古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

DAZNに加入して、大阪なおみを応援観戦します。

2022年03月31日 18時35分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 テニスは単純なルールです。素人が試合を見ても、すぐにルールがわかります。しかもプレーヤー(選手)は超人的にテニスコートを走りまわり、「凄い!」と声をあげたくなります。日本の選手がその舞台で活躍すると、応援したくなる。
 いま男子の錦織圭は手術後のリハビリで試合に出ていません。女子のほうで大阪なおみが頑張っています。
 大阪なおみは今年1月の全豪オープン3回戦で負けて、前年に優勝した大きなポイントを失いました。この前の試合(3月のインディアンウエルズ)は、野次られて2回戦で負けました。「去年はうつ病をカミングアウトしたし、いまも精神的に不安定だし、試合は無理か」と様子をみていましたが、3月後半のマイアミ・オープンでは「人がかわったように」つよくなり、準決勝戦まで勝ち上がりました。
 マイアミ・オープンはグランドスラム(全豪/全仏/全英〈ウインブルドン〉/全米)に次ぐ大きな大会です。ここで優勝すると世界のトップ選手です。大阪なおみに優勝の可能性が出てきました。
 〈こころ〉がたくましくなりました。あらたな〈なおみ〉の成長を感じます。
 女子テニスのテレビ放送はDAZNしかありません。(グランドスラムはふつうのテレビでも見られますが)大阪なおみの試合を見たくてDAZNに加入していたのですが、試合に出ることが少なかったのでやめました。
 ちょっと勝ってもまた不安定になる。再加入する踏ん切りがつきませんでした。
 しかしこのたびの勝ち上がりは、確かな成長を感じます。準決勝戦の相手はスイスのベンチッチ選手です。彼女は東京オリンピックで優勝しました。大阪なおみは苦手としており、彼女に3連敗中です。ベンチッチに勝って優勝戦に進出するか。
 気になってネットのニュースを見ています。試合は明朝午前4時から。「この試合に勝ったらDAZNに加入して優勝戦を見よう」と思っていましたが、思いなおしました。いまから加入して、明朝4時から準決勝戦を応援観戦します。
 
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〈カタクリの花〉を見に伽耶院へ行きました。

2022年03月30日 17時32分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 新聞に「カタクリの花が咲いてます」と写真が載っていました。道子さんはそれを読んで「植えてから花が咲くまでに七年もかかるんだって。妖精みたいですって。見に行きましょう」。
 天気もいいし、お昼から伽耶院へ出かけました。参拝客というか「カタクリの花を見る客」というか10数台の車がとまって、参拝客が境内を歩いています。みんなスマホかカメラで花を撮っています。ぼくもIXYでパチリ。

 境内には桜の樹もあるのですが、よく咲いていたのは一本だけ。あとの樹は5日ほどあとに満開になるでしょう。

 パッと咲いてパッと散る。はかないけど、桜には特別な気持ちがあります。
 北谷川の桜/COOPの協同学苑の桜/我が家の裏山の桜/〈とどろき荘〉前の東条川沿い/は毎年花見に行きますが、一つ新しく加えたい花見スポットがあります。
 東条インターチェンジ近くの「南山西」信号の交差点の橋を渡らずに手前を左の住宅地に入ります。左は住宅が建ち並んでいますが、右の金網の向こうには桜の樹がたくさん植えてあります。いつの間にこんなに植えたのか。その若木が育ってきて、花を咲かせるようになっています。満開の頃に行けば、結構な花見になるでしょう。

 土筆摘みのお客さんがあり、道子さんはまた土筆を摘んできました。せっせとハカマをとっています。ご苦労さん。
 
 
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じっくり読んで、考えてみます。

2022年03月29日 21時34分39秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は三木中央図書館で本を借りました。新書本の棚にあった国谷裕子氏の『キャスターという仕事』(岩波新書 2017年発行)です。ぼくは、本を読むまえに、その本の評判や感想をネットで見ることがあります。この本には、実に多くの感想が寄せられています。そして最高の評価がついてます。読むのがこわいような真剣な感想が多い。こころして読みます。

