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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ホダ木置き場は近日デビューします。

2019年05月31日 02時30分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 シイタケのホダ木置き場を作っています。
 10年くらい前に伐って積み上げた竹を片付けて、スペースを作りました。木陰になるし、木洩れ日はあたるし、ちょうどいい場所です。
 その地面にホダ木を置くようにするのか。
 いえいえ、そうではありません。じめじめした地面でなく、ホダ木を置く「ステージ」を作るつもりなんです。
 どうしてそんな大袈裟なことを考えるのか。たかがシイタケのホダ木を置くのに。
 実は、家の部屋に作っていた台を外に出すことになりました。その台を「シイタケのステージにしよう」と思いついたのです。
 というわけで、きのうは追加の材木を買いに出ました。買った材木にクレオソートみたいな塗料を塗ったところです。思いのほか大仕事になりますが、大工仕事の大好きなぼくのことです。足は少々痛くて引きずっても、がんばってます。

 この写真は裏山に置いた高さ2メートル10センチの脚立です。シイタケのホダ木置き場に行く途中の小道に置いてます。道子さんに「あのまま置いといて」と頼まれました。なぜかときいたら「あの下を通るとき蜘蛛が巣を張ってないから」。
 裏山を歩くとき小道のあちこちに蜘蛛が巣を張っています。毎朝それを払いながら歩きます。でも脚立という人工物には巣を張りません。

 いまテニスは『全仏オープン』の真っ最中です。連日試合があり、錦織圭も大坂なおみも勝ち上がっています。テレビの試合中継はwowowで見ています。その試合が長い。30分や一時間では終わりません。生活も試合の時間に合わせて寝起きし、風呂に入り、食事しています。
「枕を高くして寝る」のはしばらく先になりそうです。
 勝ち上がるのはうれしいですけど、ちょっとハラハラ/ドキドキ/が過ぎます。もうちょっと楽勝してほしい。年寄りファンからの注文です。
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シイタケのホダ木置き場を作りました。

2019年05月30日 04時28分17秒 | 古希からの田舎暮らし
 新しく菌を植え付けたシイタケのホダ木が10本超あります。いまは裏山の池の側に置いています。しかしここは陽が当たってよくありません。木陰に置き場を作らねば。
 きのうは念願の「ホダ木置き場」を道子さんと二人で作りました。「置き場を作る」とはヘンな言い方ですが、積み上げていた古い竹をどかして、スペースを確保したのです。

 幅2メートル長さ4メートルくらいの地面を作ったのです。ここには10年も前に竹を伐って高さ1メートル以上に積み上げていました。10年の間に竹は腐敗してボトボトに。それを一輪車で竹藪の奥のほうに運んで捨て、写真のような空きスペースを作りました。
 ここに「ホダ木置き場」を作ります。
 まず草が生えないようにシートを敷き、バラスで押さえ、その上に台を設置します。ホダ木置き場は足場パイプで作ります。
 気をつけることは「ホダ木を立てかける足場パイプは水平に設置する」。
 ちょっとした大仕事になります。
 もう一つの注意事項: ここはマムシの住み家です。きのうもゴミを掻き寄せていたら、小さいマムシが出てきました。ジョレンでかき寄せていたので、すぐに叩き殺しました。でも手でかき寄せていたら咬まれるところでした。できればマムシに咬まれないで人生を終えたい。
 
 裏山の樹木について言うこと。

〇 カラタチの花は今年も咲きました。いま実がなっています。去年は数個でしたが今年は20個超。3メートルにもなってひょろひょろ伸びています。傾くのでヒモで引っぱって、真っ直ぐにたててやりました。実はまだ小さいけど、いつ収穫して何に使うか。
〇 「幻の和栗」といわれる『利平』が枯れてしまいました。大きな実のなる木でした。

