古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

一番働いたのは耕運機でした。

2012年03月31日 03時26分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 我が家の畑は一反三畝(400坪)あります。三分の一のところを東西の通路で区切り、南側10メートル、北側20メートルのうねを立てて野菜をつくっています。写真はその南側10メートルのうねで、木曜日に耕運機で耕して、うね立てをしました。排水の溝は一番手前(北側)にあるので、道子さんとぼくのあいだでは便宜上、南側を「上の畑」、北側を「下の畑」と呼んでいます。他の人には何のことかわかりませんが。
 木曜日は「上の畑」の空いているところを耕して、10うねのうね立てをしました。大体20うねでつくりますから上の畑の半分をうね立てしたことになります。いまは春の雑草が地面をおおいはじめていますから、まず耕運機で同じところを二度耕して草の根をほぐします。それからうね立てをするのですが、ちょうど畑の土がいい状態で、きれいにうねが立ちました。うねの両側からジョレンで土を上げて整形し、雨が降ったあと黒マルチでうねをおおっておきます。ここに種を播くにしろ苗を植えるにしろ、あらかじめこうしておくと段取りがいい。
               
 いつも不思議に思うのですが、耕運機で耕していると必ずと言っていいほどセキレイが二羽三羽とやってきます。耕耘機の音を聞き分けるのでしょうか。身軽で、走るのがものすごく速く、姿を見るだけでうれしくなる小鳥です。そうそう、木曜日は午前中軽トラで散歩に出掛け、大将軍神社の東の田んぼ、蓮花寺の池のそば、裏山の北側の田んぼと三か所で雄のキジを見かけ、道子さんが大よろこびに日記に記していました。キジも走るのは速いですね。
 とにかく木曜日、大働きしたのは、爪を交換したばかりの耕耘機・FF500・サラダ号でした。ガソリンをいっぱい入れたのにほとんど空になるまで働きました。ご苦労さま。
 
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あと何センチでしょうか。

2012年03月28日 05時00分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
「あの戦争」で負けたとき、日本の人たちは『君が代』を歌おうと思ったり『日の丸』を掲げようと思ったりしませんでした。大人たちは、ちょっとでも好戦的と見られる本は焼き、役所や軍隊の人たちは戦争の書類を焼き、口をぬぐってじっとしていました。ぼくたち子どもは、そんな大人を見て育ちました。
『一億総懺悔』と首相が言い、みんながあの侵略戦争を反省することになり、日の丸・君が代はどっかに吹っ飛んでしまいました。その後日の丸のステッカーを車に貼ったり軍歌を流すのは右翼だけでした。
 それがだんんだん復活して、いまや大阪の卒業式では起立しないと処罰され、君が代をホントに歌っているか口の動きをチェックされ、テレビのワイドショーでコメンテーターは「起立しない、歌わないなんて実にけしからん」とコメントして、時局に迎合する自分のアリバイを示すのに必死になり……。
 写真は宮津の天橋立にある神社のさざれ石です。参拝に来た人は、神社もこの石も写真に撮り、何も思わず次の観光地にむかいます。こうして時代は流れていきます。
 日曜日に大相撲の春場所が終りました。朝青龍がやめてからぼくは大相撲を見ませんが、テレビで表彰式をチラッと見ました。観客が起立して君が代を歌い、式がはじまります。
 もしこのときに、起立しない観客がいたらまわりの人はどう反応するのでしょう。注意するのでしょうか。無理にでも立たせるのでしょうか。そして君が代を歌うとき口の動きを見て、「われー、歌わんかい! それでも日本人か!」とすごむのでしょうか。
 アメリカ軍が上陸してきたら竹やりで突くのだ! カッポウマエカケをつけて女たちは竹やり訓練をさせられ、在郷軍人は「この非国民めが! 腰をすえて突け!」と怒鳴りました。戦争に負けたとたん大人はピタッと黙ってしまい、「民主主義さま」をうやまうようになりました。いまや「民意」は錦の御旗です。かつてヒットラーは選挙に勝ち「民意」によって首相に就任しました。
 大相撲の観客同士がもめて、「非国民!」という言葉が投げつけられるまで、あと何センチのところに来ているのでしょうか。
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どうしても竹薮が目についてしまいます。