 ぼくは1997年に退職して、夕方のテレビを見るようになりました。NHKテレビの『クローズアップ現代』は必ず見る番組でした。しかしヘンな人が番組編成をに横槍を入れたのか、キャスターの国谷裕子氏は下ろされ、『クローズアップ現代』は質を落とした深夜番組になってしまいました。NHKの良心が死んだというところか。
 本を読みはじめて、真剣な気持ちになりました。いま芸能人なんかも交えて、時局解説をわかりやすく話す番組を民放なんかでやってます。映像をまじえたりして。「わかりやすく」とは「現実のゴチャゴチャをはぶいて」ということです。その危険をまず指摘しています。
 テレビの映像は情緒に訴えやすい。もし連合艦隊のハワイ真珠湾攻撃のとき、テレビがあって、連合艦隊の雄姿がうつされたら、日本国中舞い上がってしまったでしょう。背景や時局のむずかしい交渉なんかいっぺんに吹っ飛んでしまうでしょう。国民感情をそのようにコントロールする力がテレビにはある。その危険性を国谷裕子氏は指摘しています。
 こんな真剣な気持ちは久しぶりです。時代劇やどうとか、小鳥だどうとか、と次元のちがう、大切なテーマと真剣に向き合ってみます。

 いまは新聞をとらなくなった人があるでしょうね。ニュースはスマホで見てしまうし。先日娘が我が家の新聞を買い物袋に一杯持ち帰りました。何かするのに、新聞紙(シンブンガミ)が必要だというのです。(娘のところは新聞をとるのをやめていた)。
 我が家はまだ新聞を読みます。ぼくの生れる前からずっと〈全国紙〉をとっていました。(夕刊は1年前にやめましたけど)もっと地元のことを知りたいときがあります。そこで〈全国紙〉⇒〈地方紙〉に3月14日から変えてみました。(兵庫の地方紙は立派ですね)
 そして2週間ほど読んでいるのですが、論説など読むところがない。コラム欄もなじみがない。4月からまた全国紙をとることにしました。新聞の批判ではありません。好みの傾向とおもってください。
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花咲く春ですが、シロハラ/アオジ/は旅立ちます。

2022年03月28日 17時30分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんは、日に何度となく裏窓からバードフィーダーを見ます。でも今日はシロハラもアオジも姿が見えません。旅立ったのでしょうか。スズメも寄りつかないし、鳩がときどき顔を見せるくらいです。シロハラさん、アオジさん、12月ころには帰ってきてね。

 バードフィーダーの向こうのミモザが黄色の花を咲かせています。〈ミモザ〉の花が好きな村の方にあげようと思いますが、高枝バサミで手折るしかありません。
 ユキヤナギも満開です。白い花の生垣はよく見かけますが、裏山には薄いピンクがかったユキヤナギを植えました。

 ちょっと風情があるというか、いい感じだと思うのですが。
 宿根草のムスカリがいっぱい生えてきました。

 チューリップのつぼみもふくらんでいます。コバノミツバツツジ/ソメイヨシノ/レンギョウ/コブシ/モクレン/などがもうすぐ咲き、お花見シーズンに。
 やっぱり春はいいですね。
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「つくし」が摘みごろです。

2022年03月27日 17時23分26秒 | 古希からの田舎暮らし
 日曜日、萌ちゃん一家が〈つくし摘み〉にやってきました。あたたかくなり、雨のあとで、つくしがちょうどいい/太さ/高さ/に伸びています。今年は群生の密度がたかいです。

 三人でせっせと摘みました。おばあさん(道子さんのこと)も手伝いました。おじいさん(ぼくのこと)は写真を撮っただけで手伝いませんでした。

「ワー! 土筆いっぱい!」とよろこんで摘むと、あとの仕事が大変です。ほどほどに。
 あたたかくなり、雨が降って、冬の間土色だった田んぼが、びっしり緑におおわれます。

