古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

イチゴの防鳥ネットハウスができました。

2014年04月28日 05時56分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 きのうの日曜日、子どもや孫が手伝いに来てくれて、イチゴ防鳥ネットを張りました。道子さんは家で静養です。
 ネットは50坪用で〈9メートル×18メートル〉です。去年まで竹をネットハウスの支柱にしていましたが、今年から180センチの角材にしました。角材の先端をディスク・グラインダーで丸め、ホチキスみたいなタッカーという道具でマイカ線を止めました。この角材はこれから毎年使います。

 《杭を打ち込む。⇒ 支柱をビス止めする。⇒ マイカ線をタッカーで止めて張る。⇒ ネットを張る。⇒ ネットの端は竹で押さえる》

 このやり方で、ぼくの散歩範囲では随一の〈イチゴの防鳥ネットハウス〉ができました。中を自由に動きまわれます。田舎暮らしをはじめて8年目。この畑をつくりはじめて7年目。イチゴ防鳥ネットハウスをつくりはじめて6年目にして一つの「やり方」が出来上がった感じがします。
 
 ところで日本国民が「憲法9条で 〔ノーベル平和賞〕 をもらう」かもしれないんですって? ノーベル賞委員会で推薦申請を受理されたそうです。ワクワクする話じゃありませんか。
 ネットで「憲法9条で日本国民にノーベル平和賞を」を検索したら、賛成陣営・反対陣営が活発に論戦しています。特に改憲派のみなさんは、この素晴らしいとりくみにタジタジとなり、「占領下の / アメリカが押しつけた / 日本を滅ぼす / 中国・韓国を喜ばせるだけの / 憲法だ。そんなものに賞をもらったら憲法改正の〔足かせ〕になって日本は滅んでしまう」と必死に主張しています。
 もし受賞となれば、安倍首相が授賞式に出るのかな。でももし彼が「イヤ!」と言ったら、だれか日本国民が出席するのですね。ぼくも立候補しておきます。
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「休め! といわれた神さまの 〔言い付け〕 にしたがいます」

2014年04月26日 03時29分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                         
 道子さんはきのう午後、退院しました。コルセットをつけてしばらく「安静」にします。車を降りて裏山の <花々 木々> に「帰りましたよ」とあいさつしている写真です。手にはとれたシイタケを抱えて。
 咲いている花は『十二単』(ジュウニヒトエ)です。地面をおおう植物として年々広がってきました。今年もびっしり咲いています。
 このたびのことではいろいろ思うことがありますが、道子さんは「神さまに 『休め❕』 といわれた」と受けとめています。家事、料理づくり、妙子さんの世話、山の木々・花々の手入れ、庭の花々の手入れ、それに 〈畑の作物づくり〉 という大仕事をしながら、「忙しい! これもしなければ。あれもしなければ」と仕事に追われる日々でしたから。
 心配していただきましたが、こんなふうに書けることでぼくは深く胸をなでおろしています。
 ありがとうございました。
 
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自衛隊内部での「いじめ」を認め、反省して、国民に謝罪しなさい。

2014年04月24日 03時06分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 旧日本軍の兵舎では「いじめ」が横行していました。赤紙で召集された新兵が入隊すると、古参兵の「新兵いじめ」が当たり前になっていました。消灯ラッパのメロディーにはこんな文句が当てられました。若干の変化はあるようですが。

