古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

リコリスが咲いています。

2012年09月29日 03時33分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 うちの畑の土手に咲いているリコリス(彼岸花 / 満珠沙華 / 舌曲り<シタマガリ>)です。ここはカボチャを這わせた土手なので、草が生えたままにしています。草刈りをした土手のように地温が高くないので、満珠沙華がいち早く咲いています。
 20センチおきに1球ずつ埋めたリコリス(満珠沙華)が、毎年増えて、ベルト状に咲くのに10年を要するでしょうか。500の球根(鱗茎)を埋めて3年目ですからあと7年。それまで自分が生きて畑仕事をしているかどうかわかりませんが、「ぼくの死んだあとも、この畑は彼岸花に縁どられる」と思うと愉快です。
 道子さんは、いまイチゴの苗をランナーからとって移植しています。11月には割肥えをした来年用の畝に本植えします。今年のイチゴは8株ランナーを伸ばして苗をとっていますので、まだあります。ご入用でしたら声を掛けてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人とつながり、人に支えられて、田舎に暮らしています。

2012年09月28日 05時23分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 秋には秋の花が咲きます。コスモスが風に揺れる頃、キクイモの花も精いっぱい咲いています。そして11月になるとセイタカアワダチソウの黄色い帯が、蛇が池や福地池の堤を彩ります。「アレルギーになる」と濡れ衣を着せられますが、セイタカアワダチソウがびっしり咲くと、それはそれは見事な幅広の黄色いベルトになります。
 ブログでこのところ毎日書いていますが、畑仕事をしていると先日亡くなられた村の方を思ってしまいます。
 5年前の2008年5月、畑を借りることになり、朝の散歩がてら畑に行ったときです。道にだれか倒れていました。見知らぬおじいさんです。そばに寄って助け起こし、とりあえず道に座ってもらいました。
「おうちはどこですか」 / …… / 「おうちの電話は何番ですか」 / 「×××番」 / 持っていた携帯電話でかけてみましたが「違います」。言われた番号はすべて間違いでした。
 救急車を呼ぶような怪我はしておられないし、こちらが途方に暮れてしまいました。思いついたのは、その方に電話することでした。間もなく軽トラで来られました。
「うちの村でないけど、このじいさん知っとるから家に届けてくる」
 午後、家にいるとその方がよその村の人を案内して来られました。ご夫妻で「認知症のおじいさんがお世話になりました」とお礼を言われて恐縮です。その方が「蛇が池のほうまで歩いて行って、帰ろうとしてこけたらしい」と説明され、「人の通るところでよかった。奥のほうでこけとったら、わからんところだった」と話されたことがありました。
 自分では「田舎暮らし」のつもりでこの地に移り住んで1年ちょっと。顔見知りになり、あいさつを交わす村の人は何人かできましたが、1年やそこらでそんなに親しくなるものではありません。「その方に電話して……」ととっさに思いついた「自分のしたこと」をいま思い返してみると、その方の存在は「田舎暮らしの支え」になっていたんだ、とあらためて思います。
 どこの馬の骨ともわからん人間が落下傘で降りてきたのをそのまま受けとめてもらい、田舎になれてゆくのを、あたたかく見守っていただきました。60年も70年も生きてくると、子どもとちがってそう簡単に人と馴染むものではありませんが、それでも人とつながり、人に支えられないと、人は生きてゆけません。
 今年もまた、秋は、いろいろなことを思いながら、すぎてゆくのですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝、散歩をしようかな。

2012年09月27日 04時05分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 朝、ちょっと畑を見に行って、ついつい畑仕事にのめり込んでしまうこともあり、朝の散歩をしばらくしていません。ヨーガや瞑想、それに足首と膝の体操も中断したまま。あまり健康的ではないので、まず「朝の散歩を再開しよう」と<佐の広池周回コース>を見に行きました。
               
 4月に幅1メートル以上草を刈ったのに、入るのをためらう草むらになっています。マムシに気をつけて竹の杖で草を払いながら歩いてみましたが、途中で引き返しました。10月中旬に草を刈って、散歩コースを復活します。このコースは里と山の境目になり、野鳥がよく飛来します。道子さんが「カワセミを見た」というのもこのコースの上にある池です。
 でも『アレチヌスビトハギ』に気をつけないとこんなことになってしまいます。
               