2012年03月25日 04時45分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
              
 軽トラは便利ですね。東条町のコーナンに買物に行き、バラス(ぬかるみにまく)、芝生(裏山に敷こうと思う)、肥料や土、苗などを、道子さんもぼくもそれぞれ思いつくまま勝手に買い込んで積んだところです。安いものですから数千円もあれば大丈夫ですが、「車に積めるかな」と心配しなくていいのがうれしい。
「70歳を過ぎてから軽トラの新車なんか買ってどうするんだ」と思いましたがこんなに愛用するとは。
 きのうは別のことを書くつもりだったのに「竹薮を退治しなくては」という話になってしまいました。どこの田舎に行っても竹薮が目についてしまいます。先日宮津に行ったときも山すその竹薮に「あーあ、ここも竹薮に侵食されてる」と思ってしまいました。「竹やぶの侵食」と打ち込んで検索すると竹やぶ退治に奮闘しておられる全国各地の人々の活動がいっぱい出てきます。
 裏の竹やぶの竹を切って三年目になりますが、今年は100本も切りませんでした。裏山を見上げて、「これだけ里山風の空間ができたから、ま、いいか」と植えた木の手入れをしただけでした。でも5月6月になるといっぱいタケノコ(真竹の)が出てきます。それを、孫に手伝ってもらって蹴飛ばしても、あちこちに笹の茂みのような塊りが生えてきます。これを放置すると根が養分をたくわえ、また立派な竹が生えてきます。
 裏の山を竹のない里山にするには、切った竹の根を掘り出し、あるいは生えてくる竹を5年間すべて切りつづけ、根を枯らすしかありません。周囲の竹やぶから伸びてくる根はすべて止めることを前提としての話です。でも実際は周囲からの根の侵攻は防げません。つまりいまは里山になっても一年放置すればまた竹やぶに戻ってしまうということです。
 でもぼくの生きて体の動く間は、少しでも里山らしくしようと思います。徒労ですが、しばし里山をたのしむ。それでいい。

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竹薮退治はたいせつです。

2012年03月24日 04時12分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 うちの村の墓地は小高い丘にあり、20本ほどのクヌギ林のはずれに写真のように墓が広がっています。50軒ほどの村ですからこの丘だけでなく、数箇所にありますが。いまぼくたちがつくっている一反三畝の畑は、この墓地のそばにあります。
 お彼岸に撮りました。きれいに掃除して花が立ててあります。ひと昔前までは土葬でした。「坐棺を埋めるために深い、大きな穴を掘らねばならず大変な仕事だった」。葬式のときに村のおじいさんが回想しておられました。そういえば竹を粉砕して肥料にする『バイケミ』の人に「昔からのお墓のそばに畑があるなんて最高です。昔は土葬だったから江戸時代の燐やカリが土に溶けていい肥料になってますよ」といわれました。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはうまく言ったもので感心しますが、それにしては今年は寒い。田舎に暮らすようになると自然の変化に敏感になります。でももう少しの辛抱。やっと春が来ました。
 雨の日の散歩は軽トラで「口吉川町周回コース」にすることがときどきあります。県道20号線でなく旧道を走って全部の村をまわります。先日も軽トラで一巡しながら「どこでも竹薮が裏山を侵蝕してるなー」とぼくがぼやきました。すると横の道子さんが「でも街の人は竹薮を見ても、自然はいいわねっていうだけよ」といいます。そうでしょうな。
 でもみなさん、竹薮が裏山に這い上がっているところを見かけたら「あの陰で木々が立ち枯れている」と思ってください。いま竹薮が里山を侵蝕してるのは全国的な問題です。となりの西中の龍神さんを祀ってある山は雑木林の山に見えますが、参道を歩くと東側はほとんど竹です。うちの裏山の愛宕さんに登る参道も竹林の中を登ります。竹より高くなったクヌギやコナラが頭を出しているだけです。ネットを見ると竹薮と格闘している地域があちこちにあります。やっぱりぼくも、竹切り頑張ろう、かな。
 
