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或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

ケッヘル

2007-02-10 07:38:16 | 010 書籍
読みたいと思いながら、なかなか手がつかなかった小説、中山可穂の「ケッヘル」(2006年)。理由は上下2巻という長編だったから。でも今読み終わってみて後悔することしきり。というのも昨年はモーツァルトの生誕250年。読んでおけば、そのつながりで、もっと有意義に彼の音楽を楽しみながら1年を過ごすことができた気がする。うーん、失敗。ちょっと遅かったなあ。

内容は、ヨーロッパの風情や旅情をふんだんに取り入れた火曜サスペンス劇場。冗長な部分が多くてイマイチ完成度が低いけど、それでも格調と気品が醸し出されているのは、やはり作者のモーツァルトへの愛情か。物語全体をそれが通奏低音の如く支えている気がする。本の表紙のデザインもいい。上巻の青と下巻の緑の、色の深さとコントラストが素晴らしい。

作者自身も相当なモーツァルティアンなんでしょうね。モーツァルティアンという言葉は初めて知ったけど、本を引用すると、「すべての作品をケッヘルという作品番号で憶えている・・・、たちどころにその曲の調性を言える・・・、その曲が作られた背景まで知り尽くしている・・・」、なんて人々らしい。これはもう、いわゆるオタク系。でも現実にこういう人達の集まりがあるみたい。

興味を持ったのが、登場人物の一人である栗田宗一郎。官能小説家。彼に絡む曲の中にロンドイ短調K.511、レクイエムニ短調K.626が。なんと昨年の大晦日に聴いて記事にした2曲。そして交響曲第38番“プラハ”K.504も。大のお気に入り。そしてこの曲や好色男のドン・ジョバンニが初演されたのが、栗田の舞台となるプラハ。なんか自分とのつながりを感じたなあ。

それで今回読むにあたって困ったのが、小説の中に出てくるモーツァルトの膨大な曲の数々。やはりイメージしながら読みたいから。TSUTAYAで探して借りたのが2つのオムニパス。全曲は網羅していないけど、なにせCD20枚だから朝から晩までもうエンドレス。たった2日間だけだったけど、なんか自分もプチモーツァルティアンになった気になりました。かなり疲れたけど。

ケッヘル〈上〉ケッヘル〈上〉   ケッヘル〈下〉ケッヘル〈下〉

ブラバン

2007-01-29 06:49:39 | 010 書籍
ブラバンっていっても、ブラジャーのバンドじゃないですよ、ブラスバンド、吹奏楽のこと。なんて最初からオヤジしちゃったかなあ。これも図書館に予約して3ヶ月、ようやく読了した小説。津原泰水の「ブラバン」(2006年)。実は彼は自分と同じ高校の出身。世に言う後輩ってやつ。吹奏楽部でコントラバスを弾いていたらしい。自分の頃は、確かそんなに大編成じゃなかったと思うけど。

読んでいくと、さすがに懐かしかった。1964年生まれだから、自分の高校時代を振り返りながら書いたのでしょうね。広島にある県立典則高校というのが小説の舞台、だけどどうみても出身校の話。途中で旧制二中なんて出てくるし。時代の設定は1980年で、ちょうど上の写真の頃。部員が増え、女子の比率が増えたことが小説の中に書いてあったけど、これを見て納得。

懐かしいといえば、小説の中では出てこなかったけど、制服が変わったことを最近知って。昔は男子が学生服、女子がツーピースで色は黒だったけど、最近はブレザーにネクタイで色も黒からブルーへ。だからなんだ、街で気づかなかったのは。

それで肝心の中味だけど、どうもフランクに読めなかった。リアルすぎて恥ずかしい。使われている言葉が全て“広島弁”だし、流川、平和公園、宮島と身近な場所が目白押し。加えて、お好み焼き、路面電車とくれば、もう完全な“広島ワールド”。

実は同窓会がどうも苦手。別に老けた女性を見て幻滅するからじゃないですよ。どうもあのくすぐったい雰囲気が肌に合わない。それとだいぶ前に友人に誘われて行った時、女の子から言われた一言が。「××君て、こんな所へ来るタイプじゃないよね」。自分でも、うすうすそう思っていたから、なおさら効いたような。ズシーンと。酔った帰り道で妙にヘコんでたなあ。

