goo blog サービス終了のお知らせ 

或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

懲りない男と反省しない女

2007-08-13 07:27:54 | 010 書籍
だいぶ前に石井希尚(まれひさ)著の「この人と結婚していいの?」を紹介したけど、今日はその続編?で渡辺淳一のエッセイ集「懲りない男と反省しない女」(2005年)。婦人公論に連載された「男の錯覚 女の幻想」を再構成してまとめたもの。前者が分かり易い比喩を中心にして男と女の違いを論じているのに対し、後者はセックスが中心。なにせ渡辺淳一ですから。

読み終わった感想としては、“その通り”の一言。自分の感覚に非常に近かった。特に男については自分が書いてもこうなるだろうと思うぐらい同じ。自分は男の中でも特殊な部類だろうなと思っていたけど、ひょっとしてそうでもないかな、なんて感じて。それでしみじみ思うのは、男と女って顔は似ているけど違う動物なんだってこと。これはもう確信に近い域に到達しています。

「心を重視する女とセックスにこだわる男」、「結婚で愛を育みたい女と不倫でしか燃えない男」、「寝るまでが優しい男と寝てから深まる女」、「女が夢見る夫と男が望む妻」、「慣れて燃える女と慣れて醒める男」、「セックスレスでも愛のある夫とそれでは許せぬ妻」、「夫の浮気を許せない妻と浮気ぐらいと考えている夫」、というのがサブタイトル。うーん、ガチンコですね。

どうですか?大体内容想像できますよね?でも男の立場で物を言っているから、対談相手の女性には彼の言っていることは、ほとんど理解できていません。まあ所詮違う動物?だから、互いに理解できる方が不思議だと考えた方が自然なんだけど。思うに渡辺先生は、こういう男と女の違いを深く理解した上で、次々と素晴らしい恋愛小説を書いているわけで、そこが素晴らしい。まあ自分なりの解釈で言えば、いつまでもときめいていたいという気持ちだけは、男と女も同じってことだと思います。

写真はGWに東京藝大美術館へ行った時に展示してあった黒田清輝の裸婦画三部作「智・感・情」(1899年)。絵を見て女を感じるというのはあまりないことだけど、これは別格。明治時代にしてはモデルの女性のプロポーションが抜群だったなあ。

懲りない男と反省しない女懲りない男と反省しない女

図書室の海

2007-07-30 06:37:29 | 010 書籍
初めて読んだ恩田陸の記事がキッカケで彼女の作品をいろいろ紹介してもらって、なんとなくその体系が理解できたのは良かったけど、さすがに社労士の本試験が近づいてきたので長編を読むのはちょっと無理。それで手をつけたのが彼女の最初の短編小説集「図書室の海」(2002年)。1995年から2001年にかけて書いた作品全10編をデビュー10周年としてまとめたもの。

最初の「春よ、こい」を読んでいたら、装丁マチガイかと思うぐらい同じパラグラフが出てきて混乱。ちょっとつらくなったけど、次の「茶色の小壜」でいい雰囲気に。津原泰水監修「血の12幻想」という企画のための作品。こういう女の恐ろしさ、女の性が垣間見えるのって痛い目に遭っている分好きかも。余談だけど、“小壜(こびん)”という漢字が読めないのが情けなかった。

次の「睡蓮」の主人公は理瀬。「そうかあ、これが三月シリーズの主人公か」、なんて感じで。これかなあ、いわゆるひとつの恩田ワールドってやつは。夢幻の世界。そうこうするうちに「ピクニックの準備」が出てきて。なんか少女チックな雰囲気。有名な「夜のピクニック」のプロローグらしい。最後に、恩田が自分の原点っぽいとコメントしている「ノスタルジア」。不連続系“時をかける少女”風ばなし。よくこれだけ場面を次から次へ飛ばせるなあとあきれながら読んだけど、これはこれで面白かった。

特別に興味を持ったのが「図書館の海」と「ノスタルジア」の両方に出てくる”筆圧”の記述。 実は自分は筆圧が弱くて。最近はキーボード作業になって鉛筆を持つことが少なくなっているから忘れていたけど、学生の頃に筆圧の強い人へ憧れたのを思い出す。

なんだかんだ言いながら読み終えて思ったけど、恩田陸という人は多彩ですね。「朝日のようにさわやかに」のあとがきで彼女曰く、「ホラーでもミステリでもなく、より虚実入り混じったドキュメンタリータッチの奇妙な話、というのに興味がある」。それはそのまま自分の好みなので、これからも現実と非現実の中間地帯をさまようような雰囲気の作品を探して読みたいなあ。