 土中の種たちの精勤な働きぶりに感心します。

 昼食後、鳥羽亮の時代劇小説を読みかけました。弱い少年が出てきます。剣の道場でみんなにいじめられる。気になって、読み続けるうちに、だんだん強くなり、いじめた相手を打ち負かす。目がはなせなくなり、夕方まで読んでしましました。
 こういう展開の物語には弱いです。鳥羽亮の本を久しぶりに読みました。『剣客春秋』(青蛙の剣)という本でした。
 テレビの時代劇は、登場人物が「ええもん」/「わるもん」と名札をつけたような「顔」をしているのでわかりやすいし、「ええもん」が勝つようにできているので〈こころやすらかに〉見られます。でも「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」では芸がなさすぎる。「必殺シリーズ」はどぎつい。池波正太郎/藤沢周平/の作品はいいですね。よく見ています。
 藤澤周平の時代劇はかなり読んでいますが、ときどき読み返したくなります。人間味がしぶく、こころに残ります。
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七羽のアオジが餌をついばんでいます。

2022年03月25日 19時06分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 バードフィーダーのまわりに、ぼくは毎日粟粒をまきます。20羽超のスズメがせっせと粟をついばんでいましたが、10日ほど前から一羽も来なくなりました。いま飛来しているのは、シロハラ一羽(ときには二羽)/アオジ/です。アオジははじめは一羽でしたが、友だちをさそうらしく、5羽にふえていました。
 今日、道子さんが「七羽いるよ」といいます。マジックミラーを貼ったガラス越しにのぞくと、たしかに七羽います。アオジは数が減っているそうで、兵庫県では見かけにくい野鳥にあがっています。それが七羽も粟をついばんでる。
 アオジ同士で情報交換して仲間を集めたのでしょうか。うれしい!
 シロハラもアオジももうすぐ旅立ってしまいますが、また冬には飛んでくるでしょう。

 3月になるとウグイスは一日中鳴くのですが、今年は近くで聞けません。裏の小屋に、地面に広げて「ネズミ捕り」(粘着シート)をおいていました。それに去年の暮れ、ウグイスがかかって死んでいました。どうしてそんなところに行ったのか。わかりません。でもあのウグイスがうちの裏山で鳴いていたのではないか。かわりのウグイスは、今年はまだ来ていないのではないか。
 この15年、毎年ウグイスの鳴き声が聞こえていましたが、一年だけなかなか聞けない年がありました。あのときも選手交代のすき間だったのかも。裏山の遠くのほうでは鳴いてるようですが、すぐ近くで聞きたいな。
「ホー ホケキョ!」と書きますが、ウグイスの鳴き方は少しずつちがうようです。いろんな野鳥が個性ある鳴き声を聞かせてくれますが、ウグイスの鳴き声は、特別な情緒があります。
 ウグイスさん、よろしく!








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まんが『プーチン』を読んだらよくわかりました。

2022年03月24日 22時23分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山に上がったところは芝生をはっています。もう7,8年になるでしょう。高麗芝が伸びる春夏は雑草が目立ちませんが、いまは雑草野原です。いまの主力雑草は「ホトケノザ」「スズメノカタビラ」です。花がさき、種が落ちるとますます〈雑草野原〉になってしまいます。種が落ちるまえに根ごと抜く。根気のいる作業です。
 芝生は〈肥料食い〉ですから毎年JA鶏糞を撒きます。雑草の種はそれを食って勢いよく生えています。その雑草を抜けば芝生になりますが、そんな面倒なことをする気はありません。でも道子さんは頑張ってます。膝が痛いのでしゃがむのは避けて、地面にすわって雑草を抜いています。

 それにしても道子さんの後ろの「ホトケノザ」の勢い、すごいでしょ。びっしり生えています。それを一本一本抜く。えらいなー。
「ぼくは何をしたか」。たき火/焼き芋/です。『ザ・セカンド・ラスト焼き芋』というところか。再度注文した〈紅はるか〉はこれでおしまい。もう注文しません。
 雨のあとで枝は燃えにくい。茂みに突っ込んでいた竹を引っ張りだして、鋸で40センチくらいに切って燃やしました。竹はよく燃え、火力も強いですが、すぐ燃えてしまう。たき火のお守りはいそがしかったです。

