古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

年末だというのに凧揚げの糸巻きなんかつくったりして……。

2011年12月31日 06時34分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 きょうは大晦日なのに、明け方思いついて(いつものことだけど)ブログを書いています。写真は凧揚げの糸巻きです。お屠蘇のお盆やふつうの湯呑みと比べるとずいぶん大きな糸巻きだと思われるでしょ。巻いてあるのはタコ糸でなく、建築の土台などでつかう黄色の水糸で100メートルあります。こっちのほうが強いし、もつれにくい。先日凧揚げリハーサルで糸巻きが飛んでしまったので、きのう新しくつくりました。竹はやめて板でつくり、水性塗料で赤く塗りました。赤が余ってたから。
 世間では大掃除をしたりおせちをつくったり忙しくしてるのに、のんびり糸巻きなんかつくってすみません。去年の大晦日のブログを見たら、孫の大志くんと山の田んぼに行って、焚き火つき凧揚げリハーサルをしたと書いてます。毎年同じようなペースで暮らしていますね。それぞれの人の〔生きるペース〕というのは、そんなに変わらないものでしょうか。
そうそう、ひとつお知らせが。きのう軽トラで年末最後のゴミ出しをしての帰り、池のそばで横の道子さんが「車止めて!」といい、「ヌートリアがいた!」と下りてたしかめに行きました。道子さんの話によるとたしかにヌートリアがいたそうです。このブログを書きはじめた2009年3月は、まず根元をかじられた大根のことを書きました。それから檻を仕掛けてヌートリア一家を一網打尽にしたことを。でも今度ヌートリアが出没したら、檻を仕掛けないでヌートリアの見られる池にしたいとひそかなねがいをもっています。来年はヌートリアの赤ちゃんがお母さんヌートリアの後をついてゆくかわいい姿を紹介できるでしょうか。乞う! ご期待。
 今年もブログをのぞいていただき、ありがとうございました。『古希からの田舎暮らし』と題して2009年3月にはじめたブログが、3年目で600回近くになりました。70歳を過ぎて長年の惰性でなんとなく生きているようでも、田舎に暮らしたからこそ新鮮な感覚でまわりを見、日々の暮らしや思いを伝えることができました。
 テレビで「田舎暮らし」を紹介する番組がときどきありますが、そば打ちに精進して店を出すとか、パン工房でおいしいパンを焼くとか、ピザを焼く窯をつくるとか、渓流釣りをたのしむとか、木工や陶芸に打ち込むとか、温泉つきのログハウスで暮らすとか……なにかそんなものが核になっています。でもたいていの人は、田舎に移住しても、とりたてて話すことのない平凡な日々ではないでしょうか。そんな平凡な日々を、今年もブログで伝えることができました。
 来年もよろしくお願いします。
 
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魚を買いに〔魚の棚〕に行きました。

2011年12月30日 04時31分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
             
 お正月の魚を買いに〔魚の棚〕に行きました。年末だけに人がいっぱい。店先で次々と鯛を焼き上げる〔魚秀〕の前は行列ができ、通りは肩がふれあうほどの混雑。魚を物色していたら、店先で蛸踊りをしていたタコと目が合ってしまい、一枚記念写真を撮ってあげました。でも目つむり写真になったようです。三木の片田舎に引っ込んだのだから魚は近くのスーパーで買えばいいのですが、やはり「魚のうまさ」がちがうので、ときどき魚の棚まで来てしまいます。
 昼寝をしてから、赤い水性塗料を塗って凧揚げの糸巻きを仕上げました。なぜ〔赤〕かというと、赤い塗料が余っていたからです。黄色やみどりも少しあるので、ちょっと塗ってアクセントをつけたいと思います。凧にはじめからついているタコ糸は、もつれやすく玉になってしまうので、100メートルの太めの水糸をつけることにします。
 きのうから探しはじめたモノは、まだ見つかりません。この部屋以外に仕舞うことは考えられないので、必ずある筈なのですが。そこで年の瀬だというのに本棚の〔断捨離〕に手をつけはじめました。
『夏目漱石全集』が目につきました。小説だけを10巻に収めた全集で、45年前結婚した頃から我が家にありました。その中で第4巻だけは手垢がついてます。第4巻をよく読んだからでなく、手提げ金庫のような役割をしていたからです。子どもが小さかった頃、不意にお金が要るときのためにこの本に何枚かのお札をはさんでおくことにしていました。そんな本がなぜいまも本棚に鎮座しているのか。わかりません。捨てます。
 69歳になって引っ越し、そのとき不要なものをいっぱい捨ててこれですから、もしあのまま神戸の家に住み続けていたら、モノに埋もれて生きているかも。あの地震でいっぱい捨てた人々も、17年たってまたモノに埋もれて生きているかもしれませんね。
 
