古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

大阪なおみは圧勝で2回戦へ

2022年04月30日 20時21分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 5月下旬には、テニスの四大大会(グランドスラム)の全仏オープンがあります。その前段の大きな大会(マドリード/ローマ国際)に大阪なおみは出場します。マドリード大会で、大阪なおみは2回戦に勝ち上がりました。ぼくの予想では「2回戦・3回戦と勝って、準々決勝戦 ⇒ 準決勝戦 ⇒ 決勝戦と勝って優勝する」と思います。身勝手な予想でなく、公平に見て。
 昨日は試合を見逃さないように「10時から起きて」DAZNで試合を見ていました。大阪なおみの試合が始まったのは12時30分を過ぎてからでした。2時間以上待ったわけです。
 テニスの試合は、サッカーやラグビーのように一定の時間が決まっていません。短ければ1時間以内に決着しますが、長ければ3時間以上かかります。待つしかありません。観客は我慢するとしても、次の試合の選手は大変です。ウオーミングアップして、長いこと待って、また体を動かして試合にそなえる。
 ただ、困ることは「テニスの試合は夜中や明け方が多い」。ヨーロッパやアメリカでやるので時差があります。時差のないのは全豪オープン(メルボルン)くらいです。(夏と冬は反対だけど)
 ま、文句いわんと、一生懸命にパソコンで応援します。

 
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〈拝み方〉まで国家に強制されていたのか。

2022年04月30日 00時28分11秒 | 古希からの田舎暮らし
『神も仏も大好きな日本人』(ちくま新書)から引用します。

 …… 伊勢神宮のことにふれたが、そこで紹介した参詣曼荼羅や旅行記には、伊勢参りに訪れた人たちの姿も描かれている。その人たちが、いったいどのような参拝の仕方をしていたかを見てみると、皆、合掌している。神社の社殿の前であろうと、寺や仏堂の前だろうと、まったく同じで、柏手を打っているような人の姿はまったく見かけない。
 今日神社での正式な参拝の仕方とされているものは、明治になってから定められたものだ。したがって、近世までは、柏手を打つやり方は存在しなかった。多くの人たちは、はるか昔から日本人は神社の前で柏手を打ってきたと考えているかもしれないが、それは事実ではない。今のやり方は、わずか140年程度の歴史しかもっていない比較的新しいものなのだ。
 神仏習合の時代には、神道と仏教が複雑に混じり合い、両者を区別することはできなかった。仏と神とを同時に祀っているようなところがほとんどである以上、その前では合掌するという統一されたやり方をとるしかなかった。神道なのか、仏教なのかをはっきりと区別して、それぞれ参拝の仕方を変えるなどということは、とても不可能だった。
 神道と仏教を、それぞれ独立した宗教としてとらえるという見方自体が近代になってはじめて生まれたものだ。
   (中略)
 伝統の強調は政治的な意味合いをもつ。伝統を強調する人たちは、それが昔から受け継がれてきたことに価値を見出し、それによってその存在意義を高く評価しようとする。    …… 神道の場合には、とくにそうした傾向がみられる。

 そうか。近代国家は、拝み方まで庶民に強制していたのか。廃仏毀釈の大きさをあらためて思いました。
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テニスの、大阪なおみの試合が、夜にはじまります。

2022年04月29日 18時10分03秒 | 古希からの田舎暮らし
 テニスはヨーロッパのクレイコート・シーズンになりました。大阪なおみの試合は、今夜午後10時30分くらいから11時30分くらいの間に始まります。(第四試合なので、時間は決まってない)試合時間は2時間程度ですから、夜中に終わります。ぼくはふだん、8時~9時頃に就寝して、2~3時頃に目覚めます。試合の時間はちょうど「睡眠ゴールデン・タイム」です。そこを「起きて試合を見る」には「どのように寝ておけばいいか」を思案中です。
「明け方から試合」なら「まかしとけ!」だけど、悩ましい時間帯です。
 サツマイモの苗は植えることができました。昨日は畝に水をたっぷりかけて、太陽にあたためられたところで黒マルチをかけました。今日は朝から雨でしたが、カッパを着て植えてしまいました。
 最低気温がまだ10度を下まわる日もあるでしょうが、もし苗が枯死したらツルをとって植えなおします。

