古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

岡本知高さんの歌を聴きに行きます。

2018年01月30日 02時48分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは用事があって、よかたんの近くに出掛けました。寒いし、家に帰っても外仕事はしたくないし、ちょっとドライブ。ついでに東条図書館に寄って、本を借りました。図書館とコスミック・ホールがいっしょの建物で、入口に各地の音楽会のポスターやチラシが置いてあります。
 ぼくが本を借りて出てくると、道子さんがポスターを見ています。見ると「岡本知高コンサート」!。エッ‼? どこで? 市川町文化センター(ひまわりホール)。遠いなあ。いつ? 今度の日曜日。(2月4日)道子さんが行く気になったらぼくはもちろん賛成。
「こんな機会はまずないから行きましょう」というので、ポスターの電話番号にその場で電話しました。チケットはまだありました。家に帰って、市川町までの道路、かかる時間を調べました。ちょっと遠い。
 道子さんの好きなカッチーニのアヴェ・マリアもプログラムに。いまからワクワクします。
 
 そういえば偶然の出会いのような音楽会に、いままでも行ったことがあります。
 2009年5月には、小野市のホールで梯剛之さんのピアノ演奏会がありました。ヨーロッパを中心に演奏活動をしておられる盲目のピアニストです。なんでそんな著名なピアニストが小野まで来られたのか。エクラホールをつくってピアノを購入するときに、梯剛之さんに相談したとかなんとか。
 演奏会の前日、たまたま三木の道の駅に寄って、彼の演奏会のチラシを見掛けました。
「なんと、明日演奏会がある! チケットは?」その場で電話したら2枚だけありました。しかも前の席です。なんという好運! すぐに小野までチケットを買いに行って、翌日「オール・ベートーベン・プログラム」を聴きました。

 もう一つは「高島ちさ子と12人の美女バイオリニスト」のコンサートです。これは滝野町のホールで狂言の催し物を見たとき、偶然チラシを見掛けたのです。場所は多可町のヴェルディー・ホール。すぐに電話したら一番後ろの席が2枚だけ残っていました。人気のコンサートだったのにラッキー!
 冬の寒いときでしたが田舎のほうまで車で出掛け、満ちた気分で帰路につきました。
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お尻や背中がつつまれた感じです。

2018年01月29日 02時18分51秒 | 古希からの田舎暮らし

 注文していた『スタイル・ドクターチェア』が、きのう届きました。すぐに荷物をほどいて、デッキのテーブルに置いて、記念撮影しました。外は雪がちらついていましたが。
 お尻や背中がスッポリつつまれた感じがなかなかいい。
 このイスは、先日紹介した「スタイル・アスリート」と同じ会社が発売しています。あのイスは瞑想のときに使っていますが、20分座るのにちょうどいい。でもそれ以上長く座る気はしない。
 ところがこちらの『スタイル・ドクターチェア』はずーっと座っていたい。座ってテレビを見たり新聞や本を読んでいたい。しかも無理なく背中が伸びて、自分も気持ちがいい。
 値段は3万円以上します。「こんなものが35000円もするなんて」。高すぎる。見向きもしませんでした。ところが先日またホームセンターに行ったときに座ってみました。とてもいい感じ。
「よし、買おう!」
 なぜかそんな気になって注文したのです。きのうはテニスの全豪オープンの決勝戦がありました。フェデラーとチリッチの対決。それをこのイスにずっと座って見ていました。
 気のせいか最近運転したり座ったりするのに、背中が伸びてる感じです。80歳にもなったんだから腰や背中が曲がってもいいけど、背中の「だるい」感じはしないほうがいい。腰が痛くならないほうがいい。
 愛用することになりそうです。それにしても値段はよすぎます。
 