 写真中央の切り株が『利平』です。横の栗は『筑波』。(栗は違う品種を植えて授粉させる)我が家の栗の木はもういらない気がする。栗の始末は手間がかかる。栗の実が欲しければ買えばいい。なにしろ「桃栗三年」でゲットできるから、栗がとれても「うれしい!」と思う気持ちは低い。これでもし筑波の花が咲いて、実ができなければ、夏にも伐ります。
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ギンパイソウが咲きはじめました。

2019年05月28日 04時15分33秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山に張った芝生に、『銀杯草』(ギンパイソウ)が咲きはじめました。6月から8月にかけて白い花が地面をおおいます。

 宿根草です。花が咲くまで姿は見えません。花が咲きはじめるとつぎつぎと咲き、長くたのしませてくれます。アルゼンチンからの外来植物ときくと、真っ直ぐな地平線の向うまで、白い花におおわれた大地を思い浮かべます。
 ギンパイソウは母が文学仲間にもらった草です。

 母は64歳のときに、山陰の田舎町から神戸に出てきました。
 田舎で「引きこもり」だった末っ子の弟は、25歳のときに神戸に出てきました。神戸に出てからは自動車学校に通って運転免許を取り、職業訓練校で写真植字を学び、印刷会社で働くようになりました。
「弟の〈飯炊き女〉になる」という大義名分で、都会に憧れる母は神戸の市営住宅に出てきました。父も引き連れて。
 市営住宅から一年で、新しい2階建ての「連棟ハウス」住宅に移ることができました。その庭に、母はギンパイソウを植えました。街に出てから友だちになった、文学仲間にもらった草です。
 ギンパイソウは「弟や父と母の暮らす連棟ハウスの庭」に咲きはじめました。手入れしなくても毎年しぶとく咲く花です。母は94歳のときに、いまの三木市口吉川町に引っ越してきました。30年暮らした神戸を離れることに強く抵抗しましたが。
 ギンパイソウは、神戸の家を離れるときに、三木の家に移植しました。
 
 父は1997年に神戸の団地で亡くなりました。享年89歳でした。多くの親族が集まることのできた最後の葬儀になりました。弟は2017年に心筋梗塞で急死しました。享年68歳でした。母はこの3月に105歳10ヵ月で亡くなりました。
 我が家の庭でも裏山でも、そしておそらく神戸の連棟ハウスの庭でも、ギンパイソウはこれからも咲き続けるでしょう。
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大きなアライグマが掛かりました。

2019年05月27日 06時25分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 日曜日の早朝、ロール・カーテンを開けて〈前の畑〉を見たら、檻に何か掛かっています。
「アライグマが掛かったか?」
 それにしては大きいな。大きな猫か? それとも狐か?
 寝間着のまま外に出て、檻を見に行きました。
 アライグマ! 大きい! ふわふわの毛です。早朝の写真でなく、あとで撮った写真にします。

 日曜日は、最後のイチゴをねらって、大志くん一家・萌ちゃん一家がやってきます。アライグマを披露できます。
 でも日曜日で、市役所(農業振興課)は引き取りに来てくれない。月曜日までここに置くのか。
 休日の市役所に電話したら、持ってきたら引き取るそうです。みんながイチゴを食べて帰ったあと、軽トラで市役所に持っていきました。大きなアライグマで檻が重い。大志くんのお父さんに積んでもらい、市役所の守衛さんに降ろしてもらいました。
 市役所の地下の駐車場には先客の大きなアライグマが檻に入っていました。でもうちが持っていったアライグマのほうが大きかった。
「次の檻を持っていかれますか」ときかれて「もういいです」とこたえました。
 イチゴは「もうおしまい」だし、うちが捕まえたらアライグマ絶滅というわけでないし、捕まえたら落着かないし。
 2年前、イチゴ・ネットハウスが襲われて「イチゴ全滅」のときは、檻に掛かったアライグマを棒で突いたりしました。(腹が立って)このたびは「完璧なネットハウス」で被害ゼロ。
 どうだ! まいったか! 
 いたわりの気持ちも少しあって、檻に掛かったアライグマにジョウロで水をあげて、「いじめ」はしませんでした。
 イチゴはおしまい。「アライグマ物語」もしばらくおやすみです。
 