 図書館で『神も仏も大好きな日本人』という本を借りて読んでます。(ちくま新書/島田裕巳(宗教学者)著/2011年刊)
「あなたはどの宗教を信じていますか?」ときかれたら「無宗教です」とこたえるか。でも毎朝仏壇に燈明をあげて拝み、龍神さまは拝むし、祠は拝むし、大将軍神社も拝むし、神社に行ったら柏手を打って拝むし、お寺に行ったらお賽銭をあげて拝むし、拝むのは好きです。この本を読むと「それでいいんだ」という気になります。「命をかけて信仰する」というのではありませんけど、なんとなく拝むものが身のまわりにあって「拝む」。
 廃仏毀釈/廃藩置県/で日本はお寺を粗末にし、お城を壊しました。いまから思うとひどいことをしたなー。むかしの人たちの〈こころ〉を国家が踏みにじったなー。
 なんとなく「拝む」。信じてるかどうかわからんけど「拝む気になる」。気に入ってます。
 
 
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サツマイモの苗を買いました。

2022年04月28日 20時54分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 忘れないように書いておきます。
〇 紅はるか …… 20本 / 〇 鳴門金時 …… 20本 / 〇 安納芋 …… 10本 / 〇 シルクスイート … 10本
 朝8時過ぎにホームセンターに出かけて、サツマイモの苗を9時までに手に入れることができました。まだ朝なのにナンバ(ホームセンター)は車も人もいっぱいでした。明日からの連休はもっとひどくなるでしょう。
 とにかく苗を買うことができて、午後の畝づくりに力が入りました。
 お昼は「悠庵」で食べることにしました。コロナでお店も大変ですし、少しバックアップできたらうれしい。お目当ての〈あなご丼〉はなくて、握り寿司とちらし寿司。おいしかった。
 家に帰る途中、ちょっと回り道をして、山山の緑を眺めました。「悠庵」から豊池の信号を曲がって瑞穂のほうへ走ってみました。いまはどこも新緑で気持ちがいい。瑞穂小学校(廃校になり、いまは老人大学)の手前でオリムピックゴルフ場のほうへ。「南畑」から「保木」へ。保木の神社には大好きな楠木があります。久しぶりに樹に会いに寄りました。
 
 一本、青空にむかって堂々と立っている。毎日この樹を見るこの村の人たちは、いいですね。
 裏山に植えた楠木は15年目になります。8メートル超に生長したかな。大木になりそうでたのしみです。道子さんは「楠の下を花壇にしよう」と心がけています。
 そうそう、ぼくが昼寝をしている間に、道子さんがタケノコを掘ろうとツルハシをもっていました。そこへマムシが出てきたので、ツルハシで一撃。退治しました。裏山でマムシと共存するのはイヤですから、仕方ありません。
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久しぶりに畑仕事をしました。

2022年04月27日 18時13分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんは、夏野菜の苗を買って植えていますが、ぼくはなかなか始動しません。年寄りになって「畑仕事をする気にならない」のです。でもサツマイモがよくできるように、先日バーミキュライト(30リットル)を買いました。これをなんとかしないと、サツマイモが植えられません。
 今日は午後(お昼寝のあと)前の畑に出て、バーミキュライトをサツマイモの畝に入れました。土が固まってしまうのを防ぎ、保水力アップに役立ちます。バーミキュライトを混ぜ込んで耕し、畝を整備した図です。

 サツマイモの苗は4月中旬からホームセンターで売っています。しかし夜の最低気温が10度以下になると苗が枯死します。なんとか生長したとしても勢いがありません。連休明けがいいのですが、早め早めに苗を売るので連休まえにサツマイモを植えようと思います。
 苗を買うなら連休まえがいい。連休のホームセンターは大混雑だし、店頭の苗がなくなってしまう。ということは明日しかない。
 苗を買うなら早朝、開店一番くらいに行くことです。お昼ごろ行くとサツマイモの苗はほとんどありません。去年だったか、早朝に店に行ったら山ほど苗が積んであり、びっくりしました。
 苗は買っても、すぐに植えません。一日はしなびさせて、それから植えます。畝は水をたっぷりホースでかけて、それから黒マルチをかけ、苗を植えていきます。水やりとマルチで、後日の水やりはらくになります。
 今日は12000歩ほど歩いてるから、電動ウォーカー(2キロメートル)はやめたい気分です。
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緑の季節です。