 
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ブルガリア・アンジェリーテ(合唱団)の声

2018年01月28日 04時21分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは、西宮の芸文センターに行きました。ブルガリアン・ヴォイス「アンジェリーテ」の公演を聴くために。ブルガリアというと「ヨーグルト」と相撲取りだった「琴欧州」を連想するくらいです。でもなぜか合唱団のCDを持っていて、聴いたことがあります。
 いつものように車で名谷に行き〈地下鉄 ⇒ 三宮 / 阪急 ⇒ 西宮北口〉と行くつもりでした。ところが家を出る頃になって雪が降ります。
「ひょっとして積もるかもしれないから、神戸電鉄の恵比須(駅)に車を置いて行こう」と道子さんが心配します。高速道路で名谷に行くつもりでしたが、雪が積もったら危ない。このあたりは慣れてない車が多いし。
 ということで恵比須の駅前駐車場に車をとめて電車で行きました。新開地で乗り換えるのもすぐだし、ずっと座って行けるし、らくでした。これから出掛けるときは、なるべく車の距離を短くして、この行き方がいいかも。
 アンジェりーテは「ア・カペラ」(無伴奏)で歌う20名の女性合唱団です。まず衣装に目を奪われます。写真を撮れなかったのは残念。座席は大ホール・3列目の「かぶり付き」だったのに。
 合唱は「いやし」の不思議な声です。知ってる歌は一つもありませんが、うっとり眠くなります。第一部の終りに「赤とんぼ」/アンコールに「ふるさと」/を最後まで日本語で歌いましたが、あの多重唱の声に、聴衆は身も心も、すっぽりつつまれました。
 プログラムにこんな文が載っています。

 
 (ブルガリアは)古代トラキア文明から東西文化の交流地点であり …… そのメロディーには様々な要素が混ざり合っています。500年に及ぶオスマントルコの支配の下、ブルガリアの大地は、悲しみも、苦しみも、安らぎも、喜びも、すべてを経験してきました。
 その大地でブルガリア人は、自分たちの歌を守り続けてきました。内面から湧き出る歌姫たちの美しさ、優しさ、純粋さ、陽気さがメロディーにさらなる深みを …… 優しく包み込むような包容力の秘密があります。


 悲しみの長い長い歴史があったでしょう。その悲しみを養分として生まれた深い歌声を、生で聴く時間が自分の人生にあってよかった。CDを聴くたのしみがふくらみます。
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スタイル・アスリートに座って瞑想しています。

2018年01月26日 02時51分17秒 | 古希からの田舎暮らし
 
 これは「スタイル・アスリート」という、骨盤を正しく、体幹をきたえる座椅子です。ホーム・センターで試しに座ってみて、なんとなく買ってしまいました。ぼくは朝の瞑想のときに足が組めないので椅子に座ります。12月からは椅子に置いたこの器具に座って、瞑想しています。
 説明では「最初は15分くらいにしてください」と書いてあります。20分間の瞑想で座るのにちょうどよい。2ヵ月目になる今頃は、これに座ると体も心も姿勢が決まります。気に入ってます。

 ところでこの写真ですが、新しいカメラで撮りました。キャノン〈IXY〉です。スマホで写真は撮れますが、やっぱりカメラを構えて撮るのがいい。
 ぼくは中学3年生のときに〈写真機病〉にかかりました。寝ても覚めても「自分が写真機を持つ」ことを空想して、毎日本屋さんに通いました。カメラ雑誌のカメラの広告に見とれるためです。子どもがカメラ雑誌を買うことなど考えられない時代でした。日記にも毎日カメラのことばかり書いていました。
 見かねたのでしょう。高校生になったある日、母が写真機を買ってくれました。
〈オリンパス・シックス〉という蛇腹式のカメラです。
 ぼくは学校から帰ると、毎日息をひそめるようにしてカメラを眺めました。息がレンズにかからないように。フィルムは高価ですから毎日写すのは一枚だけ。あとはファインダーを覗いて構えるだけ。そんな日々がつづきました。友だちには秘密にしていましたが、どうしても我慢できなくなり「ぼくはカメラを持っている」と話してしまいました。その日数人の子がカメラを見にぼくの家にやってきました。「見るだけだぞ」といいましたが、結局みんなが手に持って、ファインダーを覗いて写す真似をしました。
 そんな〈カメラ少年〉でしたから、レンズ付きフィルム(使い捨てカメラ)が発売されたときは、なぜかガッカリしました。憧れのカメラがおとしめられたような気持になりました。
 やっぱり写真はカメラで撮りたい。スマホでも少しは撮りますが、これからもブログの写真はカメラで撮ります。
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寒くて外に出る気になりません。