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裏山に注連飾りをつけました。

2011年12月29日 04時47分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 今年は注連飾りづいて、裏山の愛宕さん・祇園さんを祀るという小さな社に日曜日につけました。買った袋にもう一つ注連飾りが入っていたので、きょう裏山にもつけました。写真のように植えた木から竹に綱を張り、紙垂(しで)と注連飾りをつけたのです。ここは裏山に登る孫も、竹の枝を切り刻むために通るひいおばあちゃんの妙子さんも、みんながくぐります。通るときに拝んでもらうことにしましょう。
 凧が飛んでしまったので、糸巻きを新しくつくることにしました。前の糸巻きは竹に巻いていくようにしましたが、こんどは丸い板二枚の間に巻き取る糸巻きをつくります。大げさですが、多少重いほうが飛ばないでしょうし、巻き取る手間がかからないように直径を大きくしました。ほどよい風が吹いて、楽しい凧揚げになりますように。
 気になりながらまだ見つかっていない物がいくつかあります。大体机のあたりだろう。あの本棚だろう。あの引き出しだろう。見当はつけているのですが、まだきっちり探していないのです。「また探そう」と思っているうちに年末大掃除。この機会に探します。
 ここまで書いて、心当たりを探しましたが、ありません。 …… どこにしまったのでしょう。思案していると、「むかし、友だちの年賀状に、母の『タカラサガシ』を毎日手伝っていますと書いてあったわ。私たちもそんな歳になったわね」と道子さんに言われました。
 大工仕事をするといろんな道具を使います。その道具を探すのに手間取って能率が上がりません。「いま使ったところなのに、どこにいったのだろう」。やっと見つけて「なんでこんなところに置いたのだろう」と考えますがわかりません。
 そういえば一級建築士の人に「段取り6分仕事は4分」と言われたことがあったなー。いや段取りは8分だったか。「なんでそんなに段取りが必要なんだ」と思ったけど、あれは真実ですね。
 あれこれ考えるのですが……。道子さんは『こんまり』(近藤真理恵)さんの片付け本を読んで、リバウンドなしで一生快適に暮らせる片付けにはまり、台所、衣類、本箱と着々と片付けていきます。片づけ軍がじわじわぼくの領地を侵略してくるような心地がして落ち着きません。
 でも、あれは……。かすかに、特別なところにしまった記憶がある。それがどこだったか思い出せないなー。もう一度探すしかないなー。
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お正月が来ます。

2011年12月27日 01時01分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 頼まれていた青竹を裏山から切り出したら、きのう道子さんが門松をつくりあげました。葉牡丹は畑に種を播いて、ムシに食われないよう防虫ネットをかぶせて育てたもので、裏山から松、南天、ソヨゴなどを採ってきて我が家で採れるものでつくった「自給自足門松」です。
 このごろ裏山に植えた木木を見て歩くと、なんとなくうれしくなります。植えた木はどんなに長くても5年に達しませんが、それでもたくましくなっている木があります。
 はじめて木を買いに行ったとき、「竹薮の竹を切って苗木を植えたい」と言ったら、植木屋のおじさんに「私ならそんなところに木は植えません。もし植えるとしても、深く大きな穴を掘って、竹の根を全部切って、枯れても惜しくないような木を植えます。おまけに下は粘土でしょ。水はけはわるいし、植えても無駄というものです」と言われてしまいました。
 そうなのか。それで竹薮には他の木は育っていないのか。生えても日が当たらず枯れてしまうのか。
 妙に説得力のなる植木屋さんの言葉に、意欲を削(そ)がれてしまいました。そこで「枯れて元々」と一本100円の枝ぶりのわるいサザンカや安売りコーナーの苗木を買って、つぎつぎと植えていきました。はじめは植木屋さんに言われた通り、深さ50センチ以上、直径1メートル以上の穴を掘りました。『花と野菜の土』を何袋も入れて踏み固め、その上に小さな苗木を植えました。でもそんな穴をひとつ掘ると半日かかってしまいます。そのうち深さは50センチ直径は50センチ程度の穴に植えるようになりました。それでも育っています。
 木はほんとに根付くと、木の生命力・たくましさをあたりに放つようになります。例えばミモザ。3月から4月にかけて小さい黄色の花をつける木ですが、はじめは細くひょろひょろしており、無事に育つだろうかと心配しました。前の家でミモザを枯らしてしまったことがありますから。それが植えて2年目の今年、背が高く太くなり、びっしりつぼみをつけています。早春には花が咲くでしょう。
 木を植えようと穴を掘っていて、地中に現われた竹の根を切るために、ツルハシを力いっぱい振り下ろしました。そのとき3年前に植えた柚子の木にツルハシが触れ、枝分かれしたところが裂けてしまいました。「かわいそうなことをしてしまった。ボンドでくっつけられるだろうか。とりあえず針金で裂けたところをくくっておこう」先日見て感激しました。半年ほどの間に傷を自分で治して、裂けたところがくっつき、太くたくましくなっているのです。
 桃花姫コブシ、友禅ケヤキ、キンモクセイ、サンシユウ、ネコヤナギ、ライラック、ハナミズキ、モミジ、イチョウ、ツバキ(侘助)、ハナズオウ、ハナカイドウ、ユキヤナギ、エニシダ、レンギョウ、槙、サザンカ、桃、サクランボ、花紅梅、柿、ジンチョウゲ、アオキ、マンリョウ……。こんなにみんながよく根付くとは思いませんでした。新しい年になったら寒肥をあげて、また来年たくましくなってもらいます。

