古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『いまは梅雨でしょ。梅雨らしく降ってくださいな。』

2011年06月30日 03時22分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
    
 梅雨なのに雨が降りません。きのうも夕方水やりに畑に行き、三分の二はぼくが水をやりましたが、一時間半かかりました。なにしろ畑に植えてある全部の野菜が水をもとめていますから、「おまえは明日にしよう」ととばすわけにはいきませんでした。
 写真は苗立てをした大豆の数日前の写真で、双葉がひらいたところです。我が家で去年収穫したサチユタカですが発芽率100パーセント。優秀です。ぼくたちが関わっていた大豆畑トラストでは大豆の種蒔き日は6月20日を目途にしていました。でも口吉川あたりは一週ほど早くなるようです。それにしてもハトが食べたらおいしそうな双葉が並んでいます。防鳥ネットは張っていますが。
「裏山に芝を張ろうか」と思い立ち、ホームセンターで二平方メートル分買ってきました。きのうは裏山の草を刈り、地面をならして芝生のシートを並べ、水をやりました。ところがいまネットで『芝生の張り方』を調べてみると、もっとていねいに下地つくりをしないといけないことがわかりました。あしたもう一度芝生のシートをとり、下の地面を掘り下げて笹の根を取り除くことにします。10センチ掘り下げて除草シートを張り、その上に土をのせてならしてから、もう一度芝生シートを並べることにします。
  ところであの『チクチク』ですが効いてるようですよ。夜盗虫がいやがってどこかに行ったのかゴマやオクラの苗はすくすく生長しています。大麦は来年もつくります。
 コイモの葉っぱがひどくかじられています。丸坊主のコイモも。そこで水をやりながらていねいに見ていくとセスジスズメが食い荒らしています。きのうは鉛筆の太さのムシを二匹、小さいのを三匹潰しましたが毎日見る必要があります。道子さんはトウモロコシの雄花に入るアワノメイガの幼虫(体長2ミリ前後)を、雄花の皮を剥がし、ピンセットで退治しています。あんな小さいムシを見つけるのは神技ですな。感心しておいしくトウモロコシを食べています。
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畑仕事は真夏モードにします。

2011年06月27日 01時49分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
    
 雨つづきで畑の仕事がとどこおっていましたが、このところ週間天気予報の雨マークが当日になると次々と曇りに変わりまたは晴れて、仕事がはかどっています。でもこんなに暑くなったら日中に仕事をするのは熱中症が心配。そこで仕事の仕方を真夏モードにしました。
 朝は5時に起きて、《洗顔⇒手首足首まわし指まわし⇒ヨーガ⇒瞑想⇒朝食⇒畑仕事》という行動パターンで9時過ぎに畑に出ていましたが、早朝6時にまず畑に出ることにしたのです。ひと仕事して9時過ぎに家に帰り、野良着を脱いでシャワー、朝食、ひと休みです。食後は家まわりの仕事、山仕事をして昼食後はしっかり昼寝。午後3時~4時頃に畑に出掛けます。その頃には畑の北半分が日陰になり、仕事がしやすくなります。
 写真は6月の草刈りを終えた畑です。パラソルを休憩用テーブルに立て、よく休んでお茶にします。道沿いの土手が畑側に湾曲し、なだらかな坂になっています。道を歩く人が気が向いたら畑に上がってこられるような斜面です。手前の手すりのある橋を渡って畑に入るより気軽に立ち寄れる雰囲気がいい。コンニャクや落花生やゴマを見て、ちょっとした立ち話をしていかれる村の人もあります。大麦もそんな話の材料になっていました。
 この畑を借りることになったとき、湾曲した土手を見てなんとなくいやだと思いましたが、いまではこの曲線美をとても気に入っています。だからここだけは土手の草刈りのときだけでなく、ちょっと伸びたら刈るころにしています。
 湾曲の先のイチゴネットハウスは撤去。そこを耕して黒大豆の4畝をつくり、エンドウ・ソラマメのあとは小豆用の畝立てをしました。畑を縁どる幅1メートルの遊歩道も草を刈り、レーキで集めて燃やし、小ぎれいに掃除したところです。でも夏草の勢いはすごい。この感じは一週間もちません。
 6月のはじめに仕込んだレンゲ堆肥の2回目の切り返しをきのうは二人でしました。堆肥化は進んでいますが、前回は一人でしたので充分に切り返しできていない部分があり、フォークやレーキでほぐしながら時間をかけて切り返しました。堆肥ができるまでにあと2回切り返ししなければなりません。でもこのたびの堆肥づくりはうまくいきそうでたのしみです。
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松本清張『半生の記』を読みました。