 いまこの草はかわいい萩の花を咲かせています。でもすぐタネになり、人にくっついて広がります。くっついたら、一つ一つ手でとるしかありません。途中で畑に寄ってみたら、土手の草の中にアレチヌスビトハギが生えていました。見かけたところにまた生えてくるのはどうしようもありません。タネをいっぱい落とすのですから。でもくっついて拡散するのは防ぎたい。しっかり刈ります。
 先日ブログでふれた方のお葬式がありました。
 山の田んぼに行くためにうちの前を軽トラで通られるときは、「元気にやっとるか?」とぬくもりのある眼差しを向けていただいきました。散歩途中に土手の草を刈っておられる姿を見かけると、近寄ってしゃべりたくなりました。ご近所の葬式で出棺を待っているときも「昔は土葬だったから穴を掘って用意するのがが大変でした」と村の話をしてくださいました。どんなときも、おっとりした調子で、おしゃべりしたくなるようなあったかい空気をまとっておられました。
 なんだか穴のあいた気持ちです。自然にふさがるのを待つしかありません。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『吉福伸逸』氏の名前を見て考えました。

2012年09月26日 05時58分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 岩波新書『原発はなぜ危険か』 - 元設計技師の証言 - (田中三彦 著 1990年発行)をまだ手元に置いてときどき読んでいます。とてもむずかしい本です。科学者が、ふつうの人でもわかるように、一生懸命原発の危険性を説明しています。アバウトな言葉で煽って「危ないぞ!」と無責任に時流にのっているのではありません。本が出たのは22年も前の1990年。日本がバブル景気にまだ浮かれていた頃です。
 そんなときに精魂傾けて「原発の危険性」を伝えようとしたのです。感情的にではなく理知的科学的に。彼は原発設計の中枢部にいた人です。そんな人がこんな本を書いたらどんな目に遭うか。覚悟の上で、それでもこの地球上の人間のために、書くしかなかった。<人間という存在への良心>が伝わってくる本です。
 その<あとがき>に「吉福さん」の名前を見て、びっくりしました。


 最後に、お礼を申し上げたい。まず福島四号機についての発言後、私が混乱した時期に的確な助言を与えてくれた多くの朋友、とりわけ元C+F研究所主幹、吉福伸逸氏に深く感謝したい。私は、吉福伸逸氏との出会いをとおして、もっとも多くのことを学んだ。 ……

 
 なんで、こんなところに、「吉福さん」の名前が?
 吉福伸逸氏とリタ・ローエンのセミナーを大阪で受けたのは25年も前のことでしょうか。セミナーのセッションの中で、ペアになった高野山のお坊さんが「タコになる」と言い、ぼくは「タコといえば、ねじり鉢巻きをして<タコ踊り>をするのか」と思いました。しかし彼が、体全体で海底を這い、岩を這い登るタコになるのを見て、自分の観念の浅はかさに気付かされました。それをあとの話し合いで<シェアーして>、“You had a beautiful learning. ”とリタ・ローエンに言われたのを覚えています。
 吉福さんは『トランスパーソナル心理学』の中心的な存在です。原発とはなんの関係もありません。
 原発の設計にかかわった、真にわかる科学者・技術者たちは、この本の著者が「心臓を射抜くように的確に危険を指差してくる」のに恐怖を感じたでしょう。それを原発を支える<体制>に伝え、あらゆる妨害が著者に及んだでしょう。それをはね返して著者がこの本を書いたのは、いろんな精神論・根性論・責任論などを超えた高みにある <何か>と、吉福さんのとりもちで遭遇したからでしょうか。
 
 朝夕涼しくなり、畑を縁どるリコリスが咲きはじめました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電気柵に防草シートを敷きました。