 ぼくはマンガは苦手です。読んでも入り込めない。しかし図書館で題名に引かれて『まんがでわかる ウラジミール・ウラジミーロヴィッチ・プーチン』と長い名前の本を借りました。ドラマでないのですっきり読めました。プーチンという人がよくわかりました。
 いまの情勢になったのが理解でします。「そんな人だったんだ」。
 このマンガは2017年発行ですが、重版されるらしい。プーチンのことがほんとによくわかります。
 ウクライナの戦争に、またまたぼくなりの空想がひろがりますが、突飛もない空想なので人には話せません。
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散髪して『遺影』を撮る練習をしました。

2022年03月23日 17時36分32秒 | 古希からの田舎暮らし
 一ヶ月ごとに散髪していましたが、コロナ下で足が遠のいてます。今日は43日ぶりに散髪しました。そして「遺影は散髪したてがいい」と思い立ち、三脚にカメラをつけて顔写真を撮ってみました。
 今日は曇り空で、光線の具合がよくありません。「まー、練習だ!」と後ろにロールカーテンを下ろし、ウッドデッキにイスをセットしました。カメラのセルフタイマーをセットしてみたら「3枚連写」メニューがあります。写した写真をあとでみると、3枚連写の間に表情が微妙にしています。いくつか気づいたことをあげてみます。

〇 カメラは顔の高さになるように三脚/イス/をセットする。
〇 胸を軽く張り、両肩を結ぶ線はカメラの真正面から少しずらす。顔はカメラを向く。
  ※ 肩の線を左右どちらにずらすか写真を見て考える。
〇 カメラ(タイマーの点滅)を見てしまったが、斜め上の視線がいいかな。

「遺影の撮り方」で検索してみたらいろいろ書いてあります。また考えます。5年前に芦屋の親友が亡くなりました。朝、単車で市民農園に出かけて作業し、日付が変わる前に急死。葬儀にも行けませんでした。後日訪ねて、遺影写真を見て、「もっといい男だったけどな」と思いました。あまりに急なことでゆとりがなかったのでしょう。
 あれから、ぼくは「遺影写真は決めとこ」と思うようになりました。

 今朝、瞑想しながら〈満蒙開拓青少年義勇軍〉〈満蒙開拓団〉の聞き取り取材をしていた時間をたどっていました。最初はハルピン郊外にあった〈嚮導訓練所〉3回生の方々に取材しました。我が家に来ていただき、テープをまわしながら話を聞きました。森さん/角田さん/谷垣さん/原さん/毛利さん/ …… とお話を聞いた方を思い出し、その方の葬儀を思い出し、『大地の余燼』を繰り返し読んでからは長野県の元義勇軍の方のところに出かけてお話を聞き、出石郡高橋村の大兵庫村開拓団の集団自決について生き残りの方にお話を聞き、中国の万里の長城を踏破した方にも引揚げの苦労をうかがい、話ををまとめてメモし、開拓の記録を読み、ほんとに没頭しました。あれから20年近く時が流れて、いま集団自決の本を読むのをためらっている。
 無理して読むのはやめます。いまの自分をそのままうけとめます。
 

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『サザエさんの東京物語』  

2022年03月22日 16時19分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日書いたように、〈集団自決〉の本のまえで、まだ/モゾモゾ/ウロウロし/しています。
 いまNHKのBS放送で、『サザエさん』の漫画家・長谷川町子の朝ドラ『マー姉ちゃん』を再放送しています。図書館で長谷川洋子の『サザエさんの東京物語』という本を見かけて借りました。そして一気に読んでしまいました。
 本の著者・洋子は、漫画〈サザエさん〉を書いた町子の妹です。朝ドラでは三人が仲よく暮らしているようですが、家を建てて引っ越したときに、結婚して二人の女の子をもつ妹の洋子は、引っ越さなかったそうです。そこから姉二人(町子/まり子)と深い溝ができてしまいました。母親が亡くなったとき、姉のまり子は「妹の洋子には母が亡くなったことを絶対に知らせるな!」と周囲に厳命したそうです。
 母親が死んだことを妹には知らせるな! ギクッとします。洋子は10億といわれる母の遺産の分配も、50億超といわれる姉・町子の遺産分配でも〈相続放棄〉したそうです。テレビの朝ドラでは垣間見えない、肉親のすさまじい葛藤。ことばがありません。
「我が家がそういう兄弟でなくてよかった」と思うしかありません。財産はありませんけど。
 気を取り直して、あの集団自決の本を読むことにします。
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『春分の日』 真東を向く家