    ♩~ 新兵さんはかーわいそーだねー。また寝て泣くのだろー。

 あの時〔いじめた古参兵〕も〔いじめられた新兵〕も、あまりこの世に生きていないでしょう。来年で敗戦70年になり、あのとき22歳だったとしても生存しておれば92歳ですから。
 しかしあの日本軍の兵舎で行われた「新兵いじめ」は、「人間の心の尊厳を小刀でそぎ落とす」ようないじめでした。
『軍旗はためくもとに』で直木賞をとった推理小説作家・結城昌治(ぼくより10年早い1927年〈昭和2年〉生まれです)の作品に、新兵いじめの仕返しをする作品があります。敗戦後しばらくは、街角で、旧上官や古参兵が、いきなり刺されるような事件があったそうです。
 そんないじめに似たいじめが、いまも「自衛隊で横行」している。そして自衛隊はそれを「隠蔽している」。「旧日本軍の体質」をそのままもっている。きのう東京高裁でそれを指弾する判決が出ました。
 この裁判のことは、ぼくのブログでも書きました。2014年2月24日のブログです。
 NNNドキュメント『自衛隊の闇』 …… 沈黙を破った遺族の闘い …… というTV番組を見て感想を書きました。日曜日の深夜という枠にしか放送できなくても、報道にたずさわる者の良心が伝わる番組でした。(NHKではつくれなかったでしょう)
 軍隊内でのいじめとなるといまも「こころが波立ち」ます。ぼくに体験はなくても、すぐ上の人たちは骨身に刻むようないじめを受けました。政府は自衛隊内のひどいいじめをそのままにして、「道徳教育」で「いじめはいけません」と学ばせるのか。旧日本軍の人たちは尋常小学校から『修身』の時間に習ったはずです。そんなもの何の役にも立たなかった。
 この判決を出直しのチャンスとして、自衛隊内のいじめを認め、反省し、国民に謝罪しなさい。
                          
 裏山に自生している『ガマズミ』の花が咲きました。秋には赤い実がなります。うちの赤い実は野鳥たちの食事になってしまいますが『ガマズミ酒』(果実酒)は色がきれいでおいしいそうです。道子さんは病院で安静をこころがけています。ぼくは畑仕事に精を出しています。
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畦(波)板の活用法  その2

2014年04月23日 04時34分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 道子さんは病院に戻り、経過をみながら安静にしています。ぼくは家庭菜園にとって農繁期のいま、病院に行き、畑仕事をし、家事をしながらいろんなことを思います。体を動かしているうちに時間が過ぎていきます。
 で、きょうはちがう話題を。
                             
 写真の黒い円筒形のものは『畦(波)板』です。メーカーによって「畦板くん」とか「畔太くん」とか名前をつけていますが、規格は120センチの幅で両端が連結できるように 〔凹/凸〕 になっています。高さは〔 30 / 40 / 50 / 60 〕の4種類があります。うちではこの畦板を連結して円筒形にし、山や畑に置いて「物入れ」や「ごみ入れ」として使用しています。
 いままで「2枚以上なら連結できる」と思っていたのですが、試しにホームセンターで「30センチの畦板」1枚をたわめてみたら写真のような円筒形ができました。高さ40センチ以上の畦板だったら無理でしょう。何かに使えそうです。
 早速使ったのが「スズラン」の鉢植えを山に植え替えるときの枠です。
 手前の枠はツルハシで山を30センチ掘って円筒形を埋めたものです。(後ろの枠は見本として置きました)穴を掘るとどうしてもすり鉢状になってしまい、「花と野菜の土」を入れてもまとまりません。枠に入れるとまとまります。この枠に鶏糞を敷き、土を入れ、それから鉢植えを移します。元竹藪ですからこれだけの穴を掘るのにツルハシで10本以上竹の根を切りました。スズランの木は定着するのに3年かかるでしょう。そしたらこの枠を抜きます。スズランは「世界三大紅葉樹」ということで買ってみましたが3年たっても割りばし程度の太さです。名前だけが勇ましい。そんなこだわりはもうやめます。
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ご心配をかけました。元気です!