  
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裏山でよくウグイスが鳴きます。

2012年03月21日 02時54分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 わかりにくい写真ですみません。裏山のサンシュウの木で、10日前のつぼみです。いまはもう少し咲いています。いつが満開かわかりませんが、地味な花ですね。でしゃばらないのがいい。その枝に竹の枝先を折って逆さにかぶせています。中央にカマキリの巣があるのです。
 冬は餌が少ないので小鳥たちがこの巣を目ざとく見つけて食べてしまいます。それを保護するために竹の枝をかぶせているのです。この一つの巣に200個の卵を生んでおり、5月頃になるとウジムシのような幼虫が這い出して脱皮し、あのカマキリになります。それがまた小鳥の餌になってしまい、バッタなどを捕虫してくれる大人のカマキリになるのは200匹に1匹だそうです。そこで我が家ではカマキリの巣を小屋に集めて保護しています。サンシュウの木は枝を折るのがしのびないからこうして保護。
 カマキリくん、虫捕り頑張ってね!
 今年は裏山でウグイスがよく鳴き交わします。きのうの朝は裏の窓から3メートルのところにウグイスが3羽やってきて餌をさがしていました。竹を切り、木を植え、その木が少し伸び、小鳥も居心地がよくなったのでしょう。いろんな小鳥が見られるようになりました。
 この二日ほど家のまわりを片付け、裏山の竹も30本ほど切って眺めをよくしました。切り倒すのはすぐですが、それを数メートルずつ切って片付けるのは手間です。でもおかげで母・妙子さんの仕事材料ができました。彼女はあとひと月あまりで満九十九歳になります。電話をかける友だちも少なくなり、いまでは大型活字本を読むのと裏山で竹の枝を切り刻むのが「たのしみ」というか、「仕事」というか。食事がおわると花バサミの入ったカゴをかかえ、運動靴をはいて裏山に出勤します。
 冬は寒かったけどやっぱり春が来たなあ。いくつになっても春が来るのはうれしいです。
 
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『れくいえむ』(郷 静子)と出会いました。

2012年03月20日 03時13分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 今年もシイタケが採れはじめました。裏山のホダ木置き場にホダ木を10本買い足しました。先日採ったシイタケを写真に撮りました。
 図書館の大型活字本コーナーで母・妙子さん用の本を漁っていたとき、ふっと手がいって『れくいえむ』(郷 静子)という本を借りました。いままで知らなかった本でしたが、昭和47年に出た芥川賞をもらった作品です。読んでぼくの中の針が大きく振れました。
 これはひと口でいうと「軍国少女の渾身の声」です。昭和一桁生まれの人たちが、愛国少年として予科練に志願し、陸軍幼年学校に行き、満蒙開拓青少年義勇軍に志願した、その世代の少年たちと同じ思いであの戦争に打ち込んだ愛国少女の血を吐くようなことばがつづられています。読み終わって、ただ「読んだ」でなく、「出会った」という思いです。返すまでにもう一度読み返すつもりです。
 中味についてはまた思いがかたちになってから書きます。いまは「ぼくの針が大きく振れた本」のことを書きます。
○ 『長い道』(柏木兵三)……田舎に縁故疎開をした小学校6年生の男の子の物語です。図書館の普通の書棚には見当たらないようですが、大型活字本の棚にはあります。(三木でも神戸の大倉山でも)疎開した男の子の視点で、淡々とした筆致で子どもの世界を描いています。疎開したよそ者、仲間はずれ、いじめ、おべんちゃら、ボスなどが生きて立ち上がり、迫ってきます。三度借りて読み返しましたが、手元に置きたくて<スーパー源氏>で古本を入手しました。
○ 『終らざる夏』(加賀乙彦)……昭和4年に生まれ、陸軍幼年学校に進んだ作家の等身大の自画像のような作品です。この本も大型活字本で大倉山図書館にも三木図書館にもあり、三度借りて読み返しています。手元に置きたい本ですがまだ入手していません。主人公は敗戦の直後に殉死する筋書きになっていますが、あの戦争にめり込んだ少年が、敗戦後に生き直すためには一度死なねばならなかったのが痛いほど伝わります。予科練に志願した城山三郎も敗戦後「私は廃墟になって生きた」と書いています。(『そうか。きみはもういないのか』)
○ 『ルソンの谷間』(江崎 誠致)……昭和20年8月の敗戦直前、ルソン島の山中を逃げまどう日本兵部隊の様子を書いています。切れ味のいい彫刻刀で刻んだような描写が戦争をあますところなく伝えます。三度借りて読みましたが、やはり手元に置きたい本で<スーパー源氏>(古本屋さん)で入手しました。
○ 『大地の余燼』嚮導指訓第四期生記録文集……満蒙開拓青少年義勇軍に志願した14歳の少年たちは、茨城県内原の訓練所で二ヵ月の訓練を受けた後「満州」(当時の呼び方)に渡り、ソ連との国境付近の開拓地に配置されました。その少年たちの中から推薦され選抜された者たちが集る「嚮導訓練所」がハルビンにつくられました。これはその少年たちの回想集ですが、愛国に燃える少年群像が生き生きと立ち上がります。入手はむずかしいです。
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爪交換で耕運機大活躍!