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愛宕さんに年末のお参りをしました。

2011年12月25日 23時13分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 日曜日に娘や孫たちが来たので、総勢7人で愛宕さんに今年の感謝を込めてお参りしました。ここは小さい社で鳥居はありませんから、立ち木から立ち木に細い綱を張り、それに紙垂(しで)と注連縄をつけてお正月の飾りとしました。『紙垂』(しで)というのは神社にさげてある切った紙のことです。前の晩ネットで紙垂の作り方を調べ、半紙でつくっておきました。
 写真では手前の上のほうに下げてあるのですが、風に吹かれてわかりにくいですね。
 きょうは風があるから凧揚げもしようということになり、昼からは山の田んぼのほうに行きました。寒いので妙子さんの切った竹の枝を燃料にして焚き火をしながら凧揚げをすることになり、おじいちゃんは軽トラで燃料と簡易カマドを運びました。ところがいざ凧を揚げるというとき、強風が吹き、糸巻きが手から離れて飛んでいってしまいました。
 山の田んぼはまわりに人家や電柱がまったくありません。広い広いスペースが広がっています。木立ちもずっと遠くにあり、田んぼばかりです。だからどこかに引っ掛かるということがなく、遠く高く飛んでいってしまいました。やっぱりお正月になってから揚げることにします。
 年内の畑仕事はほぼ終りました。雨が降りません。畑はカラカラです。でも凍結するので水やりもできません。朝のうちに10ミリくらい降ってくれるとちょうどいいのですがね。
 あとは大掃除と年賀状書き。道子さんは近藤真理恵さん(こんまり)の片付け本を読んで、いま片付けに燃えています。ぼくは圧力は感じますが、まだ片付ける意欲はありません。このまましばらく状況を見ます。
 