 
 
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イチゴはほぼ〈御仕舞い〉です。

2019年05月26日 01時14分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 イチゴ天国2丁目を招来しましたが、イチゴはもう御仕舞いです。ふつうイチゴの最盛期は2週間といいますが、前後4週間、子たち孫たちに満喫してもらいました。暑さが厳しくなり、イチゴが過熟になり、いろんなムシが狙い、もうイチゴ摘みはできません。
 道子さんのイチゴに注いだエネルギーはすごいものでした。下の畑だったらこんなにできなかったでしょう。前の畑になり、「3畝 ⇒ 2畝」になったからなんとか頑張りました。
 きのうは暑くて、ぼくは仕事をする気になりませんでした。夕方になってから鉄筋をちょっとさわりました。4メートルの鉄筋で防草シートを押さえるつもりです。その鉄筋を押さえるピンを、鉄筋で作りました。

 ナフコで4メートルの鉄筋(10ミリ)を10本買ってきました。これで防草シートを押さえます。鉄筋を押さえるピンですが、売ってあるピンは長さ15センチしかありません。それでは不安なので25センチの太いピンを鉄筋で作りました。
 まず鉄筋を、ディスク・グラインダーで、30センチに切ります。火花がすごい。大仕事をしている気になります。つぎに大きな材木に直径1センチ深さ5センチの穴を斜めにあけて、そこに鉄筋を差し込みます。曲げるところには分厚い鉄をネジ止めして。鉄筋を長いパイプに差し込んで「グイッ!」と曲げます。思ったより簡単にピンを24本作ることができました。

 道子さんは、イチゴの手入れをしてから山仕事にかかりました。マムシがいるかもしれないので、あらかじめ草むらを調べ、かき回してみます。繁みの笹を刈っているところです。竹藪なので、タケノコが出なくなっても笹がしぶとく生えてきます。
 写真手前には百合が写っています。もうすぐ6月。大きな百合の花が裏山を彩ります。7月にはハスが咲くでしょう。道子さんの丹精で、家のまわりは花が絶えません。
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夜盗虫退治はお休みにします。

2019年05月25日 02時12分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 まず健康なエンドウを見てください。
 葉っぱがついており(当たり前ですね)サヤができています。
 ところが夜盗虫に襲われたエンドウを見てください。

 わかりやすいように防草シートを道子さんに持ってもらいました。葉っぱが食べられて葉の筋ばかりになっています。大食漢=夜盗虫の仕わざです。おそらく100匹超の夜盗虫がエンドウを襲ったのでしょう。うちのエンドウは弱ってしまいました。これ以上実るのは無理です。
 夜盗虫は、エンドウを食べ尽して、隣のタマネギの茎をかじっています。何でもバリバリ食って、大きな糞をして、蛾になり、また卵を生みつけ、幼虫になって葉っぱを食べ尽す。大発生するとニュースにもなる〈菜園を愛する人間の敵〉です。
 退治しようとしても昼は地中にもぐり、夜出てくる。きのうも懐中電灯を持って畑に行くつもりでしたが、疲れて寝てしまいました。