2014年04月21日 05時01分50秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう、道子さんが石垣の上から道路に落ちたことを書きました。
「外泊許可が出たくらいだから大丈夫です」とお伝えするつもりだったのですが、心配してメールや電話で様子をたずねていただき、ありがとうございます。ほんと、大丈夫です。
「不思議に」というか「奇跡的に」というか、居合わせた夫・子たちや連れ合い・孫たちの心はひっくり返りましたが道子さんは元気です。
 で、外泊許可が出たきのう・日曜日、道子さんは朝から張り切っていました。
 7時には電話が掛かってきて、「まだ家を出てないのか」と催促。母・妙子さんの朝食を用意してすぐに病院に行きました。
 一泊の帰宅をする荷物は準備万端。道子さんは着替えて待ち構えていました。
 家に着くと道子さんはまっすぐ裏山へ。8時過ぎ、家に着いたときの写真です。
                           
 首に輪をつけ、服の下にコルセットをつけて、ゆっくりした身のこなしですが元気です。
 裏山はライラックが咲きました。中央のユウゼンケヤキは若葉が鮮やかです。梨の<豊水・幸水>も花をつけてます。
 一週間ぶりに帰ってきて、「植えた木々にあいさつしてまわりたい」道子さんの気持ちもわかります。
 子たち孫たちもやってきて、いただいたメロンを切って「道子さんの外泊祝い」をしました。
 「野菜づくりを覚えよう」と街からやってくる青年に手伝ってもらい、畑の畝を整備しました。これで夏野菜を植える畑整備は完了です。青年はここでの体験や家庭菜園の本で勉強して、自分で種や苗を買ったり、ジャガイモの芽欠きをしたりできるようになりました。野菜に愛情をもって接する心根がいい。
 若い人が菜園づくりをするTV番組があり、ベランダ菜園もあり、菜園ブームは息が長いですね。いいことです。
 道子さんは一旦病院に帰りますが、一週間以内には退院する心づもりです。〔イチゴの防鳥ネット張り〕 は来週また子ら孫らが手伝ってくれます。彼らは<ヒヨドリ・カラス>とイチゴを分かち合う気持ちは毛頭ありません。

 またこんなふうにブログを書ける。
 なんていうか、ホッとしたというか、ヒヤッとしたというか。
 でもわたしたちの〔生〕に「永遠の」とか「不変の」という修飾語がつくことはありません。いや、必ず「死す」存在です。
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書きあぐねておりました。

2014年04月19日 23時14分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ブログ『古希からの田舎暮らし』を読んでいただき、ありがとうございます。先週の日曜日にブログを書いてから一週間、何も書かないまま過ぎてゆきました。書くことがなかったのでもパソコンが故障したのでもなく、起こった出来事を書きあぐねておりました。
「田舎暮らし」をなるべくありのまま伝え、孫たち / 高齢の母 / 野菜づくり・花づくりを愛する妻とも、なじんでいただいておりますのに、起こった事態を書きあぐねておりました。あれこれ思うことを省いて、起こったことを書きます。

 13日の日曜日、孫たちがやってきて、お昼はまた裏山で 〔たき火BBQ〕 をしました。
 その片付けをしていたとき、妻・道子さんが娘に花を持たせてかえそうと、石垣沿いの柵にそって植えたチューリップを摘んでいました。かがんで、体を支えようと柵に手をかけたとき木がはずれました。道子さんは、1メートル余り下の道路に頭から落ちました。
 意識はありましたが、たん瘤ができ、胸苦しさを訴え、急いで休日救急の病院に連絡をとって車で行きました。そしてレントゲンなどの検査をして経過をみるために入院しました。入院してからMRIを撮ったら脊椎の圧迫骨折がわかり、安静にしなければならないので入院をつづけることになりました。ぼくは病院に必要なものを持って行ったり、家で母・妙子さんの着替えを世話したり食事を用意したり、菜園の農繁期になるので畑を耕運して畝の土寄せをしたり、乾燥注意報が出るほどだったので野菜に水をやったり、草刈りをしたり、とばたばたしました。
 裏山に桜が咲こうがあたりの山々が若葉色になろうがそんなことは吹っ飛んでしまいまた。畑仕事や家事をしていると実にいろんなことを思います。
 道子さんはやはりいろんなことを思ったそうですが、知己を得ているヒーラーの方に携帯で治療のパワーをお願いし、日に日に元気になっていきました。でー …………  いろいろあって <あいだは省略して> 明日の日曜日、「一晩の外泊」を許可されて病院から帰ってきます。
 