あれから全くご無沙汰です。行く気もなし。案内もそのままシュレッダー。

ブラバンブラバン

ミーナの行進

2007-01-10 06:30:48 | 010 書籍
図書館に予約して待つこと3ヶ月。ようやく読了した小川洋子の「ミーナの行進」(2006年)。彼女の小説はけっこう読んでいます。芥川賞を受賞した「妊娠カレンダー」(1991年)をはじめとして、初期のものを中心に。女性らしい品のある文体の中に、人間の根源に潜む”邪悪”がうまくブレンドされていて、独特の世界がある。そこに彼女なりの美学が感じられて。TVで見た時も、少女のような屈託のない顔立ちと喋り方が、”邪悪”とのギャップを感じさせ印象的だった。

ところが「ブラフマンの埋葬」(2004年)を読んだ時に、それまでと全く違う雰囲気にビックリ。いつ”邪悪”な話が出てくるのか期待していたけど、これが全く出てこずじまい。端的に言えば現代のメルヘン。ツッコミのいないボケ二人のオチのない漫才みたいな感じ。違うか。今回の「ミーナの行進」も、完全にその延長線。彼女の外見のまんま。うーん、期待していた路線と違う。

内容は、主人公である中学生の朋子が、家庭の事情で1年間、裕福な伯母の家で暮らす日常を描いたもの。”ミーナ”とは、その家に住んでいる一つ年下の従妹の名前。”行進”とは、この家で飼われているコビトカバのポチ子の背中に乗って彼女が通学する姿。1970年代の雰囲気を、ミュンヘンオリンピックとか、当時の世相を織り交ぜながら、ほのぼのと描いている。

印象に残ったのはマッチの話。最近は見ないですね、ライターばかりで。ミーナの趣味がマッチの収集。自分がマッチを使っていたのは、煙草を吸う時か花火をする時ぐらい、大昔の話だけど。今の時代にマッチをみると懐かしい。写真は、六本木にあるジャズクラブ「サテンドール」に行った時に持ち帰ったもの。煙草はとっくの昔にやめているのに、妙に懐かしくて。

まあ新しいキャラということで理解するしかないか。でもこれだけの直球は自分にはちょっとツライ。「博士の愛した数式」(2003年)をまだ読んでいないし、DVDも見ていないけど、それで正解かも。

ミーナの行進ミーナの行進

初恋温泉

2006-12-19 06:25:53 | 010 書籍
今日は最近読み始めた作家、吉田修一の作品紹介第2弾。「小説すばる」に掲載された短編集「初恋温泉」(2006年)。タイトルがベタ過ぎるけど、中身は夫婦、不倫、高校生と、いろんなカップルと温泉の話。意外にオトナの小説。全部で5編あって、それぞれ味わいが違って面白い。でもいいですね、寒くなって温泉が恋しくなってきたところにこの小説。なんかぴったり。

舞台となるのは全国各地の温泉地。”初恋温泉”が熱海、”白雪温泉”が青森、”ためらいの湯”が京都、”風来温泉”が那須、”純情温泉”が黒川っていう感じで。なんと実在する旅館の名前が載っている。JTBとタイアップしてそうな商売気を感じたりして。でもこの作家って、なんか掴みきれない。幅があるというが、奥行きが広いというか。ちょっと玄人すぎるとも感じるし。

読みながら感じたのが、その強烈なリアリティ。ちょっとねえ。例えば2番目の”白雪温泉”。宿が一杯で、結局ふすま一枚で仕切られた和室に夫婦が2組泊まるっていうシチュエーション。独身時代、GWに富士五湖に遊びに行った時がこうだったような。主人公と同様、隣が気になって結局何もできなかったかなあ。3番目の”ためらいの湯”は、ダブル不倫で旅行のために嘘の口実。こういう時に限って妻から意味もない電話が。さらにどう嘘で固めるか。遊び人としての能力が問われている。

小技も持ってますね、この作者は。”初恋温泉”の”幸せなときだけをいくらつないでも、幸せとは限らないのよ”なんてセリフやパズルの話、はたまた”風来温泉”の女社長へのアプローチや、彼女が注文するシングルモルトのストレート。極めつけは”純情温泉”での、家族風呂のシステムについての事前の電話確認。なんだか楽しんだというより、背筋が寒くなったような。