2022年04月25日 15時13分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 若葉の色が深くなりました。〈緑の季節〉です。裏山の緑が精いっぱい酸素をつくっています。空気がおいしい。

 オオデマリの花が満開です。剪定して形をととのえていませんが、花はいっぱい咲いています。内心では「近郷随一だ」と思っています。こう書いてしまうと〈内心〉でないな。

 アズキナシの花も満開でしょう。高いところで咲いているのでよく見えませんが。
 いい季節だなあ。
 

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「まーた、忘れちまったぜ!」

2022年04月24日 20時20分47秒 | 古希からの田舎暮らし
 昼過ぎに、自動車屋さんから電話が掛かってきました。
「あのー、今日の10時に軽トラを車検に出すことになってたんですけど …… 」
「アッ! そうやった。昨日約束したんや。忘れとった。いまから持っていくわ」
 昨日電話で約束したことを、思い出しただけでも上等です。しかし〈モノ忘れ〉はたしかにひどい。というか、何か約束しても、すぐに忘れてしまう。〈忘れないように気をつける〉/〈覚えておくトレーニングをする〉のは無理です。どんなに心がけても絶対忘れる。そこで写真のように大書して貼っておくようにしてます。
 
 明日、車検のすんだ軽トラをもらいに行くメモを貼ってます。
 これはトイレに行くときに通るドアです。必ず通ります。歯医者の予約日/山陽病院の予約日/大将軍神社にお参りする日/だれか来訪者がある日/など、カレンダーに書き込み、当日近くなると紙に書いて貼ります。
 しかし、約束した〈その場〉〈その時〉にメモしなければ、約束は消えてしまいます。思い出すことは絶対にありません。
 昨日電話で約束したとき、すぐにメモすればよかった。何をしていても、どんなことがあっても、約束したその場でメモしよう。
 
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つらいこと/悲しいこと/をさけるようになりました。

2022年04月23日 20時50分39秒 | 古希からの田舎暮らし
 戦争のニュースが毎日報道されます。それを聞いてどうすることもできません。〈悲惨〉に立ち向かう気力が、老人はなえてきます。できれば〈悲しいこと〉〈つらいこと〉が耳に入るのをさけて生きたいです。
 図書館で借りた本に、林真理子の『小説 8050』が入っています。読むつもりで借りました。
 よく知りませんでしたが、〈8050〉問題というのは、親が年老いて80歳代になり、〈引きこもりの子〉は50歳代になる。親は先に死ぬわけにいかない。80代の親は「お父さん/お母さん/と死のう」と50代の子に声をかけるしかない。
 そういう問題です。なかなか表面化しませんが、多く(何十万と)あるのでしょう。そんな家があることを知っても、どうしたらいいかわかりません。いい知恵はありません。「困った、困った」というばかりになりそうです。
『小説8050』を読みはじめましたが、50ページ読んで、やめました。
 裏山のオオデマリが見事に咲いてきました。写真は近日公開します。
 シロハラ/アオジ/は旅立ったようです。留鳥になりませんでした。12月にはかえってきてね。
 
 
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〈春の野草酵素飲料〉を仕込みました。

2022年04月22日 20時26分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 長年やっていることですが、『春の手づくり野草酵素飲料』を仕込みました。その配置図です。

 野草/畑の野菜/穀物(ひと晩水にかしておく)/果物/キノコ/を刻んで、砂糖と交互にペール缶に入れます。
 植物採集は朝のうちに家のまわりと裏山でやりました。毎年4月の中旬に仕込んでいるのですが、今年は下旬になりました。植物はよく生長していて、らくに、たっぷり、採れました。
 道子さんが、レンゲ/ギシギシ/スギナ/アザミ/ヨモギ/タンポポ/ユキノシタ/ミツバ/……など、いっぱい雑草を摘み、ぼくは裏山の木の芽を摘みました。ツバキ/アラカシ/ボックスウッド/モミジ/ヤマボウシ/ツバキ/タカノツメ/クヌギ/コナラ/ムクゲ/柿若葉/レッドロビン/…… まだ書ききれない種類の新芽を摘みます。畑でとれた野菜やサツマイモなども入れます。
 前庭・畑・裏山・池のまわりで1時間ほど植物採集をしました。昨日の雨で、摘んだものを洗わなくてもいい。
 配置は写真のように。スプーン印の砂糖は11袋(キロ)。材料は10キロです。1キロずつはかって刻んで入れ、砂糖を1キロ入れ、11時には作業がすみました。
 秋の野草酵素は5キロで足りますが、夏は10キロ仕込むようにしています。暑いと、冷えた炭酸水でうすめた酵素飲料が、実においしい。暑さでぐったりしても、飲んだら生き返る感じがします。
 つくづく思います。大豆畑トラストを神戸市西区でやっていたときも〈手づくり野草酵素飲料〉をつくりました。まわりは田園でした。しかし、野草を採集するのにずいぶん苦労しました。ここでは野草が有り余るほどあります。もし、野草酵素の植物採集をしたくなったら声をかけてください。
 芦屋に住む友は、野草酵素の材料を我が家に来て採集していました。ブログを見ては、よくメールをくれる友でした。時局の話をしても、定年後の生活を語り合っても、いっしょに先輩を訪ねても、いつも話の合う、肌の合う、友でした。彼が急死して5年過ぎますが、口惜しさは消えません。
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『満蒙開拓青少年義勇軍』として中国大陸に渡った子どもたち