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愛宕さん・祇園さんにお参りしました。

2011年12月23日 04時17分26秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
「今年中に裏山の愛宕さん・祇園さんにお参りして、無事に一年をすごさせていただいたことを感謝しよう」と12月に入ってずっと考えていました。でもぼくは膝が痛いし、道子さんもしんどいし、きょうは寒いし……もう少し先にしよう、とぐずぐずしていました。
 ずっと思っていると、ふっとその気になるときがありますね。きのうは特別あったかいわけでもなかったのに、裏山に登る気になりました。参道にとりついて、ゆっくりした足どりで登ります。山のクヌギ・コナラは全部葉が落ちて、参道に積もっています。孫たちと登ると自分のペースがつかめず息が切れますが、「この孟宗は今年生えた竹だな。あの松も枯れてしまったんだな」と竹やぶを見ながら登るとらくなお参りでした。
 夏、当番の家が掃除をしてからだれもお参りした村人がいないのか、おととしととのえた石の社は落葉に埋もれています。まず落葉を掻いて社の前をきれいにしました。ホームセンターで榊を立てる花立てとお供えをする台を買っておいたので、それにふもとの畑でとれたサツマイモをお供えし、賽銭を置き、ロウソクを立てて火をつけ、お神酒をあげます。お留守だった神さまが戻ってこられたようです。手を合わせて我が家の、この村の、今年一年の『平穏』を感謝しました。
 お参りのあと畑の落葉や遊歩道の枯れ草を掻き集めて燃やし、あの台車を軽トラに積んで持ち帰りました。ふだんは畑に置いておくつもりですが、雨水が溜まらないように荷台に穴をあけ、塗装します。
 98歳の母・妙子さんは、ぼくが写真入りで印刷した自分の20枚の年賀状を机に並べ、リストをつくったり並べかえたりして一日を過ごしました。身内や文学仲間に出す年賀状です。「お元気ですか。 / お会いしたいですね。 /とか一言自分で書きたすと、喜んで見てくれるよ」というのですが、それがおっくうになったようです。そういう姿を見ていると「ああなるんだなー」とこれから先の参考になるような気がします。
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コイモの防寒対策をしました。

2011年12月20日 04時18分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 きのうはコイモの防寒対策をしました。50株あまりつくり、30株は来年食べることになります。掘ったり洗ったり調理したりの手間を考えるとつくり過ぎです。今年は二うねつくりましたが来年は一うねにします。写真は防寒対策をしたコイモのうねです。枠をつくって土をかぶせ、落葉を入れて空気の層をつくり、その上にモミガラを入れました。
 それにしてもこの畑はいい場所にある、と気に入っています。写真は夕方撮りましたがまだ夕日が当たっています。西は地平線に近いところに日が沈むので冬至でも5時近くまで日が当たります。夏は太陽が北寄りに沈むので畑は山の陰になり、暑さをしのげます。眺めも日当たりもいい。恵まれています。自分の思惑であれこれ考えてもこんなにうまくいくはずはありません。やっぱり裏山の愛宕さん祇園さんに年内にお参りすることにしましょう。
 道子さんが「白菜がこんな食べ方でつつかれてる」と見せてくれました。ムシでなく鳥のようです。ヒヨドリは大食漢ですからアッという間に食い荒らしてしまいます。ブロッコリーや白菜に明日はネットをかけることにします。
 雨が降らないので畑がカラカラになってきました。凍結するので午前中に少しだけやることにします。大麦を播くのが遅かったようです。二うねは5センチほどに伸びていますが、もう一うねはまだ芽が出ていません。年内に出るでしょうか。
 麦踏みをネットで調べてみると、3、4葉が出た頃から10日ほど間を開けて三回踏むと書いてあるサイトが多いようです。年内に一回、年明けに二回と書いてあるサイトもあります。でも5センチの幼葉では小さすぎます。麦踏みは、《①霜柱で根が上がるのを防ぐ ②苗を強くして分けつを促す》ためにやるそうです。田舎暮らしをはじめてから『分けつ』という言葉を知りました。
 稲や麦の苗が株分れして増えることです。田植えを見ると、ほんの一、二本の苗を植えていきます。こんな苗で米ができるのだろうか、と不安になるほど頼りなく見えます。それがある時期から株が増えて太くなります。麦踏みで分けつが促される。しっかり踏まなくては。でも年内は無理ですね。
 
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今年の落ち葉掃除は好天にめぐまれました。

2011年12月19日 01時48分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 山のクヌギ・コナラはすっかり裸になりました。落葉が道路に積もっています。そこでご近所に呼びかけて、『高山』(古い「小字」の地名)への道路を掃除しました。今年は全部の家に参加していただき、1時間の作業で150メートルのアクセス道路がきれいになりました。老人会長さんが旗を持って来られ「農水環事業に申請したらいいから写真を撮っておこう」といわれ、ぼくが旗を持って作業中の写真をパチリ。今年の申請は終っているそうですが一応記録しました。
 作業が終るとごほうびのおしるこ。我が家のウッドデッキでお茶しました。「ぼくらが元気なうちは音頭をとります。年末恒例の作業にしたいですね」という話に皆さん賛成してくださいました。今年は乾燥していて落葉が軽く、あつかいやすくて気持ちよく働けました。道がきれいになって、高山にいいお正月が来るでしょう。
 そうそう、来年になるまでに一度愛宕さんにお参りしなくては。先日池をまわって龍神さまにはお参りしたけれど、裏山の愛宕さん祇園さんには参っていません。神さまにはいろんなレベルの神さまがあって、ひがんだりすねたりする神さまもあるという話ですから、平等に信心しなくてはね。
 午後は昼寝のあと畑仕事をしました。コイモが30株ほど残っています。掘らないでモミガラやワラをかぶせて畑で保存しようと思います。散歩の途中よく声を掛けてくださるとなり村の人が「よう手を入れてはるなー」畑を見渡していかれました。することはキリがないほどありますが、それでもうれしかった。
 コープ瑞穂農園の堆肥は早速道子さんがしっかりつかっています。タマネギは追肥をしてから数センチ堆肥でおおいました。ソラマメも保温をかねて堆肥で根元を埋め、耕運するうねには堆肥を梳き込みます。まだ大工仕事も残っていますが、きょうは畑仕事に精を出すことにしましょう。
 