2012年03月17日 02時55分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 日本海のズワイガニ漁はもうすぐ終ります。そこで一泊で蟹旅行をして、天橋立の松並木の道を歩いてきました。宮津への蟹旅行は毎年のように行くのですが、天橋立の付け根まで行って歩いたのははじめてでした。見事な太さの松が並んでいますね。そしてその松並木を維持するのに大変な苦労をしておられるのですね。ありがとうございます。
 きのうは鉄の爪を交換した耕耘機で畝間を耕しました。気温が上がり雨が降れば草は一挙に伸びます。その前に引っ掻いておこうと思って。
 あのしぶとい「スズメノカタビラ」は耕運の深さを三段目にして削っていましたが、二段目でしっかり削れます。元の耕運機はこんなにすばらしい力をもっていたのか。
「この爪はまだ二年くらい使えそうだ」と思ったのは間違いでした。たしかに爪の長さはほとんど同じで、そんなに磨り減っていません。でも爪の先端の鋭さが違います。「仕事の出来栄え」が、同じ耕運機のした仕事と思えないほど違います。このたびは4年間耕運してから爪を交換しましたが、3年目で交換しても遅いくらいだったと思い知りました。
 道子さんはイチゴに黒マルチをかけました。我が家では、本植えした苗を「寒さにさらしてきたえる」ために厳冬を越してからマルチをかけます。お彼岸近くなったから「もういいでしょう!」。消えたテレビ時代劇『水戸黄門』の「助さん、格さん。もういいでしょう!」を真似たつもり。このセリフ、我が家ではよく使います。こんなところにもお年が感じられますね。
 イチゴさんには、これから黒マルチで地温を上げて、今年の寒さに耐え抜いた生長のエネルギーを、わーっと放出してもらいましょう。4月の終りまでに、中を自由に移動できる防鳥ネットを張ります。
 防寒対策をしていたコイモはきのう全部掘りました。マルチをはぐり、上にかぶせていたモミと落葉を取り去り、コイモの株を掘り出したのです。12株残っていました。結構な量です。畑の農業用水でざっと洗い、家できれいに洗います。
 三田の山奥の村に知人の田舎の家があり、家のそばに水量豊かな小川が流れています。多紀の山々から流れてくる、飲めるような谷川の水です。コイモを洗うときはよく「あの小川」を思います。流れによって回転する入れ物にコイモを入れてほうっておく。しばらくするとコイモはきれいに洗えてる。いいなー。
 
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老いを素直に受けとめて生きたい。

2012年03月13日 03時19分26秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 車で10分の東条町図書館です。大志くんをつれて絵本を借りに行きました。コスミックホールと同じ建物にあるこの図書館に入ると、なぜか心がしっとりします。小さい図書館で本は多くありませんが、児童向け図書と絵本は充実しています。テーブルで借りる絵本をチェックしているのが大志くんです。
 今年になってからいままで読まなかった作家の本を読んでみようと、先日は東野圭吾のミステリーを読みました。もう一人、本屋さんでも図書館でもよく見る作家の本を読んでみようと、佐伯泰英の『酔いどれ小藤次・子育て侍』という本を借りました。たしかに刀を振りまわす場面は小気味よい切れ味ですが、行間に〔人の心の残り香〕のようなものが感じられませんでした。ぼくにはなじめないかな。
 それと最近感じるのですが、目は文字を追っているのに場面が立ち上がってきません。「あれっ?」ともう一度読み直すことがあります。これも老化現象でしょうか。
 そんな老化現象を、「素直に受けとめて生きたい」と思い、いくつかあげてみます。
 一つは「忘れる」です。コーヒーを飲もうとコーヒーメーカーに水を入れ、フィルターを置き、豆を入れ、スイッチを入れる。そしてコーヒーができるのを待つ。ところがスイッチを入れたところで忘れてしまい、何時間もスイッチが入ったままになることがあります。そんなことが、むかしはたまにありましたが、いまは、スイッチを入れたところで「完全に忘れる」です。ほぼ毎回。「どうしたものかなー」と思案しますが、それも数秒後には忘れます。《コーヒーカップを手に持ち、立ったまま待つ》がいいかな。
 二つ目は「寒がりになった」です。山陰育ちのぼくは、寒さに強いのが自慢でした。実際どんなに寒くても気持ちまでちぢかんでしまうことは、いままでの人生ではありませんでした。去年もその前の年も、少々寒い日でも裏の竹薮に入って竹を切りました。「寒いからきょうはやめよう」とは思いませんでした。それが今年は、「寒いからきょうは外の仕事をしないでおこう」と思うようになったのです。春のぬくもりが待ち遠しい。
 そんな自分に「おー、よしよし」と声をかけてあげることにします。
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いつまでも寒いですね。