2012年09月25日 02時27分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 何度も同じアングルの写真をアップしてごめんなさい。電線の下に防草シートを敷きました。まず土手の草を刈り、電線を張り、途中伸びる草を刈りながら足場をつくり、その足場に乗って土手の草を上まで刈ることができました。そしてきのう、やっと50センチ幅の防草シートを敷くことができたというわけです。夕方の写真でわかりにくいですが、左上の田んぼは山田錦で、10月中頃の稲刈りになります。
 この土手は上の田んぼの水が滲み出て一番勢いよく草が伸びます。電線に草がふれないように毎日気をつけていました。その心配がなくなり「ヤレヤレ」。裏山の竹を切り、ナタで割り、細い幅の竹でシートを地面にとめて草を防ぎます。
 親切にしていただいてた村の方の訃報が回覧連絡でまわってきました。
「山田錦の田んぼは泥が深いです。ふつうの米をつくっても口吉川の米はうまいです」と話してくださった方でした。「なかでも『ヒノヒカリ』が一番うまい」と聞いてこちらに引っ越して5年余り、ずっといただいてきました。バーベキューで<焼きおにぎり>を来客に食べてもらうときは「どうです。うまいでしょう」と我が米のように自慢したものです。
『ゴパン』でお米のパンを焼いたときは、「お宅のヒノヒカリで焼いたパンです」と食べていただきました。孫が夏休みの自由研究で「<米づくりの歴史>を調べようかな」といったときは、取材をお願いしようと思ったこともあります。(そのテーマにしませんでしたが)
 圃場整備で機械の入る大きいサイズの田んぼになるまでは「うちは田んぼが51枚ありました」と話されたことがあります。水を見てまわるだけで大仕事です。米づくりの80余年の生涯は、江戸時代から現代までの<米づくり歴史絵巻>を見るような激変の時代でした。そんな話を孫といっしょにじっくり聞いてみたいと思っていました。「どの家もみんな藁屋根で、どの家にも牛がおりました。牛を川に連れていって洗いました」と話されたこともありました。
 牛に引かせて代かき。田植え。田の草とり。稲刈り。干して脱穀。足踏み式稲こき。そんなものが次々と機械に変っていく時代を、米づくりに専念して、一番しっかり受け止めてこられた世代の方でした。文字通り<最後まで現役>で米をつくり草を刈っておられました。
 去年、裏山の『愛宕さん』・『祇園さん』のお祭りは、その方の当番でした。妻とお参りしてみたら、当番のお二人だけでした。村の昔の様子を聞きながら、しばしおしゃべりしたことも思い出されます。
 葬儀に並んで、<立派なお百姓さん>を偲びたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退屈について考えました。

2012年09月24日 02時12分31秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 街に暮らし、“田舎暮らし”を志向しておられる方が訪ねてこられ、カズラで編んだカゴをいただきました。そのバスケットに道子さんが<寄せ植え>をして、デッキにホテイアオイと並べて写真を撮りました。その方は再訪され、いま田舎暮らしを目ざしておられます。
 神戸から週に二度くらい菜園づくりに来られる、お向いの方が、先日も早朝から精を出しておられ、「お早いですね」と声を掛けたら「退屈なもので……」といわれました。
〝退屈” …… 「あー、〝退屈”なー。ここに来てから〝退屈”って感じたことがないなー」と一瞬思いました。畑だけでなく、裏山にも、大工(農具)小屋にも、そして家の中にもすることがいっぱいあって、そしてもしすることがなければ、ウッドデッキにデッキチェアーを出して寝ころび、田舎の景色を眺める。庭の花を見る。テレビも見るし、時間があれば新聞も見るし、本もときどき読むし。……。
 でも考えました。このところ畑仕事が忙しく、家のほうですることがたまっています。それにときどき出掛ける用事があり、時間が潰れます。<のんびり!>田舎暮らしをしようと引っ越したのにちょっとすることがあり過ぎます。整理が必要です。
 街で暮らす老人も「あれもしたい。これもしたい。あー、忙しい」と毎日手帳を見ながらバタバタしているかもしれません。世の中がそんなふうになっていて、ときには「退屈と感じる」老人があったとしても、全体としては「忙しい」ほうへ「忙しい」ほうへ流れているのかもしれません。老人には<病院通い>だって結構な仕事ですしね。
 ぼくの部屋には本棚が三つあります。一つは田舎暮らしをはじめてからの自作です。本やCDやいままでに書いたモノが入っています。でも考えてみると三つもいりません。整理したほうがいい。引っ越すときにいっぱい捨てて、すっきり田舎暮らしをはじめた筈なのに、なんだか知らぬ間にまわりのモノが増えています。
 それと老人は一度「あー、あれを買っておかなくては」と思いつくと、買ってしまってもその思いは消えないようです。店をウロウロしているうちに「また買って」しまいます。コーヒーのペーパーフィルターがいくつも溜まっていたり、ゴミ袋が溜まっていたりします。ぼくだったらネジとか鋸の歯とか金づちとか。
 だから「エンディングノート」も必要なのでしょうね。この世の整理をきちんとするために。
 また考えます。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『夕顔』でなく『ヨルガオ』でした。

