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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

イノシシ対策を検討中です。

2012年08月31日 03時25分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうはイノシシ対策見学・散歩・ドライブに軽トラで出掛けました。川向いの村に<田舎暮らし>では一年先輩がおられ(定年退職後すぐに移住されたのでぼくよりお若いですが)、たのしく暮らしておたれます。イノシシの多いところなので様子をきいてみました。
 彼は玄関先でニワトリの小屋を組み立て中でした。畑に設置して、名古屋コーチンを飼うそうです。「コケコッコー」を朝早く寝床で聞く。「ああ、田舎だなー」
 物をつくるにもいつも自分なりに工夫されて、動物対策もバッチリの鳥小屋です。玄関を入り、上がり框(かまち)に腰を下ろして、イノシシ対策をききました。                                            
 その上がり框の写真です。古民家に住んでおられ、ぼくは中央にすわって話をきいたのですが、木の材の良さが掌を通して伝わります。見上げると玄関の天上は太い材でがっしり支えられ、古民家の良さを満喫しておられます。
「私のつくったものをぜひ見てください」と見せてもらったのは、納屋の天井に収納された植木屋の梯子です。
「<スズキの方針は床に物を置かない>でしたからそれに学んでつくりました」
                   
 5メートルはある長い植木屋用の梯子が、スライド式に軽く引き出せます。こんな長い物、どこにしまっても邪魔になるのに、実にきれいに収まっています。
 夕方畑に出て、イノシシが来るか調べる段取りをしました。黒大豆の畝を毎晩通った形跡があるので、水を撒き、石灰を撒き、入口に白い縄を張ってみました。
                  
 イノシシ対策は「やっぱり電気柵が一番いい」という話になりました。単一のアルカリ電池8本で120日も通電できるし、一反用のセットが3万円程度なのできょう買いに行きます。
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『田舎暮らし』はすることがいっぱい。

2012年08月30日 05時01分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 夕顔です。裏の山に咲きました。道子さんは前庭に花をいっぱい植え、裏山にも花を植え、畑仕事の合間に世話をしています。先日読んだ本に老人が「することがないのはストレスになる」と書いてありました。「することがありすぎてもストレスになる」でしょうが、たのしみながら花を愛でられたらいいですけど。
 ぼくのブログを読んで、田舎暮らしを志向する方が訪ねてこられました。夢はご自分で描いてもらうとして、具体的に動いてもらうのがいいと思い、不動産屋さんをいっしょにのぞいてみました。
 ぼくらが不動産めぐりをしたのは2005~6年3月ですが、あれからわずか7年でずいぶん「田舎暮らし物件」が「進化した」のを感じました。買い手のことを考え「リフォーム済み」物件が増えたり、値段がこなれてきたり、停滞していた空き家が売りに出るようになったり、売り手がバブルの夢から覚めていまの取引の厳しい現状を認識するようになったり。
 あとから考えると、定年退職して田舎暮らしを志向するとき、どんな田舎と出会うかはまさに人生の『めぐり合い』です。いい「出会い」をされますように。
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イノシシと真剣に対決しなければなりません。

2012年08月29日 03時32分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いままでは、「アライグマ」被害をなんとか防御しようと対策を講じてきました。しかし「イノシシ」の被害が出るようになると、対策を考え直す必要があります。
 まずサツマイモですが、動物ネットをかぶせるだけでなくしっかり地面にとめる方策を講じました。                   
 軽トラでナフコに行き、4メートルの鉄筋6本を1メートルずつに切断しました。この店は「自分で切断すると無料」(工具は貸してもらえる。素人でも簡単に切断できる)、「店の人に切断を頼むと、ひと切り50円」になっています。だから頼む人はいません。
 その鉄筋をうちの大工小屋で、パイプを使って真ん中を<U字>に曲げました。写真のような鉄筋ができるわけです。そのU字鉄筋を打ち込んで、動物ネットをつけた竹を地面に固定します。40センチ超の深さで止めることになりますから竹はビクともしません。
 どうだ! イノシシの怪力でもこの竹をくぐるのは不可能だろう! ザマー見ろ!
「生きるために必死に餌を漁るイノシシより、人間のぼくのほうが低次元の感情にとらわれている」のはわかりますが、一生懸命サツマイモをケアしてきた我輩としては、それくらいの<復讐心>をもたないと、対策を講じる元気が出ません。
 先日畑のそばを通りかかった村の人に黒豆の畝を見せて、「この足跡を見たらイノシシってわかるでしょう」と話しました。その畝をきのう調べたら、また新しいイノシシの足跡が点々とついています。畝間潅水のあとなので蹄の跡が残っています。毎晩この畝間を通っているようです。
                