2022年04月22日 02時15分08秒 | 古希からの田舎暮らし
 満州事変を仕掛けて『満州国』をつくった日本の陸軍/政府は、日本国民を開拓団として入植させようと躍起になっていた。武装開拓団をソ連との国境に配置し、満州の地から資源を収奪しようとした。「五族協和」(大和民族/朝鮮族/漢族/蒙古族/満州族)・王道楽土をスローガンに、日本国内で「大陸で、大地主になって、農業をしよう」と大キャンペーンをした。というより強制的に開拓団を割り当てて、村村からひねり出させた。
 開拓団がなかなかできないとなると、子どもたちをねらい、「満蒙開拓青少年義勇軍」として「渡満」させた。小学校(戦時中は「国民学校」)の六年生から2年の高等科を卒業すると14歳=今なら中学二年生である。
 その14歳の子どもを「満蒙開拓青少年義勇軍」として「渡満」させた。300人の男の子を一団として組織し、茨城県内原で3カ月の訓練を受けさせてから、朝鮮への船に乗せた。まだ成長していない背の低い子も、クワの柄を鉄砲のようにかついで、海を渡った。朝鮮から汽車に乗り、満州へ。入植した農地は、現地の農民から安く買収していた。(敗戦後現地農民に襲われたのは当然である)
 86000人の子どもたちが義勇軍として満州に渡り、25000人の少年は日本に帰ることができなかった。
 15歳から20歳くらいの少年は、命のいちばん盛んなときである。大人や子供が死んでもなんとか生きのびる力をもっている。その命の盛んな青少年が死んだ。どれほどきびしい敗戦後であったか。
 
 ぼくは中学校の教師だったので、中学校2年生3年生を知っている。まだ子供で、善良である。もし戦時中に教師になっていたら、その少年たちを「義勇軍に志願させる」ことに手を貸すことになっただろう。
 敗戦後、日本の教師が書いた詩がある。

   逝いて還らぬ教え子よ  私の手は血まみれだ!     君を縊(くび)ったその綱の
   端を私はもっていた   しかも人の子の師の名において   (以下略)

 退職してから数年、ぼくは満蒙開拓青少年義勇軍だった方々に聞き取りをした。近くの方を訪ねたり、家に来てもらったりして、話を聞いた。青少年義勇軍を多く送り出した長野県に行って話を聞かせてもらった。思うことを創作として伝えようとした。その〈思い〉をはたすことはできなかったが、一生のテーマである。   
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『おかあさん 疲れたよ』より引用します。

2022年04月21日 18時08分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 …… 昭和40年代は、ハイ・ミスが目立つ時代だった。ちょうど終戦時の昭和20年に、十代の終わりだった少女、二十代の結婚適齢期の娘たちにとって、結婚すべき対象の男たちはあまりにも数が少なかったのだ。
 彼らの多くは戦死してしまっていたのである。
 独身のまま年を重ねた娘たちは、昭和40年代に入って、ようやく、中年女といわれる年頃になっていた。  …… いわば国家の犠牲者というべきハイ・ミスがうようよいて、それでもそのころの老(ひ)ねた娘たちはみなつつましく、「白バラ」(むかしのバーの名前)に群れても羽目をはずしたり、しなかった。
 彼女たちは(自分の飲んだ分を)きちんと支払いし、ほんのり酔うぐらいでグラスを置き、トイレもひそやかに使い、 …… それぞれ身じまいすると、口々に、〈ママありがとう〉〈ごちそうさま〉と優しくいって、出てゆくのだった。