2012年09月23日 02時39分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「『夕顔』の花が咲いた」と道子さんにいわれてブログで紹介しましたが、あれは『ヨルガオ』でした。ご存知の方は気づいておられたでしょう。道子さんに訂正を頼まれましたのでよろしく。
『夕顔』を調べると「干瓢」(かんぴょう)と出てきます。巻き寿司でつかうあの干瓢です。一抱えもあるような大きな実がなり、細く削るようにテープ状に切って、干して、食材としてつかいます。以前「むーな村」でカボチャよりはるかに大きいものができて、地元のおじさんに「干瓢」と教えてもらいました。それをどうしていいかわからず、そのまま捨てましたが。
 一方『ヨルガオ』は夕方から咲く花で、『夕顔』とよく間違えられるそうです。実はならないで種ができます。でも大きな葉っぱでよく茂るし、グリーンカーテンにするといいです。去年ウッドデッキに屋根をつけた部分に、今年はグリーンカーテンとして「ゴーヤ」を植えました。道子さんの世話でよく育ち、実をつけています。でもゴーヤは食べないので人にあげたりします。「来年はここにヨルガオを植え、ゴーヤは畑に植えたい」と道子さんはいいます。パラソル代りにその下でお茶を飲んで休める緑のトンネル。いいですねー。
 電気柵の草刈り足場づくりはなかなか。きょうも足場が水平になるよう調整して杭を打ち込んだりしました。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運転免許の高齢者講習を受けました。

2012年09月22日 03時13分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 75歳になると運転免許の高齢者講習に「認知症テスト」が加わります。きのう加東自動車教習所で高齢者講習を受けたら、そんなペーパーテストがありました。いま75歳で受けて、次は78歳で受け、その次は81歳で受け、85歳になるときに運転免許を返上するか。それとも途中で寿命? 
 そんなことをいっしょに講習を受けた高齢者の人と話したりしました。
<田舎暮らし>には街の駅前マンションに暮らすような<快適さ・便利さ>はありません。「80歳になれば免許は返上したほうがいい」といまは思います。しかしいざなってみると、そして元気なら、「返上しよう」という気持ちにならないでしょう。
 動物侵入を防ぐ電気柵は大仕事です。きのう見まわったら、土手のカボチャが伸びて電線にからまっていました。電線の下の草も伸びてきました。早く草を防ぐシートを貼らなければ。
                
 そこでまず草刈りの足場をつくりました。この板に乗って草を刈り、それから防草シートを貼り、割った竹でシートをとめます。いまのところ電線の下に1メートル幅のシートを貼ろうと考えています。ぐるりの土手は畦に電線を張っていますから50センチ幅のシートで十分です。
 もう一つ。20日の口吉川町グランドゴルフ大会のときにきいたら、川向いの村ではイノシシ防止に電気柵を張っている畑や田んぼが多いのですが、設置したその晩のうちに機械を盗られてしまうというのです。イノシシが盗るわけありません。人間の仕業です。ぼくは道から見えにくいところに頑丈にビス止めして設置していますが、でも盗ろうと思えばわけありません。
 また川向いの家をお訪ねして、どんな工夫をしておられるか見せてもらいます。
 いまのところ、電気柵のお陰でサツマイモもシモン芋もカボチャも大丈夫です。もうすぐできる大豆も黒豆も安心です。でも手はかかるなー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼岸花がまだ咲きません。