 どこをウロウロしているのか調べるために石灰を撒いておきました。でもサツマイモは動物ネットで防げたとしても、黒豆の畝を守るとなると、ぐるりに動物ネットを張るしかありません。黒豆もサヤが実ってくるとイノシシがきれいに食べてしまうと聞きました。畑全体を2メートルのネットで囲う。あるいは畑全体を電気柵で囲う。大仕事になります。
 あーあ、また考えます。
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「どっちが勝ったんですか」

2012年08月28日 00時01分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 畑の橋のたもとに生えている「クララ」が枯れてきました。マメ科ですからサヤにタネが入っているのでしょう。クララは多年生の草ですからタネをポット植えして移植し、畑にクララの茂みをつくりたいと思います。
 去年かおととし、このブログに筑紫哲也のエピソードを紹介しました。
 彼の友人が大学生に「日本とアメリカは六十年前、戦争したんだよ」と話しました。すると学生にきかれたというのです。「それで先生、どっちが勝ったんですか」
 もしぼくが、若い人にたずねられたら、何を、どこから、話せばいいか。途方に暮れるしかありません。もうそんな時代になっています。「東条英機」の話をしようとしたら、「お父さん、西条秀樹のことでしょ」と息子に訂正された、というのもひと昔前の話になります。
 そんな時代にまだあの戦争の戦記ものなんか読んで、なにかつぶやいても、「おい、じいさん、古い話はやめときな」といわれるか。でも、でも、読むしかありません。なんといわれても。
『日中戦争の全貌』(太平洋戦争研究会編 森山康平 著・河出文庫・2007年発行)という本を、インパール作戦に参加した兵士の本につづいて一気に読みました。『ビルマ決戦記』という本にはノツノツつかえ、ひと月かかって読んだのとえらい違いです。
 この本はぼくにとっては好著でした。目新しいことは書いてなくても、これによって日中戦争の流れ・展開がわかりました。1937年(昭和12年=ぼくの生れた年)から延々1945年の8月の敗戦までつづいた戦争ですが、その全体の流れはよく知りませんでした。ビルマとかニューギニアとかルソン島とかガダルカナルとか沖縄とか満州とかあちこちの厳しい戦争に目が行き、また中国では南京大虐殺とか三光作戦とか中国住民の虐殺や野蛮な日本兵の行動とか断片的にいろいろ読んだことはありますが、全体像はつかめていませんでした。
 それがこの本では全体像がつかめるように、相当に詳しく知る人が、わかりやすく書いています。そして書き方が独断的でなく、その見方に共感できます。日本軍の行動を擁護する側に立って独善的に書かれた本なら1ページでやめます。三光作戦など日本軍の犯罪的な行為を告発する本なら、身勝手ですがいまの神経では持続して凝視することができません。でもこの本は一気に読みました。読めました。感想はまた書きます。
 26日の晩、また畑が荒らされました。動物ネットを張って竹で押えていたのに、下からもぐって、たくさんのサツマイモを食い荒らしています。農業にくわしい畑のそばの家の人に見てもらいましたが、蹄型の足跡もあり、犯人はイノシシのようです。
 手当てして「もう大丈夫だろう」と思っていたのに大きな被害にあい、写真を撮る気もしません。とりあえず杭を打ってネットの竹を押さえ、ラジオを復活することにしました。なんだか力が抜けました。すぐには「どうしたらいいか」考えたり、対応策を講じる元気が出ません。
 イノシシなら、数万円かけて、畑全体に電気柵をめぐらすしかありませんかね。
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焼きナスはおいしいです。

2012年08月27日 02時22分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 剪定したナスビがとれるようになり「また焼きナスしてね」と道子さんにいわれました。ハイハイ!
 まず小屋でコンパネを切断して「コ」の字のかたちをした風防をつくりました。電動丸鋸をすぐつかえる場所があるのはありがたいです。
               