「女は、何万語か、しゃべらないと病気になる」とどこかに書いてあったそうです。病気予防のために「女子会」は大切な健康法です。きのうは、道子さんも古い友だちと昼食会を兼ねた女子会。
 ぼくは一人で昼食を食べに出ることになりました。
 さー、どこに行こう。
 コンビニで弁当を買って、家で食べるのは芸が無い。ぜいたくに、ご馳走を食べたいとも思わない。でも何か食べるために車で出掛けました。走っているうちに窟屋の交差点にうどん屋がある。
「いつも通るけど、この12年間入ったことはない。小さいうどん屋で、たまにしかやってない。得体が知れないし、やめとこ」
 少し先の表通りから離れたところに『吉祥』という食堂があります。古い大衆食堂という感じですが、入ったことはありません。「一度入ってみよう」。
 座敷風の広間とカウンターの、古い感じの食堂です。メニューに手書きの「〇〇定食」がズラッと書いてあります。多いなー。数えてみたら33定食ある。鰻定食にしました。ミニうどんがついてます。「冷コー(ヒー)」もついてます。もったいぶらないで実質食べてもらう。そんな感じが好ましい。こんな、いわゆる「庶民のための大衆食堂」がいまは無くなりましたね。
 入ったときは奥の席に1人、手前のカウンターに2人の客でした。「こんな食堂はいまどき流行らないのだろうか」と思ったら、食べ終わって出る頃には次次とお客さんが入ってきました。15人超かな。
 庶民はこんな食堂が好きなんや。
 特別、味を売り物にしなくても、設備や眺めを売り物にしなくても、変わった料理を売り物にしなくても、ありふれた日常の〈食うという生きるいとなみ〉に寄り添う感じが、いいんや。
 なんとなく、うれしいような気持ちで帰ってきました。
 
 
 
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ああ、夜盗虫。そしてアライグマ。

2019年05月24日 03時10分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんが前の畑から遅く帰ってきました。
「夜盗虫がすごい! エンドウの元気がないと思ったら、葉っぱを食べ荒らしてる。エンドウの根元をほじくって、夜盗虫を何十匹とハサミで切ってた」
 夜盗虫か。久しぶりに聞く。大食漢で大きな糞をして、蛾になる。ぼくも退治に協力しよう。
 夜盗虫は夜でないと出てきません。昼は畑の野菜や作物の根元にもぐっています。午後8時過ぎに二人で懐中電灯を持って、畑に行きました。
 おるおる。葉っぱを喰っとる。
 エンドウの葉は食べてしまったので、となりのタマネギの葉を食い荒らしています。タマネギはもうじき抜くので葉っぱを喰われてもいいけど、夜盗虫はすぐ蛾になってまた卵を生む。それにイチゴのネットハウスにも侵入する勢いだ。
 道子さんは懐中電灯で夜盗虫を見つけ、ピンセットでつまむ。ぼくは夜盗虫を入れるペットボトルを持ってついていく。
 20分ほどで、数十匹はとったでしょうか。いまは、明日も出動する気でいます。

 アライグマはイチゴ・ネットハウスから完全に閉め出されて、悔し涙でイチゴのにおいをかいでいるでしょうか。でも捕まえたい。〈まえのうらみ〉を少しでも晴らしたい。
 市の農業振興課に行って、檻を借りてきました。
 昨夜は、檻にイチゴを入れて、檻を仕掛けました。明日の朝がたのしみです。
 きのう檻を借りるとき、市の若い職員はずいぶんやさしかったです。
 檻を受け取ろうとしたら、「ぼくが自動車まで持っていきます」と持ってくれるし、軽トラに積んで運転席に乗ったら、車を出すまで見守ってくれるし、恐縮しました。
 でもあれは「丁寧で優しい」のではなくて、足を引きずって歩くぼくが「運転ミスをしないか」不安だったからでしょう。そんな心配をかけて申し訳ありません。
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裏山の草刈りをしました。

2019年05月23日 01時06分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 畑のほうに気持ちがが行って、裏山の仕事がおろそかになっていました。草の勢いが盛んです。きのうは鋸歯とナイロンコードの両方で、裏山の草刈りをしました。
 
 写真は木の下の小径です。左は〈ドボ女=道子さん〉の築いた石垣です。石垣の根元に生えている草をナイロンコードで刈り、どことなく感じがいい道になりました。
 道子さんはあちこちに山野草などを植えており、知らずに刈ってしまうこともあります。
 家の表の方は、午後になると西日が当たりはじめます。

