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或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

姑獲鳥の夏

2006-09-06 06:13:40 | 010 書籍
ブログ友達の所で、小説の登場人物を対象とした人気ランキングをやっていて、見事チャンピオンに輝いたのが、京極夏彦の処女作「姑獲鳥の夏」(1994年)に出てくる京極堂こと、中禅寺秋彦。古本屋にして陰陽師。と言っても情けない話、この作家の作品を読んだのは初めて。大ベストセラーで数年前に映画化されDVDもあるんですね。興味が湧いたので、早速図書館で借りて読んでみました。

感想は、凄いの一言。まず作者のウンチク。日本古来の風習とか妖怪とかについての知識が豊富だし、それをこれでもかとぶつけてくるその根性はたいしたもの。業界用語が多過ぎて、さすがに途中からは、細かく理解しようとする意欲がなくなって。頭がふらふらしながらも、なんとか読了。終わってみると分厚いステーキを食べた後のような感覚。緻密な構成と因果が素晴らしい。

でもね、正直なところ後味悪いです、はい。ホラー系そのものが苦手だし、それに空想系や異次元系が入ると、もうダメ。それに輪をかけて苦手なのが、日本の伝統的陰湿陵辱SM系。なんかね、文庫本の表紙の挿絵からしてヤバイとは思っていたけど。

若かりし頃、日活ロマンポルノっていうアダルト映画があって、好きだった宇能鴻一郎モノをお目当てに観にいくと、3本立ての中の1本は、SMモノだったりして。薄暗い部屋、ローソク、赤い縄。もういけません。始まるとすぐに劇場から出たなあ。

それで面白い話を一つ。接待で赤坂にあるクラブに連れていかれたことがあって、そこでローソクプレイを初体験。するんじゃないですよ、される方。SじゃなくてM。あれってローソクと体との距離で温度調節するんですね。だから離してやると、見た目程熱くない。店を出る時、なんかイッパシのSM体験をした気になって、男の幅が拡がった気がしたのを憶えています。〈笑〉

文庫版 姑獲鳥の夏文庫版 姑獲鳥の夏

魔王

2006-08-03 06:22:57 | 010 書籍
今日はシリーズで紹介している伊坂幸太郎の小説の中から、ちょっと前に読んだ「魔王」(2005年)。実は先日、毎週見ているTVコメディ「結婚できない男」で、安部寛が演じる主人公の建築家が仕事場で聴いていたのが、シューベルトの歌曲「魔王」。日本語で唄ってたなあ。凄く久しぶり。いつが最後か記憶にないぐらい。声楽でもやってないと、なかなかね。

調べてみると、シューベルトって若死にしてるんですね。31歳で死去。だけど600曲もの歌曲を残していて、「歌曲の王」と呼ばれている。その中で、ドイツの文豪ゲーテの詩に基づいて「魔王」を作曲したのが1815年で、彼が18歳の時。思うに、伊坂の頭の中では、魔王はヒトラーのイメージだったのかも。そう考えると、ファシズムの政治家という設定の、犬養のイメージが湧きやすい。

でも正直な所、彼の一つのバリエーションとしては理解できるけど、こういう政治絡みの小説は苦手。普段なら読了したら、すぐに記事にするんだけど。どうも後味が悪くてそのまま。キレイに整列したスイカの種を見て恐怖を感じた、なんて言われてもねえ。シャレにしては寒かったなあ。

それよりも、思い出したのが、ちょっと前の記事。ドイツ南東の、かつてのナチの本拠地ニュルンベルクを観光した時の出張先が、ゲーテの生まれ故郷フランクフルト、ゲーテの翻訳で有名なのがドイツ留学をした森鴎外、彼の小倉時代の小説を書いて芥川賞を取ったのが松本清張、その題名をパロったのが自分のブログタイトル、という壮大なつながりを感じてしまいました。ああしんど。

なんか伊坂の小説と全くかけ離れた話になったけど、今日は疲れたので最後に気分転換。フランクフルトの三越で買った、シュタイフのぬいぐるみの写真でも載せておきますね。日本人のキレイ系の店員さんがたくさんいたなあ。(笑)