2011年06月24日 02時59分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
          
 ウッドデッキからの眺めに、タチアオイがどかっと視界を占めるように伸びてきました。垣根沿いにはガウラ(白蝶草)が咲き、百合も花盛りです。野菜は全部下の畑でつくるようになったのでこちらの庭は花畑です。
 最近また松本清張の『半生の記』を図書館で借りて読みました。彼は1992年に82歳で亡くなっていますが、この本は55歳のとき出版社に頼まれて書いたものです。この本を読むのは三度目です。そんなにもぼくを惹きつけるなにかがあるのでしょう。
 図書館で10冊本を借りるとしたら、よくその中に松本清張を1冊入れます。以前は藤澤周平を入れていましたが、主要な本はほとんど文庫本で持っており、読みたいときにはいつでも読めるので図書館では借りなくなりました。松本清張の本は若い頃持っていて『砂の器』『点と線』『目の壁』『ゼロの焦点』『日本の黒い霧』など何度か読み返していましたが引っ越しのとき処分して手元にはありません。それで借りるのです。去年でしたか『西海道談奇』(「奇」には糸偏が着きます)という彼の長い小説(文庫本なら2380ページ)をはじめて読みました。今年に入っては『球形の荒野』を読み返しましたかね。
 彼が小説家として書き始めたのは47歳くらいからです。それまでは一人っ子なので両親をかかえ、妻と子どもをかかえて貧乏な生活をしていました。あれだけの才能があったのに、小学校しか出てなくて、朝日新聞広告部の下っ端社員として社内でも眼中に置かれず、やりきれない思いで生きてきました。それがこの半生記にはよく描かれています。清張は私小説作家ではありません。彼の生きてきた姿がうかがえる唯一の本といっていいでしょう。
 作家の全集本コーナーに行くと、森鴎外、井上靖、水上勉、三島由紀夫、宮尾登美子、佐多稲子、あるいは夏目漱石などなど幾人かの作家の全集が並んでいますが、手垢のついた本が何冊も見られるのは松本清張と藤澤周平です。清張は本を読むたのしみを多くの人々にあたえてくれました。「もし清張の半生になにかちがうことが起こって彼が作家にならなかったら、これだけのたのしみはなかったんだなー」という感慨が胸をかすめます。
 ドヴォルザークは肉屋兼村の宿屋兼居酒屋の息子に生まれました。親は長男の彼に肉屋を継がせようとしました。しかしドヴォルザークは親の願いを振り切って音楽家になりました。交響曲第9番『新世界より』の第四楽章のテーマを聴くとき「もし彼が肉屋を継いでいたら、いま世界の人々はこの音楽を聴くことができないのだなー」という感慨がいつも胸をかすめるのと同じ思いです。 
 
 
  
 
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『チクチク』の効き目はあるかな。

2011年06月23日 04時44分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
         
 六条大麦を収穫したときに穂先のチクチクするヒゲは別に保存しておきました。ゴミ袋にいっぱいあります。我が家ではそれを『チクチク』と呼ぶことにしました。
 畑の苗に夜盗虫を寄せつけないために、そして庭のナメクジを花に寄せつけないために、『チクチク』を植物のまわりに撒いて使おうと思います。なぜそんなことを思いついたかというと、実は家庭菜園の本に「タマゴの殻を砕いて苗のまわりに撒いておくと夜盗虫がいやがって近寄らない」と書いてあったからです。皮が厚くてなかなか潰せない夜盗虫でもいやがるのですからナメクジならなおさらいやがるでしょう。とにかく『チクチク』を使って夜盗虫やナメクジに対する日頃の鬱憤を晴らしたいのです。
 オクラは茹でて切ってカツオでもかけて少量を食べるものかと思っていましたが、長田から菜園に通っておられるお向かいさんに食べ方を教えてもらいました。オクラを茹でて半分に割って種をとり、冷凍しておきます。食べるときは半冷凍のままみじん切りにしてかき混ぜ、味をつけて食べます。これだといくらでもおいしく食べられます。オクラが採れ過ぎても困りません。
 そこで今年もオクラを食べようと道子さんは種を播きました。種は順調に芽を出し、ぐんぐん伸びてこれから立派な木になろうとしています。そんなときにある日突然苗がガクッと頭を垂れます。茎の根元を食われるのです。苗のまわりの土を掻いてみると犯人は夜盗虫です。もう10本以上の苗がやられました。
 道子さんが丹精込めて収穫しようとしているゴマもそうです。「苗がしおれてるな」と地面を掻いてみると夜盗虫が出てきます。何十本とやられました。写真はゴマの苗ですがまわりに『チクチク』を撒いています。さらにヌカを撒くつもりです。というのは「夜盗虫退治にはヌカを撒くのがよい」と本に書いてあるからです。夜盗虫は皮は踏んでも潰れないほどしわいのですが、口は柔らかいものしか食べません。ヌカは食べやすく栄養がありすぎてフンヅマリになるのかもしれません。なにしろ大食漢の夜盗虫は大きなフンをします。それが便秘になって落命してもあまり同情する気持ちが起こりません。
 そうそう、一昨年のことでした。結構な値段のヤーコンの苗を二株買ってきて植えました。「さー、水をやろう」と農業用水の栓を開けて戻ってくると一株が倒れています。根元を調べてみたら夜盗虫が出てきました。
 犯人は水責めにして『夜盗虫土左衛門之丞』になってもらいました。
 あの恨みはいまだに覚えておりますぞ、夜盗虫殿!
 