 手前のウッドデッキは家の日陰になり、東の方の遠景がくっきり見える。この感じもいい。

 自慢するつもりでなくても、書くと自慢になってしまう。そんな景色/風物に囲まれて生活しています。恵まれてる。
 道子さんの肩痛は相変わらずで、包丁で調理をしたり抹茶を立てたりするのも困難なときがあります。ぼくの膝痛は、立ち上がって動きはじめるときに特に痛みます。二人ともそんな状態ですから仕事はのろのろです。それでも満ち足りた気持ちになるときがあります。
 買い物に出たりするとき、去年まで作っていた畑/草を刈っていた土手/のそばを車で通ります。ときどき「よく去年でお返ししたな。今年もつくっていたら、どうしようもなかった」と遠い昔を振り返るように広い畑を眺めます。
 力いっぱい、すべての力で、あの畑を耕し、恵みを分かち合った。やるだけやったから悔いはない。
 ぼちぼち生きる年齢になったんですね。
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やっと雨が降りました。

2019年05月21日 03時57分41秒 | 古希からの田舎暮らし
「雨が降る」という天気の予報なのに降らない。ここ10日ほど、ずっと畑の水やりをしていたのでヤキモキしました。夜中に降ってひと息ついたところです。
 予報では、また「しばらく降らない」ので、この際山や畑は、しっかり雨水を吸収してほしい。
 きのうは朝からの雨の予報でした。ぼくは休養日にしていました。が、一向に雨が降らない。「これなら外仕事ができる。裏山には手を入れてない。草刈りをしよう」。
 午前中たっぷり裏山の草刈りをしたのに「まだ雨が降らない」。午後は道子さんが裏山の刈った草やゴミを片付けたのに「まだ雨が降らない」。
 4時に、予定していたとどろき温泉に行きました。3月に来てから来ていません。久しぶり。温まった感じです。

 畑のソラマメが、少し荒らされています。数個のサヤが千切られ、中の豆を食べようとした形跡がありです。しかし食べた感じではない。「食べよう」として口にしたけど食べなかった。という感じです。
 道子さんと現場を見て、いろいろ推理してみました。
〇 カラスがソラマメを食べようとサヤをもいだ。中身を食べてみた。
 このあたりのカラスはうちの落花生の「うまさ」を学習しています。落花生の苗を植えると、根元の豆をねらって苗を抜いてしまう。落花生を干していると豆を食いにやってくる。試しにソラマメも食べてみよう。チャレンジしたけど青臭いのでやめた。
〇 アライグマがイチゴのにおいに魅かれてやってきた。「ああ、このにおい!」アライグマは一昨年食べたあのイチゴ天国を思い出した。(道子さんが気合を入れてつくり、最高の出来でした。芦屋の親友をイチゴ狩りに呼んでいました。その後一ヵ月して彼は急死。最後に会うチャンスを逸しました。アライグマにやられたあの〈イチゴの恨み〉をぼくは一生忘れません)
アライグマ:「ああ、夢にまで見たイチゴ天国が目の前にある!」。しかしネットハウスは強固で、一粒も口にできない。うろうろするがどうしようもない。「腹いせ」にソラマメをちょっと食べてみようとしたけど青臭くて食えない。ソラマメはそのまま捨てて、しょんぼり家に帰った。
 アライグマも生きるのに必死でおいしいものをねらう。でも動物は腹いせにソラマメにイタズラしたりするかな。ぼくとしては「腹いせ説」にくみしたいけど、人間と違って動物はそんな邪悪さはもっていないかも。
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『保健衛生委員』として出動しました。

