するオランダの画家M.C.エッシャーの騙し絵「Ascending and Descending」(1960年)。輪廻のサイクルだけじゃなく、絵に描かれた細かな人間までもこの本とつながっている。伝統的な様式から感じられる旧来の道理と、虚構の騙しの道理とのコントラストが素晴らしい。

ラッシュライフ 単行本
ラッシュライフ 文庫本ラッシュライフ 文庫本

Lush LifeLush Life

John Coltrane & Johnny HartmanJohn Coltrane & Johnny Hartman

Unforgettable: With LoveUnforgettable: With Love

ああパーティの夜はふけて

2005-12-20 06:46:30 | 010 書籍
ジャズ評論家でエッセイスト兼作家である久保田二郎の著書紹介の第2弾。今日は上の写真の「ああパーティの夜はふけて」(1977年)。この中に1976年のジャズ雑誌「ジャズランド」に掲載されたエッセイが29編。これが最高に面白い。

内容は当時の日本ジャズ界の“裏話”が中心。考えてみれば当時はネットもないし雑誌がたより。でもインタビュー記事とかは結局“表話”ばかり。そんな中で彼のエッセイは貴重だったし、読んだ後でミュージシャンに対して妙に親近感が湧いたものです。

いくつかの共感した記事を。まず最初の話。ケニー・ドリュートリオ+デクスター・ゴードンのコンサート。抜粋すると、“なんだこんなモノ、これがジャズか、これが音楽か、まことに魂の抜けがら、腑抜けジャズ、言語に絶するヒドサだ。”なんて感じ。

実はこの間ようやく映画「ラウンド・ミッドナイト」(1986年)を観ました。映画そのものは良かった。でも音楽は彼が言ってるそのまま。デクスターはもう終わってた。映画としてはそれが狙いなんだろうけど。分からないのは自ら主演したデクスターの心境。私ならもう惨めな姿を自ら人前にさらしたくないけどなあ。ジャズを演っていた者としてはつらい映画でしたね。

それで次の話。ピアニストの菊池雅章とのつきあい。彼が日本にサックスのスティーブ・グロスマンを連れて帰ってきて、一緒に食事をしたり酒を飲んだり。そこでの菊池の言葉が興味深い。“結局俺達って自分自身の為だけに演奏するんだね”。なんか彼の演奏を如実に物語ってますね。ある意味でジャズミュージシャンの原点。こうでなくっちゃ。素晴らしい。

それで“パーティ”つながりで、竹内まりやのベスト盤「Bon Appetit!」(2001年)の紹介。何故かって?この中に私の好きな”今夜はHearty Party”が。クリスマスにわくわくした時期を思い出します。(笑)

ラウンド・ミッドナイトラウンド・ミッドナイト

Bon Appetit!Bon Appetit!

極楽島ただいま満員

2005-11-15 06:21:52 | 010 書籍
最近ジャズ評論家でエッセイスト兼作家であった亡き久保田二郎(1926-1995)の著書を買い集めてます。というのもほとんどが絶版になっていて中古本が値上がりしているから。今のうちにと。中古本って面白いですね。帯の有無で値段がえらく違ったり。私は邪魔なのですぐに捨てちゃう方。これからは取っておこうかなあ。(笑)

それで本題の彼の話。まあ昔からのジャズ好きしか名前を知らないでしょうね。私が知ったのは、ジャズ雑誌に掲載されたエッセイ。中学や高校の時、ジャズに夢中な私は毎月買って勉強してました。考えてみればネットがない時代だから、情報って雑誌からだけ。世の中変わったもんだ。

この人は、とにかく世の中を斜めからみてました。それも不真面目に。その目つきが私とよく似てる。そして快楽主義。享楽的な性格。あこがれましたね。私の人生観も結局こういうところから派生したのかなあ。ジャズつながりで。

彼の本で最初に読んだのが「極楽島ただいま満員」(1976年)。よく憶えているのが“史上最大の兵隊ごっこ”の話。彼は小さい頃近所の子供達とよく兵隊ごっこをして遊んだ。その時家にあった本物の襟章とかをつけた。そうすると近所の大人がそれを見て最敬礼した。なんてお馬鹿な話が満載。権力とか権威を茶化すのがホントうまかったなあ。