2022年03月21日 22時16分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 我が家のウッドデッキは「真東」を向いています。春分の日、LDKから入った日の光は一番後ろの壁に当たります。その写真。

 わずかにズレているように見えるのは、ここが標高100メートルあるからでしょう。365日、朝日が家の隅から隅まで入る。毎朝、太陽に向かって、目の前の田舎を眺めながら(5分×2=10分)のスワイショウをする。そして一日がはじまる。
 裏山の花が咲きだしました。道子さんはちょっと手折って、家のあちこちにさりげなく置いてます。その一つをウッドデッキに持ち出してパチリ。

 サンシュユ/ワビスケ/クリスマスローズ/などをあしらって。

 『満州 集団自決』(新海 均 著)を半分まで読みました。2016年発行です。満州事変(1931年)から85年。〈人生の事件〉から〈歴史〉におくり込まれてしまった出来事を、鮮明に書き込んであり、いい本です。東宮鐡男/加藤完治/と満蒙開拓をすすめた名前も久しぶりに見ました。
 満蒙開拓の本を読みあさり、開拓団や青少年義勇軍の方々に聞き取りをしていた数年間を思い出しました。その頃、三木市にも聞き取りに来ました。教海寺のある脇川を訪ねて「満蒙開拓の話を聞きたい」といったらマスターズ・ゴルフ場のほうだと教えてもらいました。開拓団の方に二度、話を聞かせてもらい、資料を貸していただきました。
 集団自決の本のほうは、半分読んだところでストップしています。開拓団が充実、発展していくところまで。昭和20年8月10日までです。このあとソ連軍が怒涛の勢いで襲いかかり、現地の住民が襲いかかる。
 数年にわたり、集団自決の生き残りの方にも話を聞き、青少年義勇軍の方に逃避行の話も聞いたのに、本を読んでもう一度あの時間と向き合うのを避けるようにグズグズしています。話をきくだけでも、本を読むだけでも、こんな〈ためらい〉を感じるのに、現実に自分の生涯でくぐりぬけてきたあの修羅場を抱えて生きている方のことを思うと。
 でも、読まないわけにはいかない。という思いです。
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春ですねー。

2022年03月20日 22時18分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 遅れていたミモザが咲きました。

 ミモザは、枝を手折り、小瓶に挿してもいい花です。長もちします。目立ちませんが椿の『侘助』もいっぱい咲いてます。葉に隠れるように咲くのを見ると「ふさわしい名前をつけたな」と感心します。

 道子さんがせっせと裏山の茂みを手入れするので、今年はクリスマスローズが見事に咲いています。手折って小瓶に挿しています。

 電動ウォーカーでは歩いていますが、雨があがったので福地池のほうに出てみました。モグラが道にころがっていました。見かけることは少ないし、見苦しくないので写真を見てください。道ばたの土手に埋めてあげました。

 買い物に出て、帰りにうちの村の「土筆の生える土手」に寄ってみました。いま「摘みごろ」です。道子さんは摘んだ土筆を、2時間かけてはかまをとり、つくだ煮風に煮詰めました。ずいぶん手間をかけて、ほんのちょっとです。ぼくは何も手伝いませんでした。 
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今年はじめてのマムシ