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近くでホタルを見られそうです。

2011年06月22日 03時15分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
         
 久しぶりに細川町の谷の喫茶店『かのん』に寄りました。庭の木が伸び、花があふれ、芝生がきれいです。裏山を庭のようにしようと手を入れている道子さんは庭を見てまわり、「プロはちがうわね」と感心しています。去年はつくりたての庭という感じだったのに、植栽がよく茂ってしっとりした庭になっています。
 この喫茶店のとなりの民家は「集って農業をやっておられるような雰囲気の家でだなー」と以前見ていたのですが『堅壮院めだか庵』という看板が出ています。ブログ発信をしておられ、のぞいたらしっかり農業にとりくんでおられます。そしてこの家にはビオトープがあり、そこにホタルが出るそうです。
「ホタルを見るなら西紀町(合併して篠山市になる前の町名)の坂本がいい。福徳貴寺の下あたりの川はホタルがいっぱい飛んでいる」15年ほど前に二年間篠山町で暮らしたことがあり、あちこち見てまわって得た情報です。口吉川町に引っ越してからは家の近くで見たことがあります。一匹だけ。家の前の道で。なんで一匹だけなんだろうと不思議でした。
 でも山の田んぼのほうに行ったら見えるかもしれない。うっかりしてました。こちらに引っ越して二年ほどはウッドデッキに出て星を見上げましたが、この頃はそれもしなくなっていました。ホタルを一匹見たら、「山の田んぼのほうから飛んできたのだろう」と50メートルほど先まで行って見るべきでした。そこまで行けば一軒の民家も一つの街灯も視界に入らず真っ暗で、星もよく見えるはずです。
『かのん』に電話でたずねてビオトープにも行ってみることにしましょう。ホタルって蛙みたいに鳴かないし、静かに飛んでいるだけだから失念していました。5年前田舎暮らしをはじめた頃は、「月明かりの夜道」を歩いて村の寄り合いに出ただけで感激していたのに少しなれるとこんなものですね。
 畑のほうはたまの晴れ間に仕事が詰まっています。土手の草刈り、イチゴ畑を片づけて来年の苗をとれるようにし(ご希望でしたらまた秋に差し上げます)、ジャガイモも掘る時期です。道子さんはゴマを植え、ぼくは落花生などの草を抜きます。そうそう道子さんが村の人に稲の苗をもらいました。「お米がとれるまで」を孫に教えるために墓の下の溝に10株ほど植えるそうです。
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『静かなノモンハン』を読みました。

2011年06月20日 05時11分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
         
 ガウラ(白蝶草)は白いチョウチョが飛んでいるようにも見えます。宿根草で花は咲くとすぐに散ってしまうのですが、5月頃から10月まで次々と花が咲き、株も増えていきます。先日村の中を散歩していたら土手一面にガウラが咲いている田んぼがありました。ガウラを愛する奥さんが年々土手に増やし、ご主人も草刈りをするときにガウラを刈らないよう気をつけておられるのです。斜面いっぱいにガウラが咲いていると、思わず散歩の足をとめて眺めたくなります。
 図書館で作家伊藤桂一の『静かなノモンハン』(2005年発行・講談社文芸文庫)という本を借りて読みました。伊藤桂一は大正六年生れの詩人・歌人・作家で昭和13年に21歳で兵隊になり、昭和21年に29歳で復員するまで、20代のほとんどを中国戦線での戦いに明け暮れました。
 この本はもとは1986年(昭和61年)に同名の単行本として発刊されました。それが二十年を経て文庫になり版を重ねています。これは「ノモンハン事件」で兵隊として戦い、わずかに生き残った三人の兵隊のそれぞれの体験談です。あの「ノモンハン事件」の全体像を明らかにしようとか、戦争の作戦はどうだったかとか、指揮官を断罪するとか、そんなことは一行も書かれていません。
 伊藤桂一は三人の兵隊に話を聞き、その体験を一人称で書いています。これだけの体験をしぼり出すように語り、聞く。この戦争を後世に伝えようとする、兵隊の、そして作家の、「大きな岩のような厳然たる決意」に読む者が粛然となります。
 下級兵士としてビルマ戦線で戦った体験記、ルソン島や南の島で戦った戦記、インパール作戦に参加した戦記などをいままでの人生で読んできましたが、「ノモンハン」は遠い存在でした。愚劣な上級参謀たちのやった戦争で、いまさら知りたくないという気持ちがありました。
 高級将校たちはこの負けた戦争の実情を意図して隠蔽しようとしました。ノモンハンの戦闘に参加してわずかに生き残った兵士を口止めするだけでなく、わざと危ない戦線に投入しました。あの戦争の実情はほとんど伝わらないようになっていました。
 だからこそ兵士は語り、作家は自分の中にとり込み、自らの体験として、紡ぎ出したのでしょう。自分の存在を、いのちをかけた、仕事です。
 最近日本の戦争回顧の週刊誌を、本屋の店先で見かけました。ノモンハン戦争を特集しており、ソ連と日本の戦力の比較、死者数の比較、戦術や勇敢さの比較などが図解や写真入りで書かれていました。「日本軍はいかに智恵をしぼって勇敢に闘ったか」を伝えようとしている本に見えました。泡のように消えるこんな本がいまも出るのですね。
 司馬遼太郎は、中国戦線で戦車隊として戦いました。ノモンハンはどうしても書かねばならない、と資料を集めていました。しかし怒りがあまりにも先走って書けなかった。この本の中で伊藤と対談して言ってます。