2018年01月25日 03時31分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山に植えた樹樹に寒肥を施したり剪定するのに、この「寒さ」はちょうどいいです。しかし人間には寒過ぎる。で、きのうは母の顔を見に行き、図書館で本を借りて帰りました。
 母はお風呂に入れてもらったあとで、気持ちよさそうに眠っていました。「ショートステイ日記」と称して2012年からノートにコメントを書くのですが、7年で18冊目になりました。(特大の字で書いてます)この頃は書くことがなくて「今日は寒いのにここはあったかい」とか。
 図書館で本を借りて帰る途中も道路工事の交通整理員が、通る車にゴー・ストップの指示をしています。車からちょっと出るだけで震え上がるのに、2時間も3時間もずっと外に立ってたらどんなに冷えるか。立っているのは高齢の方が多いようです。
 連想は北朝鮮にとびます。北朝鮮の木造船が新潟あたりに漂着したニュースがありましたが、あの国の人々はこの寒さの中で、食うや食わずの生活をしているでしょう。木造の小さな船で冬の荒海に漁に出る。無謀。でもそうするしかない。着るものも食うものも乏しく「希望」という字の見えない日々。
 このブログでも以前紹介しました。 …… 北朝鮮の地方の人に携帯を渡して、生活を話してもらった。「生活が苦しい。希望がない。いっそ戦争が起こってみんな死んでしまえばいい」。
 そんな圧政が何十年もつづいています。たしか『アウシュビッツは終わらない』という本だったと思いますが「ボロ布は反乱を起こさない」という文がありました。
 なんとかならないか。無力な老人はため息をつくしかありません。
 
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味噌を仕込みました。

2018年01月23日 20時05分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 朝のうちに稲美町に行って、注文していた麹をもらってきました。
 家に帰ると、麹を手でほぐしながら塩を混ぜていきます。道子さんは大豆の鍋に付きっ切りで水を足しながら煮ています。
 味噌づくりにとりかかったのは午後。まず電動ミンサーを出してきました。2010年に買った機械です。あのときは「71歳にもなってから電動ミンサーを買うなんてどうかしてる」と思いましたが、どうしてどうして。これで9年(9回)使いました。これがなかったら、50キロにもなる味噌は仕込めません。あのとき買ってよかった。
 味噌づくりは順調にすすみ、夕方には片付けや洗い物も完了。
 大きな一仕事がすみました。
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今日は味噌を仕込みます。

2018年01月23日 01時29分38秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのう、道子さんは朝から晩まで「付きっ切り」で大豆を煮ました。IHコンロ/石油火鉢/携帯ガスコンロ3台/で、大鍋の大豆を煮ます。以前はウッドデッキに、コンパネで「防風仕切り」を作って煮たこともありますが、いまは室内で煮ます。当時の写真をアップします。

 携帯ガスコンロ2台と練炭七輪1台は、外に囲いを作って、一日中大豆を煮ました。この2010年の写真を見て、「8年前はぼくらも今より元気だったんだなあ」と思いました。
 朝から煮て、日が暮れてから仕込んだこともありますが、煮詰まってやりにくかった。それで前日から一日がかりで煮て、次の日に仕込んでいます。
 米麹が23キログラム。大豆7,5キログラムを煮ると23キログラムほどになります。塩も合わせて50キログラムの味噌を仕込むことになります。うちの味噌は〈煮た大豆1対麹1〉と麹の割合を高くしています。「いい土」で育った有機無農薬大豆は味がよくて、味噌の味もいいです。

 ※ 大豆7,5キログラムに対して麹は22,5キログラム。つまり煮る前の大豆1 対 麹3です。
 
 大豆を圧力鍋で煮ると簡単ですが、たっぷり時間をかけて、水を足しながら、飴色になるまで「トローリトロトロ」煮るのが道子さんのポリシーです。すべてはおいしい味噌のために。
 これだけの味噌を仕込むのも来年1月でおしまい。広い畑は今年で返すつもりです。あとは自家用味噌を少しだけつくります。

