読みたいと思いながら、なかなか手がつかなかった小説、中山可穂の「ケッヘル」(2006年)。理由は上下2巻という長編だったから。でも今読み終わってみて後悔することしきり。というのも昨年はモーツァルトの生誕250年。読んでおけば、そのつながりで、もっと有意義に彼の音楽を楽しみながら1年を過ごすことができた気がする。うーん、失敗。ちょっと遅かったなあ。
内容は、ヨーロッパの風情や旅情をふんだんに取り入れた火曜サスペンス劇場。冗長な部分が多くてイマイチ完成度が低いけど、それでも格調と気品が醸し出されているのは、やはり作者のモーツァルトへの愛情か。物語全体をそれが通奏低音の如く支えている気がする。本の表紙のデザインもいい。上巻の青と下巻の緑の、色の深さとコントラストが素晴らしい。
作者自身も相当なモーツァルティアンなんでしょうね。モーツァルティアンという言葉は初めて知ったけど、本を引用すると、「すべての作品をケッヘルという作品番号で憶えている・・・、たちどころにその曲の調性を言える・・・、その曲が作られた背景まで知り尽くしている・・・」、なんて人々らしい。これはもう、いわゆるオタク系。でも現実にこういう人達の集まりがあるみたい。
興味を持ったのが、登場人物の一人である栗田宗一郎。官能小説家。彼に絡む曲の中にロンドイ短調K.511、レクイエムニ短調K.626が。なんと昨年の大晦日に聴いて記事にした2曲。そして交響曲第38番“プラハ”K.504も。大のお気に入り。そしてこの曲や好色男のドン・ジョバンニが初演されたのが、栗田の舞台となるプラハ。なんか自分とのつながりを感じたなあ。
それで今回読むにあたって困ったのが、小説の中に出てくるモーツァルトの膨大な曲の数々。やはりイメージしながら読みたいから。TSUTAYAで探して借りたのが2つのオムニパス。全曲は網羅していないけど、なにせCD20枚だから朝から晩までもうエンドレス。たった2日間だけだったけど、なんか自分もプチモーツァルティアンになった気になりました。かなり疲れたけど。
ケッヘル〈上〉
ケッヘル〈下〉
内容は、ヨーロッパの風情や旅情をふんだんに取り入れた火曜サスペンス劇場。冗長な部分が多くてイマイチ完成度が低いけど、それでも格調と気品が醸し出されているのは、やはり作者のモーツァルトへの愛情か。物語全体をそれが通奏低音の如く支えている気がする。本の表紙のデザインもいい。上巻の青と下巻の緑の、色の深さとコントラストが素晴らしい。
作者自身も相当なモーツァルティアンなんでしょうね。モーツァルティアンという言葉は初めて知ったけど、本を引用すると、「すべての作品をケッヘルという作品番号で憶えている・・・、たちどころにその曲の調性を言える・・・、その曲が作られた背景まで知り尽くしている・・・」、なんて人々らしい。これはもう、いわゆるオタク系。でも現実にこういう人達の集まりがあるみたい。
興味を持ったのが、登場人物の一人である栗田宗一郎。官能小説家。彼に絡む曲の中にロンドイ短調K.511、レクイエムニ短調K.626が。なんと昨年の大晦日に聴いて記事にした2曲。そして交響曲第38番“プラハ”K.504も。大のお気に入り。そしてこの曲や好色男のドン・ジョバンニが初演されたのが、栗田の舞台となるプラハ。なんか自分とのつながりを感じたなあ。
それで今回読むにあたって困ったのが、小説の中に出てくるモーツァルトの膨大な曲の数々。やはりイメージしながら読みたいから。TSUTAYAで探して借りたのが2つのオムニパス。全曲は網羅していないけど、なにせCD20枚だから朝から晩までもうエンドレス。たった2日間だけだったけど、なんか自分もプチモーツァルティアンになった気になりました。かなり疲れたけど。
ケッヘル〈上〉