 これからもブログをよろしくお願いします。

 
 
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コバノミツバツツジもおしゃべりも満開でした。

2014年04月13日 03時32分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                         
 村の女性部有志に呼び掛けた 〔裏山たき火BBQ〕 は参加できなくなった方があったりして「どうかな」と少し気がかりでした。しかしそばで咲いているコバノミツバツツジと肩を並べるほどおしゃべり満開のBBQになりました。
 〔裏山たき火BBQ〕はなかなかいい。これからも裏山でたのしみます。
 田舎暮らしを志向してこの地に移り住んで8年目になりますが、引っ越してきた年はウッドデッキでBBQを7回やりました。街のお客さんをつぎつぎと招いてはBBQ。焼いた食べ物に〔田舎の眺め〕が味付けされ、たのしい時間を過ごしてもらいました。
 それから毎年 〔デッキBBQ〕 をたのしんでいますが、去年からはじめた冬季の 〔裏山たき火BBQ〕 もわるくない。「たき火にあたりながら食べる」から冬にするものだと思っていましたが、春もいいじゃありませんか。
 テーブルをデッキでなく大地に直接セットするのもいい。これからクヌギやコナラの木々が茂り、木陰ができれば、昼から夕方にかけて快適なスペースになります。花が咲き、ウグイスが鳴き、夏にはカナカナ蝉が鳴き(蚊は蚊取り線香をセットするとして)、5・6月には 〔元は竹藪だったから次々と生えてくるタケノコを蹴っ飛ばす運動〕 もしたりして「腹ごなし」しながら食べればいいのです。
 高さのあるテーブル(道子さんが小屋で種を播いたりするためにつくった高さ80センチの作業台)にテーブルクロスを掛けて「立食パーティー風」に動きまわれるようにするのもいいかな。たき火には鉄板をセットし、BBQコンロには網をセットして、両方で焼けるようにするのもいいかな。
 うちの村の大事な里山は竹がはびこっていますが、少しずつでも竹を伐って 〔里山風な公園〕 になることを願っています。
 ささやかな 〔裏山たき火BBQ〕 がその起点になれば、こんなうれしいことはありません。
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ビージーズの歌 『若葉のころ』 が耳もとできこえます。

2014年04月12日 03時23分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                          
 裏山に植えた「ユウゼンケヤキ」が芽吹いてきました。これから日ごとにまわりの山々が若葉色にふくらんでゆきます。そして耳もとで、ビージーズの歌『若葉のころ』が鳴ります。ちょっとむかしの歌ですがいまも心にひびきます。
 まえにもこのブログでふれましたが、とても感心していることなのでもう一度。
 『若葉のころ』という歌の原題は "First of May" (5月1日)です。この日付を聞くと、この歌の作詞家/作曲家の国では、みずみずしい「若葉」を思い浮かべるのでしょうか。ぼくらの国では「5月1日」=「若葉」とならないかもしれない。それで『若葉のころ』という題にしてみたのでしょう。歌の中身にピッタリです。
                          
 つつじ(コバノミツバツツジ)が満開です。手前左の白いのがうちの軽トラ。竹の手すりで裏山に登り(ちょっとだけ)、向こうにキウイの棚が見えます。道子さんが植えた花花が咲きそろい、木々の若葉と競演して裏山は春たけなわです。
 そして今日はBBQです。
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ハンモックに横になって、空を見て考えたこと