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いろんな『仕事』が遅れ気味です。

2011年12月17日 05時23分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 数日前の朝、ウッドデッキから撮りました。いま太陽は写真の右端の外から昇ります。冬至までわずかですから一番南寄りに近いところです。夏至には太陽は写真の左側の外から昇ります。そうなるように撮りました。春分・秋分のときは中央から昇ることになります。ココに住んで5年、朝シャッターを開けてウッドデッキに出て、太陽の昇る位置を意識するようになりました。
 これから冬になりますが、うつ気味の人に聞いたことがあります。「冬至や夏至といっても厳冬・盛夏からは少しずれています。だからふつうの人は冬至になっても <これから冬。まだ日が短くなる> という感覚だが、うつの人は敏感に、<冬至が過ぎた。これから日が長くなる> と感じますよ」と。日の出を見ながらよくその言葉を思い出します。いま朝日新聞は夕刊で『うつ病』の取材を連載していますが、大変な思いで生きておられる人のことを思うと、「早く日が長くなるといいな」とつい願ってしまいます。
 今年は大工仕事が11月から12月にかけて入ったので、畑や家の仕事が遅れ気味です。
○ 12月に入るとすぐ軽自動車はスタッドレスタイヤに変えていましたが、今年はまだノーマルタイヤのままです。冷え込んでいるし、雨でも降れば身動きできなくなります。なんとか数日中に。それとも今年からガソリンスタンドに頼もうかな。
○ コイモの防寒対策がまだできていません。今年はしっかり肥料をやったのでよくできており、まだ30株以上残っています。冷え込んできたし、モミガラをかぶせておおわねばなりません。
○ 黒大豆の脱粒ができていません。去年は12月はじめに娘たちに手伝ってもらって脱粒しましたが、今年はまだサヤのまま干しています。お正月の黒豆だけでもサヤをはずさねば。
○ 年賀状を考えて印刷しようかという時期ですが、まだ手付かず。今年は写真入りにするか思案中です。床のワックス掛け、大掃除、片付け、家のまわりの整理とあれこれすることが残り、年の瀬という意識が遅れています。
○ 我が家のまわり数軒が、落葉を掃いてきれいな道にする時期で、明日の日曜日に清掃を呼びかけました。清掃までに道路わきの草を刈っておこうと思いながらまだ。きょう刈ります。
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コープ瑞穂農園の堆肥をもらってきました。

2011年12月16日 04時17分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 台車ができたので、きのうはコープ瑞穂農園に堆肥をもらいに行きました。いままで軽トラの荷台に枠をとりつけてもらいに行ってましたが、前回からシートで代用することにしています。このたびも12畳のシートを荷台に広げ、大きなパワーシャベルでどさっと入れてもらってからヒモをかけました。
 このたびはコープの若いにいちゃんがパワーシャベルに大盛りにしてくれたので、いつもの容器二杯に入りきれません。円筒形の容器に山盛りにして、それを道子さんが踏み込んでなんとか蓋をしました。これで来年春の植え付けまでつかえます。さしあたりタマネギのうねに追肥し、その上を堆肥でおおうことにします。
 ところで台車の使い心地ですが、なかなかいい。これがあるから能率が上がるというシロモノではありません。しかし軽トラを土手に乗り上げ、堆肥を立方体の袋に入れ、それを二人で掛け声をかけて台車に積み、押して容器のところに運ぶ。その押すところがホッとする時間になりました。いままでは袋を力を入れて引きずって運んでいましたから、ここが一番の力の入れ所でした。それが押すだけでいい。鼻歌でも出そうな気分です。
 台車は長く使うことにします。雨がたまらないように台車の床に穴をあけ、木枠などを塗装します。今回は軽トラで家を出てから全部の堆肥を容器に入れ終わるまで2時間半の作業でした。
 