 風防の枠をデッキに据え、携帯コンロを置き、軍手をしてナスビを焼きはじめます。『ヒグラシ』が「カナカナカナ」と鳴くのがきこえなくなり、ときどき『ツクツクホーシ』が鳴きます。日中の暑さは変わらないのに秋ですね。
 入道雲がわき、西日のあたる田舎の景色を眺めながらナスビを焼く。この図がぼくは好きで、いつまでもナスビを焼いていたい気持ちです。ちょっとカッコをつけて、先日買った「デッキチェア」を横に置いて写しました。きのうは大小合わせて27本のナスビを焼き、夕食にたっぷり食べてもまだ余り、朝の味噌汁に入れることにしました。焼きナスというのはおいしいですね。いくら食べても飽きません。
 きのうは、早朝に畝間潅水をしました。大豆・コイモ・ヤマイモとナスビ・落花生など14畝の畝間に太いホースで水を入れました。夕方までには水は吸収されますが、数日は潅水から解放されます。
 バッタやコオロギが多いので夕方は遊歩道の草刈りをしました。住み家を刈ってどこかに行ってもらおうというわけです。道子さんはヌカをアセビを煎じた液で練り、団子をつくって草むらに投入れます。
 サツマイモのネットにスズメのような小鳥が引っ掛かって死んでいました。道子さんにきいたら「ホホジロ」でした。村の墓場の土手にうちの畑の動物塚をつくっています。ムシ・蛇・カエル・鳥などすべての動物たちの塚です。そこに穴を掘って埋葬し、花を供えました。
 一日がおわりました。平穏な一日に感謝します。
 
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黒大豆が花盛りなので、畝間潅水しました。

2012年08月26日 00時34分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 黒大豆はいま花盛りです。この畝は、7月上旬の移植前に一ヶ月黒マルチをかけておきました。マルチに蒸されて地中のムシがまいったのでしょうか。いまのところあまりムシにやられず順調です。花の時期ですから42ミリホースで畝間潅水しました。天気予報に雨マークは出ていませんが、これで一週間は大丈夫でしょう。
                 
 雑草ですが「スベリヒユ」は勢力が衰えてきました。かわってよく生えてくるのが「タカサブロウ」というキク科の草です。水田のふちなど湿ったところによく生える草だそうですが、なぜか今年はうちの畑に繁茂しています。毎年こんなには生えなかったと思うのですが。
 ところで「タカサブロウ」って聞いたことのない名前です。ネットで写真を見比べて「タカサブロウ」と確かめてブログに書いています。でも間違っているかも。もしそうなら名前を教えてください。
 実はぼくは雑草の名前などほとんど知らなかったし、そのことを気にも留めませんでした。要するに「雑草」ということで刈払い機で刈ったり鍬で削ったり手で抜いたりしていました。それがブログを書くようになって、人に雑草のことを伝える必要が生じ、名前を調べる羽目になったのです。
「春の雑草」とか「秋の雑草」とかをネットで検索し、写真を見ているうちに少しずつ名前を覚えるようになりました。でももうすぐ後期高齢者ですから、記憶力は情けないほど駄目。検索するたびに復習しています。それにしても「タカサブロウ」ってはじめて聞く名前です。
 
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「千体地蔵』の供養は午後2時から。

2012年08月25日 02時34分50秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう24日は地蔵盆でした。先日念仏講で通行止めにした道路を「きょうも夕方から通行止めにしますので、まわり道してください」と老人会長さんがいいに来られました。毎年この日の夕方は、100メートルほどまわり道をすることになっています。(車だけです) 祠の前の道にシートを敷いてすわり、各家からひとりは出て、お供え物をし、ご詠歌を唱えます。子どものいる家はほとんどないので、どの家からも出て拝むことになっているそうです。
「今年は『千体地蔵』の供養を見よう」と思っていたので、夕方軽トラに乗ってグリンピアの先(車で2分くらいかな)にある千体地蔵に出掛けました。千体地蔵のそばにある田んぼではヤギが草を食っています。全部で七匹いるのかな。なんだか増えたような気がします。近くの花屋(苗屋)さんが飼っているヤギです。
               