2014年04月10日 03時34分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                         
 アマゾンに注文していたハンモックが届いたので、キウイの棚に吊ってみました。乗り方にコツがあるようで一度でんぐり返って落ちてしまいましたが、床上30センチなので大丈夫でした。
 写真用にカッコつけて本なんか見てるふりしてますが、ほんとうはクヌギの梢を見上げていました。
 竹藪に落ちたドングリから芽を出し、まわりの竹に負けないよう伸びたクヌギは、下から見上げると実に高く見えます。竹より数メートルは頭を出すのですから。いま梢に新芽の若葉がつきはじめています。
 青空。遥かな梢。若葉の新芽。夏なら葉が繁って木陰になる。秋は色づいた落ち葉がしずかに落ちてくる。
 首を反らせて見上げるのでなく、ゆったり横になってなんとなく見えてくる。
 たったそれだけのことなのに、新しい世界を見るような新鮮な視野です。
 5年前になりますか、裏山の頂上まで(わずかな距離でしたが)竹を伐り登ったとき、頂上の平坦な地面を見て「ここにハンモックを吊って乗ってみたいな」と思いました。それがキウイの棚をデッキにしたことでよみがえったのです。頂上まで登るのはしんどいけど、キウイの棚までなら標高差2メートルくらいだから老人でも大丈夫です。
 ハンモックは想像していたよりいい気分です。
 晴れた日に、太陽の温もりにつつまれて、ハンモックに横になり、空を見あげ、しあわせな気分のときに、地上のこの命が消える。

 この間から二人で〔三木市の桜〕を見てまわっていますが、花の下を歩きながら道子さんがときどき西行の歌を口にします。

    願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃

 老いてゆくにつれて〔死〕に違和感がなくなるのはわるいことではない気がします。

 

 
 
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『北谷川』の桜は満開になりました。

2014年04月08日 02時43分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 どうして間違えたのか、ぼくは三木市吉川町の『北谷川』を「吉井川」と思い込んでブログに書いていました。「そんな川あったかな」と不審に思われたでしょう。「北谷川くん」もヘンな名前で呼ばれて不本意だったでしょう。ごめんなさい。
 いつ頃からそう書いていたか。思い出せませんのでそのままにします。これからは『北谷川』と書きます。
 きのうは北谷川の桜を見に行き、古川の公民館に車を置いて1キロ歩いてみました。
                         
 肌寒い風の吹く日でしたが桜は満開でした。
 <風雪に耐えて長い歴史を生きてきた古木・老木> にはそれなりの風情がありますが、見て歩くほうも、手を腰に当てて歩き、立ちどまって見上げるような気分です。ところが北谷川の桜並木は <青年の桜> という雰囲気です。背筋を伸ばし胸を張って青春を闊歩するような清清(すがすが)しさがあります。
 桜並木の所どころに立っている『桜いっぱい運動の会』をネットで調べてみました。
 北谷川は、曲がりくねって蛇行する、よく洪水の起こる川だったそうです。そこで昭和47年から河川改修工事が行われ、平成になってやっと工事が完了したそうです。その頃吉川町で「桜いっぱい運動」の呼び掛けがあり、平成7年には吉川町が(このときはまだ三木市と合併していませんでした)2000本の桜の苗木を配りました。それが元になって年年北谷川両岸の桜並木が延長していきました。現在は6キロになるそうです。両岸に遊歩道があり、なだらかな山山とのどかな田園風景がつづきます。
 そうか。細い苗木を植えてからまだ19年か。
 生長の途中で枯れた樹の跡には細い苗木が植えてありました。桜の逞しい成長と多くの市民の愛情を感じる並木です。うちの裏山に植えた桜だって「10年もすればそれなりの花見スポットになる」と思えてきました。
 裏山で一番立派に咲いたソメイヨシノの写真を載せておきます。今年はじめて咲きました。
                        
 この木の下で「お花見をする日」を、待ってるからね!
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やっと「裏山たき火バーベキュー」をしました。