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タイヤ車輪の台車ができました。

2011年12月15日 05時43分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 きのうは午前中タイヤ車輪の台車づくりに精を出して、なんとか昼前に出来上がりました。90センチ×65センチの台車で、補強を兼ねて荷台に枠をつけています。あり合せの材木を使ったのですが、ずいぶん重量のある台車になってしまいました。
「こんなものを畑に置いても使うことがあるだろうか」と自分でも疑問に思いますが、孫の遊び道具にはなるでしょう。堆肥を畑の端から立方体の袋に入れて運ぶとき、引きずらないで台車に載せて運べるし。でも家に車輪があったからつくりましたが、なければわざわざ車輪を買ってこんなものをつくらなかったでしょう。内心では「大八車があればいいな」と思っていますから。
 写真後ろは村の墓場の土手ですが、きれいに刈ってあります。ぼくがナイロンコードで刈りました。これだけの広い畑を好きなようにつくらせてもらう。何百年も前から先祖代々の村人が田んぼをつくり、その土をつくってこられたことへの感謝のつもりです。畑や田んぼの土は、作物をつくる一人前の土になるまでに400年かかる。そう聞いたことがあります。
 それに畑でいろんなことをするのを『仕事』『仕事』と何か偉業をなしとげているように言いますが、豆ガラなどを燃やしながら「結局ぼくは、こうして火遊びしたり、土いじりしたり、水遊びしたり、好きなことをしてるだけだな」と思うことがあります。何のノルマもなく、好きなように遊べてしあわせです。
 午後は、ウッドデッキにとりつけた屋根に雨どいをつけました。庭に立てた高さ2メートルの脚立にまたがって作業しましたが、「足場さえしっかりしておればまだ大丈夫」と思いました。それと、もう一つ用心にすること。「脚立は倒れないようにヒモで二方向に引っ張っておく」これからはそうします。
 夜は交通安全指導員の忘年会がありました。村の老人会は新年会しかしないので、ぼくの唯一の公的な忘年会です。バスを持つ食堂が、口吉川町の幹線を走ってバス停で乗せてくれるので、大っぴらに飲めます。といってもビールをコップに二杯半程度ですが。この会もぼくは今年で終りです。交通安全指導員には定年があるようでないそうですが、一応75歳が目途です。来年は後期高齢者になるし、人の交通安全を指導するなんておこがましい。どなたかに交代します。
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たのしみながら大工仕事をしています。

2011年12月13日 02時53分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 写真の幅1メートルの流し台は、家が完成する前にひよどり台の『カインズ』ホームセンターで買ったものです。流し台は売ってあってもふつうは幅が50センチちょっとです。これをやっと見つけて、展示してある現品をもらいました。そして家が建つとすぐ玄関脇に取り付けて、収穫した野菜を洗ってきました。
 でも雨が降ると合羽を着て洗うことになるし、日暮れると玄関の電灯をつけて横にもれる明りをたよりに洗うしかありません。また玄関横に流し台があると一応片付けようとしますが、ついつい噴霧器とか野菜収穫用バケツを置いてしまいます。それを隠すために流し台の前に大きな木製プランターをつくり、ボックスウッドを5本植えました。通行人はほとんどありませんが、植え込みの垣根のつもりです。
 サツマイモやコイモや野菜を収穫するとまず、畑の農業用水で大まかに泥を落とし、この流し台で洗ってから家に持ち込んでいました。でも「雨とか夕暮れの暗さをなんとかしたい」とずーっと思っていました。それが5年目にやっとできたのです。きっかけはウッドデッキの屋根をつける大工仕事でした。ポリカーボネートで屋根をつけてみて、「これなら玄関脇にもつくれそうだ」と思い、少しずつ手を加えてこれで完成です。
 きのうは幅1メートル10センチ・20センチと25センチの二段の棚を流し台の上に取り付けました。3×6の塗装コンパネを切ってつくるのに半日かかりましたが、裏の小屋で作業しながら、「ぼくは大工仕事が好きだなー」と自分で感心していました。もしきらいな仕事だったらこの上ない苦痛でしょうね。
 午後は、また裏の小屋で、運搬台車の車輪を取り付けました。畑で使う運搬台車はあと二日ほどかかるでしょう。それだけまた大工仕事をたのしめる。たのしみを少し残して、畑に出てヤーコンの残り4株を掘りました。大きな芋ができています。去年は駄目でしたが今年は豊作です。
 そうそう、おととい播いた大麦のうねに、ぐぐっと掘った跡を見つけました。イノシシが来てミミズを掘ったのか。そういえばこのところラジオをつけていませんでした。コイモくらいしか食べるものはありませんが、また夜中はラジオをつけることにします。
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イチョウが落葉しきりでした。