 夕方5時になっていないのに、千体地蔵はもう店じまいの雰囲気です。お地蔵さんの前の建物では、志染の村のひと数人が、車座になって反省会みたいにおしゃべりしています。片付けているおばさんにきいてみると「午後2時からお寺さんに来てもらってお供養をしました」とのこと。遠くからもお参りに来られるので昼にされるのですね。どんな感じか来年また来てみます。なお23・24日はお地蔵さんの前は駐車できないと書いてありました。どこが近くに駐車するのでしょうね。
 地蔵盆を見たあと、グリンピアの『森の湯』に入りました。その帰り道、道子さんが「第二陣のトウモロコシは、ムシがつかず順調に実っているから、今夜あたりアライグマにやられるかもしれない」というので、暗くなりかけてから手当てをしに畑に寄りました。こんな予感は案外当たります。そこでぼくは家に帰って檻用のエサを用意してくるし、道子さんは動物ネットをトウモロコシにかぶせました。
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狐が檻に入りました。

2012年08月24日 04時23分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 きのうの朝、畑に檻の様子を見に行ってみると、なにか動物が入っています。そばに寄ってみらた狐でした。でも色がキツネ色でなく濃い茶色で、シッポが細い。裏山に住んでいるようでときどき見かけます。猫はそばに寄ると威嚇するような顔で、檻の中で暴れますが、狐はおとなしい。
 おだやかな顔をしているのが写真でわかるでしょうか。においは強いのですが、そばに寄ってもピリピリした威圧感がない。檻のフタを道子さんが開けてもすぐに飛び出すわけでなく、解放されてもゆっくり歩いて、墓の下の溝で水を飲んでいました。それから名残惜しそうな顔をして山のほうに去っていきました。
 北海道を旅したとき、車でゆっくり走っているとキタキツネを見かけることがありました。「アッ! キタキツネがいる!」と人間は大喜びして、エサでも持っていたらすぐあげたりします。でもそのとき思いました。人間はたまたま通りかかってキタキツネを見かける幸運にめぐまれたように思うけど、狐にすれば人間が通るのを待ちかまえていて、人間をよろこばせたのではないか。
 人間と狐の間には、昔からなにか目に見えない交流があったのかもしれません。でも姿の立派な狐ではないし、オトモダチにならないでおこう。差別するわけではありませんが。
 作家・城山三郎の『よみがえる力は、どこに』という遺稿集を読んでいます。同じく作家の吉村昭との対談が載っています。その対談で知りましたが、城山三郎・吉村昭・藤澤周平・結城昌二(みんな小説家です)はいずれも昭和2年生まれなんですね。ぼくより10年先に生まれ、戦争の真っ只中で、少年の感性で大人たちを見ながら育ち、あの日本の敗戦のときは彼らは18歳(前後)だった。
 敗戦前後のことをよく書いている半藤一利なんかより少しだけ上ですが、あの敗戦を、自分の魂に力を込めて、全身で受けとめています。
 前に岩波新書で、昭和10年代前半に生れた人と「あの戦争」との関わりを考察した本をこのブログで紹介したことがあります。昭和10年 ~ 14年くらいに生れた人が戦争の思い出を書いた本です。(敗戦のとき5歳 ~ 11歳くらいです)ぼくが昭和12年生まれですから現在72歳から77歳くらいの人です。小澤征爾とか河野一郎とか……の敗戦の感想を集めた本でした。
 でも読んでピンときませんでした。子どもの作文でしかありませんでした。「なんだ、こんなものか」と感じました。ほんとうに、生涯かけて全身全霊で戦争を受けとめるしかなかった世代というのはもう10歳年上の、城山三郎の世代なのですね。また考えます。
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『烈兵団』インパール戦記 を読みました。