2014年04月07日 03時04分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは客人をお呼びして裏山でバーベキューをする日でした。
 買い物・下ごしらえを済ませ準備万端。あとは火をおこせばいいようになっています。天気予報も「気温は低いが曇り」。なんとかやれると思って寝床に入りました。ところが朝起きてみたら雨。
 この <裏山たき火BBQ> は実は先週やる予定でした。しかし雨降りで一週間延ばしたのです。その前の週の土曜日は、村の女性部有志でやはり <裏山たき火BBQ> をする予定でしたが雨で延期。もしできなければ三度目の延期になってしまいます。
 しっかり準備したのに延期だと困る。
 我々老人は『全日空』みたいなものだからそんなに困らないけどなんとなく困る。どうしてもやりたい。
「お客さんはちょっと遅くなるみたいだし、少々の雨でもやりましょう」と二人で決意して、ぼくは小屋で炭火をおこし、ダッチオーブンで焼き芋にかかるし、道子さんは焼きおにぎりや焼鳥をあらかじめ焼きだしました。すると我々の気合に呼応するように青空が見えてきました。
「やっぱりなー、日頃の行いがエーから」
 はずんで準備していると「一天にわかにかき曇りたちまち雨」。あーあ。やっぱり今日も駄目かなー。
 一喜一憂しているとまた青空。そしてまた雨。二喜二憂でがっかりしてるとまた青空。三喜三憂まで付き合ったらそれだけでも疲れました。
 で結局、写真のようにみなさんでおいしくBBQをすることができました。
                          
 きのうは、たき火はブロックでつくった炉で燃やし(写真手前)、バーベキュー・コンロは別にセットして炭火で焼き、奥のテーブルで食べました。この配置でいけそうです。
 地面には竹の切り株はまだ残っていて、人の動きの邪魔になります。竹の切り株は芽が出たりしませんが、同じ根からタケノコが生えてきます。毎年生えるタケノコは倒し、竹の根も掘り出しているのですが、4年たっても切り株はなかなかへたりません。次のBBQまでにできるだけツルハシで掘り出します。
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三木の桜を見てまわりました。

2014年04月06日 03時21分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 あしたは裏山で <たき火BBQ> をする予定ですから、昼まで芝生を刈ったり落ち葉を燃やしたりして片づけました。道子さんは〈おにぎり〉を食べてもらおうと「酵素玄米ご飯」を炊きました。お昼は酵素玄米ご飯のカレーを食べました。久しぶりでおいしかったです。
 肌寒く風もありましたが午後は <三木の桜を見てまわる> ことにしました。
 道道「あそこにも桜が咲いてる」とゆっくり車を走らせながらまずグリンピア三木に寄りました。広い駐車場のまわりにソメイヨシノが咲き誇っています。人はほとんどいません。シートを敷いて花見している人は見掛けませんでした。寒いし曇ってるしそんな気分にならないのでしょう。ぼくらも車から降りることなくそのままグリンピアを出て、愛真ホームに向かいました。
 志染愛真ホームの銀杏の木は一見の価値があります。このブログで紹介したことがありますが、樹形がよく、樹に勢いがあり、見とれてしまいます。ここは桜が前庭をぐるっととりまくように咲きます。どれも相当な大木で花も見事です。銀杏を見に来て知己を得た94歳の方を訪ね、3階の窓から桜の写真を撮りました。目の前に迫る桜に圧倒されます。
                         
 帰り道、豊地小学校前を過ぎて『三坂神社』からとても細い道を桃津に抜けました。軽自動車でギリギリです。横で道子さんが「こんな道行けるの? 向こうから車が来たらどうすの?」と心配します。ぼくは散歩で二度歩いたことがありますが、それでも心細かったです。車では入らないほうがいいです。暗い竹藪を抜けると桃津の集落が見えてきます。
 まー、この民家の彩り。
 桃とレンギョウが咲き誇っています。
 県道20号線から行くなら、ローソン前から『冷泉橋』を渡って左に折れたところにある民家の写真です。
                         
 もう4年前になりますか、このおうちの方と散歩の途中おしゃべりして、桃の花をいただいたことがあります。ここは早春にはサンシュユが咲き(サンシュユにしては大きな木です)、あと10日もすれば右の高い大木(リンゴ)に白い花が咲きます。
 『春』の写真が撮れたので大きくアップしようとしたのですが入りきらないようです。
 でも日本の春っていいですね。
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三木も桜が満開です。