 伊藤: それやこれや考えると、司馬さんは、ノモンハンが書けない。血管が破裂してしまう。
 司馬: 破裂するでしょうね。

 しかし、伊藤桂一は自分の存在を堵して書きました。伊藤氏のこの本を読んで、やっと半藤一利の『ノモンハンの夏』を読む気になりました。半藤一利が「司馬は書けなかったから自分が書く」といって書いた本を。
   
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念願の本を見つけました。

2011年06月18日 02時51分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 写真の本は、2000年に三木市観光協会が発行した『三木合戦』です。神戸新聞三木版に連載されて、のちに本になりました。漫画入りで講談風に合戦の様子が書いてあり、おもしろく読めて、何度読んでもあきません。図書館で見つけて三回借りて読み、気に入っています。しかし観光協会にきいても、昔の本で在庫がありません。あきらめていました。
 ところがきのう、堀光美術館でこの本を入手できたのです。うれしかった! 
 良いことをしてご褒美をもらったような、ほこほこした気分です。
 実はきのう『三木歴史講座』があり、三木合戦について講義を受けました。午後は受講生で三木城跡を見学することになり、図書館前に集合してまず堀光美術館を見学しました。美術館窓口のガラスケースには三木市の歴史のパンフレットがいくつか並べて売られていました。その中にこの本を見つけたのです。
「たかがパンフ一冊で、大げさだな」と思われるでしょう。でもぼくには人生の特ダネです。それを伝えたかったのです。
 見学のあと二人で久しぶりにナメラ商店街を歩いてみました。
 昔よく見掛けた『タバコ屋』さん。出窓風のガラスでタイル貼りになっており、そこに『看板娘』なんかがいたりして。自動販売機が置いてないのも昔風。でもこの商店街を通る通行人は一時間に一人もいないようですから一日に何箱売れるでしょうね。三年前に歩いたときよりまた一段とさびれてる感じでした。
 帰って昼寝をして、夕方から畑仕事をしました。雨がちなので畑仕事も停滞しています。しかし多少畝間がぬかるんでもするべきことがいっぱい。きのうはコイモに追肥をしました。今年は元肥を入れなかったので、芽の出揃ったいま一回目の施肥をしっかりしました。現在出てる芽を数えたら、例年30株程度と思っていたのに知らぬ間に51株。というか意識してないけど作付けが増えています。落花生は例年のように100株ですが、道子さんはゴマを20メートル畝・二条・二畝と少し増やすつもりです。
 でもコンニャクは植えてないし(残った芋が勝手に生えてくるだろうけど)レンゲ畑はやめようと思うし、いろんな作物が仲間に加わったり淘汰されたりして、無理しないでたのしむ家庭菜園になればいい。
 きょうは6月の草刈りをします。
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やっぱり六条大麦をつくろうかな。