2022年03月19日 20時24分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんが裏山の植え込みを掃除していたら、草の上で小マムシが死んでいました。今年一匹目のマムシです。
 大きなマムシは去年もやっつけましたが、マムシは卵胎生で6匹も子どもを生むことがあるそうです。裏山にはまだいるでしょう。
 5年ほどまえのことですが、4軒隣りの当時の空き家を、工務店の人が片づけて、地面のコンパネをめくったら、下に3匹のマムシがかくれていたそうです。3匹とも殺したそうですけど。
 いつもいいますが、「マムシに咬まれない一生でありたい」とぼくたちは願っています。
 今日も曇りと雨で、少ししか外仕事をしませんでした。「室内で運動はしよう」と午前中に電動ウォーカーで2キロ歩きました。まだ元気があるので夕食後、茶碗を洗ってからまた2キロ歩きました。これで万歩計は一万歩超になりました。
 やっぱり太陽が出て、陽が射して、外でなにかするのがいいですね。

 いま『毎日タイピング練習』にはまっています。電動英文タイプを打つ音が入ります。パンパンパン!と小気味良い音につられて、指も軽く動く気がします。先日このコーナーを知ってからスッポリはまっています。「こんなたのしいコーナーがあるのを知らんかった。毎日気分よく打てたのに。残念だ」と思っています。
 ぼくは中学校で英語の先生をしていたときは、プリントを毎日つくっていました。そのプリントの英語は、〈電動英文タイプライター〉で打ちました。「パンパンパン!」と気持ちのいい音がしました。プリントには日本語も記入しますが、それは手書きしました。カットの絵を切り抜いてためておき、ところどころに貼りました。
 転勤したとき「先生はどうしてパソコンでプリントを作らないのですか」ときかれました。「パソコンでもプリントを作れるけど、ほとんど英文だし、タイプライターになれてるから」といいわけしていました。
 パソコンで『毎日タイピング練習』をするようになってから毎日2,30分キーボードをたたいています。電動タイプライターの音が入るので気持ちがいい。しかも練習教材は山ほどあります。
 84歳ともなると気力/知力/体力/がだんだん駄目になります。タイプ練習は「元気よかったむかし」を思い出させてくれます。この熱中は当分つづくでしょう。
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集団自決の本を読むことにしました。

2022年03月18日 21時30分31秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は一日中雨でした。一歩も外に出ませんでした。しかし、電動ウォーカーで、時速4キロ/2キロメートルを歩きました。午前中歩いたのですが、しんどくて途中でやめたくなりました。でも少しスピードを落として、最後まで歩きました。
 夕方「今日は外に出なかったし、歩数も歩いてない。もう一度電動ウォーカーで歩こう」と思いました。歩きはじめてみるとしんどくない。午前中とちがい、体の中に元気を感じます。時速4,4キロにあげて2キロメートル歩きました。
 年寄りは、体調や気分でずいぶん意欲がちがいます。「頑張らない。無理をして/歯を食いしばって/死力をつくして/運動をしない」ように心がけます。
 そうそう、こんな体験を聞いたことがあります。神戸の名谷で、学校関係の老人に封筒を配っていたときに聞いた話です。
「駅に行くバスに乗ろうと、バス停に向かって歩いてたときですわ。あと10メートルあまりでバス停というとき、目の前をバスが通りすぎました。〈アッ! バスが来た!!〉とバス停に走ろうとしました。そのとたん、胸が締めつけられたように痛くなり、倒れてしましました。救急車で病院に担ぎ込まれ、心臓のナントカで2週間入院し、〈一生気をつけるように〉といわれました。いまはどんなことがあっても走りません。バスが目の前を通っても。地震や火事でも。心臓なんて生まれてから今までなんともなかったのに」
 ぼくも頑張りません。でも今日は電動ウォーカー2本が軽くいけました。こういう日もあっていいかな。