 全豪オープンテニスの日本勢はすべて敗退。WOWOWで試合を見ても身が入りません。ちょっと見るだけ。錦織圭が去年の夏に休んでからずっと、枕を高くして寝てばっかり。あーあ
 
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「年寄り」の「思い」について

2018年01月22日 02時50分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 去年の12月16日に、三木の文化会館で講演会があり、参加しました。その講演を思い出しては「反すう」しています。
 講師は富山県でデイケア・ハウス「にぎやか」をやっておられる、阪井由佳子さんでした。「お年寄り」だけでなく、赤ちゃんや「しょう害のある人」もいっしょに、自分の暮らしている地域で、ケアする「ハウス」です。この「富山型」ケア・ハウスは、やってくる人の「にんげんらしさ」を大切にする施設で、いま全国に広がろうとしています。
  ※ 阪井由佳子さんの実績や画像は、ネットにいっぱい出ています。
 ぼくの伝えたいのは、ケアハウスのことでなく、阪井さんが講演の中で言われた「お年寄りのこころ」のことです。
 こんな話でした。
「お年寄りになると、世の中の「甘い」も「辛い」も体験して、齢だからとあきらめて、枯れてくる」なんて嘘です。〈ケチ〉だった人は年を取ると〈ドケチ〉になり、〈スケベ〉だった人は〈ドスケベ〉になり、嫉妬深かった人や「文句言い」の人はますますひどくなり、 …… 」。
 ケア・ハウスで長年「にんげん同士」として付き合ってこられた方だから言えることです。
 80歳になって、自分の身や心にてらして、阪井さんの言われたことがよくわかります。昔の皇帝が、何不自由なく生きてきて、最後にのぞむのが「不老長寿」であるのも、身にしみてわかります。
 69歳のとき「田舎暮らしをしよう」と今の地に移り住み、晴耕雨読/行雲流水/明鏡止水/の心境でのんびり暮らす。 …… とまあ、見かけは「絵に描いたような田舎暮らし」をして11年。そんな調子でブログも書いていますが、「のほほん」とした心境だけで人間は生きるものではありません。
 毎朝の20分間の瞑想はいまもつづけています。その瞑想では自分のこころに浮かぶことを「どんなことが浮かぶのだろう」とただ眺めるようにしています。とても「この世のことを悟った人のこころ」ではありません。
 そういう度し難い「いきもの」が「にんげん」なのでしょう。
 年を取った動物は、晩年はどんなことを思って、生きてるんだろう。
 ふっとそんなことを思ったりします。

 なお、あの「凍結浸透ルブ」スプレーは、丸鋸には効きませんでした。
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『凍結浸透ルブ』は効き目があるか。

2018年01月20日 20時37分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 収納棚を作るために、木材を買いました。それを切ろうと電動丸鋸を出してみました。
 電動ジグソー/電動インパクト・ドライバー/電動サンダー/ディスク・グラインダー/電気カンナ/など電動大工道具は、60歳の定年退職後に買ったものです。
 しかし電動丸鋸だけは、必要があって44歳のときに買っていました。昭和50年代です。当時は中国製なんかまだありません。日本製です。(日立の丸鋸)これが実に優秀で、いまも立派に動きます。
 でも丸鋸の歯はときどき替えています。このたびも新しい丸鋸の歯に替えようと、鋸のネジをはずしかけました。ところがネジが回りません。いろんな工具で試しましたが駄目。
 歯を替えれば、いまも役に立ちます。なんとかネジをはずそうとネットで調べてみました。すると『凍結浸透ルブ』という商品に出会いました。
 ネジの部分にスプレーして、マイナス35度まで瞬間冷凍する。 ⇒ ネジと台座が一瞬収縮する。 ⇒ 潤滑油が収縮したすき間に入る。 ⇒ ネジが動くようになる。
 そこで、この商品を通販で買って試してみます。
 駄目なら数千円で、新しい電気丸鋸を買うしかありません。さ、どうなるか。
 