読み終えて思いました。部屋付露天風呂のある黒川温泉でのんびりしたいと。

初恋温泉初恋温泉

「おじさん」的思考

2006-12-08 06:38:33 | 010 書籍
いつか紹介しようと思っているフランス人精神分析学者のジャック・ラカンと、リトアニア出身でユダヤ人哲学者のエマニュエル・レヴィナスを少しでも理解したいと、調べていくうちにひょっこり見つけたのが、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授の内田樹(うちだ たつる)が書いた、『「おじさん」的思考』(2002年)というエッセイ。

つながりは、”ラカンやレヴィナスの本がなぜ難しいのか? それは簡単にはわからないように書くことによって、読者にあなたは何をいいたいのかという問いを励起させることをめざしているのだ”という彼のコメント。なるほどね、だから簡単に理解できないんだ。だってレヴィナスの代表作「全体性と無限」(1961年)を図書館で借りて読み始めたら、まるで理解できなかったから。

内田のこの作品の中で印象に残ったのがエロスの話。ネタはレヴィナスで、”官能において私たちが照準しているのは他者の肉体ではなく、他者の官能である。一方、他者が照準しているのは私の肉体ではなく、私の官能である。私は他者の官能を賦活し、他者の官能は私の官能を賦活する。つまり、性愛の局面において、私が快感を得るのは、相手が私から快感を得ていると感じるからであり、相手が私から快感を得るのは私が相手から快感を得ていると感じるからである。”というもの。

なんとなく分かるような。自分がフーゾクに全く興味がない理由って、こういうことかなあ、なんて思ったりして。ちょっと違うか。これって、ラカンの言葉で”欲望とは他者の欲望を欲望することである”というのとつながっているのかも。なんか低俗な話でも、哲学的に扱うとカッコイイ。飲み屋で使えそう。もう少し勉強してみるかな。不純な動機ほど長続きがするって言うし。

まあ難しい話は置いといて、女子大の教授なんて羨ましいなあ。毎日がハーレム状態。今日は“エロス”つながりで、小出楢重の晩年の作品「裸女結髪」(1927年)を紹介しておきます。

「おじさん」的思考「おじさん」的思考

全体性と無限 (上) 全体性と無限 (上)  全体性と無限〈下〉全体性と無限〈下〉


パーク・ライフ

2006-11-20 06:22:53 | 010 書籍
伊坂幸太郎が彼を気に入っている?と紹介されて読んだのが、吉田修一の小説。「パレード」と「パーク・ライフ」。どちらも2002年の作品で、前者が第15回山本周五郎賞、後者が第127回芥川賞の受賞作。すごいですね。盆と正月が一緒。調べると1999年のデビューで、「東京湾景」(2003年)なんていうのも彼の作品。そういえばTVでやっていたような。見なかったけど。

2冊を同時に読んで良かったというのが今の気持ち。前者が下賤なタッチに対し、後者は高貴、というよりも芥川賞狙いのタッチ。共通するのが現代人に宿っている距離感、閉塞感、孤立感。それを前者では過激に、後者では淡々と描いている。しっくりきたのは後者の「パーク・ライフ」。こういう起承転結がゆるーいのが好みかも。まあ舞台も良かったのかなあ。

毎日昼休みを過ごす日比谷公園を中心に、主人公の日常が綴られている。ここには自分もいろいろ思い出が。まずは野外音楽堂。毎年恒例で開催されていたサマー・ジャズフェスティバル。TVで見たカルロス・ジョビンの日本公演。これはいい思い出。それとたまーに仕事で。会社の支店が近くにあって。ここに来る時の用事は、決まって公園の向こう側にある官庁。いやーな思い出ばかり。

面白かったのがスタバの話。自分が知っている内幸町にある大和生命ビル1F店かなと思って読んでいくと、どうも違う。公園の傍にもう1軒あるんですね。小説の舞台は北側の三井ビル1F店。まあどちらにしても、丸の内のお高いOLがたむろってるんだろうなあ。作者曰く、“スタバ女”って感じで。そう言えば、スタバって株主優待のドリンク券をもらって以来行ってないなあ。