魔王魔王

アヒルと鴨のコインロッカー

2006-07-14 06:03:27 | 010 書籍
昨日芥川賞と直木賞の発表がありましたね。また伊坂幸太郎はダメだったけど。もうそろそろ良かったのに。ちょっと可哀想。まあそれとは関係ないんだけど、今日は最近読んだ彼の小説、「アヒルと鴨のコインロッカー」(2003年)の紹介。これって初期の作品かな?と読了した時に思いました。何かしら若さと固さを感じたのかなあ。第25回吉川英治文学新人賞の受賞作。

時間軸の違う2つの話が並行して進行。彼の小説によくあるパターン。一つは、大学進学のために仙台のアパートに引っ越してきた椎名と隣人の河崎、もう一つは、ペットショップに勤める琴美とブータン人のドルジ、そして河崎が登場人物。

伊坂らしいスピードと切れのあるクールな展開。いつになくウンチクとギャグが少ない。ロマンティシズムも控え目。雰囲気としては「オーデュボンの祈り」。そこまで難解じゃないけど。二つの話と絡みちりばめられたトリックの関連性が面白くて、久しぶりの正統派?ミステリー小説。

登場人物では、河崎のキャラが良かった。人並み外れたルックス。天性の遊び人。次ぎから次ぎへと女性を誘い、隙さえあればホテルへ誘う。彼の言葉を借りると、それは“女性に愛を教える”行為。うーん、いいですね、この自己中感覚。言動が一致しているから素晴らしい。

でもその彼がHIVに感染してしまう。やっぱり手当たり次第っていうのは良くないのかなあ、と思っていたら、まったく関係ないけど、最後の方で“プラスマイナスゼロ“って言葉も出てきて。人間の人生って、長い目で見ると、誰でも、良いこと(good times)と悪いこと(bad times)が同じぐらいなのかも、という持論につながりました。

アヒルと鴨のコインロッカーアヒルと鴨のコインロッカー

20世紀号ただいま出発

2006-06-22 06:43:01 | 010 書籍
しつこくシリーズで紹介してます、ジャズ評論家でエッセイスト兼作家である久保田二郎の著書紹介の第7弾。今日は「20世紀号ただいま出発」(1985年)。これはマガジンハウスと呼ばれ、雑誌「ブルータス」の増刊第1号として発売されたもの。

内容的には、“暗黒街の帝王”と呼ばれたアル・カポネの話等、世相から音楽、ファッションと1920~30年代の米国を偲んだいろんな話題が満載されていて、読み手を飽きさせません。その中でふと目に止まったのが、日本人の西竹一(にし たけいち)の話。1932年に開催されたロサンゼルスオリンピックの馬術競技で金メダルを獲得した、大日本帝国陸軍の軍人。

第2次世界大戦前にはロスに駐在し、コンバーチブルを乗り回し、著名な映画俳優達と豪遊。バロン西(Baron=男爵)と呼ばれ人気を集めたんだとか。特に現地の若い女性達に。とても粋でお洒落だったみたい。下の写真はロスの自宅でのパーティーのワンショット。モテモテでいいなあ。

ところがここからが哀しい話。戦車連隊長として北満州から、激戦地の硫黄島へ赴任。そして終戦の年、1945年に戦死。この時に島を攻撃した米英軍が、「馬術のバロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と連日呼びかけたが、西大佐はこれに応じなかった、なんてもっともらしい逸話が後で作られたそう。実は画家の藤田嗣治の回顧展に行って、代表的な戦争画「アッツ島玉砕」を見たら、西の話を思い出して。二人は似てますね、国際的な遊び人つながりで。

それでニュースをひとつ。この硫黄島が映画化されます。それも2本も。クリント・イーストウッドが監督として米国と日本、それぞれの視点で製作。米国版は撮影終了。日本版のタイトルは「硫黄島からの手紙」で、主演は渡辺謙。指揮官の栗林中将役。年末に公開とか。勿論バロン西も登場。でも戦争映画なので、コワイからたぶん見ないだろうなあ。(笑)


岩井志麻子

2006-06-13 06:31:26 | 010 書籍
ホントはあまり記事にしたくなかったけど、今日はシャレの意味で紹介します。女流ホラー作家、岩井志麻子のエッセイ「ぼっけえ恋愛道」(2003年)。実は彼女のことを、ブログ友達の記事で知って。その時紹介されていたのが、「ぼっけえ、きょうてえ」(1999年)。第6回ホラー小説大賞と第13回山本周五郎賞を受賞し、映画化もされたんだとか。有名だったんだ。