2011年12月10日 04時58分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 緑ヶ丘に買物に出掛けるとき、20号線を走りながら高階のイチョウを見たら、裸木になっていました。「落葉前の黄金色に輝くにはあと二日ほしいかな」と9日前に眺めたのに。そこで12月4日にはじめて訪ねた志染愛真ホームに足を伸ばしてみました。あのとき落葉のなかった地面は黄金色の絨毯を敷いたようです。先日落葉を掃いておられた91歳の方にお会いして、先日の写真を渡しました。ここのイチョウはまだ葉がついており、あと二日くらいはイチョウの落葉シャワーが見られるでしょうか。なんともいい眺めです。
               
 こちらはうちの村の道端にある柿の木です。鈴なりのまま秋が終わりました。カラスも食べず人間も食べず、もうすぐ地面に落ちるでしょう。こんなに一生懸命実をならせたのに。散歩しているとそんな柿の木を見かけます。限界集落の柿の木も、廃村の柿の木も、精いっぱい実をならせているのでしょう。そして日本の柿は100分の1も食べられない。うちもあちこちからいただいた柿を食べきれないまま秋が終りました。
 寒くて畑仕事をする気になりません。コイモの防寒対策とかヤーコンを掘ってしまうとか、いろいろ気になることはあるのですが。
 そうそう、台車もつくらなくては。
 実は、年内にタマネギの追肥をしなければなりません。タマネギ追肥のとき肥料をやったら、その上にコープ瑞穂農園の堆肥を撒こうと思っています。そのためには軽トラで堆肥をもらいに行かねばなりません。もらってきたら四角の袋に入れて畑を引きずって容器に入れるのですが、その「引きずる」のをやめようという話になりました。かなりの力が必要だし、そんな力仕事はしないことにしたのです。どうするか。四角の袋を台車に乗せて運ぶ。その台車をつくらねばならないのです。タイヤ付きの車輪は4年前に買ってあります。むーな村の壁車として付けてみましたが大きすぎて駄目でした。その車輪を使って台車をつくる。4年間ぐじぐじしていましたがこのたび思い切って台車をつくることにしました。 ……  さー、とりかかるぞ!
 こんなふうに気合を入れないと、どうもやる気になりません。こんなことで台車ができるでしょうか。
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龍神さまに感謝しました。