「 …… 揮毫して下さったのは市川房枝せんせいなの。戦争独身者の反戦モニュメント、 …… 」
 碑にむかって左手には、低い黒い石碑がある。何やらびっしりと書かれていたが、白抜きの字は読みやすいので、 ……  。

「1930年代に端を発した第二次世界大戦には、二百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。その陰にあって、それらの若者たちと結ばれるはずであった多くの女性が、独身のまま自立の道を生きることになりました。その数は五十万余といわれます。女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たちは懸命に生きてきました。
 今、ここに、ひとり生きた女の”あかし”を記し、戦争を二度と繰返してはならない戒めとして後世に伝えたいと切に希います。さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへ語りかけの場となることを期待します。
   ……                              1979年12月 女の碑の会 

 田辺聖子の小説に付け加える言葉はありません。
 小説の題『おかあさん 疲れたよ』の「おかあさん」を、田辺聖子は〈あとがき〉でこう書いています。

 そして昭和が逝ったいま、私には、「おかあさん疲れたよ」というフレーズが、しぜんに唇にのぼってきたのであった。〈おかあさん〉というのは超越者である。
 これは超越者に対して甘えているのではなく、愚痴をいうのでもなく、過去の人生の起伏すべてが夢のごとくであったことへの、結論である。しかもそれはたぐいなく大きな慰籍の微笑を伴っている。  (中略)
  …… 独身女性たちの会と、その会員である女性たちのこと。 個々の人物のモデルはないが、「女の碑の会」として実在する。戦時中にちょうど娘ざかりだった若い女性たちは、戦後、過酷な運命に待たれていた。何百万という戦死者のうち、何割が未婚であったかわからないが、彼女らは結婚すべかりし相手を戦争に奪われたのだ。同世代の私は、可憐な彼女たちから目を離すことができなかった。彼女たちへの応援歌をうたいかった。
 
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温泉に一泊の旅をしました。

2022年04月20日 13時25分47秒 | 古希からの田舎暮らし
 去年の11月18日に、岡山の湯の郷温泉に一泊の旅をしてから、どこにも出掛けていません。いつもの年なら3月に宮津〈蟹を食べる一泊の旅〉をするところですが、コロナでためらいました。でもどこかに。〈老人でも〉というか〈先の短い老人だから〉というか、一泊の旅をしてみたい気持ちになっていました。
 そこで〈足立美術館〉を見て松江あたりの温泉に泊まる旅を考えました。車で行くとしても、連休まえなら道は空いているでしょう。「予約しようか/どうしようか」とグズグズしていたら、行く気がなえてしまいました。でもやっぱり〈一泊の旅〉はしたい。
 で、近くの塩田温泉に泊まり、セントラルパークを見る旅にしました。これなら運転は短くて、無理がありません。連休まえでパークも空いているでしょう。   行ってきました。

 ライオンの夫婦が岩の上に並んでいます。餌はもらえるので野性の迫力はありませんが、野生動物をじかに見るのです。ま、おもしろかった。でも、〈おじいさんおばあさん〉がほっこりしたのは、ふれあい小動物のコーナーでした。羊/山羊/鶏/カピバラ/家鴨/などがたのしかった。
 
 いま田辺聖子の『おかあさん 疲れたよ』という本を読んでいます。題名が気になり、数年前に大型活字本を図書館で借りました。いま、NHKのBS放送・朝ドラで『芋たこなんきん』という朝ドラを再放送しています。田辺聖子の若い頃をドラマ化したものです。
 数年前に読んだ内容はほとんど忘れていましたが「大阪大空襲の迫力ある描写」は覚えています。『昭和』時代は遠くなりましたが、昭和時代を生きた者として、共感することはあります。いくつか引用します。
 田辺聖子は昭和3年生れで敗戦のときは18歳、ぼくは昭和12年生れで敗戦のときはまだ7歳でした。同世代とはいえませんが、共感することはあります。   (つづく)
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101日目は歩きませんでした。