ところで、化粧品の営業マンである主人公の回想シーンで出てきたのが、NYのワシントン・スクエア・パーク。ちょうどここに関連した記事をアップしようと思っていたので、これはつながると。でも思うに、公園って身近なようで自分には遠い存在かも。

パレードパレード パーク・ライフパーク・ライフ

続・ヒロシマ

2006-11-02 06:24:39 | 010 書籍
ブログ友達のきみ駒さんが、“たらいまわし企画第28回”を担当されていて、お題は「あなたの街が舞台となった本」。お誘いの言葉に甘えての番外エントリー。あなたの街と言えば、出身地であり今住んでいる広島。ネタ探しに図書館へ行ったら“広島コーナー”というのがあって、大半が原爆関係。やっぱり広島イコール、ヒロシマ、原爆、おまけでヤクザなのかなあ。

自分はどうも政治とか哲学、イデオロギーには無縁で、楽しくて気持ち良ければいいじゃん、という典型的なノンポリタイプ。だから好きな音楽でも、平和とか人種差別反対とか、メッセージ性が強いと、ちょっと引く。まあ両親が被爆していないから、そういう立場でいられるのかも。

勇気を出して読んでみたのが、図書館推薦?の4冊。作者とタイトルの後が時代設定。
①中編小説 長野まゆみ 「八月六日上々天気」(1995年) 昭和16年から昭和20年まで
②舞台脚本 井上ひさし 「父と暮せば」(1998年) 昭和23年
③漫画 こうの史代 「夕凪の街 桜の国」(2004年) 昭和30年
④短編小説集 田口ランディ 「被爆のマリア」(2006年) 平成17年

どれも、それなりのインパクト。時代設定、アプローチが各々違うから面白かった。②と③が原爆を内側から、①と④は外側から捕らえている。②と③は、読み手にはけっこう辛い。逆に①は、原爆投下前までを書いて、その後をあえて書いていないところが斬新。爽やかなんだけど、読後になんとも言えない哀しさがある。④はかなり異色。怖いぐらいに冷徹で醒めた感性。よほどトラウマがあるのかなあ。カミさんなんかにしたらヤバそう。まあ顔がタイプじゃないから有り得ないか。

今回だいぶ毛色の違う作品群を読んで思ったのは、伊坂幸太郎なんかを好んで読んでいる自分は、やはり“享楽的”だなあと。まあずっとこの路線で生きてきたし、この路線でいくしかしようがないことを再認識しました。

八月六日上々天気八月六日上々天気   父と暮せば父と暮せば

夕凪の街桜の国夕凪の街桜の国   被爆のマリア被爆のマリア

終末のフール

2006-10-20 05:13:14 | 010 書籍
長い間待ってようやく借りることができた小説、伊坂幸太郎の「終末のフール」(2006年)。長かったなあ、図書館に予約してから半年以上かかった。やはり人気作品は、とりあえず早めに予約しておいて、忘れた頃の連絡を待つというパターンかも。

まず気に入ったのが8つの短編のサブタイトル。・・・「篭城のビール」「冬眠のガール」・・・「深海のポール」。なんか人を小バカにしたようなネーミング。いいですね。シチュエーション的に暗くつらいのと対照的。このあたりの微妙なバランスが彼らしい。

雰囲気は、前に紹介した恋愛短編小説集「I Love You」(2005年)に通じるものが。つまりミステリーから離れることによって、彼のロマンティシズムがよりくっきり浮かんでみえるって感じ。ただし今回は、追い詰められた状況における人間の生きざまがテーマ。できれば長編の恋愛モノを書いて欲しいなあ。さりげない暖かさと切なさが、スーッと心を包み込む感じで。

それで本を開いたら、いきなり飛び込んできたのが、”Today is the first day of the rest of your life.”という引用。それを見て反射的に思い浮かんだのが、ミシェル・ルグラン作曲のバラード、“What are you doing the rest of your life?”。

What are you doing the rest of your life? North and South and East and West of your life.
I have only one request of your life. That you spend it all with me
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Summer, Winter, Spring, and Fall of my life. All I ever will recall of my life.
Is all of my life with you.