2012年09月21日 02時32分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 うちの畑の畦には500本のリコリス(彼岸花 / 曼珠紗華 / 『シタマガリ』…鳥取県中部の方言ではそう呼びます)の球根が植えてあります。3年前の冬、ツルハシで土手の肩に穴をあけ、15センチの深さに埋めていきました。
 リコリスはとても強い花です。本によると「半年放置した球根を30センチの深さに埋めたけど咲いた」とあり、我が家でも埋めた全部の球根が生きています。でも花が咲くのは3年のうち1年か2年で、あとは冬に葉を出すだけだそうです。
 去年は108本が咲きました。お彼岸の頃から毎日散歩がてらに200メートル足らずの畦を歩いて、足もとのリコリスを数えていきました。今年は去年咲いたリコリスが全部「お休みする」としても、残りの392本は咲く番です。冬には500球の葉がしっかり伸びていたのですから。
 リコリスの球根は毎年増えていきます。一球埋めたとしても10年もすればひとかかえの大きな球根の塊りになります。厳密にいうと<球根>でなく<鱗茎>なのですが。リコリスは田んぼの畦がモグラに穴をあけられないようにずっと昔から植えられてきました。刈り頃の黄金色の稲に畦の彼岸花の赤が映えていました。
 しかし圃場整備で畦の土が崩され掘り返され、彼岸花の球根(燐茎)は地中深く埋まってしまいました。いままで咲かなかったところにひょいと彼岸花を見ると、数年をかけて深いところから伸びてきたのではないか、と思ったりします。
 リコリスの開花適温は20度 ~ 25度だそうです。まだちょっと暑い。お彼岸を過ぎて10月始めに咲くのでしょうか。東条町「新定」交差点の田んぼは、毎年リコリスで赤く縁どられますが、今年はまだです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽トラとおじいちゃんの大活躍!

2012年09月20日 05時26分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「雨がよく降ったから、あしたは畑には入れない。映画でも見よう」と三田のシネコンを検索したら、高倉健の『あなたへ』をやってます。先日NHKテレビのプロの仕事とかいう番組で、この映画の高倉健の演技をとりあげてました。見に行くことにしました。
 映画館に入ったらぼくたち二人だけ。しばらくして年配の女性が10人余り入ってきました。やれやれ。
 しっとりした映画でした。芸達者な人がいっぱい出てました。佐藤浩市は、存在感に奥行がある。人を引き込む力がありますね。高倉健は81歳。名演なのでしょうが、80を過ぎて15歳くらい若い人を演じるのは酷な気がしました。映画にはよくわからんところがあり、原作なのかノベライズなのか知りませんが、そちらを読んでみたい気もしました。
 今年映画を見たのは冬でした。渡辺兼の『はやぶさの帰還』。終わりのタイトルにきれいなピアノが流れ、聞き惚れていたら、音楽は辻井伸行でした。旬の音楽家のもつ力を感じます。それと『あなたへ』を見て、竹田城跡に登ってみたいと思いました。(登れるうちに)
 家に帰って昼寝。様子を見に行ってみたら、畑は入っても大丈夫です。そこで電気柵の下に草刈りの足場をつくることにしました。製材所(元)に野積みの廃材をもらいに行き、軽トラで持ち帰りました。
                
 たかが材木の“積み下ろし”ですが、軽トラもおじいちゃんも大活躍したのですよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お墓参りをしました。

2012年09月19日 01時07分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨で畑仕事はできないし、久しぶりにお彼岸のお墓参りをしました。道子さんが庭の花を摘んで、立派な花束をつくりました。自前で全部できるのがうれしい。それを持って神戸市北区のお墓へ。
『千の風になって』の歌ではありませんが、ふだん無人のお墓付近には亡くなった人はいないかも。案外裏山から見守ってくださってたりして。お墓まで車で40分ほど。いつまで続けられるでしょうか。これを子ら孫らに受け渡すつもりはありません。永代供養というのもあるでしょうし、そろそろ具体的に考えてみます。
 母・妙子さんには花を供えたお墓の写真を撮ってあげました。彼女は仏壇にその写真を置いて、お墓参りをします。
               