2019年05月20日 02時41分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 今年と来年、ぼくは、うちの村の『保健衛生委員』になります。回覧板の4班はよそから転入した6軒で、輪番で2年ずつ村の役員になります。はじめは移住して3年目に役がまわってきました。
 そのとき保健衛生委員になり、ゴミステーションのネットを張り替えたり、草刈りをしたり、掲示板をつけたり、気をくばって活動しました。あれから8年が過ぎ、また保健衛生委員になりました。(事情があって一軒とばしたので)
 口吉川町の各の保健衛生委員に集合がかかり、きのうは地域清掃に参加しました。8年前は、各の保健衛生委員が草刈り機を持って集まりました。このたびは「ゴミ拾い」だけみたいです。
 桃坂と東条町の境目で〈ゴミ拾い〉をしている写真です。

 ぼくもあのチョッキを着て、火バサミを持って参加しました。足を引きずるので集まりに遅れ気味になります。よその村の若い人に声を掛けてもらいました。数年前に川向いの村に転入された方だそうです。感じのいい方で「裏の竹藪を2000本伐って、池をつくったりしています。是非立ち寄ってください」とお誘いしておきました。
 作業のあとの集会でお茶と🍙と日当千円を支給され、「8年で様子が変わったな」と思いました。前は刈払い機で草を刈る作業でした。軽トラに積んで行きましたが出番はありませんでした。
 何より変わったのはぼくの「気持ち」です。
 前は「みんなで清掃作業をするのか。地域貢献だな。まかせなさい」という〈自負〉でした。きのうは「あまりきつい仕事でなければいいが」という〈心配〉でした。参加しておられる各村の委員にも、気のせいか、ちょっと高齢化を感じました。
 地域清掃は年に3回、第三日曜日にあります。(5月が桃坂と東条町の境目/7月が桾原と東条町の境目/11月が大島と細川町の境目)
 この程度の作業ならなんとかできそうです。この2年間の〈当番〉がぼくには最後になるでしょうし。
 

 
 
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老人クラブで頑張った!

2019年05月19日 01時54分43秒 | 古希からの田舎暮らし
 18日は、うちの村の老人クラブで『昼食交流会』を行いました。
 このたびの参加者は男老人が5人/女老人が6人/です。少ないです。
 参加する人を増やすために「声をかけて誘う/頼む」ことを一切しませんでした。声をかけたら、お願いしたら、もう3~4人増やすことが可能だったかもしれません。
 しかし〈声をかける気〉になりませんでした。
 ぼくが老人クラブの会計係を引き継いだのを、通帳でチェックしてみました。平成23年(2011年)3月です。
 村の老人会の〈おやつ係〉になる。 ⇒ グランドゴルフ大会や公民館まわり清掃のとき「おやつを用意する係」 ⇒ 遠足のおやつをワクワクして買う小学校一年生の気分 でした。
 あれから9年目。膝が痛くなり、筋肉がおちて動作に粘りがなくなり、老いてきました。かつては公民館裏の広場を独りで草刈りしたときもありました。そんな気力は、「もうありません」。
 会員が少なくなったわけでもないのに「オレはいつまでアクセクしているんだ」。役員になる人がいなくて「老人クラブを『休眠にする』村もある」と聞きました。
 急に自分の気力が落ちた気がします。一応、昼食交流会をレポートします。
 まず公民館まわりの掃除・草刈りをしました。

 60分ほどで草を刈れたので、用意していたおやつでお茶。「あんしんサポートセンター・口吉川」の方に早めに来てもらい、認知症予防体操をしたり、クイズにチャレンジしたり。

 昼食をたのしく食べて、散会しました。 ……  おしまい
 
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セメント工事を少しずつやってます。

2019年05月17日 01時51分13秒 | 古希からの田舎暮らし
〈ドボ女〉=道子さんはセメントを練って石垣を築いたりしますが、ぼくはセメントを練るのは久しぶりです。10年ぶりかな。なかなか気がすすみません。グズグズしてしまいます。
 排水のためのマス作りはすすみません。それでもきのうは、排水のために少しモルタル工事をしました。一回練っただけですけど。