図書室の海図書室の海

佐伯祐三「巴里日記」

2007-07-20 06:22:57 | 010 書籍
ずっと欲しかったけど半ばあきらめかけていたものを手に入れた時の嬉しさには格別のものがあります。ネットの古本屋で”未完 佐伯祐三の「巴里日記」 吉薗周蔵宛書簡”(1995年)を見つけて。嬉しかったというより驚いた。まさか売り物が出てくるとは思っていなかったから。それぐらいレア物。注文するキーボード上の指が震えていたかも。

この本の存在を知ったきっかけは、このブログで佐伯をシリーズで紹介する時に読んだ”天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実”(1997年)。内容は平成6(1994)年に起きた贋作事件にまつわる話。岩手県の遠野に住む吉薗明子という女性が亡き父周蔵の保有していた多くの未公開作品を福井県武生市に数億で寄贈しようとした際に贋作疑惑が発生。当初は真作と判断していた市側も、調査審議委員会の贋作との結論を受けてこれを中止したもの。この本の著者の落合莞爾氏は真作を主張。

これがヘンな小説を読むより面白い。前に映画「愛と哀しみのボレロ」に引っ掛けて、佐伯の作品を彼の妻である米子との「愛と憎しみのコラボ」とギャグにしたのも、この本が影響している。その時も言ったけど贋作か真作かは今となっては藪の中。それよりも著者の熱意と論理展開が読み手に強いインパクトを与えていて、まさにノンフィクションとフィクションの中間地帯。

その中で何度が引用されていたのが今回の本で、著者は匠秀夫。北大を出て学芸員となり、晩年は神奈川県立近代美術館や茨城県立近代美術館の館長を勤め1994年に死去。その彼の遺稿がこれ。内容は佐伯と吉薗周蔵との書簡のやりとりや佐伯の日記の断片的な紹介。あえて何の見解も示しておらず、死の間際に何を訴えたかったのか、これまた謎となっている。

読み終えて一番印象に残ったのが、なんと内容じゃなくて日記帳の中の挿絵。下の写真はその中の2枚。妻の米子の加筆とか贋作とか、どろどろした話が渦巻く中でピュアな佐伯に出会えた気がして。眺めているとなんだかじーんとしてしまいました。


「佐伯祐三」真贋事件の真実「佐伯祐三」真贋事件の真実

枯葉の中の青い炎

2007-06-25 05:54:25 | 010 書籍
なんかカッコイイ題名でしょう?2005年に発売された辻原登の短編小説集のタイトル。読みたい気持ちにさせてくれる。前に記事にした恩田陸の「朝日のようにさわやかに」のあとがきで、彼女が短編を書くのに参考にしたと紹介されていたもの。この人も読むのは初めて。芥川賞作家だったんだ。知らなかった。まあ自分は文学にうといから。こういうつながりでもないとね。

全部で5編あって、気に入ったのが最初の「ちょっと歪んだわたしのブローチ」と次の「水いらず」。前者は夫に愛人ができて1ヶ月の期間限定で夫を若い女にレンタルする妻の話。あり得ないシチュエーション。言い出す夫も夫なら、許す妻も妻。なんて思って読んでいたら、最後にはしっかりつじつまが合って。女の性ってホント怖い。ヒドイ目に遭う。光っていた描写が、その妻を誘惑する中年の不動産屋。舞台となる愛人宅が何故か世田谷線の松蔭神社前だったこともあって妙なリアリティ。

後者は山小屋という特別な舞台で、亡き妻の妹と予期せぬ再会をした男が、彼女の匂いに本能を再燃させる話。こちらもかなりシチュエーションに無理がある。でも脳で匂いを感じ取り動物的な性衝動にかられる、その倒錯に男の性を強く感じたなあ。

これら2つの話に共通して出てくるのがラピスラズリ。幸福をもたらす石らしいけど、ここでは強烈なアンチテーゼ。前者では南青山の骨董通りで夫婦が見つけるという設定。いいですね、このシチュエーションはありそうで。ここまで読んだら、ひょっとして全てラピスつながりの連作?なんて思って期待したけど。「日付のある物語」、「ザーサイの甕」、「野球王」、そして表題作。別人かと思える文体と雰囲気。まったく楽しめない。巷では、最後の2つが野球モノとして人気が高いみたいだけど。

まあ読者もいろいろいるわけで。結局読み終えて脳裏に残ったのは勝手に想像したラピスラズリの抜けるようなブルー。街でこれを身につけたドキっとするような女の子にでも出会わないかな、なんてお得意の”つながり”妄想はやめておきましょうね。

