九州での水害で、またもや政府や行政の責任という言葉がTVで言われている。だが、ケースバイケースな面があるのは当然ですが、天災の全てにおいて公の責任とか言うのには疑問しかありません。
何故そう思うのかというと、天災はあくまで天災であって人知を超えた自然の力を完全にコントロールできると考える方がおこがましい事だと思うからです。
今回、多くの方が犠牲になった老人ホームにしても、そもそもが大きな川沿いにそのような施設があるから水害の被害になったわけで、避難の遅さは責められても水害自体はある意味仕方がなかった様にも思えます。昔からそういう地域だったのですから。崖崩れにしても同様です。
世の中には「仕方がない」事もあるように思うのです。今回のコロナにしてもそう。亡くなられた方に対して失礼かもしれませんが、80歳にもなったら、ある程度は天寿を全うした人生だったのではないかと思うのです。コロナでなくても、何らかの疾病で天に召されるときも遠くなかったのではないかという気がします。
TVではキャスターたちがヒステリックに批判や責任を喚き散らしていますが、そもそも病気や天災に絶対的な責任なんて誰が負えるのだろうか。
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