2022年04月18日 22時52分43秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日、電動ウォーカーで100日歩いたと書きました。今日101日目は、朝から「さ、歩こう!」と思うのに「歩く気にならない」で時間が過ぎていきました。一度は、歩行用の靴をはき、ウオーカーに乗り、ベルトが動きはじめ、1分ちょっと歩いたのに、スイッチを切ってしまいました。
 どうして〈そんなこころ〉がなったか。わかりません。単に「サボった」でしょう。しかし、101日目をやめたことで気持ちがらくになりました。連続100日歩いていたときは「頑張った」。それは「無理した」のかもしれない。そんなふうに「自分をしばる」のはやめよう。
 4月になっても冬用のスタッドレスタイヤのままだった自動車を、普通のタイヤに替えてもらいました。田舎暮らしをはじめた5年ほどは自分でタイヤを替えていました。「軽自動車だし、そうするものだ」と思っていました。しかし、安全のためにも、ガソリンスタンドか自動車屋さんにやってもらったほうがいい。みなさん、そうしてる。気が楽になりました。
「年をとる」ということは「思い込み」を手放していくことなんだなあ。
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「親しき仲にもマスクあり」ですなあ。

2022年04月17日 20時56分53秒 | 古希からの田舎暮らし
 長く勤めた大志くんのお父さんに花束を贈りました。

 みんながマスクをして拍手しています。
 そのあと、室外でお茶しました。みんながマスクをして、おしゃべりをたのしんでいます。
 勤めている人、通学している人は、クラスターが発生したりで、気をつかいます。ふだんはマスクをしない、おじいさん/おばあさん/も神妙にマスク姿でおしゃべりに加わりました。

 あまり長居にならないように、みなさんは帰ってゆきました。

 昼寝をしてから、今日も電動ウォーカーで歩きました。1月8日に「毎日2キロメートル歩く」と決心して、毎日歩いてきました。室内ですから雨の日も風の日も寒い日も。今日で100日目です。途中一日だけ、1,1キロしか歩きませんでした。仕事をして、疲れて、夜になってから歩いた日です。
 ふだんの歩行でも、「今日は1キロでやめようか」と思うことがときどきあります。つまり2キロメートル歩くのは、ぼくにとってそんなに「らくな運動」ではありません。それなりの/気合/決心/をふるい起こさねばなりません。それでも100日つづいた。
 えらいぞ! 自分をほめることにします。
 これからも「連続して毎日」にこだわらず、なんとなく、できれば、2キロ歩くことを目標にします。
 今日は、電動ウオーカーで歩いたあと、力があったので、福地池一周の散歩に出ました。
 無施池まで来たら、西日のあたる山/墓の木立ち/池の水面/がきれいです。写真にとることができました。
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若葉の季節です。

2022年04月15日 17時19分55秒 | 古希からの田舎暮らし

 玄関先から裏山を見あげた写真です。浅い黄緑色の樹は『友禅欅』です。植木屋さんで買って14年まえに植えました。裏山に植えた樹のなかでいちばん太くなりました。5月頃まで葉の色が浅く、感じのいい色です。
 ほかの樹も芽吹いてきました。少し赤身がかった新芽です。右の白い花はガマズミ、左奥はコバノミツバツツジです。
 バードフィーダーのまわりに粟つぶを、まだまいています。シロハラ/アオジ/スズメ/鳩(一羽)/が飛んできて、せっせとついばんでいます。去年も「留鳥になるか」と毎日見ていましたが、いなくなりました。もうすぐでしょうね。(鳩はあつかましく居すわり、スズメは見かけなくなるでしょう)。
 池のまわりを散歩しました。
 土手のカラスノエンドウはいま、ぐんぐん繁っています。草刈りが大変になるでしょうね。
 3月から黄色の花を咲かせているタンポポが、綿毛と飛ばすようになりました。

 風に吹かれて空中を飛んでも見えません。
 下の畑(田んぼを借りて畑にしていました)で、道子さんは小豆も作っていました。小豆はムシ(アズキノメイガ)にやられます。なんとかしようと「防風ネットのネットハウス」をつくりました。4ミリ目の青いネットを張った小屋です。その中で小豆を作り、アズキノメイガをシャットアウトしました。
 春先、その4ミリ目のネットを見ると、うっすらと白い綿毛が付着しています。ネットの一面が白くなるほど綿毛が飛んでいるのです。
びっくりしました。田舎の空中には、いま綿毛がいっぱい飛んでいます。
 
 
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