ラピスラズリ  枯葉の中の青い炎枯葉の中の青い炎

神の子どもたちはみな踊る

2007-06-11 06:47:09 | 010 書籍
最近だんだん村上春樹に波長が合ってきている自分に気づきます。でも変わったのは自分というより彼の作風。端的に言えば、若い頃に見られたひけらかし系自己顕示がおさまり、語り口が自然体になり枯れてきた。先に紹介した「東京奇譚集」(2005年)や「アフターダーク」(2004年)でそう感じ、今回紹介する「神の子どもたちはみな踊る」(2000年)でそれが確信に。

初の連作短編集で、共通するテーマが1995年1月に起きた阪神大震災。同じような連作で田口ランディの「被爆のマリア」(2006年)を連想させたけど。かなり距離を置いて間接的にテーマを扱っているという点でよく似ている。「UFOが釧路に降りる」、「アイロンのある風景」、「神の子どもたちはみな踊る」、「タイランド」、「かえるくん、東京を救う」、「蜂蜜パイ」の6編。テイストがうまくバラけていて、懐の広さと卓越した技量を感じる。現実と非現実、過去と未来、各々のコントラストが素晴らしい。

特に気に入ったのが「タイランド」。小説を読んで体が熱くなったのは久しぶり。50歳前後と思われるバツイチ女医師さつきが学会へ出席するためにタイへ。世話をする現地人がガイド兼運転手のニミット。さつきは原色の花が咲き乱れる山中の高級リゾートホテルに滞在する。プライベートプールでの一人きりの完璧な休息。そんな時ニミットが引き合わせたのが謎の老婆。美輪明宏みたいなスピリチュアル系?彼女の話の中に出てくる石と蛇。浮き彫りになる、さつきの心の中の深い憎しみ。

印象に残ったのがニミットの言葉。「生きることだけに多くの力を割いてしまうと、うまく死ぬることができなくなります。少しずつシフトを変えていかなくてはなりません。生きることと死ぬることは、ある意味では等価なのです。」 さつきが帰国の機内で思い出すプールで見上げた空と、エロル・ガーナーが演奏する“四月の思い出”のメロディー。洗練されたクールな感性だなあ。

これはどうも遅まきながら、村上ファンの仲間入りをしたかもしれませんね。


Concert by the seaConcert by the sea  神の子どもたちはみな踊る神の子どもたちはみな踊る

朝日のようにさわやかに

2007-05-30 06:12:58 | 010 書籍
最近読むことが多いのが短編小説集。今日は”ジャケ買い”ならぬ”タイトル読み”した恩田陸の「朝日のようにさわやかに」(2007年)。ここ数年で執筆した短編をまとめたもの。タイトルが有名なジャズのスタンダードの曲名だったので、とにかく図書館で予約。実は彼女の小説を読むのは初めて。笑えるのが、何故か名前を“おんだ むつ”と勘違いしていて。略して“おむつ”。これが頭にこびりついていた。でも“おんだ りく”だと“おりく”。なんか時代小説で出てくる庄屋のご隠居っぽいかな。

14編もあるので出来不出来があるけど印象に残ったのが表題作。オランダのグロールシュというビールに始まって、ジャズトランペッターのW・M(ウィントン・マルサリス)、京都の寺にある蓮(ハス)、食べ物の心太(ところてん)、そして竹林からつながる緑色の壁、子供の頃に盗み見たオトナの秘め事の思い出と、奇想天外なつながりをみせる複雑系”風が吹けば桶屋がもうかる話”は圧巻だった。

彼女も人が悪いと思ったのがW・Mの話。彼はマウスピースを使わずにトランペットを吹く?だって。そりゃないよ。上の写真は「Live at the House of Tribes」(2005年)のジャケット。使っているマウスピースは、調べるとモネ製のヘビーモデル。普通おわん型をしているのに、細長い円錐型。だから確かに楽器の管の延長のように見える。

あとがきで、“・・・彼についての記述は実話 どこからが作り話かは、ご想像にお任せする”、だって。早稲田のハイソ出身の彼女がこう書くと本当みたいじゃん。うまいなあ、人をハメるのが。真に受けてマウスピースなしでトランペットを練習する人なんかが出てきたらどうするの?なんてそんな奴いるわけないか。マウスピースだけで練習する奴はいるけど。閑話休題。

表題曲はよく演奏したけど、コード進行がベタすぎてアドリブが演歌になるからやりにくかったなあ。アルバムを2枚紹介しておきます。ウィントン・ケリーとソニー・クラークのピアノトリオ。定番中の定番。久しぶりに聴いたけどゴキゲンですね。