 その工事が排水マスの先を「なだらかにする」でした。手でモルタルをならし、刷毛に水をつけながら表面をならしていきます。
〈つづき〉は明日、モルタルが乾いてから。それまで工事は中断というか〈お休み〉。なかなかはかどりません。なんかイヤイヤやってる感じだな。

 きのうは朝、病院に行きました。足の怪我を診てもらうため。
 先週の土曜日は代診の先生が、貼った大判の絆創膏を少しだけ剥がして診ました。一寸診て「ダイジョブだろう」とまた貼ったまま。
 きのうは本来の先生です。5日ぶりに大判の絆創膏みたいなのを全部剥がして診てもらいました。糜爛状になっていた怪我はきれいに治っています。皮膚ができて「ツルン」としています。「何をしても大丈夫」。ぼくが見てもわかります。
 薬を塗ったわけでない。自分の治癒力で皮膚ができて、きれいになった。
 あの大判の絆創膏みたいなのはよく効きました。ワタシの治癒力が「いい仕事をした」というか。
 これから怪我をしたら、何かクスリをつけるより大判の保護用絆創膏を貼って、自力で治す。
 いい勉強をしました。
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大坂の金剛までお見舞いに行きました。

2019年05月16日 01時19分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 80歳前後の兄弟となるといろんなことが起こります。下の弟は2年前、68歳で亡くなりました。買い物をして帰宅し、玄関の鍵を開けて倒れ、心筋梗塞による突然死でした。
 もうすぐ80歳になる上の弟は、半年前に脳梗塞の手術をして、いまは車イス生活です。
 見舞いに行きたくても、遠くてなかなか。きのうは頑張って、大阪の金剛まで見舞いに行きました。
 大阪まで出たのは10年ぶりでしょうか。大阪駅のプラットホームには、線路に落ちないように柵ができています。開閉式のドアや上下に動くロープの柵。以前は見なかった高いビルも、いっぱい建って。大阪駅なんか景色が一変した感じです。
 環状線に乗り、南海電車に乗り、はるばる金剛まで行きました。
 用心のために杖を持って行きましたが、階段は一段ずつ足をそろえて上り下りします。時間がかかる。歩くのはゆっくり。遅い。つくづく「街に出掛けるのは大仕事だ」と思いました。
 弟と久しぶりに出会い、気持ちを通じ合いました。
 とっても疲れました。
 そうそう、途中の店で杖を忘れ、道子さんに取りに戻ってもらいました。あまり役に立った気がしないし、持たないほうがいいか。
 というか、電車に乗って街に出掛けることが無理になる。そんな自分にばかり、意識が向きます。
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『空騒ぎ』であればいいけど。 つづき

2019年05月15日 02時35分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 その③ もう一つ見当たらないものが。運転免許証です。身元確認のため必要になって、自動車のドアポケットを見ました。
 免許証がない! おかしいな。いつも置いてるのに。
 で、置きそうな場所を探しました。車、カバン、服のポケット、本棚、など思いつくところすべて。ありません。今日で3日目です。とりあえず運転はコピーの免許証でも大丈夫でしょう。しかし無くしてしまったら再交付してもらうしかありません。
 ぼくは、運転免許証紛失 ⇒ 再交付 は〈初犯〉ではありません。50歳あたりのまだ勤めていた頃に一度やりました。
「明日は西播磨天文台に泊まりに行く」という金曜日、車を運転して出勤しながら、ふと気になって運転免許証を見ました。ダッシュボードにありません。
 免許証が無い! 
 パニックになり、出勤しても落ち着きません。明石に勤めているときだったので、午後は年休をとって、再発行してもらいにセンターに行きました。あそこなら即日再発行してもらえます。
 帰宅してリビングルームの自分の棚を見たら、免許証があります。数日前、棚に置いたのを思い出しました。パニックになって、そのことを思い出せなかった。あわてて再発行してもらって、バカみたいな気持ちでした。
 そんな前科があるので、もう少し探してみます。
 ふだん毎日確認するものでもない。どこかに置いてる。それを思い出せないのです。