写真は“極楽島”つながりでフリー素材のカリブ海の小島。極楽島ってなんかこんな島を連想しませんか?これにピッタリのアルバムとして、デオダートの「Love Island」(1978年)を紹介しておきます。昔タイトル曲のカバーが東京FMの「田中麗奈のミュージックアリーナ」という番組のテーマになってました。ちょっと季節ハズレかも。まあいいか。(笑)

極楽島ただいま満員極楽島ただいま満員

Love IslandLove Island

ブラームスはお好き

2005-10-28 06:33:21 | 010 書籍
秋が深まってきましたね。この時期はブラームスの交響曲をよく聴きます。その重厚さと渋さが、樹木の赤褐色の葉をイメージさせるんです。特に好きなのは第4番。第1楽章の憂いを含んだヴァイオリンの主旋律が始まると、胸がしめつけられます。

そしてブラームスで思い出すのが、確か中学生か高校生の頃読んだ、昨年亡くなったフランスの作家フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」(1959年)。パリを舞台に、39歳のキャリアウーマンのポールと、長年つきあっている年上の男性ロジェ、そして新たに彼女の前に現れた年下のイケメン青年シモンとの三角関係を描いた恋愛小説。

今回読み直してみたけど懐かしかったなあ。なんかその知的な冗長さとクールさが。そのシモンが初めて彼女をコンサートに誘った時の手紙の言葉が、「ブラームスはお好きですか?」。こういうセリフ使ってみたいなあ。いいですね。(笑)

調べてみると、この小説はイングリット・バーグマンが主演し、「さようならをもう一度」(1961年)という題名で映画化されてました。でもレンタル屋にはなかった。残念。中で使われたのは交響曲第3番の第3楽章だとか。第1番や第4番の陰に隠れて地味な作品ですが、この楽章は際立って美しい。

今日紹介するCDは、ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団が録音した第1回目の交響曲全集。ベルリンフィル等のメジャーでは味わえないローカルで素朴な味わいが素晴らしい。けっこう有名らしく録音も良くてオススメ。

写真は27歳のブラームス。よく音楽の教科書なんかに載ってるのは晩年の太ったおじいさんの写真ですが、若い時は精悍な感じ。ちょうどクララ・シューマンとの恋に燃えていた頃。これだと恋愛の甘いイメージが沸きますね。(笑)

ブラームスはお好き 文庫本ブラームスはお好き 文庫本

ブラームス:交響曲全集ブラームス:交響曲全集

忘却

2005-09-25 07:16:47 | 010 書籍
今日は情けない話の紹介。近年とみに物忘れが激しい。特徴は100%完全に忘れ去っていること。周りから言われても、そのかけらも思い出せない。ナッシング。思い出すには、物とか写真とか、そういう物的証拠しかないという世界。恐ろしい。

◆場面-その1
以前ブログタイトルを変更した時、松本清張の『或る「小倉日記」伝』って最近読んでないなあ、ネタに使ってるんだから、ちゃんと読まなきゃと、ブックオフに行って捜したけどない。それで図書館に行ったら分厚い全集があったのでそれを借用。
◆場面-その2
ちょっと前にカミさんと二人で夜食事にいったら、お店が満員で人が並んでた。それでカミさんに並んでもらって、私は近くの古本屋へ。文庫本コーナーを見ていると、なんとお目当ての本が。値段を見ると300円。すぐに購入。
◆場面-その3
この間久しぶりに自分の本棚の文庫本をチェック。五木寛之とか、最近亡くなった倉橋由美子とか、懐かしい本をたくさん発見。問題はこの後。なんと奥の方に見えたタイトルが。もう話の途中からうすうすお分かりですね。そう古本屋で買ったのと同じ。

こういうのありかよ?マジで?なんて感じで、がっくり肩を落としました。情けないのは、最初のやつをいつ買ったか、どこで買ったか、全く記憶にないこと。完全記憶喪失。ヤバイ状況。でも中古の文庫本で良かった。この調子じゃCDとかが危ないなあ。気をつけよっと。(笑)

ということで何故かこの時の私の気持ちにオーバーラップする、ゴッホの「医師ガシェの肖像」(1890年)を紹介しておきます。なんかうつろな目に、空虚さが拡がってますよね。なんて本当は違ってたりして。この絵には、すさまじい持ち主の流転があり、本にまでなってます。

ゴッホ「医師ガシェの肖像」の流転ゴッホ「医師ガシェの肖像」の流転