朝日のようにさわやかに朝日のようにさわやかに

Kelly BlueKelly Blue    Sonny Clark TrioSonny Clark Trio

アフターダーク

2007-05-18 06:24:55 | 010 書籍
前回はGWに東京への行き帰りの新幹線で聴いたアルバムだったけど、今日は読んだ本の紹介。村上春樹の書き下ろし小説「アフターダーク」(2004年)。先に言っておくけど、彼はたぶん小説の題名を考えるのが好きじゃない。おそらくジャズのLPかCDが並んだ棚を眺めながらそれを探している。「中国行きのスロウ・ボート」しかり、「意味がなければスイングはない」しかり。

都会の日が暮れてから夜が明けるまでを、複数の登場人物の話をスイッチバックさせながら進めるというストーリー。舞台は渋谷。主題をあえて散漫にしてトーナリティを持たせないところに、都会の空虚さを表現したかったんじゃないかと思うけど。コピーの“真夜中から空が白むまでのあいだ、どこかでひっそりと深淵が口を開ける”というのが、その雰囲気を伝えている。

読み終わった感想は、完成度はやや低いけどバリエーションとしてはありってところ。だって傑作ばかりじゃね、といって駄作でも困るけど。ただしフランシス・レイは余分。でも投げやりで読み手をはぐらかす書き口が、彼にしてはアウトローな雰囲気があって新鮮で面白かった。

登場人物で親近感が湧いたのが高橋という学生。ヒロイン?のエリの相手役。フツー小説に出てくる楽器と言えばトランペットやサックス、ピアノ、ドラムなんかが多いのだけど、彼は地味なトロンボーン。小説のタイトルは、ハード・バップの名盤「Blues ette」の最初の曲である"Five spot after dark”からパクったんでしょうね、最初に言ったとおり。これはトロンボーン奏者カーティス・フラーのアルバム。高橋が中学生の時にLPを中古レコード屋で買い、それに感激して楽器の練習を始めたのだとか。

特に目立った盛り上がりもなく読み終えたけど、印象に残ったののは、高橋がエリに語った、「僕にはそれほどの才能はない 音楽をやるのはすごく楽しいけどさ、それでは飯は食えないよ 何かをうまくやることと、何かをクリエイトすることのあいだには、大きな違いがあるんだ」という言葉。なんか分かる。自分のことみたい。そういう思いをずっと引き摺って生きているような。

Blues-etteBlues-ette    アフターダークアフターダーク

北都物語

2007-05-06 07:45:34 | 010 書籍
LPレコードを探しているとラックの奥に古いEPレコード群を発見。その中で特に懐かしかったのが、真木悠子が歌った「めぐりあい」(1975年)[YouTube]。まず知らないだろうなあ。当時放映されたTVドラマ「北都物語」の主題歌。主演が二谷英明で相手役のヒロイン絵梨子が金沢碧。作曲は坂田晃一。センチな音楽を創らせたら天下一品で、日本版フランシス・レイとでも言っておきましょう。

調べると、ビリーバンバンの「さよならをするために」、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、そしてなんとあの杉田かおるの「鳥の詩」も彼の曲。それと連続テレビ小説「おしん」の音楽も彼が担当していた。音楽的に言うと、これでもかというサブドミモーションが得意でしたね。

それで判ったのが、原作が渡辺淳一の同名小説だったということ。早速ブックオフで文庫本を買って読みました。というのも主題曲だけ聞いてドラマは見ていなかったから。小説の舞台は札幌。商社の支店長として赴任してきた初老の主人公が、スナックでアルバイトをしている女子大生にのめりこんでいくというストーリー。さすがに古さを感じさせるけど、男と女に時代はないから十分に通用する。

読み終えて改めて思ったのは、曲と小説がマッチしていること。不倫だけど純愛というシチュエーションにせつないメロディーと詞がピッタリ。聴いていると自分が主人公になったような気持ちになるから不思議。札幌の思い出は、ラーメン横丁と雪祭りぐらいで色気がないからよけいに。雪祭りなんて、憶えているのは大雪の中を買ったばかりのビデオレコーダーで撮りまくったことぐらい。

ところで、渡辺淳一の話だけど、最近よくTVに出ていますね。正直な話やめて欲しい。なんか作品の雰囲気と全然違って、その辺によくいる田舎の頑固オヤジって感じだから。ニヒルで色気が香る作品のイメージを壊さないで欲しいなあ。