2012年08月23日 03時42分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 先日『ビルマ決戦記』という本を読んで、インパール作戦がなぜ発動されたかについて、著者・越智春海の見解を載せました。ぼくがその見解に賛成しているわけではありません。一つの見方として引用したのです。でもこの著者には、ぼくにはうなずけない問題点があります。
 それは途中に出てくる「辻政信」の評価です。辻についてはいまも2チャンネルにコメントが寄せられていますが、ぼくはその存在を評価したり許したりすべきでないと思います。口八丁手八丁で、戦争に負けてからも彼が講演会をするといえばものすごい人が殺到し、国会議員の選挙に出れば悠々当選し、現在でも辻の著書が復刻されて新刊書店に並んでいます。そんな辻政信の存在を許す日本の国民の国民性を、問題にしたいのです。
 ノモンハン事件一つとっても、辻はあそこで失脚して以降は歴史に登場すべきでなかった。ところが大本営の参謀本部やガダルカナルなどあちこちに出没する。そのことが問題なのに問題にならない。辻だけでなく、そんな口をぬぐっている人がいっぱいいる。それを「国民性」で片付けていいのでしょうか。あの戦争の責任や反省をあいまいにしたままでは、どうしても気のすまない人はいっぱいいるはずです。
 ところで『烈兵団・インパール戦記』(斉藤政治 著 / 光人社NF文庫)を一気に読みました。ビルマの戦争を概観しただけの『ビルマ決戦記』とちがい、自分の体験したインパール作戦を描いた本です。読みながら「この人はここで駄目になるのではないか」と思いましたが、「でも生きて還れたからこの本が書けたんだ。ここはなんとか生き延びたはずだ」と自分にいいきかせながら読みました。
 インパール作戦では三つの兵団が3コースに分かれてインパールを攻略することになっていました。「祭」「弓」「烈」です。その中でも「烈」は一番過酷な戦いを強いられました。それを「烈」は果敢に戦い、目標のコヒマを攻略しました。しかし出陣前に何度も確かめた食料・弾薬の補給がないので、兵団長の佐藤中将は命令に反して撤退しました。軍事裁判で、「無茶な作戦を立て、無茶な命令を出した」牟田口中将と対決するつもりで。(しかし牟田口は佐藤を精神病扱いにして軍事裁判を避けました)
 その撤退の道は『靖国街道』『白骨街道』と呼ばれました。ビルマは雨期になり、世界一の雨量とぬかるむジャングル、増水したチンドウイン河で、飢えた兵士は次々と倒れ、数万の兵士がウジムシに肉や皮をかじられて、白骨になっていったのです。地獄でした。でも目を反らすことができず、ぼくは「烈」の戦いに参加して生き残った兵士の手記があれば読むことにしてきました。
 このブログでもインパールのことは何度か書きました。死ぬまで書くことになると思います。読んでくださってありがとうございました。
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『数珠繰り』(念仏講)ののどかなリズムに魅かれて。

2012年08月22日 05時46分59秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは口吉川町公民館で老人クラブの『囲碁ゴルフ大会』があり、うちの村の会計係のぼくは、おやつを用意して軽トラに乗って参加しました。囲碁ゴルフというのは室内競技で、自分で歩ける人ならたのしめる簡単なスポーツです。だからでしょうか。よそのはみんなAチーム・Bチームと<5人×2チーム>が参加。でもうちのだけ4人しか集らず、1人よそから手伝ってもらって、やっとチームになりました。
 会計係はみんなのお茶とおやつを用意します。前の日に緑ヶ丘の『サティー』(いまはイーオン)に買いに出て、あれこれ買って個人ごとに袋に詰めて渡しました。「あしたはたのしい遠足だ」という日に、おやつを買いに行く小学校一年生のようにワクワクする『仕事』です。胸が躍ります。
 午後は昼寝をして夕方から畑に出ました。アライグマにシモン一号をやられないように動物の網をかぶせる仕事があります。(朝はぐっておいたので)畑で仕事をしていたら、仏さんの鐘を叩く音が聞こえます。だれか墓参りをしているのか。村の墓を見渡しましたがだれもいません。音のする方向がちがいます。
 土手を下りて県道のほうを見たら、お地蔵さんの前の道路に人がすわっており、音はそちらから聞こえてきます。この道路を車で上がると右手にうちの畑があり、村の墓があり、小さい池があり、我が家があります。その道路に大人たちがすわって、お祈りのことばを唱えながら長い数珠を繰っているのです。真ん中の人が鐘を叩いてリズムをとっています。
 黙っておじきをして、写真を撮らせてもらいました。
                