2011年06月17日 02時40分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 レンゲ畑の花を一つだけ撮って「レンゲってきれいだなあ」と感じました。先日も京都の路地裏を歩いていて「人間はいじらしいほど緑や花の好きな動物なんだ」と思いました。
 さて六条大麦は4,2キログラムありました。道子さんが「《ゴマ選別》で培ったネバリ》でゴミやヒゲを選別してみる」と書きましたが、麦そのものを食べるわけではないので水に入れて浮いたゴミをとり除き、フライパンで炒ることにしました。
 その前に《大麦の焙煎の仕方》をネットで調べていたら、ある人が麦茶を自分でつくって飲んでみようと試みています。その人のブログを見ると彼は「生(なま)の大麦はどこにも売っていなかった。ホームセンターで売っている『ハトの餌』に生の大麦が入っていることがわかり、ピンセットで選別して、それを炒って飲んだ。また押麦(ご飯に混ぜる麦)も炒って飲んだ」と書いています。涙ぐましい努力です。
 大麦をフライパンに入れ弱火で炒ると、香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がります。じっくり炒って麦茶にして飲んでみました。ひと口飲むとまたひと口飲みたくなります。
 田舎に引っ越す数年前に道子さんが「むーな村」で小麦をつくったことがあります。そのときは1メートルの畝に二条播きにして3合ほど収穫しました。でも小麦粉にすることもできず、そのままにしていたらムシが食い、捨ててしまいました。それ以来「麦をつくってもどうしようもない」と敬遠していました
 このたびの『大麦つくり』は「『麦踏み』を孫たちに体験させてやろう」と思ったのが一番の動機でした。ぼくの頭の中では、昭和28年頃のNHKのラジオ歌謡『麦踏みながら』が鳴っていました。当時の国民に愛唱された歌です。

  ♪ 山懐の 段々畑 
    麦踏みながら 見た雲は 
    あれは浮雲 流れ雲 
    ひと畝踏んで 振り向けば
    風にちぎれて 空ばかり 
 
 しかしあちこち探してやっと種を手に入れ、麦が伸びてきたのに、孫たちはちょっと踏んだだけで、おじいちゃんがしこしこ三回踏む羽目になりました。収穫も手間がかかりました。おじいちゃんの感傷や懐古趣味で孫たちを振りまわすつもりはありませんが、レンゲ畑も麦踏みもどれほど幼い子の心に残るでしょう。だから水戸黄門みたいに麦つくりは「モーイーでしょう」と打ち切るつもりでした。
 でもこの麦茶の味はよそでは得がたい。やっぱりつくろかな。
 なお「生の六条大麦(有機無農薬だけどゴミが混じってます)を自分で炒って麦茶を飲んでみたい」人に少しさしあげます。コメントにアドレスを知らせてください。
  
 
  
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大麦を脱穀、粗選別しました。

2011年06月16日 06時01分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは一日中畑仕事に精を出しました。まずサツマイモの補植です。コメリで買ったバイオのベニアズマの苗20本が駄目で、これで2回目の補植です。三分の二以上植え替えたことになります。去年もダイキで買った苗が駄目で、全滅してしまい植え替えたことを思い出しました。サツマイモの草抜きが必要な時期ですが200本近く植えたので手がまわりません。でも草が伸びるまえに抜かなくては。肥料は要りませんが草木灰の入れ物がいっぱいになっているのでそれを畝に撒くことにします。
 次にイチゴのネットハウスを撤収しました。まず100坪のネットをはずしてゴミ袋にしまいました。つぎに杭にビス止めした竹の柱をはずし、針金を片付けます。最後の8本の杭抜きは時間がかかりました。
 
 1メートルの杭を40~50センチ打ち込んだおかげでネットハウスはびくともしませんでした。しかし杭を抜くのは大変で、木槌で地上に出た根元を10回叩き、次に横の面を叩いて杭をぐらつかせて抜きました。赤松材を丸鋸で鋭い杭にし、クレオソートを2回塗っているので来年も使います。

 午後は大麦の脱穀選別作業をする予定でしたが、老人会長さんが畑に来られ「公民館周辺とゲートボール場の草を刈ったので片付けてほしい」と頼まれました。この作業が2時間以上かかり、大麦の脱穀にかかったのは6時過ぎ。まず干してある大麦の穂にブルーシートをかぶせて二人で踏み、それから自作の篩(ふるい)にかけました。まず目の粗い篩で麦わらを選別し、次に目の細かい篩でゴミを落とします。
 大麦の穂には長いひげがあり、これが折れて飛び散り、チクチクします。このひげはノコギリ状になっていて、服に刺さると払っても食い込んできます。肺に入らないようマスクをして7時過ぎまで作業しました。荒っぽい選別になりましたが、あとは道子さんがゴマ選別で培った〈ねばり〉でチャレンジすると言います。でも大変な作業だし、なにかいい方法はないかなあ。
 そうそう、大麦の種は埼玉の『種の森』で分けてもらいました。加古川の『おかげさま』では『種の森』の種を扱っているそうですし、一度訪ねてきいてみます。
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京都の本願寺にお参りしました。