2014年04月05日 03時21分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 うちの村で「花見をする」といえば、うちの畑から眺める一本のソメイヨシノが一番です。となり村との境には美嚢川沿いに数本の桜が見事に咲きます。しかしここは県道20号線沿いでトラックがよく通り、落ち着いて花見ができません。
 三木市では4年前、各町にソメイヨシノの苗木を8本ずつ配りました。うちの村の老人会は、公民館裏のゲートボール場まわりに4本、八幡神社前に2本、西のお大師さん前に2本を植えました。それが活着しているか気をつけて見るのですが、八幡神社2本のうちの1本以外は葉をつけていました。
 うちの裏山に植えたソメイヨシノが今年から咲きだしたので、「老人会で植えた苗木はどうだろう」ときのう軽トラでまわってみました。まだ細い木です。でも花をつけています。たった一つだけという木もありますが、西のお大師さんの2本も公民館裏の4本も、花は咲いています。
 老人会のメンバーが大木になった桜の満開を今生で見るのは無理ですが、将来はゲートボール場が〈おらが村の花見スポット〉になるでしょう。
 4月3日には買い物に出たついでに吉井川の桜を見に行ってみました。両岸に植えてあるソメイヨシノが「六分咲き」です。日曜日くらいが見頃になるでしょう。数年見ないうちに桜の木が逞しくなっています。最盛期にさしかかった若樹が勢ぞろいしているのがうれしい。また見に行きます。
                         
 写真は東条町コスミックホール前の枝垂桜です。トンネルのようになっていて、ここなりの風情があります。ホール裏の東条川両岸にも桜が植えてありますが、まだ木が若い。『とどろき荘』前あたりは大木で見栄えがします。
 きのう買い物に出たらあちこちの桜が目につきます。図書館まわりの桜。美嚢川沿いの桜。ゴルフ場アプローチの桜。千体地蔵の桜。ところどころの道沿いの大木。「他所に花見に行くより、今年は三木の桜をたっぷり見てまわろう」と話し合ったことでした。
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畑でお花見をしました。

2014年04月04日 03時51分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 母・妙子さんは桜が好きで、鳥取県倉吉市に住んでいたときは桜の名所「打吹公園」にお花見に、また神戸に64歳で移り住んでからは毎年、王子動物園や須磨の公園に、お花見に出掛けていました。
 彼女の〈桜好き〉の原点は、火野正平さんの番組「こころ旅」に手紙を書くとすれば、幼少期に住んだ新潟県柏崎市の自宅裏にあった桜です。子どもの頃大木だった桜が100年たってまだ咲いてるかどうか。
 94歳で三木に移り住み、春になると裏山に登って竹の枝切りをしていましたが、ことしは登らなくなりました。ことしは裏山に植えたソメイヨシノが数年を経て咲きはじめたというのに。いまは老人になった子らが100歳記念に贈ってくれたテレビで、桜のDVDを繰り返し繰り返し見ています。
 そこで「畑でお花見をしてもらう」ことを思いつきました。うちの村で一番の桜は畑のそばの家に植えてある木です。枝張りがよく花が盛り上がって咲いています。そこまで車イスで連れていき、お湯を持っていって〈野点(のだて)〉の抹茶を飲みながら「お花見」をしてもらおうと道子さんが準備しました。
 しかし妙子さんは「車イスなんてかっこわるい。なんぼでも歩ける」とぶつぶつ言います。実際は10メートルも歩くとしんどくなります。高齢になっても杖や手押しカートを拒否して生きてきた強がりは、100年たっても変わりません。
                          
       老いては子に「素直に❕」したがい、花見をたのしむ。   なかなかのようです。自分のさらなる老いの参考にします。
「さっき聞いたこと、言ったことをすぐ忘れ、いつも〈いま〉〈ここに〉いる」ようなのに、性根だけは「岩の如く」です。

 キウイの棚つくりで畑にしばらく行きませんでした。草がグーンと伸びています。久しぶりに草刈り機でけずり、7日くらいに耕運して黒マルチを掛けます(刈った草をそのままにして枯らしてから片づけます)。三年前草むらのマムシを草刈り機でチョン切ってからというもの、畑には草むらをつくらないようにしているつもりです。
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