2012年03月12日 22時32分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 日曜日に孫の大志くんらが来たので散歩してから、いつものように裏山で焚き火をしました。青竹を焚き火にのせると、大きな音がしてはじけます。さー、はじけるか。はじけるか。ドキドキして待つとボン!
『現代農業』という雑誌の「里山の竹やぶ退治特集」には「切り倒した竹はその場で燃やすのがいい。竹を燃やせばボンボンはじけるが、火事にならないように注意すれば問題ない」と書いてありました。やってみると、「いつはじけるか」とスリルがあってたのしい。でも、やみつきにならないようにします。
 焚き火といえば焼き芋。ホイルにくるんだサツマイモを焼いてみんなで食べました。これもちょっとくせになったようです。焚き火にあたり切り株のいすにすわって食べるのがまたいい。孫たちにはいい体験になります。
 こう寒くては雨の降った畝間も乾かず、畑仕事ができません。ホームセンターに行ってみるとジャガイモの種芋をまだたくさん売っています。例年なら3月にはほとんどなくなるのに。どことも植えるのが遅れているのでしょうか。我が家では先日の晴れ間に植えました。畝は2月につくってマルチをかぶせていたのですが、畝間の雨水を吸ってよくしめっていました。でも水につかるほどでないので4月には芽を出すでしょう。
 ジャガイモでは数年前に一度失敗したことがあります。畝間に水がたまるほど雨が降ったあと、ジャガイモを植えました。でもまだ雨が降りつづいており、排水ができませんでした。そのままにしていたら4月になっても芽を出しません。掘って種芋を取り出してみたら腐っていました。気温は上がるし水は引かないしで腐るしかなかったのでしょう。今年は畝間の排水はしていますので多分大丈夫だと思います。
 
 
 
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井上道義指揮でショスタコーヴィッチの交響曲14番を聴きました。

2012年03月10日 03時05分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは芸文センター・オーケストラの定期演奏会があり、西宮北口まで聴きに行きました。いつものように車で行こうと思ったのですが、夜中に目覚めたときふっと「あしたは電車で行ってみよう」という気持ちになりました。というかいままで「三木市口吉川町から西宮北口に行くには自動車しかない」と思い込んでいました。電車に乗るにしても、車に40分乗って地下鉄の西神中央駅に行かねばならないのですから。車なら芸文センターまで80分で行けますし。もうじき九十九歳になる母・妙子さんが留守番してるから早く帰ろうと思いますし。
 でも車の多い西宮の山手幹線から苦楽園・鷲林寺へ抜ける夕暮れの雨道を走るのは気が重い。
 なんとなくいやな予感がしたり、気が重かったら、無理をしない。
 電車だと2時間かかりましたが気持ちはらくでした。新三田に車を置いて《JR新三田⇒宝塚⇒阪急乗換え⇒西宮北口》という行き方も考えられます。道子さんと相談して次の9回分の定期演奏会シリーズも申し込むことにしました。そのうち毎月行くのが大儀になるでしょうが、いまはまだ「行きたい」に針が振れます。
 きのうはショスタコーヴィッチの交響曲第14番を井上道義・指揮で聴きました。交響曲といっても第14番はソプラノとバスの歌が全楽章に入り、しかも11楽章まであるというのですから、ぼくらのもつ交響曲という観念からはみ出しています。はじめて聴きました。ロシアからの歌手の声は素晴らしく、指揮とオーケストラ演奏の一体感は見事でした。
 井上道義氏は1946年生まれですから65歳になるはずなのに指揮棒を振る体のキレが、じつに素晴らしい。その体のキレでオーケストラの潜在能力を引き出すオーラは見事でした。プログラムの冊子を見たら、≪躍動感がある。……動きも音楽も。これが彼の大きな魅力だ。「3歳から15年間踊りを、その内7年間はバレエを習っていた」ことも関係しているのだろうか?≫と書いてありました。
 90人を越すメンバーによるR.シュトラウス『サロメの踊り』と、ワルツがオンパレードで演奏されるラヴェル『ラ・ヴァルス』では、踊るような指揮者の動きにばかり見とれてしまって全体を見るゆとりがありませんでした。浮き立つようにたのしくなる音楽会で、満ち足りて帰路につきました。
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加東フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に行きました。