「面白くもないことを書いてる」のはわかってます。年寄りにはよくあることです。これがひどくなると、毎日の日課みたいに「財布が無い/通帳が無い/印鑑がない/○○がない/ …… 」とパニックになる。道子さんに来た年賀状に「義母さんと毎日〈宝探し〉をしています」と書き添えてありました。そんなことになる。
 残りの人生を、三分の一は寝て/三分の一は探し物をして/三分の一でいろんな生活をすることになるか。そんな自分を、ちゃんと見る目を失いたくないな。
 
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『空騒ぎ』であればいいけど。

2019年05月14日 20時57分29秒 | 古希からの田舎暮らし
 この数日に身辺で起こった〈三つの出来事〉のうち、二つは、老人によくある『空騒ぎ』でした。
 世の中、「しあわせ」なことばかりではないので、そのお話をします。

 その① 道子さんと買い物に出掛けることになりました。ぼくは用意をして、先に玄関を出て、図書館にも寄るので荷物は車に積んで、道子さんを待ちました。
 ところが、ふと気になって車の鍵を探すと「ありません」。いまの車の鍵はマッチ箱みたいなもので、それに家の鍵や軽トラの鍵もつけています。ぼくは、あわてて家の中に入り、車の鍵を探しました。どこにもありません。「あれは、スペアを作ってもらえるか」と思いながら、一生懸命家の中を探しました。ない! 車に置いたのか。座席やドアポケットを探しました。ない! 
 車の鍵を無くしてしまった。どうしたらいいだろう。ドキドキします。心配で簡単にパニック状態になってしまいます。
「えーと、さっきは鍵があって、ちゃんと車を開けて荷物を積み込んだ。それからどう動いたか。もう一度復習してみよう」。 …… やっぱり、無い! 
 仕方がない。とりあえず、道子さんの持ってるスペアキーで出掛けよう。
 まず玄関のドアを閉めて鍵を掛けなくては。
 と、玄関のドアを見ると、ぼくは鍵を差し込んでいるではありませんか。
 先に外に出たぼくは、用意万端。道子さんが出てきたらすぐ玄関の鍵を掛けて、出掛けられるように手まわしよく鍵を玄関の戸につけていた。
 あれだけ探して、なぜ玄関の戸を見なかったのだろう。戸に鍵を差し込んだのを、なぜ思い出さなかったのだろう。
 時間にして10分余りの、とんだ空騒ぎでした。
 
 その② 買い物から帰って、荷物を車から降ろし、玄関に運び込み、お昼を食べて、とりあえず昼寝をすることにしました。
 昼寝から起きて「眼鏡を掛けよう」と机を見ました。見当たりません。寝る前まで眼鏡(遠近両用)を掛けていましたから、机か食卓か洗面所に置いているはずです。しかし、どこを探してもありません。眼鏡を掛けずに動きまわることは絶対にありません。仕方がないので前の遠近眼鏡を本棚から出して掛けました。今度はゆっくり、寝る前に動きまわったところを思い出し、可能性のあるところをじっくり探しました。ありません。
「おかしいな。眼鏡の大きさのものを、見逃すはずはないし、消えて無くなるものではないし、寝る前まであったものがなぜないのだ」。
 仕方がないので古い眼鏡を掛けて一日を過しました。今日ベッドの足元を見たら、眼鏡が落ちています。「見落したのだろうか。あれだけ何度も探してなかったのに。なぜこんなところにあるんだ」。
 それにしてもおかしい。こんな簡単な場所に落ちていたのに、どうして見つけられなかったのか。
 思い込みが激しくて、探す視野がせまくなっています。深呼吸をして、パニックにならないで、ゆっくり探す。
                                     (つづく)
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