 あとで老人会長さんにきいたら「念仏講です。うちの組は毎年8月21日にやります」と教えてくださいました。村の中には昔からの三つのグループがあり、それがお大師さんの日を中心に都合のいい日に『数珠繰り』をやっているのです。この村に移住して6年目になりますが、この数珠繰りははじめて見せてもらいました。なお24日は子どもたちの集る地蔵盆で、やはりここが通行止めになります。この上に帰る人は、この日はまわり道をして帰ります。
 ご先祖さまからの、人のぬくもりのじかに伝わる、いい行事ですね。
 
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アライグマ・ショックが尾を引いています。

2012年08月21日 04時12分14秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 大志くんが檻の戸を引き上げて猫を解放したところです。ずいぶん離れていますが、猫は小さいもの・弱いものには威嚇するような態度をとるので用心してヒモを長くしました。檻から出ようとしている動物は猿に見えます。でも猫です。干からびて蟻にまみれた饅頭を食べようとして、踏み板を踏んでしまいました。甘い物に目のない猫だったのでしょう。
 きょうは夕方『シモン一号』の畝をガードする動物用の網を強化しました。あんなに順調に育っていたシモンの畝を、メチャメチャにしてしまったアライグマに、怒りがおさまりません。シモンは10本植えたけど全く収穫できなかった年もあります。また一度つくるとその畝は5年はつくれないといわれます。それが今年は豊作の予感がして「あの人とあの人に送ってあげよう」とたのしみにしていたのです。「シモン茶をつくってみよう」と張り切っていたのです。それを全部打ち砕いてしまった。許せない!
 そこで本格的に木の杭を打ち込み、竹の柱をビス止めして、マイカ線を張り、それに動物ネットをかぶせてピンと張るやり方で、難攻不落の畝にしようと作業をすすめました。でも作業しているうちに「わずか<5メートル×1メートル>の畝をガードするのに意地になってるな。この意地はなんだ」とふと思いました。
 アライグマには悪意はなかった。意地悪してやろうとは思わなかった。ただ生きるために食べられるものを食べただけだ。人間がいろんな感情をくっつけるんだ。
 そういえばムカデは絶対平和主義者です。自分からカマキリのように威嚇的・攻撃的態度をとることは絶対にありません。どんな場合もただひたすら逃げるだけです。捕まって身に危険が迫ったときだけ咬む。でもムカデを見た瞬間人間は悲鳴をあげ、「このまま逃がしたら大変だ。なんとしてもチョン切って殺してしまわなければ」と心が反応します。
 そう思うと頑丈な枠をつくる気がなくなり、「去年はネットをかぶせただけだった。それでもネットの下をくぐってサツマイモを掘られることはなかった。今年もそれでいこう。それでやられたら仕方がない」と柱やマイカ線をはずしてしまいました。
 そうそう。思い出しました。引っ越した年、となり村の人が、鉄の柱で枠をつくり、指ほどの太さの丈夫な網を張ってスイカを守ってました。散歩の途中立ち話しながら、「この人、アライグマにかなり意地になってるな」と感じました。あとできいたら、スイカは風通しがわるくなって枯れてしまったそうです。
 人間の「一人相撲」にならないようにします。
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なんだか気が抜けました。

2012年08月20日 00時43分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 アライグマに畑を荒らされたので、孫たちが帰ったあと動物ネットを強化しようと夕方畑に出ました。でもなんだかがっくりです。今年は草刈り・草けずりや潅水まで順調にいくので気分よく仕事をしていたのに。アライグマに収穫物を荒らされたとは。
 今年のカボチャはおいしかったし、そろそろ収穫しようと思っていた矢先に四つとも食われてしまうなんて。口惜しい!!!
 シモン一号のツルを切って植えたら、あんなに見事に生長していたのに。これでシモンは収穫が倍増すると思ってたのに。サツマイモは試し掘りしたらしっかり生長してる。動物ネットを全体に張ってばっちり守ったぞ!と思ってたのに。現場を見ると腹が立ちます。もしアライグマが檻に捕まったら、ゲンコツでもくらわせたい。
あーあ。
 あの荒らしぶりは単独ではありません。何匹か複数でやってきて、狼藉の限りをつくしています。せめて1匹でもつかまえてやろうと、檻に新しいエサを入れました。甘納豆と小さい三笠まんじゅう。甘党系です。明日の朝檻に入ってて、市役所に電話してとりに来てもらえたらいいな。
 カボチャはネットしてても仕方がないので防鳥ネットをはずしました。まだ5個~10個はなりそうなので、一部ツルを動かして草を刈りながら、カボチャを待ちます。
               