最初の“東西南北”と最後の“夏冬春秋”のつながりが憎い。“あなたと一緒だった人生が私の全て”、だなんて、この小説にピッタリ。この曲のカバーはたくさんあるけど、今日はビル・エヴァンスのカナダでのライブ盤、「Blue in green」(1974年)を紹介しておきます。彼がこの曲を演奏したのは1972年から1974年まで。目立たない中期の頃だけど、それはそれでまた良し。

終末のフール終末のフール Blue in GreenBlue in Green

陽気なギャングが地球を回す

2006-10-09 06:18:06 | 010 書籍
今日は久しぶりに伊坂幸太郎の小説の紹介。目ぼしいのはだいたい読んだかなあと感じている今日この頃だけど、図書館に置いてないのがポツポツ抜けている。その中で、派手なカバーの文庫本が出ていたので買ったのが、彼の第3作、「陽気なギャングが地球を回す」(2003年)。初期の作品。評判がいいみたいだし、映画化されHPもあるみたいなので、ちょっと期待してました。

結果はマル。ある意味で彼の代表作。登場人物のキャラ、得意のうんちく、テンポの良さ、リズミカルな会話、ミステリーとしての構成、どれをとっても、彼らしさが出ている。各々のバランスもいい。欲を言えば、込み入った割には結末がややマトモってとこかなあ。でも彼らしいという意味では、この作品が一番かもしれませんね。初めて彼の作品を読む人には特にオススメかも。

登場人物が、なかなかいい感じ。嘘を見破る達人の成瀬、演説オタクの響野、若い天才的なスリの久遠、体内時計を持ち運転テクニック抜群の雪子、というクールな銀行強盗4人組。みんな何処か情熱的で、何処か醒めている、共通するのは淡い無常感。ちなみに映画化での配役は、順に大沢たかお、佐藤浩市、松田優作氏の次男の松田翔太、鈴木京香。

この中で気になっているのが、松田翔太。実は娘が録画していたTVドラマに、彼が出演しているのを見つけた時から気になってました。久しぶりに魅力的な俳優さんだなあっと思って。いい雰囲気持ってますね。モテるんだろうなあ。でもカミさんや娘はそんなに興味がないらしい。何故だろう?「なんか、女優の鶴田真由に似てるよね」、なんて言ったのが気に障ったのかも。

ちょっとケバすぎないか心配だけど、キャストがいい感じなので、早くDVDを見たいものです。

陽気なギャングが地球を回す陽気なギャングが地球を回す

すべてがFになる

2006-09-18 06:43:31 | 010 書籍
最近ようやく読了したのが、森博嗣(もり ひろし)の「すべてがFになる」(1996年)。学科は違うけど、自分と同じ大学、学部の出身で、最近まで、そこの現役助教授だったということで、親近感がありました。それでとりあえず処女作でも読んでみようかと。でも定職を持ちながら、長編小説をバンバン書き続けるなんて、凄い才能と根性だなあ。上には上があるってことですね。

この作品は第1回メフィスト賞を受賞。といってもこの賞を知らなかったので調べると、出版社への“持ち込み”を制度化したもの。創設には“持ち込み”によってデビューした京極夏彦の存在が大きく、裏では彼を第0回?受賞者とすることがあり、森博嗣を衝撃的にデビューさせるために設けた賞とも言われてるんだとか。そうか、二人はここでつながっているのか。

それで読み終わった感想は、これは凄いの一言。京極の「姑獲鳥の夏」と、ある意味似た印象。どちらも長編で、けっこうくどい。でも構成がしっかりしていて、トリックも本格的。京極を“伝統的陰湿陵辱SM系”と形容したけど、森は“未来的空想数学PC系”とでも言っときましょう。でもね、この作品も京極と同じく後味が悪い。どうも空想系は苦手。それと登場してくる西之園萌絵と真賀田四季。なんか名前がタカラズカみたいで、キャラも少女漫画の主人公のイメージがぬぐえないなあ。

面白かったのは、「すべてがFになる」というタイトルの意味。彼の作品は”理系ミステリー”と呼ばれているらしいけど、自分も理系出身。だから中で出てくる業界用語は馴染みがあって理解できる。その意味でタイトルとトリックのつながりは面白かった。でもコンピュータに詳しくない人には分かりにくいだろうなあ。ということで、一応上の写真で説明しておきます。ネタバレ注意だけど。

すべてがFになるすべてがFになる