2011年06月15日 03時00分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 道子さんの実家はお寺です。その関係で檀家のみなさんと本願寺にお参りしてきました。いま西本願寺では親鸞聖人の『750回大遠忌法要』が行われており、全国から多くの人々がお参りしているのです。
 弁当を食べたあと時間があったので、本願寺の門前の路地裏を散歩してみました。細い路地に古い民家が並び、住む人がこまめに掃除して気持ちのいい道です。家と道のすき間の土(幅15センチ)にトマトの苗を植え、ネットをかけている人がいました。声をかけてきいてみると、一つなったミニトマトがカラスにとられたので防御しているところでした。
 向いの家ではキュウリとゴーヤの苗をプランターに植え、格子に張ったネットに這い上がらせようとしています。掃き清められた玄関先の空気感が伝わるでしょうか。「それにしてもぼくたちはなんと恵まれたところに暮らしているのだろう」といまの田舎暮らしを思いました。
 
 これはソヨゴの木です。高さは50センチほどですがシイタケ建屋のまわりに自生しています。このたびソヨゴの苗を買って植え、はじめて裏山にもあちこちに生えているのを知りました。竹に日光をさえぎられずに生長したら、数年で建屋をカバーする常緑樹になるでしょう。
 これは『出エジプト記』のブログで書いた通路です。切った竹の山を左右に振り分けて通路を出現させました。そこに桜(ソメイヨシノ……手前の木)、ソヨゴ三本(杭の代わりに横に竹を渡してしばっている)を植えました。竹や笹も通路に生えてきました。シイタケ建屋のおおいは心配なさそうです。
 雨が降り、サツマイモ・コイモの畝は雑草がワッと生えて、あと10日もすれば手をつけられなくなります。いまのうちに削り、抜かねば。エンドウ、ソラマメの後片付け、イチゴのネットをはずしランナーをのばして来年の苗を育てる場所づくり、六月の土手の草刈り。道子さんはゴマをたくさんつくろうと二条植え二畝にするつもりです。
 たのしい仕事ですがすることが多く、追われているような気になります。「たのしむ」を見失わないように畑仕事に精を出します。
 
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裏山は妙子さんの『仕事場』です。

2011年06月12日 03時47分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が母・妙子さんは、先日『白寿』を祝ってからも元気に裏山に『仕事』に出掛けています。この写真は妙子さんの『仕事場』です。ベンチにすわって、竹の枝を花バサミで切ります。
 中央手前の緑の小山は、切ったばかりの竹の枝です。畑に植えた山芋のツルに「高い高い!」をしてあげようと、先日細くて長い竹を数本切り出してベンチの前に置いておきました。すると妙子さんが花バサミを持ってあがってきて、枝を切って棒にしてくれます。
 ベンチの後ろに枝を切った竹の山が見えます。竹についていた枝は全部妙子さんが切り刻みました。右手には細かく切った枝の山があります。切った竹も切り刻んだ枝もときどきぼくがまわりの竹薮に突っ込みます。そして仕事の材料となる枝付きの竹は、ぼくが竹薮で切り倒してベンチのそばに引きずってきます。こんなかたちの親孝行もあるのですね。
 それにしても後ろに生えている真竹のタケノコ。スクスクと伸びています。これでも第一陣のタケノコは孫たちが蹴飛ばしました。そのあとにまた生えてきた分です。もしだれも山に登らなくなったら一年で竹がおおい、三年もすれば元の竹薮に戻ってしまうのが目に見えるようです。
 