 カマキリくんが何か捕まえて食べています。一かたまりのカマキリの卵から200匹のカマキリが生まれ、そのうち大人になるのは1匹だそうです。応援してあげたくなります。
 カマキリはどんなときも一生懸命生きてます。がっくりしないで見習うことにします。
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「やられたー!!!!」 アライグマに。

2012年08月19日 03時24分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 黒大豆が順調に生長し、ブログに「うまくいくときはうまくいくものですね」と書きました。友へのメールには「畑はうまくいってますが、台風でなぎ倒されるか夜盗虫の大発生にやられるか。何が起こるかわかりません。それだけに〈心の準備〉だけはしておこうと思います。……」と書きました。
 それがアライグマの襲撃だったとは!
 コテンパンにやられました。 長くなりますが「古希から田舎暮らしをはじめたおじいさん」の落胆を癒すための「ボヤキ」です。お付き合いいただければうれしいです。
                
 写真の手前の畝は『シモン一号』です。7月10日を過ぎてからツルを切って植えました。元のシモンが繁っているもので17本もツルを切り、千鳥に植えたのです。それがまた実に元気に生長して、写真のように盛り上がっています。ツルボケにならないようにツル返しを左右からしました。11月頃には立派なシモン芋がとれるでしょう。この畝を見るたびに、シモン芋を送ったら喜ぶであろう知人の顔まで浮かびます。
 そうそう、健康にいいと評判の『シモン茶』をつくるにはどうしたらいいだろう。ネットで調べてみたら「お湯をわかしてお茶のパックに注ぐ」とあります。そんなことじゃなくて葉を採取してつくるには……。葉を乾燥させて焙煎するといいようです。売ってるシモン茶はかなり高価です。それがいくらでも自家製できそうです。
 きのうは朝の畑仕事はなしにして、10時頃のんびり畑に出てみました。きのうスイカの切れ端を入れておいた檻を念のために見たら、なにか動物がかかっています。よく見ると猫でした。孫が遊びにくるから見せてから放してやろう。
                
 いつもなら「5分お仕置きするだけですぐに放してあげてよ」という道子さんも、檻のところに来て賛成してくれました。ついでにカボチャを点検していた道子さんが「あれ! カボチャが見えないけど」といいます。防鳥ネット越しに見ると確かに4つ立派になっていたカボチャが見えません。小さいなりかけのカボチャも。ネットのまわりを見ていくと食べカスがあります。アライグマにやられたか。
 ツルを切って植えた『シモン一号』の畝を見たときの気持ちをどう表現したらいいのでしょう。

 まさに乱暴狼藉。集団で襲っています。シモン芋は甘さは少なく、芋というより薬効が宣伝されます。だから甘い物好きのアライグマはシモンは食べないだろうと思っていました。でも掘ってみないと、食べてみないとわからない。それで襲ったか。ツルを切ってひと月まえに植えた畝ですから芋はまだ指の太さくらいです。でもとにかく移植した『シモン一号』は全滅しました。
 とにかく元の畝のシモンだけでも守ろうと、マイカ線を買いに出ました。去年アライグマにサツマイモをやられたときは、500メートルのマイカ線を買いました。それは黒豆の左右のガードにもつかい、台風に備えてゴマを倒れないようにするのにもつかい、サツマイモにネットをかぶせるのにもつかい、小豆に防風ネットをかぶせるのにも、イチゴのネットハウスにもつかいました。
 それで元のシモンの畝を保護していたら、先日動物保護ネットを張った「サツマイモもやられてる!」と道子さんがいいます。
 見るとネットの下をくぐって入っています。ネットの端はトンボで地面に止めたのに、雨でゆるんだのでしょう。近くネットをはずし、ツル返しをしてからネットの端は竹に結ぶつもりでした。
 暗くなりかけの7時まで作業して、なんとか応急処置をしました。老人会の仲間に電話できいたら、「うちはサツマイモはまた全滅や。今年アライグマを三匹捕まえたぜ」ですって。
 長くなりました。胸のつかえも少しらくになりました。お読みいだだき、ありがとうございました。
 これからもお付き合いいただけたらうれしいです。