 図書館で借りた本の中に『満州 集団自決』(新海均 著 2016年9月発行 河出書房新社)があります。この本を読むかどうか思案していましたが、読むことにしました。
 いまの日本の若い人たちには考えられない極限の状況下で、満蒙開拓団の老人、女、子どもたちは、集団自決をしました。日本の国家に見捨てられ、日本の軍隊に見捨てられて、侵入してきたソ連軍や、土地を収奪されて恨んでいる現地の人たちに襲われそうになった。27万人が開拓団として渡満し、8万人は生きて日本に帰ることはできませんでした。 
 60歳から70歳までの10年間、ぼくは『満蒙開拓青少年義勇軍』の方々に、開拓団体験の聞き取りをしました。兵庫県出石郡高橋村の集団自決も、体験された方に話をききました。しかし書き物の形で残すことができずに「ぼくの聞き取り」を封印しました。いまこの本を読むと、当事者でなくても、話を聞くだけでも、思いを致すだけでも、心のエネルギーが、勇気がいります。で、「読もうか。封印のままにしようか」とためらっていました。
 この本は最近(2016年)に出た本です。80年近く昔のことを、いまになっても、伝えようとする人がいる。聞き取りするだけでもつらく、何を聞いたか思い返すだけでもつらい話でも、目をそらさないで、真正面から向き合ってみよう。
 そんな気持ちで、読むことにしました。

 
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〈お参り〉を忘れるところでした。

2022年03月17日 02時48分06秒 | 古希からの田舎暮らし
 毎月16日は大将軍神社(村の人たちは「畑の神さん」といいます)にお参りする日です。身内に不幸があると一年間はお参りできないのが村のきまりです。母が亡くなったときは一年間当番の人にことづけてお参りしてもらいました。(鳥居の内側に入らない)
 今年は皆勤賞をめざしています。
 さて、昨日はいい天気でした。村の方が訪ねて来られ、高齢者に果物をいただきました。「ふれあいまちづくり」協議会の贈り物で、ありがたくいただきました。ついでに道子さんは、その方と裏山のテントハウスでおしゃべりタイム。ぼくはコーヒーを入れて持っていきました。久しぶりのおしゃべりでちょっと長くなり、帰られたのは11時過ぎだったでしょうか。
「お昼の食事はなににするかな」と二人で思案して、「今日は16日か。アッ! 畑の神さんにお参りする日だ」と気づきました。
11時半をまわっています。当番の方(二軒)はもう片づけたかな。今月分の奉納袋をもって、急いで軽自動車で出かけました。(奉納の袋は一年分用意しています。我が家の二人/萌ちゃん一家の三人/大志くん一家の三人/と三つ。12の倍数のお金を入れ、生まれの干支と年齢を書いた袋です)
 神社の幟がまだ見えたので ホッ! (お参りの日は神社の前にのぼりを立てます)当番の方が「いつも参られるのに今日はまだかな」と話していたそうです。お参りのお餅をいただき、昼食はお餅と昨日の焼き芋にしました。
 カレンダーに書いている「公式の出掛ける日」なのに忘れてました。あと15分も遅ければ、皆勤賞はパーでした。
 世の中、大変なことが起きているのに、のんきなことを書きました。
 やりきれない思いはありますが、どうしようもありません。
 
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3月14日は母/妙子さんの命日です。

2022年03月14日 20時15分07秒 | 古希からの田舎暮らし
 2019年3月14日に母は亡くなりました。行年107歳でした。「母の命日」といっても生き残っている子どもは播磨のほうに住んでいる妹とぼくだけです。高齢ですから寄ったりしません。我が家で、道子さんに正信偈をあげてもらい、ワタクシは神妙に拝みました。お墓は永代供養にしていますから、またいつかお参りします。

 母の大きな仏壇は裏山で「お焚き上げ」して、この仏壇にしました。毎朝拝むうちに愛着が深くなり、いまも花を絶やしません。生け花を毎日挿すのでなく、鉢植えの胡蝶蘭を供えています。

 この胡蝶蘭は、三つの鉢を並べています。どの鉢も過去に買って1~2カ月供えたものですが、花が散って交替しました。しかし道子さんはときどき霧を吹いたりして仏間に置いていました。するとツボミが出てきて、また胡蝶蘭が咲いています。まだツボミがありますから当分これで。只(ただ)で二度目の花をたのしみます。〈二度咲〉はしますが〈三度咲〉はしないようです。
 今日も裏山で、たき火・焼き芋。まだ数回分〈紅はるか〉があります。何度食べてもおいしい。
 気温が高くなり、すっかり春です。裏山の花花が咲きだしました。ミモザはまだツボミのままです。サンシュユが「お先に。ごめんなすって!」と満開です。

 
 


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