作者が岡山出身とピーンときた。昔住んだことがあるから。“ぼっけえ”はそうでもないけど、“きょうてえ”を使うのは一部の人だけ。そうそう、このタイトルの意味は、“とても、恐い”という意味。

本の中身はもう、エロおばさんのお下品な自己中トーク。そうなのって感じ。それで本命のホラー小説を読んだかって?いや、読んでません、っていうか読めません。というのもコワイのは全くダメだから。夜トイレにいけなくなるし。読むことはまずないでしょう。だって、ぼっけえ、きょうてえから。(笑)

それで面白い話をひとつ。独身時代、映画「エイリアン」(1979年)が封切られた時、カミさんと名古屋の映画館へ。最初は普通に見ていたけど、宇宙飛行士の胸からエイリアンが飛び出てきてからは、最後まで、ほとんど下を向いたまま。逆に横にいるカミさんは超フツー。長かったあ、終わるまでが。でもカミさんの手前、映画ごときで、男として情けなかったなあ。(笑)

話を元に戻すと、最近彼女はTVにも出演しているらしい。亭主、子供を田舎に残し、離婚して出てきた?だけのことはある。韓国人とベトナム人の愛人がいるとか。本人も自覚しているけど、もう男を囲う小金持ちのオヤジ状態。勝手にしろよって感じ。

上の写真は有名な後楽園。自分の中の、のんびりした岡山のイメージ。でも一方で、戦争中の横溝正史の疎開先で、名探偵金田一耕助や「八つ墓村」「獄門島」といった名作が生まれたのも岡山。そういう別の一面があるみたいです。

ぼっけえ、きょうてえぼっけえ、きょうてえ

ぼっけえ恋愛道―志麻子の男ころがしぼっけえ恋愛道―志麻子の男ころがし

砂漠

2006-06-06 05:39:27 | 010 書籍
今日は久しぶりに伊坂幸太郎の小説「砂漠」(2005年)の紹介。主人公の北村が、仙台の大学に入学して卒業するまでの、友人との交流を描いたもの。ミステリーと呼んではいけないでしょうね。それにしては、構成が弱いし、いつもの伊坂の切れがない。砂漠という言葉の意味もイマイチはっきりしない。ミステリー作家としてはスランプなんじゃないでしょうか。(笑)

ということで普通の青春小説として読むと、伊坂のロマンティシズムがそこはなとなく感じられます、ちょっと歯が浮くけど。やっぱり若き日のっていう枕詞がつくのかなあ。1年の春,2年の夏,3年の秋,4年の冬、といった流れで、登場するのは鳥井、西嶋という男性陣と、南、東堂という女性陣。名前をマージャンの一索(いいそう)と東西南北に引っ掛けた、仲良し5人組。

皆それぞれ個性的なんだけど、特に懐かしく感じたのは、おそらく外見は3枚目の西嶋。妙に理屈っぽいが、なんか憎めない。ニーチェの言葉の引用、米国の世界戦略への批判等をやってくれて。昔いましたね、こういう奴が。学生運動が消えてなくなる頃だったから、主流じゃないけど、ポツポツと。今思うと何でもありで良かったなあ、あの頃は。

なんて小説を読んで自分の学生時代を想い出しました。よく憶えているのは、同級生への女子大生の紹介。当時ダンスパーティーっていうのが流行っていて。まあ今でいうダンス付き大規模合コン。それにバンドで呼ばれて演奏。割が良かったなあ、当時で1日3時間ぐらいで一人1万円。女子大が学園祭等で企画することも多かったから、自然に友人がたくさんできて。

そのコネを利用して、勉強ばかりしている同級生に紹介してあげる。5対5ぐらいで頼むよ、なんて感じで。勿論自分は行きません。商品に手を出しちゃいけないから。でもそれで信用が深まる。何のために?と思うでしょ。実はノートを貸してもらったり、試験の時に周りを囲んでもらったり。まさにギブ&テーク。おそらくこういう努力の結果、卒業できたんだと思います。(笑)

砂漠砂漠

死神の精度

2006-05-03 05:49:10 | 010 書籍
今日は伊坂幸太郎の連作短編集、死神の精度(2005年)の紹介。「オール讀物」に2003年から2005年にかけて掲載された短編をまとめたもの。この本はつい最近発表された2006年度の本屋大賞第3位でしたね。前回紹介した「チルドレン」(2004年)に続くヒューマン路線。彼にしては落ち着いた感じ。