 この写真は電気柵のゲートです。電線三本に取っ手が三つ。一番下の取っ手は自作です。上の黒い<バネつき取っ手>は300円もしないと思うのに、1000円以上で売られています。それを二つの入口とゴミ焼き場の後ろの柵(燃やすときははずすので)につけます。全部で9個。高いので5個は自作しました。ビニールパイプにキャップをつけ、バネはゴムひもを使い、それに電線を巻きつけました。十分役に立ちます。
 黒い四角いものは<簡易テスター>です。電線に引っ掛けてアースすると< 強 / 中 / 弱 >の電気が点滅するようになっています。柵のどこかで漏電してたら点滅しません。畑をぐるっとまわって点検する必要があります。
 毎日点検してますが、いつまでつづくかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『敬老会』にお招きいただきました。

2012年09月18日 03時59分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 あと18日で満75歳になります。後期高齢者になるまで生きてきたのです。
 今年から口吉川町の敬老会に出席できます。公民館の体育館に行ってみると、中央に老人の席が設けられ、机上にお茶とお菓子が出されます。(ペットボトルでなく、湯飲み茶碗で熱いお茶をいただけるのです。旧・婦人会の方々のご奉仕です)右に来賓席、左に主催者席、正面はアトラクションのためのステージです。
               
 来賓席には駐在所の巡査長、小学校長、中学校長、郵便局長、農協の支店長などが並び(市会県会国会議員も)、いかにも昔ながらのパターンです。こんなやり方を受け継いで敬老会をしておられる地区は少なくなったでしょうね。すべてが簡略化されていく時代ですが、守っていけたらいいなと思いました。
 大正琴、コーラス、詩舞、子どもたちの和太鼓などアトラクションをたのしみ、市長の<三波春夫(二世)を気どった歌>を聞き、みなさん、それなりに会場の空気に和しておられます。そんな中にいて、ふと「自分のキャパシティーが大きくなった」と感じました。田舎に暮らすようになったお陰です。
 サンテレビで敬老の日のニュースを見たら、「神戸市だけで100歳以上の人が850人超」とか。兵庫県全体なら何千人になるのでしょうか。そんなところに目をやらなくても、わが母・妙子さんはあと8ヶ月で100歳。みんな長生きするようになりました。
 ぼくは「何歳まで生きたいか」「生きられそうか」。90歳より先はもういい。といまは思っています。でもいざその場になったら……。

 以前このブログで奈良のポックリ寺・吉田寺(キチデンジ)のことを書きました。
おばあさん 「仏さん、お願いですよって、どうぞポックリ死なしとくんなはれ」
仏さまが出てきて手帳を見て。「予約がいっぱいつんどるでな。アッ! ここ空いとる。あさっての昼から」
おばあさん 「エエッ! ちょっと待っとくんなはれ。そら困ります」

 ま、生きてるうちはせいぜい悩むことにします。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デッキでバーベキューをしました。

2012年09月17日 03時05分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 新築の家のウッドデッキが完成したのは、田舎暮らしをはじめて三ヶ月目の2007年2月でした。「眺めのいいこのデッキは、バーベキューするのにぴったりだ」とばかりその年はいろんなメンバーでバーベキューをしました。数えてみると春から秋にかけて7回。次の年も村の老人会でバーベキューをしたりで数回。だんだん落ち着いて、ぼくたちの年齢も高くなって、バーベキューしようとあまり思わなくなり、今年は、きのうがはじめてでした。
                 
 おじいちゃんおばあちゃんと孫たちはもっぱら食べる係りです。大志くんのおとうさんは、裏の竹薮から竹を切り出して、五平餅をつくっておいしく焼いてくれました。萌ちゃんのパパは加減よく肉を焼いてくれて、歯の弱ったおじいちゃんも食べることができました。
 夕方からはじめたので暗くなり、途中から棒の先に裸電球を吊るしました。腹いっぱいになった後は、デッキにベニヤ板を二枚敷いて、今年最後の花火大会です。最後の線香花火もおわり、みんなが夜空を見上げてしばしおしゃべり。数千メートル上は飛行機が飛んでおり、標識灯が点滅します。人工衛星を見つける人がいたり、流れ星を見つける人がいたり、星座の話をする人がいたり。新月なので白鳥座が真上に見えます。
 なにはなくともこうしてみんなで食べ、おしゃべりし、花火をし、夜空を見上げる時間が積み重なって、人のこころは育つのでしょう。「孫たちに田舎のおじいちゃんおばあちゃんを!」という願いは叶いました。
 きょうは16日。『畑の神さま』(大将軍神社)の日です。朝思い出して、おじいちゃんおばあちゃんは、お参りしました。神社にはいつもの顔ぶれ。ぼくらもその顔ぶれに加えてもらえるようになりました。
 ありがとうございます。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「三木市内をよくうろうろしてるんだなー」