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「寒肥」をやる時季ですがちょっと大工仕事をします。

2018年01月19日 18時11分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 いまは寒くて、まさに「寒肥をやる」時季です。それはわかっているのですが、大工仕事をしたくなりました。長く使ってきた本箱を廃棄して、いろんな物をしまう棚をつくります。
 いまの本箱というのはリビングボードみたいで、いろんな品物をしまいにくい。本は少なくなったし、家族の成長や旅行のアルバムを置く棚がほしいのです。いままでアルバム類は屋根裏部屋に置いていました。でもわざわざそこに上がるのは面倒です。「見よう」と思い立っても屋根裏部屋だと「ま、別に見なくてもいいか」となってしまいます。本棚にあればちょっと取り出して/見る/思い出す/ことができます。
 ひまになったから、むかしのアルバムでも見るのか。
 そうではありません。実は認知症予防には「むかしのことを思い出してなつかしむ」のがいい。だから/オーロラを見る旅/インド旅行/モンゴル旅行/四国88カ所お参りアルバム/西国三十三カ所お参りアルバム/家族の成長ごとにまとめたアルバム/などを取り出して、むかしを思い出す。認知症予防にいいのなら、週に一度か二度むかしをふり返る時間をもちたい。
 それが主な動機となって、本棚づくりを思い立ちました。
 だんだんイメージがかたまって、今日から書棚づくりにかかっています。
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「あの戦争」が「歴史」になってしまった。

2018年01月18日 03時56分29秒 | 古希からの田舎暮らし
 図書館で『自壊の病理』〈日本陸軍の組織分析〉戸部良一著 (日本経済新聞社 2017年4月発行) という本を借りました。1カ月余りで3刷とよく読まれています。「面白いかもしれない」と思って借りました。しかし、ぼくが読んでも、ちっとも面白くない。例えばあの「辻政信」の項です。ノモンハン事件を「独断専行」で仕掛け、多くの損害・犠牲を強いて、負けた。ガダルカナルでも「独断専行」。多大の犠牲を出して敗北。本文を引用します。

 
 ガダルカナルでは、「作戦の神様」の能力は発揮されなかった。(※ 辻は「作戦の神様」と呼ばれていた) …… 敵も違った。辻を含む日本軍は、敵の戦力を正確に把握せず、戦場の地形も充分に理解していなかった。そもそも予定された戦場ですらなかった。
 海兵師団を中心として増強された米軍は、堅固な防御陣地を築き、猛烈な火力で日本軍の攻撃を撃退した。夜襲で白兵戦に持ち込むという日本軍の戦い方では対応できなかった。やがて、補給が途絶えて …… ガダルカナル島は「餓島」となった。
 こうした状況に直面して、辻には臨機の才を発揮する機会すらなかった。絶望的な戦況になっても、必勝の信念に訴え、積極果敢に固執するだけであった。その辻も、作戦失敗を暗黙のうちに認めざるを得なくなった。 …… 
 参謀としての彼の行動は、ときとしてその職分を超え、典型的な「幕僚統帥」となった。これに眉をひそめる軍人もなかったわけではないが、成功すれば、すべて臨機応変の措置と見なされた。失敗しても強くとがめられることは稀であった。偽命令を出しても、追認され、ゆるされた。なぜ、このようなことがあり得たのか。辻が日本陸軍の理念を、極端なまでに追求していたからである。 …… 辻が追求していた、積極果敢、率先垂範、必勝の信念といったものは、だれも公然と反対できなかった。
 そもそも組織が掲げる理念を実践しつつ、 …… 辻の行動が行き過ぎであり間違っていると叱責し、彼を抑えるリーダーは現われなかった。 …… 組織的理念を実践する真のリーダーが、昭和期の陸軍には不在であった …… 。


 のちの記述者が「痛快に『辻』をやっつける」調子では書かれていません。これが「歴史」というものでしょう。でも読んでも全然おもしろくない。ぼくらのもとめる調子は「辻をやっつける講談調なんだ」と気付きました。
 あの無謀なインパール作戦を強行させた牟田口廉也を非難し、多くの若者を「俺も最後に突っ込むぞ」と怒鳴り、殴って、神風特攻隊に追い立て、敗戦後のうのうと生き永らえた富永恭次を非難する、「講談調」をもとめている。
 戦争を実際に体験した兵士たちがほとんど姿を消し、その世代につづいた子供達が80歳を超え、「あの戦争」の生身の体験が歴史に送り込まれてしまった。
 どうしようもない、巨大な時間の歯車の回転を、感じています。
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とんどで頑張った〈ご褒美〉は「延羽の湯」。