2012年03月05日 03時55分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 日曜日、東条町(いまは加東市東条町です)のコスミックホールで『加東フィルハーモニー管弦楽団』の「ハートフル・コンサート」がありました。コスミックホールのことはこのブログでも何度か紹介していますが、入ってシートにすわるだけで気持ちがゆったりします。そしてどんな音楽も、演奏者の心が一番よく伝わる聴こえ方をする空間です。ぼくはこのホールで音楽を聴くことが好きですが、おそらくこのホールで演奏する人もそう感じているでしょう。このホールで音楽会があればできるだけ行くことにします。
 でも人口わずか4万人。田舎町同士が平成の大合併でやっと誕生した加東市に、なんでフィルハーモニー管弦楽団があるのだろう。不思議でした。ネットで歴史を見て納得しました。1994年に社町のヴァイオリン教室から『社ストリング・オーケストラ』が誕生し、それが『社フィルハーモニー管弦楽団』になり、合併によって『加東フィル』になったのです。
 このコンサートは入場無料で、案内のチラシには演奏曲目として『南国のバラ』『七つの子』『トロイメライ』の三曲が書いてありましたから、10人ほどのちょっとしたアンサンブルで30分足らず演奏するのだろうと思って行きましたが、なかなかどうして。2時間の演奏会をたっぷりたのしませてもらいました。
 なぜこの音楽会に行く気になったかというと『南国のバラ』と書いてあったからです。シュトラウスのワルツの中で『南国のバラ』と『オーストリアの村ツバメ』は特に好きな曲です。『南国……』の心がふわーっと浮きあがる曲想、『オーストリア……』の「あー、田舎の空気はうまい!」というような音の空気感。
 ついでに余分なことを書きますと『ウイーンの森の物語』というワルツは好きではありません。なぜかというと話はぼくの59年前の中学3年生にさかのぼります。鳥取県の倉吉東中学校は、そのとき音楽教育かなにかの研究校になっていて、毎日の学校生活で音楽が放送されました。そして掃除のときの音楽はずーっと『ウイーンの森の物語』でした。だからいまでもあの音楽を聞くと、竹ぼうきで校庭を掃くリズムが浮かんできます。
 加東フィルは50人の立派なオーケストラで、夫婦や親子のメンバーもおられ、音楽を愛する気持ちがとてもよく伝わりました。前座に『トーン・チャイム』(女性グループ)の演奏が数曲あり、はじめてでしたが楽器の癒しの音色と美しいハーモニーに聴きほれました。
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耕運機の爪を交換します。

2012年03月04日 05時04分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 ホンダの耕運機『サラダ』(FF500)の爪を交換します。先日注文していた爪が入荷したので、業者の方が交換しに来てくださいました。まだ充分耕運できますが、こうして並べてみると交換したほうがいい。自分で交換する元気はもうないのでお願いしました。交換作業をしていたら軸のオイル漏れが判明しました。このまま使用していたら大きなダメージになるところでした。
 写真は、わざと磨り減ったことを強調しようと撮りましたが、重ねてみるとほんのちょっと角が磨り減っているだけで、長さは同じです。4年間耕運してこの程度です。あと2年は使える。そこで考えました。
 あと2年使うと76歳で爪を交換することになる。交換してまた6年使うと82歳。いま換えるか。あと2年使うか。74歳のぼくはいま交換するほうを選択しました。ことさら年齢を意識するのではありませんが、「無理をしないで甘える」「老いに素直になる」そして「頑張らない」。ついつい無理をし、知らぬ間に頑張ってしまい、「ナニクソ!」と力む自分を「おー、よしよし」とあやしながら生きることにします。
 耕運機はオイル漏れがあるので持ち帰ってもらいました。大修理をしてまた働いてもらいます。雨後でまだ畑に入れないので、裏の山に手を入れることにします。
 