 なお檻の猫は、夕立のあと大志くんがヒモを引いてフタをあけ、放してあげました。メデタシメデタシ。(猫にとっては)でもあの猫、アライグマの乱暴狼藉を檻の中から黙って見ていたのだろうか。どんな様子だったか聞けばよかったな。
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自分の“老い”を受け入れて生きます。

2012年08月18日 07時31分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 ぼくが大工道具などを置き、道子さんは農作業のためのシートや篩(ふるい)などを置いてる小屋を、一度きちんと整理しようと思って2年あまり。数日前に思いついて一部分を片付けました。そしたら塗料の刷毛がいっぱい出てきました。写真には十数本写ってますが、このあともまた出てきました。
 ホームセンターをうろうろするたびに「そうだ。刷毛はあったかな。ま、安いから買っとこ」と1本また1本と買ったものがたまったのです。これだけあれば一生使えそうです。もう刷毛を買うのはやめとこ。
 近ごろ困ることの一つがコーヒーです。コーヒーを飲みたいからとコーヒーメーカーに水を入れ、ペーパーフィルターを仕掛け、スイッチを入れます。ところがスイッチを入れたとたん「コーヒーを飲んだ」ような気になるのかコーヒーのことをすっかり忘れてしまいます。ときには半日一日過ぎてから、スイッチが入ったままなのに気付きます。そんなことが「たまにある」「ときどきある」ならまだいいのですが、ほぼ毎回です。
 どうしたらいいか。
 スイッチを切り忘れたら、それはそれでいいじゃないか。“老い”の一つの現われだがら、そんな自分をそのまま受け入れる。老いの自覚が大事。そう思うことにします。
 きのうは、蓮の花の咲く頃に来られた「おさるさん」がご両親と訪ねてこられ、盆栽を長年手がけておられるお父さんに、いろんなことを教えてもらいました。

 樹木はサイクルがあって冬は休むし、夏も暑くて休む。だからお盆過ぎにはあちこちの庭で植木屋さんが剪定をはじめる。裏山の木々もいま剪定すればいいのがたくさんある。そして木は剪定によってどんな風にでも思い通りになる。「桜切るバカ」というけれど、枝ぶりをよくするには切って切り口のケアをするのが大事。……
 
 さあ、山仕事だ!
 
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黒大豆は快調に育っています。

2012年08月17日 05時19分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 写真は7月末に撮りました。黒大豆の畝です。移植した苗は順調に育ち、畝間に耕運機を通したところです。雑草を抜きながら左右から土寄せをすると苗もしっかりしてくるでしょう。黒豆はうまくいくな、と悦に入って眺めています。
                
 上の写真と反対向きに撮った黒大豆の畝です。二週間で立派に生長し、いま花が咲いています。花の時期は潅水が必要ですが、先日雨の前に追肥と土寄せをしました。そのあとちょうど雨が降り、申し分のない展開です。
 うまくいくときは、うまくいくものですね。
 でも大豆のほうはそうはいかないようです。道子さんは、アセビ・ニコチン・ニンニクの混合忌避液を散布していますが、大豆はシンクイムシ、ハマキムシなどにやられています。カメムシがまだ大豆にはきていません。でもゴマにはついています。いまツガイになり、せっせと卵を生んでいるようです。道子さんはムシとり卵とりに専念しています。
 おととい一本の黒大豆の幹が折れていました。足跡を調べたら猫のようです。長い畝の右、左を行ったり来たりしたのでしょう。幹は立派に生長し花が咲いているのに、根元が折れていたら駄目です。
 風も吹くし、動物もうろつくし、黒大豆をガードしなければなりません。きのうは2メートルおきに竹の杭を打ち込み、地上30センチのところにマイカ線を張りました。これで左右から挟むように守れば、横に倒れることはないでしょう。縦方向は隣の木と葉がからみ合うほど生長しているから大丈夫です。
 
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