2011年12月08日 02時04分14秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 志染愛真ホームの庭に立つ大きなイチョウです。12月4日に訪ねたのですが、この日は地面の落葉はまだわずかでした。でも今ごろはイチョウの葉が絨毯んのようになっているでしょうね。
 きのうは、龍神さまに感謝して近くの6つの池をまわりました。まず蛇が池。ここの蛇が西中の山に登り、龍神になって天に昇ったと言い伝えのある池です。冬になり、いろんな鴨が飛んできています。卵をお供えし、塩とお酒を振りまくよう聞いていますので、池の縁で拝みました。次に九文小池。よく魚釣りに来る人がいる池ですが、いまは水が減っています。それから我が家の裏山の向うにある福地池。軽トラに乗り大まわりして大池、そのそばの佐の広池と二つの池でお供えをしました。最後は我が家と畑の途中にある一番小さい施無池です。
 なぜそんなことをしたか。
 実は5日6日と一泊で蟹を食べに行きました。弟に泊りに来てもらって母はお留守番です。いままでは車で行っていたのですが、はじめて新三田から電車に乗って出掛けました。その帰り、篠山口で特急から普通電車に乗り換えるときに駅の階段で転んだのです。7、8段残っていた階段をふらついて駆け下り、プラットホームに転げ落ちました。どこがどうなったかわかりませんが、足が階段のゴムに引っ掛かったような気がします。
 どこか打ったか、怪我をしたかと電車に乗って点検しましたが、どこも大丈夫だったようです。これは何か大いなるものに守られている。……というわけで近くの龍神さまを拝みました。神さまは、あちこちに、いろいろおられるのでしょうが、とりあえず。
 須磨の名谷に暮らしていた6年前、ある老人にこんな話をききました。
「えらい目に遭いました。二丁目のバス停に行こうと歩いてたら、バスが来たんです。ちょっと走ってバスに乗ろうとしたとき、クッと胸が痛くなって……。入院、心臓の手術ですわ。年寄りはあきまへんなー」
 そこのバス停はぼくもよく乗ります。どんなに長くても15分もすれば次のバスが来ます。しかしバスを見るとつい走ってしまう。よくあることです。でも老人はそんなことをしてはいけない。
 6日帰るときは、特急が途中で行き違い列車を待ったので5分遅れていました。篠山口で特急を下りて普通に乗り換える。その車内アナウンスを聞き漏らしたか。あるいはなかったか。もし普通(丹波路快速)が出てしまったら30分待つか。あるいは昼時だから1時間待つか。ホームに待っている電車が見えます。あれが出てしまうのではないか。いろんなことが頭の中で交錯し、「ホームが違うのではないか」という声もし、焦ってふらついたのでしょう。
 ホームにはエレベーターがありました。もし階段を下りるにしても手すりは持つ。また、このたびはネットで帰りの乗り換えを調べて、プリントアウトしていました。その紙を見て発車するホームや発車時刻を認識していたら、焦ることはなかった。紙は机に置いたままでした。
 年寄りになったなー。慎重に行動しないといけないなー。足場に上っての大工仕事なんか危ないなー。平静ならよくわかっていることなのですが。振込み詐欺なんかも他人ごとではありません。
 転んだのに大丈夫でした。やっぱり大いなるものに守られています。ありがとうございます。
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なんとも美しい自然に囲まれたホームを見つけました。

2011年12月05日 02時53分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
             
『赤玉のアン』という卵の直販所・藤原ポートリーファームに、鶏糞堆肥をもらいに行きました。11月に行ったときは大量の注文があって予約しないと入手できませんでした。ここの鶏糞は燐酸・カリは多めで窒素分がほとんどなく、さらさらとして使いやすいので愛用しています。山の植木に寒肥をやるので畑の分と合わせて10袋もらいました。
 さて軽トラに堆肥を積み込んで「いまから畑に出ても少ししか時間がない。ドライブしてみよう」ということになり、農道を神戸のほうに走りました。11月30日のブログで「今年の紅葉は冴えない」と文句をいいましたが、12月に入って冷え込み、ようやく山山が色づいてきました。クヌギ・コナラなどの雑木林が夕日に映えています。少し御坂神社のほうに農道を走ると、左手奥に色鮮やかなイチョウが見え、そばにマンションのような建物があります。
「あんな山の中になんでマンションがあるのだろう。あのマンションがあるということは、そこに人が住み、自動車の通る道があるということだろうから、とにかく行ってみよう」
 農道を左にそれて山の中の道を上っていくと、山山の雑木林の色合いがなんともいい。車を止めて写真を撮りました。さらに上っていくと道は行き止まりで、一人の年配の女性が、アスファルト道路のイチョウの落葉を掃いておられました。車を下りて建物を見ると《志染愛真ホーム》とあります。
 イチョウの木は建物より背が高く、太く、輝くように黄色で、まだ葉は落ちていません。「立派な木だ」と感心して見上げ、道子さんは道路を掃いておられた女性と立ち話をはじめ、ぼくは建物前の広場を歩きまわりました。写真は広場から眺めた山で、高台にある建物の先は池になっており、池の向うの山山が色づいています。写真の上のほうにわずかに写っている枝は桜です。広場を囲むように桜の大木が立ち並んでいます。花見の頃はさぞ見事な眺めでしょう。そして若葉の頃……。 こんな素晴らしい自然環境があるとは。
 何の宣伝でしたかコマーシャルで「お友だちになりたいわ!」というフレーズがありましたが、ここの住人と知り合いになりたい。花見の頃に孫たちと来てみたい。あとで道子さんの話を聞くと、ここは軽費老人ホームだそうです。ネットで調べてもくわしいことはわかりませんが、この自然環境には深く魅かれます。もうすぐイチョウの葉が散るでしょう。落葉しきりの頃に来てイチョウの葉のシャワーを浴びてみたい。そんな気持ちを残しながら帰ってきました。
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