2018年01月16日 21時44分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 とんどは盛り上がりました。道子さんとぼくが、あれこれ気をつかって頑張った甲斐がありました。で、次の仕事にとりかかる前に〈ご褒美〉をいただくことにしました。 
 …… というわけで今日は「延羽の湯」に入りました。この温泉は去年11月から3回目です。料金は「1月から3月まで800円」(三木市/加東市/小野市/の在住者のみ)と今回から安くなりました。そのせいでしょう。入浴客の人数が増えています。閑古鳥はまだ鳴いていますが、すぐに潰れることはないでしょう。
 家の近くのきれいな施設が「すぐ廃業にならないで、10年超はつづきますように」(自分の寿命を考えてみて)。
 入浴後はくつろげる休憩室があります。ほこほこするので室外に出て、体を冷やしました。

 まわりはどちらを向いても自然がいっぱい。というか自然しかありません。田舎ですから。
 まえのグリンピアのホテルに行って、夕食をとることにしました。ロビーはきれいです。以前は擦り切れたソファーが置いてありましたが、見違えるほど。ピッカピカ! お客はだれもいないのでくつろいで、パンフレットを見たり。ご褒美ついでに、ここで夕食。うどん屋さんがあったので、天丼セットをいただきました。おいしかった。
 ホテル前のイルミネーションがきれいでした。

 さ、明日から裏山の樹樹に寒肥をあげることにします。
 
 
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「とんど」が盛況でうれしいです。

2018年01月14日 20時20分20秒 | 古希からの田舎暮らし
 午後4時からの「とんど」に、村の人たちが三々五々集まってきました。早く来た人には、早めに「ぜんざい」を味見してもらいます。去年とちがい、風がないのがうれしい。

 火をつけたところです。一度は燃えあがりましたが、竹だけでは火がもちません。あとで木材を足して燃やしました。50個ほど用意したぜんざいはほぼ食べられ、なかなかの盛況です。
 道子さんは「ぜんざいつくり」とサービスを工夫して、みなさんに気持ちよく召し上がってもらいました。

 村では貴重なお孫さんたちの顔も見られ、ワクワクします。
 
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久し振りの「おしゃべり」がたのしかった。

2018年01月13日 20時08分06秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日はうちの村の「老人クラブ・新年交流会」です。看護ステーションの所長さんに尽力してもらい、酸素タンク持参の人もデイケアの人もはじめて参加する人もあって、たのしい交流会になりました。

 やっぱり田舎の人のつながりは、街の人間関係とはちがいます。
 久し振りに会ってもすぐに空気がやわらかくなります。食事やコップを片付けたあとも話に花が咲き、そんな老人方を眺めるだけでほっこりした気持ちになりました。

 弁当をとるだけでなく、デザートやあとのコーヒーなどあれこれ思案した甲斐がありました。
 明日は「とんど」です。雪の予報になっています。しかし風がなければ村の方々もたくさん参加されるでしょう。道子さんは「ぜんざい」をお出しするためにいろいろ用意しています。たのしい「どんど」になりますように。


 
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とんど用の竹を伐りました。

2018年01月12日 17時44分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日はとっても寒い日でした。玄関横の野菜洗い用の流し台です。

 凍結防止のために少しだけ水を出しているのですが、凍ってしまいました。こんなことは初めてです。水たまりの氷もいつもと厚さがちがいます。
 とんどで焼くお正月のめがね飾りを、回収するために裏山の祠に登りました。思いついたときに登らないと「まー、ええかー」となってしまいます。祇園さん愛宕さんのめがね飾りも回収しました。中央は参道です。左右は孟宗竹の竹藪です。クヌギやコナラの背が高いので、外から見たら緑の里山に見えます。でも参道の左右は竹ばっかり。

 午後はとんど用の竹を伐りました。老人5人、軽トラ3台で、竹を伐って運びました。立てるのはとんど当日の日曜日朝にします。去年みたいに強風で倒れたら困ります。
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