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レンゲ堆肥を切り返しました。

2011年06月11日 04時09分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 この写真は裏山に上がった右手の竹薮です。竹薮の手前は今年の正月はまだ竹の置き場でした。それをすっきりした裏山にしようと、積み上げた倒木や竹を片付けることにしました。半日仕事でしたが一坪ほどのスペースができました。そこに土を入れ、花を植えました。花の間に伸びてきた細い竹は切りました。そしてこんな花壇になりました。道沿いのプランターも、裏山の小径も、ウッドデッキ前の庭も、畑の遊歩道もいまは花盛り。みんな道子さんの仕事です。何の気負いもなくただ咲いている花を見に来てください。
 畑のまわりの田んぼは田植えの最中です。まだの田んぼにも苗が運ばれ、営農組合に入っている家の田植えもこの土日でほぼ終るでしょう。うちの畑の仕事もつぎつぎとあり、なかなか一息つけません。きのうはぼくはカボチャの土手の草刈りをしました。カボチャと冬瓜一株を土手に這わせて育てることにしたので、ツルが伸びる前に刈ったのです。
 夕方にはレンゲ堆肥の切り返しをしました。これは力のいる作業になりました。レンゲは5月末に刈ったのでしっかり伸びています。それをレーキで集めて入れ、ていねいに踏み込んだので草がよくからまっていて、フォークを刺して切り返そうとしても持ち上がりません。レーキでほぐしながら少量ずつ切り返し、またフォークで深く刺して持ち上げ、と一時間以上かかりました。それでも不完全な切り返しですが、二週間後に切り返すときにはていねいにします。
 堆肥の醗酵はよくすすんでいました。下になった草を持ち上げると湯気が出て、甘酸っぱいような臭いがします。温度も60度くらいに上がっているようです。醗酵促進剤・コーランの投入が効いたようでいい堆肥の予感。二週間ごとにあと三回切り返し、8月には秋野菜につかう堆肥ができます。
 タマネギの収穫は終りました。ジャガイモはまだ大きくなる時期ですから7月まで待ちましょう。イチゴのネット建屋はこわします。100坪用のネットを架けたのでこれをまとめて仕舞うとなると大仕事ですから廃棄します。
 サツマイモの草抜き、コイモの追肥、残った堆肥を草木灰にする、大豆・黒大豆の畝をつくる、エンドウ・ソラマメを片付けて耕す、など仕事はつづきます。今年もゴマは二条・二畝つくりたいと道子さんは作業をすすめています。ゴマづくりは大変な作業で、このあたりの農家の菜園を見ても、だれもつくっていません。落花生は今年も100株植えました。もうすぐびっしり草が生えてきますから落花生が枝を広げるまえに土をけずります。今の時期、仕事はあり過ぎますが、一つ一つの作業はたのしい仕事です。
 願わくはなるべく長く、元気に、畑仕事ができますように。
 
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マムシもいるところで人間は暮らしているのです。

2011年06月08日 04時19分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 一年前の6月、野兎の子どもが我が家の庭に姿を見せるようになり、だんだんなれてきたのかぼくらの姿を見ても逃げなくなりました。昼日中にやってきてナスビの苗を食べている写真です。でもある日突然姿を見せなくなり、その後葉っぱをほとんど食べられた苗は元気に育ってたくさんナスビが採れました。この子兎はブログで紹介しましたが、あれからどうしているでしょう。どこかで元気に暮らしていることを願います。
 動物といえばキジもよく鳴きます。ときどき姿を見かけます。先日は50メートル先の畑に夫婦らしいキジを見かけました。巣をしているのでしょうか。でもそばの代かきした田んぼの中にはアオサギが立っているし、向うの畦にはカラスが二羽たむろしています。キジのヒナをねらっているのでしょうか。キジを応援したくなります。
 朝軽トラでゴミステーションにゴミ出しに行ったついでに、民情視察とばかりに田植えの進み具合を見てまわりました。トラクターが時間をかけて代かきし、田植え機が稲を植えていきます。南畑では今年も疎植の田植えです。これは一尺四方に一株という植え方です。稲のまわりにスペースができて、それだけ有効な分けつ(稲の株が分かれること)がすすみ、稲の株が大きくなるそうです。
 きのうはもう少し遠出してみたくなり、細川町の谷に入って秘境(ぼくらにとっては)原坂まで上がってしまいました。ここも田植えがほとんど終っています。4輪駆動の軽トラなので悪路でも大丈夫だろうとかなり奥まで田んぼを見てまわり、ついでに『てくてく』の建物にも寄ってみました。
『でくてく』は子どもたちの遊び場です。ツリーハウスがあり、池があり、里山があり、宿泊施設があり、バーベキューができるところです。シュタイナー教育をしておられる個人経営のクラブで、街の子どもたちが入部の順番を待つほど希望して週末に遊びに来るそうです。
 たった4軒だけの山奥の村に、週末には数十人の子どもと親がやってきます。街の子にとってはわくわくする別天地でしょうね。《まむし注意!》と大書した看板、「子どもだけで草むらに入らないようにしましょう」という注意書きがところどころに立っています。建物のまわりをうろついていたら、年配の男性が出てこられました。
 我が家の状況を話して「なにか有効なマムシ対策はありませんかねー」。「子どもたちはこれからマムシもいる世界で生きていくのですから、どう対応して生きるかを学ぶのです」
 ハブ退治にマングースを放した奄美大島の過ちが、先日のテレビで放映されていました。ぼくも奄美の人と同じように「マムシなんか皆殺しにしてこの村からいなくなればいい」と思っていました。いまも見たら殺すしかないな、と思っています。しかし、こんどマムシくんとばったり出会ったらどうするかなー。
 