北都物語北都物語

ニューヨーク大散歩

2007-03-05 06:48:54 | 010 書籍
久しぶりにジャズ評論家でエッセイストである久保田二郎の著書紹介。第8弾の今回はいつものエッセイ集ではなく、おそらく企画モノのと思われる「ニューヨーク大散歩」(1987年)。内容的には、NYのいろんな場所を逸話と一緒に紹介するという観光案内。平たく言えば、“るるぶ”や“まっぷる”のオタク版。ジャズあり、ミュージカルあり、映画ありってところかなあ。

この本の最後に出てくる話が、ちょっぴりジーンとするので紹介しておきます。タイトルは、「緑の魔女の住む街」。グリニッジビレッジにあるバーに、いつからか緑のショールをまとったお婆さんがやってくるようになった。毎日決まった時間にやってきては、スタウトビールを黙って1本飲み、30分したら帰っていく。どうも近くの養老院から通ってくるらしい。それで店の常連が冗談で、「あの婆さんが、1年間毎日来るかどうか賭けようぜ」という話になり、もしそうなったら店主は1年分の飲み代を返すことに。

夏、そして秋が過ぎ、吹雪の日にもちゃんと毎日。そして春になり、ついに1年目のその日、彼女はやって来た。店に入るなり、みんなが大喝采で大騒ぎ。しかしそんな中でも、少し顔をほころばせただけで、いつものように帰っていった、というお話。渋すぎる。なんかクール。いいですね。これ実話らしいけど。”Greenwich”と“Green witch(緑の魔女)”をかけているんですね。

それでグリニッジビレッジと聞いて思い出すのが有名なワシントン・スクエア。この公園にちなんだ曲で思い出すのが、”Washington Square Blues”。ギターの増尾好秋のアルバム「111 Sullivan Street」(1974年)の5曲目。当時彼はソニー・ロリンズのグループに参加していて、ジャケットに写っている米人の奥さんと結婚して念願のワーキングビザを取得。NYにミュージシャンとして馴染んできた頃にバンド仲間と録音したのがこの作品。優しさの中にもピーンとしたNYの香りが伝わってくる。

久しぶりにこの本を読んでNYにまた行きたくなりました。

ニューヨーク大散歩ニューヨーク大散歩   111 Sullivan Street111 Sullivan Street

東京奇譚集

2007-02-26 06:25:35 | 010 書籍
たまたま図書館でみつけて、久しぶりに読んだ村上春樹の最近の作品、「東京奇譚集」(2005年)。コピーによれば、奇譚というのは不思議な、あやしい、ありそうにない話という意味。はやい話がタモリのTV番組「世にも奇妙な物語」の小説版。まあ遠くない。中には短篇が5編。

全体にシンプルな抽象画のような気品とイマジネーションが漂っている。いいですね。彼も年を取って枯れてきたのかなあ。文章がとても読みやすく、自然に別世界に入っていける。オトナの小説。ある意味で彼の新境地かも。最初の4編はどれも気に入ったけど最後の“品川猿”でガックリ。この本のための書きおろしで期待していたのに。話の構成も文体も別人のよう。

それで面白かったのが登場人物の女性描写。彼は男の視点で特徴を説明してくれる。例えば最初の“偶然の旅人”では、郊外に住んでいる40歳前後で二人の子持ちの妻を、「小柄で・・・、身体のくびれているべき部分にいくらか肉がつきはじめていた。胸が大きく、人好きのする顔立ち・・・」、“どこであれそれが見つかりそうな場所で”では、高層ビルの36階に住んでいる35歳の妻を、「筋の通ったきれいな鼻だった・・・それほど遠くない昔に整形手術を・・・ストッキングに包まれた脚は美しく、黒のハイヒールがよく似合っていた。そのかかとは致死的な凶器のようにとがっている」、なんて感じ。

なんか人妻専門の出会い系サイトでも見ている気分になったような。なんて失礼ですね。でもそれが全体の中でいいアクセントになっている。日常の中で普通にありそうで、でも絶対になさそうな。男の妄想をさりげなく掻き立てる描写が上手い。

たまたま“奇譚”つながり?で、津原泰水の「綺譚集」(2004年)をその前に読んでいたけど、これがかなりのキワもの。最初の”天使解体”からしてグロのてんこ盛り。彼ってなんか特別な幼児体験でもしているのかなあ。だめなんですよ、こういうの。中には”ドービニーの庭”のように面白いのもあるんだけど。その意味では、村上のこの作品は良い口直しになりました。

綺譚集綺譚集    東京奇譚集東京奇譚集