6つの短編で構成されています。「死神の精度」、「死神と藤田」、「吹雪に死神」、「恋愛で死神」、「旅路を死神」、「死神対老女」。どれにも出てくるのが主人公で死神の千葉。ハードボイルドで渋いんだけどミーハーでアバウトな性格。好みのタイプ。

人間じゃないのに無類の音楽好き。特にオタクとも言えるCDショップ浸り。「人間の死には興味はないが、人間が死に絶えてミュージックがなくなってしまうことだけは、つらい」、「人間が作ったもので一番素晴らしいのはミュージックで、最も醜いのは、渋滞だ」、なんて言うぐらい。それを受けたブティックの女店長の言葉が面白い。「人間が作ったもので最悪なのは、戦争と除外品だ」。除外品ってバーゲンで“対象外”って札がついてる、あれです。でもこれが後にしっかり絡んでいく。

おやっと思ったのが、そのブティックで流れていたBGM。なんとバッハの無伴奏チェロ組曲。なんか違うんじゃない?ファッションビルで、しかも若い女性相手のお店で?セレブ向けの高級店ならまだしも。まさかカザルス盤じゃないよなあ。まあエコーぎんぎんのヨー・ヨー・マの最新盤ぐらいだったら、小洒落れていて似合うかもしれないけど。

ぐっときたのは、最後の「死神対老女」。伊坂のロマンティシズムがいい形で出てます。ラストもまた良かった。雲の欠片もなく濁りのない青い空。見渡す限りの海岸。遠くで遊ぶ少年と犬。ゆるやかに流れる時間。ギターのパット・メセニーのアルバム「Offramp」(1981年)のラストチューン、“Bat, Pt. 2”が聴こえてきました。伊坂の小説を読んで音楽を連想したのは初めてかもしれません。

The Cello Suites/ Yo-Yo MaThe Cello Suites/ Yo-Yo Ma

OfframpOfframp

人生は楽しき集い

2006-04-25 06:23:30 | 010 書籍
今日はジャズ評論家でエッセイスト兼作家である久保田二郎の著書紹介の第6弾。今回は「人生は楽しき集い」(1984年)。雑誌「ブルータス」に1970年後半から1980年前半にかけて掲載されたエッセイをまとめたもの。目についたのが、単行本のカバーに載ってる彼の紹介キャッチコピー。「稀代のエピキュリアン、謎と伝説の人・・・、博覧強記、歩くエンサイクロペディア、酒を飲む百科辞典と讃えられる豊かな知識と、含蓄深い心優しき不良少年の感性をミックスして、世相風俗を語り尽くす・・・、第一級の社会啓蒙書」なんて感じ。最後はちょっと言い過ぎだと思うけど。(笑)

懐かしいのはエピキュリアン(epicurean)って言葉。快楽主義者のこと。享楽主義者とも訳されます。それで私のブログのタイトルの中にも「享楽的」。つながりましたね。そうなんです。つまり彼と私は同じエピキュリアン。自己中でひねくれたところもよく似てると自分でも思います。

前置きが思いっきり長くなりましたが、面白かったのはジャズ(Jazz)という言葉の語源。彼の理解によると、人名の変化だそうで、1900年に入った頃、南部のチャールストン地方にチャールスという名前のドラマーがいた。演奏していると、仲間から「ヘイ、チャース」と声を掛けられる。これが訛りと黒人独特のダミ声で変化して、チャーズ、ジャーズ、ジャズになったって話。

英語サイトSPACE ALCの“英辞郎”では、「定かではないが、当初売春宿で演奏することが多かったために、性的なスラングだったろうと考えられている。当初はjassと表記されることが多かった」、なんて説明が。リアリティがあって低俗でなんともいい感じ。ジャズとお付き合いしてウン十年になるけど、言葉の起源なんて考えてみたこともなかったなあ。いやあ勉強になりました。

ジャズで思い出すのが、かつてつけていたオーデコロン。上の写真のイブ・サンローランの「JAZZ」。つきあっていた女性を思い出す。なかなかいい匂い。また使おうかな。関係ないか。(笑)