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タマネギ、六条大麦を収穫しました。

2011年06月06日 04時58分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 タマネギの葉が倒伏して収穫の時期です。抜いて三日間畑に干したタマネギを、軽トラで小屋に運びました。極早生(ごくわせ)のタマネギは一ヶ月前に収穫して、葉を切り落として人にあげたりしていました。これから収穫するのは保存用で、葉を付けたままのタマネギを五つずつヒモでくくって小屋にぶら下げます。去年までは両端にタマネギをくくったヒモを振り分け荷物のように竿に架けていましたが、今年はS(エス)字金具に引っ掛けることにしました。下でくくったタマネギをひょいと引っ掛ければいいので作業がずいぶん楽になります。
 タマネギは800個ほど吊るすつもりですからかなりのS字金具が要ります。しかしホームセンターで売っているS字金具は一つが100円近くするので自作することにしました。♯10(直径3,2ミリ)の太い針金を買い、それを番線切りで30センチに切ります。その針金を万力にはさんで固定し、ペンチで両端を曲げます。さらにS字になるようにペンチで曲げて一つ完成。針金1000円分で110個のS字金具ができました。夕方竿に引っ掛けた金具の列を撮った写真です。腕は痛くなりましたがこれから何かを吊るすのに使えます。
 六条大麦のほうは刈って束にして稲木に干すつもりでしたが、やめました。以前どこかの国で穂を手で集めて収穫しているのを見たことがあります。わずかな麦ですから穂先をハサミで切って紙袋に入れ、それをさらに干して粒にすることにしました。きれいに脱粒できないかもしれませんが、炒って袋に入れて麦茶にするのですからなんとかなるでしょう。
 雨で畑仕事が数日できず(お陰で衣類の断捨離はできましたが)、まだ仕事が滞(とどこお)っています。イチゴはもうお仕舞いですからネットハウスを片づけ、来年の苗をとる準備をしなければなりません。去年は10株残しましたが、今年は7株残すつもりです。散歩途中に畑に上がってきてイチゴのコーチをしてくださる村の人は、一つの株から100の苗をとるそうです。うちは200株もつくりませんから700とれたら人にいっぱいあげられます。イチゴを植える秋頃には声を掛けてください。苗をさしあげます。それにしても収穫が終るとすぐに来年の準備。イチゴをつくるのはほんとに一年がかりです。
 自然薯(じねんじょ)のツルが伸びてきました。1メートルほどの竹の上まで伸びて空中をぶらぶらしています。そばに4メートル以上の高い竹を立てて、「高い高い!」をしてあげることにしましょう。
 そうだ。もうすぐ黒大豆と味噌用の大豆(「白大豆」と呼んでいます)を植える時期です。タマネギのあとやレンゲ畑のあとに畝立てをしなければ。
 
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踏み込み堆肥に『コーラン・ネオ』を入れました。

2011年06月05日 03時25分31秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は2009年冬に撮った裏山です。まだ小さかった孫たちが散歩しています。奥を見ると坂にかかるところから先は暗い竹薮になっています。いまでは裏山に登る坂のはじまりですが、三年前はあそこから先は未知の世界でした。いまのように明るい裏山になろうとは。
 さてネットで堆肥づくり体験を読んだら、『コーラン』を入れると書いてあります。イスラム教でもないのになんでコーランなんだ。と思って調べてみたら発酵促進剤の名前でした。香蘭産業という会社が作っているから『コーラン』と名付けているだけです。聞いたことのない製品だしネット通販で入手するつもりでしたが、念のためホームセンター・ナンバに電話で問い合わせてみると「店にあります」。1キログラム700円ほどで醗酵促進脱臭剤として売ってあります。
 米ヌカ5に対してコーラン1の割合で混合したものを堆肥にふりかけたり混ぜたりして、醗酵を促進します。地中の有機物の醗酵をうながし、地温を上げ、糞尿の脱臭にも効果があるそうです。先日踏み込んだ堆肥箱をあけてみたらまだ発熱はしていませんが、なんとなく酸っぱいようなにおいです。米ヌカはもう入れてしまったのでコーランだけを水で溶き、踏み込んだ堆肥に穴をあけて流し込みました。これで温度が上がるでしょう。
 田植えがはじまりました。といってもトラクターで代かきして田植え機で植えるのですから、機械を動かす人と苗を補充する人がおれば三反の田んぼでも時間はかかりません。牛を追って田を梳き、泥だらけになって稲を植える体験をしてきた人はほんのわずかになりました。でも夜には蛙が鳴き、水を張った田んぼが日に日に緑になっていくのはいつまでも変わってほしくない日本の原風景です。
 畑に植えた六条大麦の粒が、爪でつぶしてもつぶれないほど固くなりました。収穫する時期のようです。刈って束にして稲木に架けて干すつもりでしたが、少量ですから穂先だけを切って段ボールに入れ、ウッドデッキで干すことにします。それからどうするかはまた考えます。穂先のヒゲはノコギリ状にざらざらしており、「肺に入ると大変ですよ」と村の人に教えてもらっているので、しっかりマスクをします。
 
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