2012年09月16日 06時02分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 先日三木市の中心街に買物に出て、市民病院付近で帰り道の車を、なんとなく、ひょいと未知の横丁に乗り入れました。「行止まりじゃないだろうな」と心配しながら細い道を進むと、家並みの向こうに木立ちが見えます。鳥居も見えます。どうやら氏神さまがあるようです。
 車を止めて、広い境内に入って、本殿にお参りしました。『三坂神社』とあります。由緒の看板を読むと、去年改築したそうで、まだ桧の香りがただよいます。「『御坂神社』なら古い立派な神社だから二度お参りしたことがあるけれど、こんな神社は知らなかった」 写真を撮りました。
                
 市の発行する「三木の観光案内」パンフに載っている神社仏閣や史跡などのリストを見ると<42>個あります。「この中のいくつを見たのだろう」とチェックしてみたら、行ってないのは数箇所だけでした。
 5年の間に「かなりウロウロしたもんだな」と自分でも感心しました。これくらいの規模で、古い歴史のある田舎町はいいですね。何百年も村人が守りつづけてきた祠やお地蔵さんや大師堂がいくつも散在し、いまも祀りつづけている。そんな木立ちを見かけるだけで心がしっとりします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PAC定期演奏会(9月)に行きました。

2012年09月15日 04時25分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 9月から来年6月まで、<2012~13>のPAC定期演奏会がはじまります。きょうは佐渡裕指揮の『新世界より』です。畑仕事がいろいろあるので、西宮に出掛ける前に朝6時から畑仕事。ぼくは電気柵下の草をナイロンコードで刈りました。
                
 写真のように柵の上のほうは緑の草が伸びてきました。「除草シート」を貼らないと草が電線にふれて漏電してしまうので、5日目には草刈りをしなければなりません。ずっと続けるのは無理なので、なんとか対策を考えます。
 でもいまのところ電気柵は順調です。朝、畑に出ても、アライグマやイノシシに荒らされてないかと心配しなくていい。ラジオを回収して電池の充電をしなくていい。檻を点検しなくていい。サツマイモのネットをはぐらなくていい。(ネットはとってしまいました)心安らかに畑を見まわれます。しあわせな時間です。
 今シーズンのPAC定期演奏会は座席が変わりました。去年は3階正面の座席でしたが、1階の横の座席になります。ステージを間近に見おろせ、一つ一つの楽器の音がとてもよく聞こえます。
 いい席で一年間音楽がたのしめます。西宮に出掛けるたのしみが増えました。
『新世界より』はぼくにはいろんな思い入れのある曲です。ドヴォルザークが音楽家にならねば。(彼は村の居酒屋肉屋宿屋をしている父の反対を押し切って音楽家になりました)彼がアメリカに渡らねば。(ニューヨーク音楽院の学長に招聘されてアメリカに行き、この曲を作曲しました)
 バーンスタインに師事した佐渡裕にも思い入れのある曲なのでしょう。若いオーケストラの力を、ときにしっとり、ときにパワフルに引き出して、心の入った演奏でした。
 入口でもらったチラシに「BBCフィルハーモニック 日本ツアー 2013」が入っていました。来年4月“大阪国際フェスティバル”提携の公演ですが、西宮でも公演があります。< ピアノ:辻井伸行 > に二人の目が釘付けになりました。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。
 三木で田舎暮らしをはじめた2年目の2009年4月29日、ぼくは偶然にもピアニスト・梯剛之(かけはしたけし)の演奏会が翌日小野市であることを知り、出掛けました。(好運なことに、チケットが2枚残っていたのです)オール・ベートーヴェン・プログラムで、彼の弾くピアノの空気の振動に直かにふれることができました。(2009年5月4日のブログに書いています)
 辻井伸行のピアノもきっと聴けるでしょう。そう信じます。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする