古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

三木の図書館あたりを散歩しました。

2013年01月31日 03時18分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは三木の図書館に本を借りに行って、ついでに付近を散歩しました。まだ歩いたことのない道を歩いていたら興味深いところに出会い、「三木は歴史のある町なんだ」とあらためて思いました。
                  
 これは小河邸裏の路地です。実業家・小河秀太郎の別邸は日曜日だけ公開されているのでまた来ます。この裏塀沿いの細い路地がなんともいい。この先になにがあるだろうとどきどきします。
                  
 小河邸の細い道を抜けて歩いていたら風の音がします。道の下を見ると鍛冶屋! 唱歌『村の鍛冶屋』のままの光景にしばし見とれました。なお三木金物資料館にはこの唱歌の歌碑があります。

  ♪  しばしも止まずに 槌うつひびき     飛散る火の花 走る湯玉
     ふいごの風さえ  息をもつがず     仕事に精出す 村の鍛冶屋

                  
 さらに歩いていくと大きな墓地に出ました。「箕谷(みたに)墓園」というそうで江戸時代より前からあったそうです。写真は整理されて無縁仏になった墓石です。どの墓石も、生きてこの世にあった人たちなんですね。
   
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もうすぐ春ですね。

2013年01月30日 04時25分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 28日、朝起きたら雪が3センチ積もっていました。おじいさんおばあさんは「雪が降ったんだな」とガラス越しに眺めるだけ。手でふれてみようともしません。朝日が裏山にあたろうとしています。雪がとけたら植えた木々に寒肥をやらなくちゃ。
 寒いけどたまには散歩しよう。でも同じ道では退屈だ。というわけで外出した昼前に「ジャパン」に車を置き、豊地小学校の裏から三坂神社 ⇒ 「冷泉橋」を往復する散歩をしました。
                 
 江戸時代はじめの学者・藤原惺窩生誕地の桃津にある橋です。名前は由緒ありそうですがガードレールの橋で、何の風情もありません。でも橋のたもとには大師堂があり、おそらく樹齢数百年の大杉がどっしり立っています。掌で幹にさわり、「この木は藤原惺窩の生きていた頃にはもう生えていただろうか」と、遠い時代に思いが飛びました。
 はやく春になってほしいな。
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裏山の焚き火で餅を焼いて食べました。

2013年01月28日 03時31分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 きのうも寒い日曜日でしたが、おじいさんは裏山に出て焚き火をしました。すると孫たちがやってきて、お餅やパンを焼いて食べました。村では貴重な存在の、ご近所の小学生約1名にも加わってもらいました。寒いけど、春の足音が聞こえそうな裏山です。ウグイスの「初鳴き」はまだ聞きませんがもう飛来してる気配を感じます。
 タブレット・パソコンを購入しました。でも初期設定をどうしたらいいかわからないので、いつもお世話になっている方にお願いして、使えるように設定してもらいました。で、購入した目的は「もっと老いて、大型活字本しか読めなくなっても、図書館に行かずにタブレットで字を大きくして読める」です。
「こんなわけのわからん機械はいまのうちに使い慣れておく必要がある。もっと高齢になってからでは使いこなせないだろう」と思ったのです。ぼくがタブレットを使いこなせるようになったら、道子さんは「スマホ」にチャレンジすると言ってます。我が家は<老いてなおチャレンジする>をモットーに今年も張り切って生きます。
 ショート・ステイからきのうの午後戻った我が母・妙子さんは、着替えると早速「ちょっと裏山の様子を見てくる」と運動靴をはいて出掛けました。99歳の腰の深く曲がった母親が「外に出てみる」といえば息子は心配するものでしょうが、お互いなれたもので「いってらっしゃい」とコタツから返事をしました。
 一昨年の4月に母の『白寿』祝いはしました。「数え」の99歳でするものですから。あとはふだんの生活のペースを崩さないよう気をつけます。息子としては、裏山の竹を切り倒して、母の「仕事」が途切れないよう材料を用意します。
 裏山の竹を全部切ってしまったらどうすかって? また生えますよ。竹薮は永遠に不滅です! 
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味噌を仕込みながら考えたこと。

2013年01月25日 05時14分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう味噌を仕込みました。大豆を水にかしたり桶を洗ったり、10時間以上かけて大豆を煮て、その間に麹をもらいに行き、三日がかりの仕事です。道子さんはもう15年以上味噌を仕込んでなれているのですが、これからは1年1年、だんだんと大仕事になるでしょう。今年の作業でそれを実感しました。
 写真は2010年、ウッドデッキで大豆を煮ているところです。ぼくがコンパネで風防の囲いをつくり、携帯コンロと練炭コンロで大鍋の大豆を煮ている図です。こんなセッティングをしたのはこの年2010年までです。今年は携帯コンロを買い足して室内で大豆を煮ました。甲斐甲斐しく囲いを作ったりするのが面倒になり、エネルギー不足を感じるようになりました。
 2010年の冬に買った「電動ミンサー」は立派に働いてくれます。今年も大鍋5杯の大豆を苦もなく摺り潰してくれました。手回しのミンサーでは不可能だったでしょう。「年に一度使用するだけの機械を72歳になってから買って、一体いつまで使うつもりだろう」とあのときは思いましたが、これで4回使いました。
 でもセッティングをするとき、「えーと、どうだったかなー」と去年のブログを引き出し、載せた写真を見てミンサーや桶を配置しました。
 仕込んでから用具などを洗い、片づけて、『ゆぴか』温泉に骨休めに行きました。
 <老い>をしみじみ感じた一日でした。
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散歩の歩く速度がちがいます。

2013年01月23日 04時11分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 先日<市の無料健康診断>を受けようと、緑が丘の医院を訪ねました。ついでに「神鉄・緑が丘駅」付近で朝の散歩をしました。家の詰まった細い路地を歩くのは何年ぶりでしょう。田舎に引越してからは農道を散歩していましたから。
                   
 写真は緑ヶ丘駅近くの高台から見た街で、屋根がびっしり詰まっており、路地が縦横に通っています。その路地に入り込んで、未知の路地から路地へと40分歩いてきました。あとでその道を車で辿ってみると、かなりの距離を歩いています。そしてぼくは「街の路地を歩くときは早歩きになっている」ことに気づきました。
 ふだん農道を散歩するとき、ことさらゆっくり歩こうと意識しているわけではありません。でも実際は、街を散歩するときと、農道を散歩するときでは、歩く速度がちがいます。
 田舎に暮らしているとそんなリズムになるのでしょうか。
 ここまで書いてふっと思いました。
「田舎に暮らそうと69歳になってから街の家を処分して引越した。それはこれからほんとの<お爺さん>になるぼくの、ちょっとした<思いつき>なんかじゃない。ぼくという存在の、もっともっと深いところからわいてきたエネルギーに、つき動かされてやったことではないだろうか」
<定年からの田舎暮らし>が「流行り」のようになっています。それは<趣味の教室>のような思いつきでなく、自分という存在の奥のほうからの希求かもしれない。
 そういえば裏山でツルハシを振るって木を植える穴を掘り、竹の根を切断しながら、「オレの人生は70歳を過ぎてから、生れてはじめてツルハシを振り上げ、渾身の力で竹の根を切断するような設計になっていたのだろうか」と思ったことがあります。
 すわりのいい場所に「ドッコイショ!」と腰を下ろしたような〝しあわせ"感をお伝えしてみたくなり、書きました。
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竹を切りましょう。

2013年01月21日 04時50分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 こう寒くては、外に出て山仕事などする気になりません。「ここに引越した頃は、『きょうは寒いから外に出ないでおこう』なんて思いもしなかった。明るくなれば外に出て、ウッドデッキ工事をした年もあったし、せっせと竹薮の竹を切った年もあったし……」と、こたつにあたりながら『昔』を思い出しています。その『昔』たるやこの地に移り住んだわずか6年前なのに。
 写真はおととい撮った裏山です。5年前に、手前右には2本のサザンカ、左には友禅ケヤキを植えたのですが、それぞれ立派に生長しています。奥の竹薮は一昨年の冬に竹を皆伐して、上のほうまで見通せるようになっています。

 同じアングルで3年前の2010年3月に撮った写真です。右のほうは頂上まで竹を皆伐しましたが、左のほうはびっしり繁っています。竹薮の奥は人を寄せつけません。
 竹を切ると里山の風が吹いてきます。野鳥がやってきます。
 アマゾンに注文した野鳥の餌と巣箱が届きました。
 ウグイスくん、きみのために餌場と巣箱を用意します。よろしく。
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『アゼ板なみ』で簡単な容器ができました。

2013年01月20日 03時49分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 写真の円筒は『アゼ板なみ』を2枚つないだものです。『アゼ板』は農業用品を販売しているホームセンターにあります。<厚さ4ミリ・幅120センチ>で端っこが<凸と凹>になっていて、どんどんつないでいくことができます。縦の長さは30・40・50・60センチと4種類あります。(写真は60センチ)
 宣伝によると10年~15年使用できる、草刈機の歯が当たっても大丈夫と書いてあり、たしかに丈夫です。何に使うかというと、我が家では裏山に置いて、落ち葉を入れたり抜いた草を入れたりして堆肥化しようと考えています。地面に置き、まわりに土を寄せ、フタをつければ「生ゴミ入れになるかな」とも思います。
 畑ではこの『あぜ板』を3枚つないで円筒形にして、地面に敷いた竹の上に置き、ベニヤ板のフタを作って、堆肥入れにしています。コープ瑞穂農園の堆肥を軽トラでもらってきたらこの容器に移しておき、タマネギの追肥の上にかぶせたり、畝作りのときに梳き込んで元肥にしています。3枚で円筒形をつくることはできましたが、硬いパネルなので2枚でつくれるとは思いませんでした。でもある日やってみたら簡単でした。直径76センチの丈夫な円筒形ができました。
 金曜日は兵庫芸文センター(西宮北口)の定期演奏会に出掛けました。
<フランスの薫り漂うプログラム>(チラシの宣伝)で、フォーレの組曲『ペレアスとメリザンド』のほかははじめて聞く曲でした。若いPACオーケストラが<パリ管弦楽団コンサートマスター>のフィリップ・アイシュ、トランペットは同じくパリ管の首席ソロ奏者など多くのすごいメンバーで補強されていました。チラシに「色鮮やかなフランス作品が勢ぞろい」と書いてありましたが、ほんとに鮮やかな色が見えるようでした。
 土曜日の朝10時。芸文センターのチケットをゲットしようとパソコンに向かいました。<真野響子・真野あずさ姉妹>のふたり芝居『完全姉妹』という演劇を見ようという話になったのです。演劇の中味はどうかわからないけど、とにかくあの美人姉妹を舞台で見ようと。ところが混んでいてなかなかつながらない。30分ほどでなんとか5列目くらいをゲットできました。
 そういえば朝の連ドラ『ゲゲゲの女房』を演じた女優の松下奈緒さんは、ピアノがうまいのですね。それもちょっとうまいのじゃなくてプロ並みに。日本フィルハーモニー交響楽団との共演(芸術劇場)で、モーツアルトの〝ピアノ協奏曲第20番"を演奏している動画が<you tube>にアップされています。そしてコメントにこんな一行がありました。

 神様は、こんな不公平をお許しなのですね。

 
 
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寒いけど春はもうそこまでやって来ました。

2013年01月17日 04時01分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 何十年も前のことです。うつ気味の人に「私は昼の明るさにはすごく敏感なの。たった一秒でも日が長くなると気分がちがうわ」といわれたことがあります。寒さは変りませんが、〈冬至〉を過ぎて日が長くなりました。〈日の出・日の入り〉が同じ時刻でも、冬至の前と後では気分がちがいます。「あしたはもっと日が長くなる」という思いに、人は生きる力をもらいます。
                  
 気温は5度にも達しません。しかし陽射しにつられて我が母・妙子さんは裏山に〈ご出勤〉です。年末に息子が切っておいた竹を引っ張り出し、朝の陽を浴びて、枝を花バサミで切り刻んでいます。
 1歳の次は2歳。それから延々と生きて98歳の次は99歳。〈白寿〉を祝いました。そして5月が来れば妙子さんは満100歳。いまも自分で起き、顔を洗い、食事をとり、新聞を見ます。きのうはそれから外の陽射しを見て、運動靴をはいて裏山に登っていきました。彼女の人生に、ほどなく〈100度目の春〉が到来するのを感じたのでしょうか。もうすぐ春ですね。
 ぼくも後期高齢者になり、ときどきは訃報が舞い込んできます。でもみんな〈長生き〉です。12月に郷里・鳥取の友だちから電話があったついでにみんなの消息を尋ねたら「みんな元気で、長生きしとるぜ」と話していました。たしかに「平均寿命にかなり接近してきたのに、同窓会名簿を見てもあんまり歯抜けになってないなー」と思います。
 去年の敬老の日にテレビのニュースを見ていたら「神戸市の100歳以上のお年寄り(たしか800人以上でした)にお祝いの……」といってました。「えっ!! 神戸市だけで800人もおるんか」と驚きました。兵庫県では何千人もいて、全国では何万人もいるでしょう。すごいなー。
「長生きを他人ごとみたいに言うな。おまえのことやないか」ともうすぐ言われそうです。
 ほんとに〈長寿社会〉なんですね。
 
 
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雨が降りやんで、《とんど》ができました。

2013年01月15日 01時03分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 去年の《とんど》の写真入り回覧板もまわってきましたし、老人会の案内でも《とんど》を知らせてあるのですが、きのうは朝からしっかり雨が降っていました。雨なら中止するしかありません。
 ところが老人会の新年昼食会が終って外に出てみたら、雨がやんでいました。これならできそうです。というわけで老人クラブの面々が3時に集合して、用意しました。写真は火をつけたところです。おいおい村の人たちも集り、正月飾りを燃やし、お神酒を飲み、餅を焼いて食べ、いい《とんど》ができました。
「書き初め」を燃やすと字が上手になるそうですが、参加してくれた小学生は約一名。老人たちみんなが寄ってたかって世話をして、竹の先に書き初めをつけて、しっかり燃やしてもらいました。もうちょっとは小学生がいるのですが、いろいろあって。口吉川小学校もかつては300人を越える生徒がいましたが、いまは60人くらい。小子化問題はいずこも深刻ですね。
 ぼくもお世話すべく軽トラで行ったのですが、途中道路の縁石にタイヤがこすれて、パンクしてしまいました。荷台の下にスペアタイヤがあるのは知っていましたが、軽トラはどこをジャッキアップするのかわかりません。マニュアルを引き出して読んでいたら、若い方(ぼくから見て)が通りかかられ、手際よくタイヤを交換してくださいました。助かった! ありがとうございました。
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ビデオ『軍旗はためく下に』を、腹を据えて観ました。

2013年01月10日 02時10分30秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 推理作家・結城昌治の『軍旗はためく下に』を、本を伏せては読み、伏せては読みして、やっと読み終えたことは、去年の12月2日のブログに書きました。「いくら不条理な軍隊でも、こんな不条理が許されるか」という思いにつかまり、こころが平常に戻るのに時間がかかりました。
 だからそれまでに購入していた映画『軍旗はためく下に』のビデオテープを観るのは「少し後にしよう」と思って時間をやり過ごしていました。でも「いずれまたそのうち……」が駄目なことは、長生きしているだけによくわかっています。きのう夕食後、観ました。
 ずっしり、こころに、こたえました。で、間をおかずに引き続いて《四国遍路》のNHKのビデオを見ました。お寺参りをしている善男善女と仏さんが写っているビデオです。
 感想は書きません。
 結城昌治の本は中公文庫で、いまも入手できます。
 ビデオテープは絶版なので、中古テープをネットで購入するしかありません。ぼくはアマゾンでレンタル用の中古品を購入しました。3980円でした。なおアメリカではこの映画はDVD化されていますが、日本ではDVDになっていません。あるコメントに「日本ではもう《真摯な反戦映画》をつくるのは無理、と思っていましたがこの映画を観て思い直しました。日本でこの映画がDVDにならないのは、強く軍隊の不条理を訴えるからでしょうか」とありました。
 
 
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ゴミ袋にシールを貼ります。

2013年01月09日 03時48分06秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 三木市の一部地域では、新年よりゴミ袋にシールを貼ることになりました。《燃えるごみ》《資源ごみ》を分別するためです。いままでも分別して収集していましたが、分別をより徹底して、焼却費を抑えるためにシールを配布したのです。うちの村のゴミステーションに8時に行ってみたら、みんなが意識していたらしく、写真のように張ってあります。なんだかうれしかった。
 寒いし、風邪気味なので、散歩のかわりに軽トラでドライブしました。橋を渡って、馬場 ⇒ 東 ⇒ 保木 ⇒ 南畑 ⇒ 大島 ⇒ 槙 ⇒ 吉祥寺 ⇒ 里脇 ⇒ 久次 ⇒ 笹原 ⇒ 殿畑 ⇒ 桾原 ⇒ 東中 と村の中の細い道を、新年のあいさつをするつもりでゆっくり走りました。街に住んでいたら「散歩がわりに町内一周」なんて思わないでしょうが、田舎には「冬には冬の風情」があります。
 ニュースを見ると、「景気をよくしよう」とものすごいバラマキをするみたいですね。閑古鳥の鳴く各地の文化ホールやハコモノはもうつくってしまったし、下水道もずいぶん普及したし、耐震工事とか橋の修理とかやるのでしょうか。列島改造からバブルへとひどい目にあったのに、また土木工事に税金をばら撒くのでしょうか。
 ぼくらはもう高齢で、これからさらに老いてゆきます。なんの力もありません。政府のそんなやり方を黙って見ているしかありませんが、いまの日本を支える人たちは、《列島改造・景気回復・土地バブル》と昔の夢を追う政治屋たちをなんと思うでしょう。
「ロケットスタートだ」「景気回復だ」と目先の点数稼ぎはやめてほしい。借金が残るだけです。
 あれが欲しい! 景気がよくなったら絶対に手に入れたい! そんなものを思いつきません。服だって食べ物だっていまあるもので充分です。
 せめて、いま日本を支える人が、これから支える人が、希望を持てる政治をしてほしい。
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映画『ディファイアンス』をはじめて知りました。

2013年01月07日 04時31分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「一体、何時に起きてブログ書いてるんだ」と知人にいわれることがありますが、8時や9時に就寝すると2時か3時には目が覚めてしまいます。本を読むこともありますが、ブログを書くか深夜にテレビの映画を観たりもします。先日は〈CSテレビ〉の〈ムーヴィー・プラス〉(832チャンネル)で『デファイアンス』(2008年製作・アメリカ)という映画を観ました。それが心に残っています。
 これは実話に基づいた映画ですが、「ナチスのユダヤ人狩り」でこんなことがあったのをはじめて知りました。簡単に紹介します。
 1941年6月にナチスドイツはソ連に攻め込み、勢いよく進撃しました。そして占領した地域で「ユダヤ人狩り」をして虐殺しました。狩り立てられたユダヤ人が走らされ、掘った穴に一列に並ばされ、後ろから銃で頭を撃たれて倒れる実写映像をいまも目にします。(この映画の冒頭にも出てきます)
 ベラルーシとの国境に近いポーランドの寒村でも、「ユダヤ人の虐殺」がありました。そのとき両親や家族をを虐殺された「ビエルスキ・三兄弟」はベラルーシの森に逃げ込んで難を逃(のが)れました。そして同じように森に逃れたユダヤ人を、三兄弟は集め、みんなで助け合って生き延びました。
 しかし映画『戦場のピアニスト』のように、ひとりのピアニストをレジスタンス組織がかくまったような生やさしい話ではありません。最終的には「1200人の森に逃げ込んだユダヤ人」が自ら銃をとって戦い、自治組織をつくり、食料を調達して配給し、病院や学校や刑務所までつくり、三年余を生き延びた実話です。
 この実話は『アンネの日記』のように有名になりませんでした。『シンドラーズ・リスト』のように発掘されませんでした。埋もれたままだったこの話がこのたび映画になったのです。詳しくは〈映画・ディファイアンス〉をネットで検索してください。
 映画には食料配分をめぐってリーダーの兄弟に処刑されたり、捕まえたドイツ兵をみんなが叩き殺してしまう場面もあります。ソ連兵や赤軍とのやりとり、ドイツ兵との戦闘も出てきます。戦後この兄弟はアメリカに渡って運送会社をつくり成功したそうですが、この話をことさらすることはありませんでした。ポーランドの現地では、森のユダヤ人は「山賊」のように略奪した人たちと見られていました。
「1200人の人々は戦後まで生き延びて、数万人になっている」(不確かな記憶ですが)というラストのナレーションに《命の大河》を思います。 
 そしてブログに書いたビデオ『軍旗はためく下に』をまだ観ていないことに思いが飛びます。
 日本軍の軍隊内部でのいじめ、上官の不条理な命令、卑劣な敗戦後の行動、などが出てくるのではないか。
「いまごろになって腹を立ててもどうしようもない事件にとりつかれてしまったらどうしよう」という恐れで観るのに二の足を踏んでいます。最後の「ホッ!」とする〈なにか〉が見えない。「昔のことではないか」「いまさらどうにもできないではないか」と思おうとしても。
 テレビのニュースで殺人や幼児虐待やいじめなどのニュースがあると、避けるようにしています。聞いてもどうしようもない。悲しみだけが残る。やりきれなさが残る。
 また考えます。 (つづく)
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伽耶院にお参りしました。

2013年01月05日 04時29分59秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 前のブログに伽耶院の菜根行者さまからコメントをいただきました。それを読んで「そうなのか」とハッとすることがあり、きのう外出したとき伽耶院にお参りしました。
                   
 写真は本堂の前の切り株に並べてある猫です。ここのおみくじは、小さい子猫といっしょに袋に入っています。まえに引いたおみくじの子猫を納めるのでしょうか。
 コメントにはこんなことを書いていただきました。

  
 …… 行者は篤信の参拝の皆さまひとりひとりの安穏・希望・健康・息災などを心を込めて、命がけで祈念しお加持させていただいております。 …… その方お一人お一人の表情をじっと見て、その方の気持ちと一緒になって神仏の加護有らんことを、その方以上に強く願って御幣を打ち下ろします。 ……
 私は「拝み屋」ではありませんし、そのようなミラクルパワーもありません。ただ、参拝者のお心と一緒になって強く神仏に祈願する …… 。


 日頃、お寺や神社や祠に手を合わせながら、それがこころのちょっとしたアクセサリーみたいに思ってしまっていることに気づかされました。祈りの場を命をかけて守ろうとする宗教者の深く厳しい思いを垣間見た気がしました。ありがとうございます。
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平穏な1年でありますように。

2013年01月02日 05時43分14秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの朝は初日の出を見て、お雑煮を食べました。
 いつもと変らないお正月が来て、おだやかにまた1年がはじまりました。
                   
 孫たちが凧揚げをしている写真です。イノシシが畦を荒らしていますが、360度見渡しても電柱が1本も見えません。関電推奨の凧揚げ場にしたらいいような田んぼの広がる空間です。
 去年おじいちゃんのつくった糸巻きで糸を繰り出し、凧はすぐに100メートルの「水糸」いっぱいに揚がりました。しばらく凧揚げをたのしみ、昼食後は「伽耶院に初詣でに行く」と孫たちは帰っていきました。あそこにお参りすると行者姿の人が杖で肩に「褐!」を入れてくれるのですが、おじいさん・おばあさんは、老骨に鞭打つようなことはしたくない。行きませんでした。
 99歳の母・妙子さんのところにも親類縁者や文学仲間から年賀状が20枚ほど届きました。何度も何度も賀状をめくって、何か思っているようです。
「かつて出世してバリバリ働き、何百枚と年賀状をもらっていた人が高齢になり、だんだん賀状が来なくなった。とうとうある年、賀状が一枚だけ来た。息子からの賀状だった」という話をどこかで聞いたことがあります。
 賀状をめくりながらいろいろ思う。みんなそれぞれに生きている。いいですね。
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明けましておめでとうございます。 2013年 元旦

2013年01月01日 03時20分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 明けましておめでとうございます。
 いま99歳の母と私たち夫婦が『古希からの田舎暮らし』をはじめたのは2006年12月。7年前のことでした。実際には69歳から暮らしはじめたので、私はもうすぐ76歳になります。
 そして『古希からの田舎暮らし』ブログ発信は、3月で5年目になります。今年も『田舎暮らし』をめぐるさまざまな体験や思いを伝えようと思います。
 田舎暮らし志向は、一つの社会現象になっています。そんな名前の雑誌が出たり、テレビ番組があったり、空き家や古民家の物件紹介があったりします。目に見える田舎への移住者はそんなに多くなくても、<希望>・<憧れ>は多くの人の心に潜(ひそ)んでいます。
                
 但東町の《シルク温泉》に泊りがけで出掛けた2009年1月の写真です。雪の消えた道路を走っていて、中腹のお寺の堂々とした構えが気に入り、車を止めて撮りました。道端の家のおばあさんにきいたら「この寺は無住で、月に一度、宮津のほうからお坊さんが来られる」という話でした。
 何宗のお寺か知らないけど、資格をとってこんな寺の住職になったらいいだろうな。そんな空想が心をかすめました。田舎を走ると、そんな景色にひょいと出会います。実際は空き家でなかったり、空いていても手放さなかったりですが、田舎にはそんな気持ちを掻き立てる<なにか>があります。
 しかし高齢化のすすんだ限界集落に近い辺鄙な田舎だと、移住をためらう気持ちもあります。「田舎はいいなあ」と言いながら勝手なものですが、実際に暮らすとなると考え込んでしまいます。
 去年12月はじめに丹後半島の「経が岬」まで車で走ったときも、そんなことを感じました。あの半島をぐるっとまわると田舎ばっかりなのですが「こんなところに暮らしたいなあ」とは思いませんでした。街に住む人は「田舎はいいなあ」と言いますが、日本はちょっと街を出たら、田舎ばっかりです。「自然がいっぱいあっていいなあ」と言いますが、自然しかないのです。
 
 何が言いたいのか。と思われるでしょう。ぼくもわかりません。でも田舎はいいですよ。と伝えたい気持ちで、今年もブログを発信していくつもりです。よろしくお願いします。
 
 
  
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