人生は楽しき集い人生は楽しき集い

チルドレン

2006-04-11 06:23:45 | 010 書籍
今日は伊坂幸太郎の連作短編集「チルドレン」(2004年)の紹介。小説現代に2002年から2004年にかけて掲載された短編をまとめたもの。2005年度本屋大賞の第5位。上の写真はそのPOP。ミステリー色は少なく、伊坂のほのぼのとしたロマンティシズムが見え隠れするヒューマン小説。

“バンク”、“チルドレン”、レトリーバー“、”チルドレンⅡ“、”イン“という5つの物語から構成されていて、伊坂本人は、「短編集のふりをした長編小説です。帯のどこかに“短編集”とあっても信じないでください。」とコメントを。登場人物は共通しているんだけど、話の中身は独立。登場人物の人間性のつながりという意味でたぶん長編なんでしょうね。

それで今回も出てきました、ジャズの話が。テナー・サックスの巨人ソニー・ロリンズの名盤中の名盤「Saxophone Colossus」(1956年)。主人公の陣内が、「死体からは臭気が出るだろう?埋めたって出てくる。それをジャズで誤魔化したんだな」「“モリタート”が流れてたんだろ?あれはもともとは、犯罪者を主役にしたオペラ用の曲だよ。“マック・ザ・ナイフ”とかいう別名もあるんだ。…つまり、母親は刺殺だな。…」、なんてアバウトな推理がノー天気でイカしてる。

まあ確かに「三文オペラ」(1928年)というドイツのオペラ・ミュージカルの主人公の名前がマック(Mack)で、彼の通称がマック・ザ・ナイフ。ロリンズもひっくるめてギャグにしちゃうとは、さすが伊坂。でもねえ、素人ロックバンドの歌手は、こんな“うんちく”知らないんだけどなあ。

面白かったのは、”チルドレンⅡ“の離婚調停の話。「夫婦の揉め事を突きつめていくと、たいていが同じ原因にぶつかる。意地と我慢だ。」なんて武藤が言う所。まあ遠からずだけど、伊坂にはまだ無理、この領域は。最近熟年離婚が流行ってるみたいで、正直ちょっとコワイ。日頃の行いが行いだけに、慰謝料はたぶんハンパじゃない。金持ちじゃないのでとてもそんなことできません。(笑)

チルドレンチルドレン

Saxophone ColossusSaxophone Colossus

そして天使は歌う

2006-04-08 06:47:50 | 010 書籍
今日はジャズ評論家でエッセイスト兼作家である久保田二郎の著書紹介。もう第5弾。気合い入ってるでしょ?何故かって?彼と感覚が近いというのが一番だけど、1970、80年代の空気に浸りたいというのもあります。

今回は「そして天使は歌う」(1980年)。これは1970年代に婦人画報社が発行した「メンズ・クラブ」に掲載された彼のエッセイを抜粋したもの。ベニー・グッドマン楽団のトランペッターが作曲した"And the angels sing"(1939年)からタイトルをつけたらしい。残念ながら聴いたことはありません。でも日本語の響きが良いので、結構いろんな所でパクられてるみたいです。

内容は、飲む、打つ、買う、食べる等、まあそういった五感の悦楽関係。興味を引いたのが料理の話。彼は食通だったみたい。自分でも料理をやっていて、道具にもこだわりが。その中で出てきたのが日本とゾーリンゲンの包丁の話。具体的なブランドとしては木屋(きや)とヘンケルス(Henckels)。

調べると、ヘンケルスは会社の正式名がZwilling J.A. Henckelsで、双子を表すドイツ語”Zwilling(ツヴィリング)”と、ヘンケルス中興の祖である人名”Henckels(ヘンケルス)”の名前で構成されているんだとか。もともとはこれら2つのブランドを持ってたんだけど、世界戦略の一環としてブランドをツヴィリングに統一したそうです。そう言えば最近じゃ赤い双子のマークしか見ないかなあ。

実は私も一応料理は趣味の一つ。なんでも外堀から埋めてくタイプなので、料理も道具から。持っているのは上の写真の2本の包丁で、木屋の出刃と刺身。最近は資格の勉強でおろそかになっていて、使うのはもっぱら釣った魚をさばく時。でもね、これがスグレもの。気に入ってます。

とにかく刺身の身の締まりが違う。日本料理の有名店とかで食べると一味違いますよね。あれってネタもあるけど包丁と板さんの技がかなり効いている。楽器もだけどやっぱり道具は大事ですね。

そして天使は歌うそして天使は歌う