 
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東野圭吾『学生街の殺人』を読みました。

2012年03月03日 02時52分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「田舎暮らしをしています」といえば「悠々自適で趣味に生きられるのはいいですね」とくる。しかしあいにく趣味らしい趣味がありません。家庭菜園と大工仕事くらいで、老後の日々をすごしています。晴耕雨読の『読』とか音楽鑑賞は趣味にも入りません。
 先日映画のことを書きましたが、その映画鑑賞もいまは年に一度行くか行かないか。「そのうちテレビでやるだろうし、わざわざ見に行くこともあるまい」で過ぎてしまいます。でも思い立って2月末の雨の日、三田マイカルに映画を見に行きました。『はやぶさ―遥かなる帰還』。よかったです。でもこれの前に見た映画は何だったか。いつだったか。えーと……。
 道子さんにいわれてしまいました。「私たちの感性が映画についていけるうちに、ときどき映画も見に来ようね」その通りだと思います。でもいつまでついていけるかなー。いまの映画はテンポが速く、仕掛けが複雑になっているから。テレビから消えた『水戸黄門』の〝偉大なる単純〝「この紋どころが目に入らぬか」がなつかしい年ごろになりました。
 図書館の本を借りるのも、いつまでも藤澤周平や松本清張というわけにはいきません。藤澤周平はほとんど読んだし、松本清張の『点と線』を先日読み返してみましたが古さは否めません。よその警察に問い合わせるのがファックスもなくて電報だったりして。
 というわけで、まだ生きるようだし、本も読むようだし、いまのうちに新しい作家や作品を開拓してみようと、図書館で東野圭吾の本を借りました。本棚を見ると数冊しかありません。あとは借り出されています。「よく読まれているんだ」と感心して、残っていた『学生街の殺人』を借りました。
 で、どうだったかって? 読了に時間がかかりました。ミステリーなのに入っていけず、人物が頭の中で立ち上がってきません。犯人は誰だ! と引き込まれるのでなく、どうでもええ、考えるのがめんどくさい、でした。彼はたくさんミステリーを書いており、これはデビュー4作目で、面白さランキングでは76作品中68番目にしているブログがありました。さーて、これからも東野圭吾を読むだろうか。
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大いなる何かに守られて 〈いま・ここに〉 います。

2012年03月02日 05時31分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
「6年前、不動産屋さんに見せてもらったあの家は、いまどうなっているだろう」
 田舎暮らしをしようと、空き家を探してまわったときのことをときどき思い出します。きのうは道子さんの耳鼻科医院につきあい、帰りに神戸電鉄の『えびす駅』方面でそんな家に寄ってみました。
 2006年に見せてもらった空き家は、そのままで残っていました。家の前で畑をつくれるし、家を建て替えればあそこでも田舎暮らしはできたでしょう。
 あのときは、もうすぐ70歳。古希。とにかく早く田舎暮らしの場所を決めたい。焦っていました。でもこの写真の空き家に住むことにはならなかった。そんな強い印象の空き家がいくつかあります。そしていまの田舎暮らしがある。裏山。畑。眺望。人情。申し分のない時間に感謝します。
 よかったなー。自分の思惑を超えた、大いなる何かにみちびかれて、いまの時間があるのでしょう。
 4年前いまの畑を借りることになったとき、ホンダのFF500という耕運機を買いました。よく働いてくれ、いまも快調です。毎年エンジンオイル・ミッションオイルは換えてもらっています。でも4年も使うとさすがに耕運機の『爪』の先が少し丸くなってきました。まだしっかり耕せるし、2年くらいはこの『爪』で使えるでしょうが、そんなときに考えてしまいます。
 あと2年たつと76歳。そこで『爪』を交換してその先何年畑を耕すだろう。耕運機を駆使する時間はだんだん短くなるだろうし。それだったらいまのうちに交換して、ぐいぐい耕すほうがいい。
 まだ60歳代だったとき『むーな村』で使っていた耕耘機『ピコ』は、自分でエンジンオイル・ミッションオイルを交換し、爪も自分で付け替えていました。ボルトが固くて立ち往生したこともありましたが、業者に頼もうとは思いませんでした。でもいまは2万円近い費用がかかっても、業者に頼むほうを選択します。
 
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